2025/09/01
幕間の方と併せて若干公正入れました。
この地で初めて目を覚ました時など比にならない程の耳を埋め尽くす喧騒の中で、オルガマリーの意識は浮かび上がった。頬と左半身に床の硬い感触が服越しに伝わってくる。ゆっくりと瞼を持ち上げると、僅かに頭が痛みを訴えているが、それどころではないと、慌てて上半身を起こした。じゃらり、と金属の音と共に肩にのしかかる重さと、首元の閉塞感を自覚する。視線を下に落とすと、オルガマリーの首には金属質の大きな首輪が嵌められていた。反射的に首輪に指を伸ばして外そうとする。
「……待て」
寸でのところで、オルガマリーの少し後ろの場所から掠れ切った声が掛けられる。振り返ると、痩せ細った魚人族の男が、眼窩の影が落ちる瞳でオルガマリーを見ていた。
「首輪……不用意に触るなよ。外そうとすれば爆発する」
「……なんですって?」
思わず、首輪に触れようとした手を静止させた。どうやら嘘ではないらしい。周囲の拘束されている人物の首輪を注視したが、傷一つついていないものばかりであった。誰も首輪を外そうとしていない何よりの証拠である。しかし人間が何らかのエンターテインメントの材料に使われているであろう場所で、そんな細工をする理由とは一体何だというのか。オルガマリーは混乱と危機の連続に、冷静な判断が困難になりつつあることを自覚しながらそんなことを考えた。
眼前には酷く興奮した様子の人々が、階段状に並んだ椅子に座っている。
意識を失う直前に急襲してきた男の集団によって、自分は連れて来られたのだろうということは容易に想像できる。
困惑と混乱で、周囲への警戒に意識を割くことが出来なかったことを悔いた。不可抗力だ。しかしその一言で片付けてしまおうと思える程、オルガマリーは自分に甘くはなかった。情報を得ようと歩き出した矢先、奇襲に対応出来ず眠らされたなどと。魔術師とあろうものが、このような。
オルガマリーが連れ去られたのは、人間屋の会場である。
灯りは泡に封じ込められた光源石のようなもので照らされ、やや薄暗い観客席に並ぶ人々の瞳だけが爛々と輝いている。コールタールが如き歪な欲が渦巻く場所だった。今日の”商品”は上玉が揃えられているらしく、観客の熱狂具合も尋常ではない。ステージの中心に近い場所に置かれた円形の水槽の中で、土気色の顔で小刻みに震える人魚族が居た。手長族や足長族だけでなく、傷に塗れた巨躯を縮こませる巨人族までもが、ショーケースの品物のようにステージに並べられている。
「巨人族と人魚族が並んでるとこなんざ滅多に拝めねえ、文句なしのオークション過去最高の品揃えだ!!だが今日の目玉は巨人族の男でも人魚族の女でもねえ!!!それは───」
司会の男がオルガマリーに指先を向けた。
「見ろッ、額の角で燻り続ける青の炎!!頭上に浮かぶ輪は未確認の兵器とも噂される……!!ソラから落ちてきた天使か、はたまた未知の種族か!!こいつを手に入れられるチャンスはこの瞬間だけだ!!!」
どよめきが上がる。
熱に浮かされた観客たちの視線が、拘束されたオルガマリーの細い体に突き刺さった。胸の奥が焼けるように痛んだ。自分の意思とは無関係に、この場で「商品」として見世物にされている屈辱によって。
自分を物のように扱うことも、隣で震える人々の姿も、何もかもが耐え難い。
―――誇り高き魔術師、アニムスフィア家当主の誇りを、このような場所で踏みにじられていいのか。
だが同時に、理性が怒りを踏み止まらせた。無謀に暴れれば、周囲に並べられた人魚族や巨人族たちをも巻き込んでしまう。
冷静であれ。かつてカルデアの所長だった自分は、感情で動いてはいけない。人理保障の役目に生きるものが、いたずらに人を傷付けることなどあってはならないのだ。
それでも。
観客たちが値を競り合う。オルガマリーの理性の鎖に怒りがガリガリと爪を立て、今にも抜け出さんとしている。
「三千万ベリー!」
「六千万!」
「いや、七千万だ!!」
「2億ベリーで買うえ!!」
ものの数秒で加速度的に上がっていく値段だったが、突然水を打ったような静寂に包まれた。
それも数秒のことで、突如提示された破格の価格に、どよめきが広がる。
「おい……まさか……!」
突如として観客全体がひれ伏すように頭を下げる。
オルガマリーの視線の先に、歩み出てきた一人の人物。
巨大なガラスの球で頭部を覆い、きらびやかな装飾をまとった姿。
その背後には武装した護衛と、鎖で繋がれた人々の列。
「むふふふ、今日の余興はなかなかだえ。人魚に巨人、この小娘までわちしのコレクションに加えてやるえ〜!」
傲然と胸を張る天竜人だった。
その声は甲高く、不快感をもって耳を震わせる。
会場の誰もが土下座せんばかりに腰を低くし、ひとりも逆らわない。今はただ男の高笑いだけが聞こえる。
「死ぬまでわちしに仕える名誉を与えてやるえ!」
オルガマリーは、自身の顔がこれ以上ないほど顔が歪んだことを自覚した。アニムスフィア家当主として、カルデア2代目所長として、これ以上誇りを踏み躙られる訳にはいかない。
この地のことはまだ何もかも分からない。だが今この時、捕虜として扱われ、商品として扱われることが到底許し難かったのである。
自らの手で理性の鎖を引き千切った。
急速に高鳴る心音と共に湧き出でる魔力の気配を内に感じた。
「いい加減にしなさい───!!」
彼女の背後に浮かぶ白黒の環が赤白い光を纏い、一対の巨大な光の刃を成した。
残像を伴う速度で回転し、床諸共抉りながら、観客席を切り裂いて人々に襲いかかる。
数秒、観客たちの間に無言の時間が流れた。次いで悲鳴が上がる。天竜人の護衛が動こうとしたが、天竜人と護衛の間を駆けた刃がそれを阻んだ。
轟音。絶叫。
オークション会場は一瞬にして混乱の坩堝と化す。
「は、早く!巻き込まれる前に逃げろ!」
「おい押すな!!クソッ」
状況を理解した観客が、蜘蛛の子を散らすように出口へ殺到する。誰も彼も天竜人に意識を向けている余裕はなく、自身の安全の確保のことで思考が埋め尽くされていた。
「……!わちしを誰だと思っ─── ぎゃあああっ!?」
そんな中、逆らわれた事実が受け入れ難かった天竜人が、額にはっきりと青筋を浮き上がらせながら、懐から取り出した銃をオルガマリーに突き付ける。だがすぐさま刃が生んだ風圧に体を攫われ、足が完全に地面から離れた。空中に放り出されてもなお怯えや恐怖を一欠片として見せず、怒りと微かな困惑のみを自分に向ける様に、オルガマリーは少しばかり驚いていた。
天竜人の体が緩やかな弧の軌道を描きながら飛んでいき、やがて建物の壁に叩きつけられ、鈍い音と共に地に落ちた。その様子を数秒の間呆然としながら見ていた護衛たちも、我に返ったのか顔を青ざめさせながら天竜人に駆け寄っていく。
怒りで我を忘れかけても、命までもは奪うべきではないという理性は残っていた。しかし脳に血が上った状態で神経を最大限に使ったコントロールを伴う作業は、骨が折れることに変わりはない。オルガマリーは小さく息を吐き、集中させた意識が乱れないように努め、観客が完全に居なくなるまで刃を振るい続けた。