再編成までソロ。
寮の屋根に腰を下ろすと、街の灯りが遠くでまたたいていた。夜風は冷たくて、今日の粉塵の匂いだけがまだ喉に残ってる。
「……哨戒(パトロール)だけやったら、僕ひとりでも回せる。ひとりやったら足も口もよう動くし、見つからへん。けど——」
空を見上げる。崩れかけの塔スリラーの黒い影が、雲の切れ間に縁だけを見せていた。
「巣を潰して、恐怖を薄めて、孤児を増やさん。……それがほんまの目的やろ。僕みたいな子、もう出さんために」
「それやったらひとりで頑張っても限界なんてすぐ見えてくる……どないせぇっちゅうねん」
言い切ってから、膝の上のノートを開く。
やり方は分かってる。見つけて、線を引いて、封鎖まで持っていく。
でも、僕ひとりの線は、今の局のやり方だと、よく消える。
明日、いつもの受付さんに相談しよう。話がちゃんと届く“道”を作るために。
「ほな、“相談メモ”作っとこ。……噛んでも伝わるよう、短う、具体的にな」
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相談メモ(明日・受付さん宛)
1. 役割のお願い
「先行隠密/導線確保」を専任気味に回してもらえるよう取次をお願いしたい。
目的:①滞留域の特定 ②工兵用の封鎖導線作成 ③小型の静音排除
成果物:導線地図(麻糸印・割れ目位置)、最短投入口リスト、危険点マーキング
2. ソロ哨戒の運用
時間帯:夜明け前〜朝(人が少ない時間に線を引き、日中班が踏襲しやすく)
提出物:微地図/残滓ログ/危険標(紙札)
ポスト投函でも受理いただけるよう取次をお願いしたい(対面で詰まる可能性があるので)。
3. 技能の横連携
工兵補助の簡易資格(符杭位置・封材基礎)受講を紹介してほしい。
4. 再編成の見通し
上記任務や資格が整い次第、5名前後の班に合流できるよう道筋の相談に乗ってほしい。
5. 例外計上(記録のみ)
核回収の個人付記が認められる条件を知りたい。
例:先行隠密が単独で落とした核が一定数以上/導線設計の採用など。
※金銭不要、記録だけ僕名で残してほしい(再編成の根拠に)。
6. 最後に(意図)
恐怖は消えへん。けど、薄められる。
見えへん場所で線を引き続けたい。線が“消えないように”局内の道を一緒に考えてほしい。
〈※今日は言葉が出んかったら、この紙そのまま読んでもらう〉
「……よし。言えるだけ言う。言えんかったら、紙で伝える!」
ノートを閉じる。風が一枚だけページをめくって、昨日の「封鎖完了」の朱線を覗かせた。
消えずに残った線。これから増やす線。
「明日や。朝いち、あの窓口から。ここから僕も変わらなあかん。いつまでも視線に怯えてたらあかん。——やったるで」
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翌朝。
宿舎の廊下はまだひんやりして、窓の外に白い朝靄が残っていた。人の少ない時間を狙って、僕は局の受付へ向かう。早い鐘の音が一度だけ鳴って、玄関ホールの床石が淡く光る。
カウンターの向こうに、彼女はもういた。
少し年上、つやのない黒縁のメガネ、仕事用にきっちり結った髪。背筋は真っ直ぐなのに、話すときだけ視線をほんの少し外してくれる——あの気遣いの仕方は、誰にも真似できへん。
胸の札には、端正な字で名前。
小野寺 遥(おのでら・はるか)。
「——おはよう、加賀谷くん」
いつもどおり、真正面からは見ないまま、穏やかな声だけが届く。
喉の輪が、すっと緩む。
僕は頷いて、用意していた紙束をそっと差し出した。
“相談メモ”。昨夜、噛まんで済むよう短く並べたやつ。
小野寺さんは受け取り、手元だけで素早く目を走らせる。
読みながら、木の仕切りをすっと立てて、外からの視線を遮ってくれた。
「……うん、短くて具体的。とてもいいね」
彼女はメモの余白に三本、細い線を引いた。
「まず“今日できること”に分けよう。焦らなくていい。三つ」
彼女はペン先で、落ち着いた声のまま指示を区切る。
「① 先行隠密/導線確保は、臨時扱いで私が取次ぎます。朝の哨戒は、今朝からあなたの名義で受理できるようにする」
「② ポスト投函の受理、承りました。あなたの提出は“個人付記”で必ず残す。回覧の帯色は優先で回すね」
「③ 工兵補助の簡易講習、1週間後なら空きがあるね。仮押さえしておくけど……行けそう?」
「……い、けます」
掠れ声でも、彼女はすぐに頷く。
「よし」
ぱん、と薄い受理票に朱が落ちる。
朱の横に、彼女の苗字と今日の日付、そして小さく“臨時:先行隠密”の印字。
もう一枚、名刺サイズの札を渡してくれた。裏に小さな凡例——▶(投入口)/∥(冷却帯)/×(脆弱部)。
「導線の記号はこれで統一しよう。工兵が見て一秒で分かるように。あなたの麻糸も、この凡例に合わせておいて」
「……はい」
「それと」
小野寺さんは視線を伏せたまま、声だけを柔らかく落とす。
「再編成まではソロで活動、って聞いた。だから“合図だけで動ける線”を、あなたの速度に合わせてここで作る。班の采配は私たちがやる。あなたは——見つけて、残して、戻してきて」
喉の奥が、熱くなる。言葉は出えへん。
けど、伝わってる。確かに、届いてる。
「……孤児を増やさんように、したいんです」
やっと落ちた言葉に、彼女は小さく息をのみ、うなずいた。
「うん。受け止めた。届いてるよ」
机の上で、彼女の指がそっと受理票を押しやる。
「今日の朝哨戒、受付は私が担当。あなたは視線を気にしなくていい。戻ったら、紙で置いていって。私が回す」
「……ありがとう、ございます」
「こちらこそ、いつもありがとう。
それじゃあ1件加賀谷君にやってもらいたい依頼があるからお願いするね」
彼女は控え票にも同じ朱を落として、僕の手元に戻す。
小さな印なのに、指先に確かな重みが移った。
「じゃあ——行ってらっしゃい、加賀谷くん。戻ったら、また“線”を見せて」
頷いて、踵を返す。
ホールに差し込む朝の光が少しだけ強くなっていた。
胸ポケットの中で、受理票がかさりと鳴る。
その音が、今日の最初の合図。
(見つからんまま、見つけて、残す。今日もそれをやるだけや)
僕は音のない足取りで、朝靄の街へ溶けていった。
——
胸ポケットの受理票が、歩くたびにかさ、かさって鳴る。
その音、今までただの紙の音やと思ってたけど……今日はちゃう。味方の心音や。
(うわ、なんやこれ。世界、軽っ……!)
たったひとり。“信じてくれる人間が確かにおる”ってだけで、ここまで景色が変わるんか。
今まで僕は「見つからんまま、見つける」しか取り柄がない思てた。
けど、小野寺さんが受け取って、回して、残してくれる言うた瞬間、僕の“線”が地図になった。独りの線やない、誰かに届く線になったんや。
(助かるで、ほんまに。僕の声、紙越しでも拾ってくれて)
見られたら固まる僕の“欠け”を、欠点やなくて“扱い方”として置いてくれた。
視線を外してくれるあの一秒、僕の喉の輪をひゅっと緩める魔法や。
その一秒が、僕の十歩を前に進ませる。いや、百歩でもいける気すらする。
(なぁ、凪。お前、ずっと“透明”でええ思てたやろ。違うねん。透明のまま役立ってええんや)
影で線を引く僕と、窓口で線を通す彼女。
この二本がクロスしたら、恐怖は薄まる。孤児は減る。——理屈やなく、確信になった。
(よっしゃ、燃えてきたで)
饒舌は相変わらず小声やけど、心ん中は火柱や。
今まで「どうせ消えるやろ」で細く引いてた線、今日からは太う引いたる。
“残滓:微強”とか“導線:A→B”とか、数字と印で誰が見ても動ける線にする。
僕の手は震えへん。震えたら、小野寺さんが朱で押さえてくれる。そういう関係になれたんや。
(味方が一人おるだけで、こんなにも戦えるんやな)
怖さは消えへん。視線はまだ刺さる。喉も時々、鍵がかかる。
それでもええ。鍵の向こうに、僕の言葉を拾ってくれる人がいる。
だから僕は、影へ潜る。もっと深う、もっと静かに。
そして戻る。紙を置く。朱が落ちる。世界が、一行ぶん良くなる。
(行くで。僕は僕のやり方で、全力でやる。
見つからんまま、見つけて、残す。
——そして、必ず届ける。味方が“おる”今の僕は、前の僕とはちゃうねん)
宿舎の部屋。薄い朝の光が畳を四角く切り取っている。
机の上に装備を並べ、ひとつずつ指で触れて確認した。
短剣二、針束、麻糸、チョーク、白赤黒の煙管。
薄板と鉛筆、止血符、布ガムテ、予備の手袋。
紙の地図は端を透明テープで補強し、折り目が割れないよう背に薄い布を貼っておく。
最後に、文字盤だけがやけに主張する機械式の腕時計を巻く。カチ、カチ、と秒針の音が静かに部屋へ沁みる。
(電子は使わん。使えん——“電喰い(でんぐい)”のスリラーが出たら、一瞬で死ぬ)
この国の電気は、恐怖災害のあと九〇年代で止まった。なんやったらちょっと衰退したらしい。シランケド。
信号は手旗、交差点は警笛、工場のラインは半分人力。
テレビは街頭の古いブラウン管が昼だけ映ることがあるが、みんな信じてない。
だから、僕らは紙で動き、旗で走り、線で残す。
外套を羽織り、靴裏の静音パッドを押し込む。
ヘルメットは庇の深いジェット型。曇ったシールドを指で拭い、紐をきゅっと締めた。
「電車、やと……無理や」
昔、一度だけ挑戦した。車内に満ちる視線、揺れに合わせて流れるざわめき。
胸が締め付けられ、酸素が薄くなるみたいに手が震えた。
——僕は輪郭を消すのは得意でも、見られる箱の中では呼吸ができん。
「バイクで行こ。ひとりやったら、足も口も動く」
中庭に降りて、庁舎脇の駐輪場へ。
僕の相棒はキャブ車の小排気量、アナログメーターが二つだけ付いた地味なの。
キーを差し、チョークを引いて、キック一発。
ぶるる、と古いエンジンが目を覚ます。
ハンドルに掛けた赤白の手旗が、かすかに揺れた。
*
街は目を擦るみたいにゆっくり動き出す時間帯。
商店街のシャッターは半分閉まったままで、店主が手で札を裏返す——CLOSE→OPEN。
パン屋の前には黒板が出て、今日の品書きが白い粉で書かれている。
路地の角、腕章を巻いた交通係が赤と白の旗を振る。
「とまれ」と「すすめ」をリズムで伝える、人間の信号機や。
(このテンポがええ。僕には合う)
住宅地を抜ける。洗濯物が風に揺れ、子どもが木の剣で遊ぶ。
電柱の上には古い拡声器、定時になると鐘の音だけ鳴るやつ。
胸ポケットの受理票が、かさ、かさ、と鳴って、鼓動と重なる。
(味方ができた。線は消えん。燃えるなぁ——行こか)
幹線に出ると、車専用道のアスファルトにタイヤが吸い付く。
街外れの高架をくぐると、遠目に廃ビル群が見えてきた。
恐怖災害以前——商業の中心やった区画。ガラスは抜け、看板は色を失い、鉄骨だけが空を縫っている。
住宅と商店が続いた街並みの奥に、ひっそりと“山脈”みたいに黒い影がそびえているのが、この世界の今や。
途中、路肩で止まる救済局のパトカーに会釈し、旗を一振り。
向こうも旗で返す。電子サイレンなんてものはもうない。笛と旗、そして喉。
遠く、線路をディーゼルの通勤列車がゆっくりと滑る。駅のホームで駅員が大きな旗を振り、出発の合図を送っていた。
(電気が消えて、人がやることが増えた。
そのぶん、手は足りへん。だから——僕が線を引く)
*
廃ビル郡の手前でバイクを止める。
錆びたフェンスの影に寄せ、ディスクロックを噛ませ、黒いシートで覆う。
ナンバーに布を掛け、足音の少ない裏通りへ身を溶かす。
正面通りへひょいと出た瞬間、空気の温度が変わった。
陽は出ているのに、日陰の冷たさが皮膚の下へ滑り込んでくる。
風がガラスの破片を転がし、看板の骨がかすかに鳴る。
「——着いたで。隣町の、廃ビル」
囁きを口の中で転がす。
目の前の建物は、災害以前にはきっと洒落た商業ビルやったんやろ。
外壁のタイルは所々剝がれ、エントランスの回転扉は斜めに傾いて止まっている。
入口脇のテナント看板には、消えかけのロゴ——カタカナの店名、古い電話番号。
その上に、救済局の立入注意の木札が打ち付けられていた。紙ではない。釘で留めた木だ。雨で滲まんように。
耳を澄ます。
街の遠い音と、このビルの中の音の境目が、はっきり見える。
風の抜ける通路と、風が曲がる穴。
僕の喉は、もう固まってない。
視線は——ない。今は、僕しかいない。
「さて。線、引こか」
外套のポケットから麻糸を出し、柱の根元に小さく結ぶ。
チョークを指で転がして、足元の割れ目に白い印を落とす。
(行方不明は三日以内、二件。間に合う。いや——間に合わせる)
前に、薄い空気の壁がある。
それを静かにくぐり抜けるみたいに、僕は一歩、廃ビルの影へ溶け込んだ。
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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