赤い煙が立った。
合図はひとつ。ここからは——正しい段取りだ。
「前衛、押さえろ! 通路を細く保て!」
矢場班長の号令に、盾持ちが前列で膝を落とし、狭い口を“人の幅”に合わせて固定する。
左右の路地には巡回班が二個、素早く回り込んで側面を詰めた。短い角材で仮の楔(くさび)を噛ませ、抜け道をつぶす。
後方、神殿隊の僧侶たちが結界布を二枚、重ねて張る。淡い光が波紋のように広がり、負傷者の呼吸がわずかに整った。
「癒術、前列優先! 出血止血、二番!」
「了解、止血符、展開します!」
(よし……これで“道”ができた。次は——工作班が通れる幅を作る)
僕は影へ沈む。
矢場班の盾のつま先と、巡回班の楔の間。敵と味方の視線が交差する、その死角だけを綱渡りのように繋いで進む。
巣口から押し寄せる小型が、盾にぶつかっては砕け、隙間から潜ろうとしては棍で叩き落とされる。
その“潜ろうとする”瞬間に——
「いーち」
短剣を関節に“添わせて”滑らせる。音はない。赤い光点がふっと消える。
「にー」
巣材の影で跳ねようとした個体の首根を、針で一点だけ止める。体が糸の切れた操り人形みたいに静かになる。
(さん……)
絡み合った骨脚の“膝”を二枚まとめて外す。倒れた体が通路にふたをし、後続の群れが一呼吸ぶんだけ遅れる。
「工作班、前へ! 封鎖材、第一投、準備!」
矢場の声に、背負子を負った工兵が二人、盾列の間を屈みながらすり抜けてくる。
僕は通路の床に引いておいた麻糸の位置を、足でごくわずかに示した。工兵の目がその線を拾う。ほんの一瞬、彼の眉が「助かる」という形に動いた。
「導線、見えた。投入口ここ!」
「了解——封材、注入!」
桶の蓋が外れ、灰色の封鎖材がとろりと流れ出す。
床の細い割れ目(さっき針で穿っておいた)に吸い込まれ、巣材の内側へ毛細管のように広がっていく。
工兵の相棒が冷却粉を薄く振り、別のひとりが符刻杭をコン、と打ち込む。
符の光が灰色を白く変え、巣の“呼吸”が一つ浅くなった。
「いいぞ、もう一投!」
矢場の声。前列の盾が半歩だけ押し出して、隙間を守る。
巡回班が横から飛び出そうとする小型を叩き、神殿隊が裂傷に符を押し当てる。
僕はそのすべての“間”を縫い、さらに三体、静かに消した。
(四、五、……六)
「工作班、確認! 巣心まで届いてるか!」
「視認窓から……よし、核嚢に触ってる! 第二封材、流し——!」
再び灰が流れ、符が光り、巣材の奥で“ぬらり”と蠢いていた影が、ぎゅ、と縛られるように固まる。
巣の口からあふれていた小型の身振りが、一斉に鈍った。
(今や——数は減る。ここで押し返す)
僕は盾の横をすり抜け、巣口の縁にすっと立つ。
正面。真正面。——でも、誰にも見えない高さと角度に、輪郭を落として。
「七」
ふくらはぎの骨を横薙ぎに外す。
「八」
肩の付け根を“回す”。
「九」
首輪を、抜く。
倒れた体を矢場が粉砕し、巡回班が楔を打ち増して通路をさらに細くする。
神殿の祈りが重ねられ、空気の“ざわめき”が確かにひとつ、静かになった。
工兵が最後の確認を叫ぶ。
「核嚢、完全硬化! 巣の呼吸、停止! ——封鎖完了!」
空気が変わった。
赤い光点はもう新しく灯らない。
残っていた小型を、矢場班と巡回班が丁寧に叩き潰し、カスは神殿隊の塩で祓う。
瓦礫の奥から、生まれてくる気配は——ない。
(終わりや。ここから“恐怖”は、もう生まれへん)
僕は短剣を収め、深く息を吐いた。胸の奥に張り付いていた冷たい爪が、やっと離れていく。
「前進停止! 掃討終了! 負傷者、神殿へ! 工兵、封鎖印の保護!」
矢場が腕を回し、全体を見渡してから、高く言った。
「——よし。この巣は死んだ。残りは遺品の回収だ。手早くやるぞ」
(遺品……この周辺で消えた人たちの)
僕はうなずき、影の中で膝をつく。
巣材の外側、布や縄、破れた鞄の金具、焦げた木札。
慎重に、ひとつずつ拾い上げ、布袋に入れていく。名前が読めるものは稀だ。けれど、指輪の刻印、ボタンの模様、手縫いのほつれ——“誰かのもの”であった印は、必ずどこかに残る。
(これは——髪留め。……小さいな。子供の)
胸に小さな痛みが走る。
僕はそっと、袋の最も柔らかい場所へそれを入れ、紐を二重に結んだ。
周囲でも巡回班が瓦礫をのけ、神殿隊が塩で清めながら、遺品を白布の上に並べていく。
矢場は一歩引いて腕を組み、やがてこちらを振り向いた。
「——おい、加賀谷」
喉がひゅっと鳴る。
矢場は相変わらず僕を“見ない”。正面にいても、視線はすべっていく。
彼は鼻で笑い、わざとらしく肩を竦めた。
「やっと出てきたか。どこで油売ってた。俺たちが体張って掃除してる間、隠れて見物してたんじゃないだろうな?」
胸の奥で血が逆流するみたいに熱くなる。
(見物? ——僕は、前におった。盾と楔の“間”で。工作班の導線を引いて、十は消しとる)
声にしたい。けど、視線が刺さると喉が固まる。
僕は代わりに、遺品袋と、簡易報告の控えを差し出した。巣の封鎖印の位置、封材の量、硬化時間、再開口の困難度。必要なことだけが、一枚に収まっている。
矢場は受け取ると、袋を乱暴に揺らし、書類を斜めに一瞥した。
「ふん。紙は後で報告課に回せ。……ったく、お前が真面目に前に出てりゃ、俺たちだけで殲滅できたんだ。余計な応援なんざ要らねぇ」
(“前に出て”、な。——僕は、ずっと前や)
喉の奥で笑いがこぼれそうになって、飲み込む。
笑ったら、たぶん涙が混じる。
僕は深く、静かに頭を下げた。言葉の代わりに。
「隊長、遺品、こっちもまとまりました」
巡回班の隊長が白布の束を持ってくる。矢場はそちらに向き直り、得意げに頷く。
「よし、俺たちの殲滅任務は完了だ。撤収する。——工兵、封印確認。神殿、最後の清め。各班、列を整えて帰るぞ」
僕は、封鎖印の白が乾いていくのを見届ける。
灰が白になり、符が静かに線を結ぶ。
ここから、もう“恐怖”は生まれない。
(ええ。これでようやく、次の誰かが“消えん”で済む)
遺品の袋を胸に抱え、列の最後尾へ戻る。
誰にも見られない場所。
でも、ちゃんと届く場所へ——受付の窓口へ。
矢場の背中が前で大きく揺れる。
「今回は俺たちの速断がモノを言ったな」
「さすがです、隊長!」
(速断……せやな。正しい段取りに乗った“後”は、速いほうがええ)
心の中で小さく毒づき、同時に、自分のノートの同じページに線を一本、引き足した。
〈封鎖完了。遺品:返還ルート申請〉
恐怖は消えへん。
けど、薄くはできる。
名前のない線でも、繋いでいけば地図になる。
僕は歩きながら、受理票の番号を指先でなぞった。
小さく、でも確かな印。
次も、同じように——引いて、残して、薄める。
局の玄関ホールは、午後の日差しで白く霞んでいた。
矢場班長は真っ先に報告課の窓口へ歩き、封鎖印の押された台紙と核回収ケースをドンと置く。
「北棟奥室、封鎖完了。滞留域は死んだ。地区の恐怖、沈静化を確認——以上だ」
「確認しました。封鎖印、良好。殲滅任務は一時完了扱い、経過観察に回します」
受付の印が小気味よく落ちる。ぽん、ぽん、と二つ。
すぐ横の掲示板には赤帯の「臨時編成・殲滅結果(速報)」が貼られ、矢場班の欄に太い墨で〈達成〉の文字。
後ろの列で、帯同していた他班も次々に核の袋を差し出していく。
「巡回第二、回収核、六」
「巡回第五、三。工兵分の付随回収が二」
金属のように硬い核同士が袋の中で当たり、からん、と乾いた音を立てる。
僕は列の最後尾に並び、自分の袋を胸に抱えた。
(数は——数えるまでもない。軽く十を超えとる。……あかん、手が汗ばむ。落ち着け。渡すだけや)
正面の窓口にいたのは、いつもの彼女ではなかった。
四角い縁の眼鏡を掛けた、無表情の若い男。声は早く、視線は正面から真っ直ぐ突き刺さる。
「次——矢場班の回収者?」
喉がきゅっと詰まる。
僕は小さく頷き、袋を差し出した。
男が受け取った瞬間、眉がわずかに動く。
袋が、想像より重かったのだろう。
「……回収数、申告は?」
「……っ」
声が出ない。
男は待たない。手元の秤に袋を載せ、癖のない手つきで一つずつ数え始める。卓の上に並ぶ、鈍い赤黒の欠片。
「一、二、三……十、十一……十五……十八」
周囲の空気が、少し揺れた。
同じ矢場班の若い男が、横から身を乗り出す。
「おい、十八? は?」
「拾い過ぎだろ、加賀谷。誰のを拾った?」
「お前、コソコソ隠れて、人の倒したやつ拾ってただけじゃねぇのか?」
胸の奥が熱くなり、同時に喉が固まる。言葉が砂みたいに崩れて消える。
(違う。僕が、落とした。盾と楔の“間”で——)
口は動かない。
代わりに、僕は記録ノートを開き、核を落とした位置の細かい“点”を指先で示す。導線に沿った、小さな赤い点がいくつも並んでいる。
「なにそれ、落書きか?」
嘲り笑いが背中にまとわりつく。
矢場班長が間に割って入った。
「お前ら、くだらないこと言ってねえで提出を終わらせろ。——窓口、核の計上は班の計上でいいな?」
受付の男は無表情のまま頷く。
「はい。原則、回収核は“任務単位・班長名義”での集計です。個人計上は例外。班長承認印があれば別ですが」
印。
矢場は台紙の端を指で叩き、短く言った。
「矢場班の回収十八、加算しておけ」
「了解。矢場班、総回収——二十八(他班と重複なし確認)」
カウンターの上で数字が黒々と増えていく。
僕の袋の中身は、まるごと“矢場班”の数字に飲み込まれた。
「ほら見ろよ。やっぱ俺らが一番じゃん」
「隊長の読みが良かったからな」
「加賀谷、お前は札でも数えとけ」
心臓が痛いほど打つ。
いつもの彼女なら、視線を外して「個人付記で残しておくね」と言ってくれたかもしれない。
けれど、彼女は今日、反対側の窓口にいて、年配の市民対応で手一杯だ。こちらを振り向く余裕はない。
受付の男が事務的に言う。
「核の評価額は、班長名義の回収として処理。賞与の分配は班長裁定。……次の方」
ゴム印が、乾いた音で落ちる。
僕の提出は、ひとつの数字になって消えた。
矢場班の一人が肩を小突いてくる。
「なぁ、“拾ってただけ”って顔してるけどさ、次からはちゃんと前に出ろよ? 俺たち、体張ってんだからさ」
別の一人が笑い、声を潜める。
「てか、隊長が言ってたぞ。『あいつが真面目にやれば俺たちだけで殲滅できた』って。な?」
喉が熱い。
(僕は——前におった。お前らよりも前で!見つからんまま、恐怖を倒しとってん。導線も、楔も、封材の口も……)
言えない。
言えないまま、僕は俯く。視線は床に落とし、足を半歩引く。
「終わりだ、散れ散れ」
矢場班長がケースを抱え、満足げに背を向ける。
掲示板には新しい札が追加される。「殲滅結果(暫定)・矢場班:回収二十八」。
その下に小さく、鉛筆で〈再編成会議:明朝〉の告知が挟まれていた。
(再編成……)
背筋に、冷たい汗が流れる。
矢場班長は立ち止まりもせず、報告課の扉に消える瞬間、肩越しに一言だけ投げた。
「——加賀谷。お前、明日は来なくていい。編成会議の結果が出るまで、単独で雑務でもやっとけ」
胸の奥で、何かが静かに落ちた音がした。
周りの笑いが遠のく。
目の端で、向こうの窓口にいる彼女が振り返るのが見えた。
でも、彼女はすぐに元の相手へと向き直る。仕事の手を止めない。
——その姿が、逆に僕の背を支えた。
(ええよ。僕は、やる。線を引く。誰に見られんでも)
受付台の端で、控えの半券が風に少し揺れた。
僕はそれをそっと摘み、ノートの間に挟み込む。
今日の線は確かに残った。封鎖は効いた。恐怖は薄まった。
それで、十分や。……と言い聞かせる。
けど、胸の奥のどこかが、ほんの少しだけ疼いた。
扉を出る前、廊下の角でふと立ち止まり、誰にも聞こえない声で呟く。
「——次も、僕は僕のやり方でやる。見つからんまま、見つけて、恐怖をなくす。……それが、僕の仕事や」
返事はない。
けれど、ポケットの中の半券がカサ、と鳴って、確かにそこにあると教えてくれた。
再編成までは、ソロ。
僕は踵を返し、音のない足取りで、次の“薄めるべき場所”へと歩き出した。
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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