私と呼ぶときだけ   作:パレット24

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第9章クリスマスの夜 ― 鏡の間

 

城が眠りについた深夜。

 

 廊下を歩く足音が二つあった。

 透明マントを肩に羽織ったハリー。

 そして、図書室からこっそり戻る途中だったセレナ。

 暗闇の中で鉢合わせた二人は、互いに小さく息を呑んだ。

「……セレナ?」

「ハリー?」

 気まずい沈黙が落ちる。

 だがその直後、廊下の奥に不思議な光が揺れているのを見つけ、二人は自然と足を運んだ。

 

 そこにあったのは、大きな鏡。

 金色の枠には奇妙な文字が刻まれ、冷たい石の床に堂々と立っていた。

 ハリーは思わず鏡を覗き込む。

 その瞳に広がったのは、見たこともない光景──両親の姿だった。

 母が微笑み、父が肩に手を置いている。

 ハリーはその場に釘付けになり、胸の奥から何かが溢れ出すのを感じていた。

 隣でセレナも鏡を見つめる。

 そこに映ったのは──

 自分と…黒衣の影が寄り添っている。

 セレナは息を呑み、唇を押さえる。

(……そんなはず、ない。あの人が私の隣に立つなんて……)

 けれど、鏡は嘘をつかない。

 心の奥底で願うものを映し出すのだと、直感で理解してしまった。

 

「これは──」

 背後から、穏やかな声が響いた。

 二人が振り返ると、そこに立っていたのはアルバス・ダンブルドアだった。

 深い蒼の瞳に、全てを知っているような光を宿している。

「この鏡はな……見る者の心の奥底を、そのまま映すのじゃ」

ダンブルドアは、ゆっくりとした口調で語った。

「人は皆……最も強く望むものを、ここに見ることになる。じゃが……それは現実ではないのじゃよ」

 その言葉は、ハリーに、そしてセレナに重く響いた。

 ハリーは両親の姿から視線を逸らせず、セレナは映る影を必死に否定しようとした。

 アルバスはゆっくりと二人を見渡し、柔らかく続ける。

「フロスト嬢……お主の瞳にも、きっと大切な人が映っておるのじゃろう。

 じゃがのぅ──望みに囚われすぎれば……今を生きる力を失ってしまうのじゃ」

「……!」

 セレナは驚いて目を見開いた。

 けれどアルバスの瞳は、責めるのではなく包み込むように優しかった。

「気をつけなさい。信じることは時に力を与えるが、時に弱さを晒す。

 それでもなお信じたいと思うのなら──それは本物の絆となる」

 セレナは唇を結び、鏡から目を逸らした。

 胸の奥に宿る影の姿が、強く心を締めつけていた。

「さあ……もう休みなさい。クリスマスには、夢を見るだけで十分じゃ」

 

 

翌日

 

 夕闇が石窓を群青に染めるころ、セレナはフクロウ便で届いた短い呼び出し状を手に、校長室の石段を上っていた。

 扉が静かに開くと、銀の計測器が小さく唸り、赤い鳥が翼を休めている。フォークスだ。燭台の炎が、部屋の奥をあたたかく照らしていた。

「来てくれて、礼を言うぞい」

 アルバス・ダンブルドアは机の向こうで微笑んだ。

「菓子は好きかの? ……うむ、今は遠慮しておく顔じゃな」

 セレナは小さく会釈し、胸の鼓動を整える。校長は、彼女が言葉を探すより先に、窓の雪を眺めて穏やかに続けた。

「鏡の夜は……寒うなかったかのぅ」

 柔らかな声が灯の揺らぎに溶ける。

「心は、ときに冬じゃ。凍みるほど澄んで、美しくも脆い」

 セレナは唇を結ぶ。「……私は、まだ答えが出せません」

「答えというものはの、急ぐほど遠のくことがある」

 ダンブルドアは椅子から立ち、セレナの横に並ぶ。

「お主の胸の奥には“信じたい誰か”が芽吹いておる。じゃがのぅ──信じることは目隠しではない。よう見て、確かめて、なお選ぶのじゃ」

 セレナの喉がきゅっと鳴った。黒衣の横顔が脳裏に浮かぶ。厳しい眼差し、時折の熱、そして不器用な言葉。

「……先生は、私を——」

 言いかけて、声がほどける。

 校長は目を細めた。

「闇を知る者ほど、光にぎこちないものじゃ。手にした灯を隠したがる。やけどが怖いからのぅ」

 一拍置いて、低くやさしく付け足す。

「それでも守ろうとするなら……その不器用は、悪くはない」

 フォークスが小さく喉を鳴らし、火の粉のような声が天井へ散った。

 セレナはその音に励まされるように、問いをもう一つ投げる。

「私は……どうすればいいでしょう」

「二つ、覚えておくのじゃ」

 ダンブルドアは指を二本、ゆるやかに立てる。

「一つ。恐れからではなく、誓いから選ぶのじゃ。恐れは目を曇らせるが、誓いは歩幅を整えてくれる」

「もう一つ。秘密は剣ではなく鞘じゃ。命を守るためにある。……必要なときが来るまで、抜かぬがよい」

 彼は机の引き出しから小さな金属製のオルゴールを取り出し、掌にのせた。

「土産じゃ。たいした魔法道具ではないが、静かな音は心を落ち着かせる。……ときに、獣も眠るのぅ」

 意味ありげに、しかし多くを語らず、微笑むだけ。

 セレナは両手でそれを受け取る。冷たかった指先に、ぬくもりが宿った。

「……ありがとうございます」

「礼には及ばんよ」

 ダンブルドアは、彼女の目線に合わせるように姿勢を少し下げた。

「さあ、今夜は休むのじゃ。雪の夜は、若者の心に余計な影を連れてくる。灯りを消す前に——自分の声を、ひとつだけ信じるのじゃ」

 セレナは深く頷いた。

 扉を出る直前、振り返る。校長は「よい夢を見なさい」と目で言い、フォークスが柔らかな一声で送り出した。

 石段を下りながら胸に手を当てる。

 不器用な灯は、確かにここにある。恐れではなく、誓いで抱くべき灯——自分が選ぶべき“特別”が、ゆっくりと形を取り始めていた。

ーそしてー

校長室を出て、石段を下りきったときだった。

 長い廊下の向こう、灯の影に黒いローブが揺れる。

 セレナの胸の鼓動がわずかに跳ねた。

「……フロスト」

 低く鋭い声。

 振り返れば、セブルス・スネイプが廊下の奥に立っていた。炎の明かりに縁取られた横顔は、冷たい美しさを帯びている。

 彼はゆっくりと歩み寄り、無駄な音ひとつ立てなかった。

「こんな時間に、どこへ行っていた?」

 問いかけは叱責めいているが、その視線はどこか探るようだった。

 セレナは胸に抱えた小さなオルゴールをぎゅっと握りしめる。

「……校長先生に呼ばれていました」

 わずかに眉が動いた。

「校長に、か」

 沈黙が降りる。重い空気が張りつめる。

 やがてスネイプは小さく息を吐き、目を伏せた。

「……あの男は、お前に余計なことを吹き込む」

 言葉は冷ややかだが、声の奥にはかすかな苛立ちと……心配が滲んでいた。

 セレナは思わず問い返す。

「先生……どうして、そこまで私を気にするんですか」

 廊下に漂う炎の揺らぎが、二人の間に影を刻む。

 スネイプは一歩だけ近づいた。その瞳の奥に、誰にも見せぬ葛藤がのぞいた。

「……我輩が、お前を特別扱いしているとでも?」

 皮肉な響きに包みながらも、その言葉は鋭く胸に刺さった。

 セレナは一瞬だけ息を呑む。

 校長の言葉が脳裏をかすめる──「闇を知る者ほど、光にぎこちないものじゃ」。

「……特別かどうかは、分かりません」

 青い瞳でまっすぐに見上げながら、彼女は答える。

「ただ……あなたの言葉には、時々、温かさが混じっている気がします」

 スネイプの表情がかすかに揺れる。

 だがすぐに、冷たさを装った面差しに戻した。

「……錯覚だ」

 短く言い放つと、ローブを翻して背を向ける。

「部屋に戻れ。遅い時間だ」

 彼の背中が炎に消える。

 残された廊下に、オルゴールを握るセレナの静かな吐息だけが響いていた。

 ──錯覚、と言い切った声の震えを、セレナは確かに聞いていた。

 

 

 

ホグワーツの廊下は月明かりに青白く染められていた。

 窓から射す光は石床に冷たい模様を描き、息をひそめるような静けさが漂っている。

 セレナ・フロストは、薬草学の資料を返しに図書室へ向かっていた。

 だが──背後にまとわりつくような視線を感じて足を止める。

(……誰かがついてきている)

 杖を握る手に力が入る。

 柳の杖がかすかに熱を帯び、危険を知らせるように震えていた。

 

 廊下の角を曲がった瞬間、冷たい風のような声が背を撫でた。

「……フロストの娘……」

 振り返った先、暗がりに立っていたのはクィリナス・クィレル。

 ターバンに包まれた頭が月光に不気味に浮かび、怯えた教師の顔ではなく、どこか空洞めいた影をまとっていた。

 セレナは杖を構え、低く声を張る。

「誰ですか」

 クィレルの口元が微かに動く。だが、その声音は彼自身のものではなかった。

「その血は……力を呼ぶ……闇の主の望む……唯一の鍵……」

 ぞっとする冷気が廊下を満たす。セレナの背筋を氷が走った。

 心臓が高鳴り、今にも杖を振ろうとしたその時──。

 

 ローブの裾が翻り、黒い影が二人の間に割り込んだ。

「──離れろ」

 鋭い声。

 セブルス・スネイプだった。

 彼の黒い瞳がクィレルを射抜き、杖をわずかに振る。

 目に見えぬ圧が空気を裂き、クィレルの影が後ずさる。

「セブルス……ち、ちが…!」

 震える声が響くが、その裏で別の囁きが絡みつく。

「…だ……やがてこの娘も……闇に呑まれる……」

 その瞬間、スネイプの瞳がわずかに揺れた。

 だがすぐに表情を固め、低く呪文を放つ。

「──エクスペルサームス!」

 杖から閃光が走り、クィレルの手から魔力の糸が断ち切られる。

 闇の気配がたちまち薄れ、男は慌ててローブを翻して闇に逃げ込んだ。

 

 静寂が戻る。

 セレナは震える手で杖を下ろした。

 スネイプが振り返り、冷酷な声を投げる。

「お前は……狙われている」

 青い瞳が揺れる。

 彼女の喉が、問いを求めて震えた。

「……先生。なぜ、私なんですか」

 スネイプの瞳に、答えきれぬ色が宿る。

 唇が動きかけ、だが言葉は途切れた。

「部屋へ戻れ」

 短い一言で切り捨てると、彼は闇に身を消した。

 残されたセレナは、胸に響いた囁きを反芻していた。

「──その血は、闇の主の鍵」

 柳の杖が、かすかに震えていた。

 

 

 

石造りの回廊をひとり歩く黒衣の背。

 セブルス・スネイプは、先ほどの出来事を反芻していた。

 ──フロストの娘は狙われている。

 あのクィリナスの震える声、その裏から滲んだ“主”の囁き。

 闇の魔法の気配は紛れもなく、かつて己が従った存在のものだった。

 

(また、あの声を聞くことになろうとは……)

 スネイプは歯を食いしばる。

 脳裏に蘇るのは過去の過ち、暗黒の印を刻んだ夜。

 そして、己を裏切り者としながらもなお託された誓い。

(……。あの娘は、お前の子ではない。だが……同じように守ると誓ったはずだ)

 だが違う。

 あの青い瞳に映るのは、ただの「守護」では済まぬものだった。

 

 セレナ・フロスト。

 冷たい外見の奥に潜む真っ直ぐな心。

 「努力を否定しない」という静かな声。

 そして、自分の言葉にだけ敏感に揺れるあの眼差し。

(我輩は……なぜ、あの娘を特別視する)

 認めるまいとしても、嫉妬が己を裏切る。

 ハリー・ポッターが彼女と並ぶだけで、苛立ちが胸を焼く。

 ドラコが親しげに話しかけるとき、冷静を装いながら心がざわめく。

「……くだらん」

 吐き捨てるように呟くが、声はかすかに震えていた。

 

 スネイプは立ち止まり、月光の射す窓辺に手をついた。

 冷たい石の感触が、熱に浮かされた心を抑え込む。

(我輩は弱い……。嫉妬に呑まれるとは、闇を知る者として最も愚かだ)

 だが思考の底で、どうしようもない事実が息づいていた。

(……それでも。あの娘の瞳に映る自分だけは、見失いたくない)

 

 闇を知る男の胸の奥に芽生えたもの。

 それは愛と呼ぶにはあまりに不器用で、

 守護と呼ぶにはあまりに熱を帯びていた。

 スネイプはローブを翻し、再び夜の回廊を歩き出す。

 誰にも告げぬまま、自らの心の影と共に。

 

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