陰キャ、無口のコミュ障でもやる男です   作:イェスコマ

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5話

局に戻ると、玄関ホールは昼下がりの光で白く霞んでいた。

 報告課へ続く廊下の手前で、班長がケースを掲げてわざとらしく肩をいからせる。

 

 「おい、道空けろ。スリラー個体の核、回収済みだ」

 

 周囲の視線が一瞬そちらへ吸い寄せられる。

 班長は得意げに報告室へ消え、残った班員たちは「風呂」「飯」「カード」と好き勝手に散っていった。

 

「いやー、二日連続で疲れたわ」

 「でも結局大したことなかったな」

 「今夜は飲みね。隊長の奢りで」

 

 笑い声が廊下に流れていく。

 僕はその背を見送り、静かに息を吐いた。

 

(……ええよ。手柄は好きに語ったらええ。

 僕の仕事は、残すこと。線を引いて、次を薄めることや)

 

 共同机の空いた一角を借り、ポーチからノートと簡易用紙を取り出す。

 指先はまだ少し震えていたが、ペンを握ると震えはすぐ止まった。

 昨日と今日の巡回ルートを一枚の地図に重ね、矢印で“流れ”を描く。粉塵の向き、足跡の向き、風の通り。

 北棟奥室に赤丸。欄外に大きく——〈滞留域/要封鎖・要再監視(微強)〉。

 

採取時刻、天候、残滓の匂いの有無、血痕の乾き具合。

 必要な数字と必要な言葉だけを置いていく。

 最後に「住民立入規制」の申請票をクリップで重ね、深呼吸。

 

(よし。行こか)

 

 受付はいつもの窓口だ。

 木のカウンターに鉄の欄間、書類の匂いとインクの匂い。鐘を鳴らすまでもなく、奥から女性がすっと出てきた。

 

 彼女は僕の顔を見る……見ない。

 瞳をわずかに伏せ、視線を外し、穏やかな声で言う。

 

 「——加賀谷くん、こんにちは」

 

 その呼び方に、胸の緊張が少しほどける。

 彼女は僕が視線を浴びると固まることを知っている。正面からは見ない。声は柔らかく、速すぎず、遅すぎず。

 

「本日の提出は?」

 「……っ」

 喉が詰まる前に、僕は黙って書類束を差し出した。

 表紙の端に、震えないよう親指でそっと押さえを利かせる。

 

 彼女は手元だけを見て、指先の動きを止めない。

 表紙をめくり、赤丸の位置で小さく頷く。

 「北棟の奥室、滞留域。……残滓は微強、子どもの血痕……はい、確認しました」

 

 朱の受付印が、ぱん、と気持ちのいい音で落ちた。

 「受理。参考資料ではなく、優先回覧に回しますね」

 彼女はそう言って、別色の帯紙をクリップする。回覧順が早い組の色だ。

 

 「立入規制の申請も、併せてこちらで預かるわ。現場の写真は……無し、ね。——あなたの図面はいつも正確だから大丈夫。私からも“封鎖検討”で話を通しておく」

 

 

伏せ目のまま、しかし言葉ははっきりと。

 彼女の声には、軽い同情でも、形式だけの温度でもない、仕事の芯の硬さがあった。

 

 「いつもありがとう、加賀谷くん」

 

 胸の奥が、じんと温かくなる。

 視線を合わせずに、きちんと届く言葉。

 喉の輪が一瞬緩む。

 

 「……あ、り、がと、うございます」

 掠れた声でも、彼女は頷いてくれる。

 「うん。控えはこちら。受理番号はここ。回覧の進捗はこの板の札で見られるから、明日以降、気が向いたら覗いてね」

 

 

滑るような手つきで控え票が返ってくる。

 “受付控”の赤い文字、今日の日付、番号。

 小さな紙切れ一枚なのに、肩に載っていた石が少し軽くなる。

 

(控え……ちゃんと“線”が局の中に残った、ってことや)

 

 彼女は最後に、ほんの一拍だけ間を置いて言った。

 「顔、上げられそうな時だけでいいから。何かあったらいつでもここに持ってきて」

 「……はい」

 

 会釈して窓口を離れる。

 背中に視線はない。追い立てるような足音もない。

 仕事の匂いと、インクの匂いだけが残る。

 

(ちゃんとした人も、おる。ここには“届く場所”が、確かにある)

 

 廊下の角を曲がると、報告課のドアが開き、班長が出てきた。

 肩を回しながら、誰かと笑っている。

 

「いやぁ、俺の再調査がハマってよ。危ない芽は早いうちに——」

 

 言葉は耳に入ったが、引っかからない。

 僕は受理票をポケットに押し込み、深く息を吸った。

 

(ええ。語るんは好きにしたらええ。

 僕は、僕の線を引き続ける。次の“恐怖”が薄くなるように)

 

 窓の外で、雲がゆっくり流れていた。

 その下で人が暮らしている。

 恐怖は消えない。けれど、薄くはできる。紙に押された朱の印みたいに、確かに。

 

 控え票が、ポケットの中でカサ、と鳴った。

 小さく、でもはっきりとした音だった。

 

 

 

 翌朝の局は、妙に浮き立っていた。

 通路を行き交う連中の声がいつもより一段高い。報告課の掲示板には赤い帯紙がいくつも貼られ、受付前の柱には「臨時編成通知」の札。昨日までくすんだ廊下が、突然戦の前みたいな匂いを帯びている。

 

 「聞いたか? 北の廃墟群、殲滅任務だってよ」

 「四班動員、うち主導は——」

 「隊長、やっぱ目ざといよな。再調査で“異常個体”見つけてさ」

 

 ……目ざといんは誰や、って喉まで出かけて、飲み込む。

(ええよ。誰が褒められても。線はもう引いた。動いてくれたら、それでええ)

 

 掲示板の端に、昨日の受付控えと一致する番号が見えた。帯紙は優先回覧済の色。横に小さく〈立入規制・暫定承認〉の札。胸の奥がふっと軽くなる。

 視線を上げると、窓口の向こうで受付の彼女が、わずかに顎だけで「通ったわよ」と合図してくれた。目線は合わせない。けれど、その仕草ひとつが、ひどく心強い。

 

 「——班長は班員を揃えて第一会議室に集まれ」

 報告課の奥から上席官の声が響いて、廊下のざわめきが潮を引くみたいに動いた。

 

* * *

 

第一会議室。壁一面の地図に、赤と青の糸がクロスしている。

 昨日僕が図面に描いた矢印と同じ“流れ”が、上官の手で太くなり、区画は色分けされ、番号が振られていた。

 

 「——今回の殲滅任務は四班連動、指揮は第七分隊長。現地主導はお前んとこだ、矢場班長」

 

 前列で腕を組んでいたうちの班長が、いかつい顎を一度だけ上げる。

 上席官が地図を指し示す。

 

 「北棟奥室、滞留域マーク。ここから恐怖の“流路”が東西二方向に流出している。第一突入は矢場班、第二の側面封鎖に巡回班二個、後続に工兵班が封鎖材を持って入る。医療は神殿隊の待機を南門に置く」

 「通信合図は通常通り。白煙=発見、赤煙=封鎖、黒煙=撤退。誤射は許さん。いいな」

 

 班長が「了解」と短く答える。

 周りの班員が小突き合って笑う。「俺たちが主役か」「ま、昨日片付けた俺らだしな」

 上席官は続けた。

 

 「なお、滞留域の特性情報は“昨日の再調査報告”に基づく。良い仕事だったな、矢場班長」

 

 

部屋の空気が、ひとつ持ち上がる。拍手は起きないが、空気そのものが“肯定”の色を帯びた。

 僕は端の席で、ノートの余白に小さく書く。〈情報採用:封鎖導線確定〉

(受付さん、ありがとう。通ったで)

 

 上席官が配布資料を回す。表紙には「滞留域:北棟奥室」。中面には、昨日僕が描いた略図を清書し直したものが貼られていた。

 矢印の角度も、赤丸の位置も、ほとんどそのまま。フォントだけがきれいになってる。

 

(見ろや? これが“線”の力や。字は整えられて、名前は消えて、せやけど繋がってる)

 

 しかし班長は、当然の顔でそれを受け取り、当然のように頷く。

 「……俺たちが片付ける」

 

上席官はさらに釘を刺した。

 「先に言っとく。無理に派手にやるな。目的は“殲滅”と“封鎖”。討伐数の自慢は要らん。住民避難は今朝で完了した。被害はこれ以上出すな」

 

 「了解」

 班長の声に、会議室の空気が締まる。

 僕の背筋も自然と伸びた。

 

* * *

 

 

解散後、廊下で班長に呼び止められた。

 「加賀谷。お前は……先行だ」

 

 喉が、きゅっと鳴る。

 「先行」は、つまり“最初に入って確かめてこい”の仕事。僕にとっては一番向いているし、一番危ない。

 

 「どうせ人前だと口も動かねぇ。だったら前に出ろ。お前の“隠れるやつ”で、滞留域までの導線を確認してこい。白煙を上げたら、俺たちが次に続く。赤煙は封鎖許可、黒は——わかるな」

 班長は短く言い、視線を逸らす。「余計な真似はするな。合図だけでいい」

 

(合図だけ、な。……まあ、わかっとる。僕は線を引く係や)

 

 背後で班員がニヤつく声がする。

 「また単独かよ」「都合いいよな、あいつ一人で勝手にやってくれるし」「前座にいいんじゃね」

 笑い混じりの軽口は背に置いていく。足元を見て、呼吸を整える。

 胸の中の震えはある。けど、その震えは高さじゃなく細さに変わる。糸みたいに細い集中が、視界の輪郭を研ぎ澄ます。

 

* * *

 

 準備室で装備を整える。

 軽装の鎧、目立たない暗色の外套。

 腰に短剣二本、靴裏の静音パッド、チョークと麻糸、携行煙管三本(白・赤・黒)。

 記録用の薄板、鉛筆、封鎖申請の控え。

 手袋を引き上げながら、指先でさっきの受理票をなぞる。数字が、今日の“線”を保証してくれる。

 

「……よし」

 

 鏡を見る。視線は合わせない。

 僕は誰にも見られないところで、ほんの少しだけ笑ってみせる。

 

(僕は、見つからん。見つからんまま、見つけて、それで終いや)

 

* * *

 

 

集合時間。

 四班が中庭に並ぶ。各班の旗が風に鳴る。

 上席官の最終確認。「各班、装備点検」「通信符牒確認」「住民避難完了」「工兵、封鎖材よし」

 神殿隊の神官が短く祈りを捧げる。布の匂いが風に流れる。

 

 僕は列の最後尾。

 受付の彼女が遠くの窓から、ほんの少しだけ——やっぱり視線を外したまま——手を胸に当ててくれる。

 喉が、すっと軽くなる。

 

「行くぞ」

 分隊長の声。

 四つの列が、一斉に歩を進めた。

 

* * *

 

 

廃墟群の手前で、列は左右に分かれた。

 班長が短く合図する。「先行——行け」

 

 僕は頷くだけ。

 呼吸を落とし、影から影へ、音のない歩みで瓦礫に溶ける。

 

 昨日の赤丸。滞留域は北棟の奥室。

 恐怖の“流路”は、まだ街の方へ向いていない。今のうちや。

 曲がり角ごとにチョークで細い印を残し、床の軋みを避け、風の粒立ちを読む。

 足元の粉塵は、昨日より“整って”いる。誰かの手が入ったのか、恐怖自身が“巣”を固めようとしているのか——。

 

(嫌な手触りや……固まる前に、薄めな)

 

 奥室の前で立ち止まる。

 空気が、ぬめっと肌に貼り付く。

 昨日より濃い。けど、まだ“息ができる濃度”。いける。

 僕は静かに白煙の管を抜き、最小限の角度で床に置いた。

 

すうっと、白が立ち上がる。

 外——班長の位置から見える高さに、ぴたりと合わせて。

 

(さぁ、仕事や。合図は出した。後は封鎖——)

 

 懐で赤と黒の管を“触れるだけ”にして位置を確かめ、ノートに短く書き足す。〈滞留域:濃度上昇。工兵導線A→B許容。側面は脆〉

 

 階段の影から、金具の擦れる音。

 ……続隊が来る。時間は合っている。

 僕は一歩引き、影の帯に半身を沈めた。

 

(恐怖は消えへん。けど、薄められる。——今日の線は、太く引いたる)

 

 背後から重い足音。

 班長の低い声が、廃墟の呼吸に割り込んだ。

 

 「よし、見せてもらうぞ。俺たちの“手柄の続き”をな」

 

 耳が焼ける。けど、振り返らない。

 僕は影のまま、最前にいる。

 見つからず、見落とさず、ただ前だけを見て、線を引く。

 

 

 

 

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