私と呼ぶときだけ   作:パレット24

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第11章 銀の血に集う闇

 

― 森の入口

 夜のホグワーツは、昼の姿とまるで別の世界だった。

 塔の窓に並ぶ灯りはひとつ、またひとつと消え、やがて城全体が息をひそめる。

 その中で、玄関ホールだけは異質に光を帯びていた。

 ランプを掲げて待つのはフィルチ。

 喜色を必死に抑えている顔は、影の中で不気味に引きつっている。

 その隣にはハグリッド。

 大きなランタンをぶら下げ、犬のファングを傍らに控えさせていた。

 ハリー、ハーマイオニー、ロン、セレナ──そして罰を共にするマルフォイが揃うと、フィルチは甲高い声を上げた。

 

「おやおや! 学校の英雄と、我がスリザリンの秀才にまで……まったく、先生方の言う通りだ。子どもたちに夜遊びを許せば、こうなる!」

 ハーマイオニーが俯き、ロンは歯を食いしばった。

 マルフォイは「罰則」と知ってなお納得できず、露骨に顔をしかめる。

「夜に森に行かされるなんて! 僕はマルフォイ家の──」

「静かにせい!」

 ハグリッドの一喝が、玄関ホールに響いた。

「これは決まったことじゃ。言うても無駄じゃ」

 セレナは黙ってそのやりとりを見つめていた。

 内心ではマルフォイの気持ちを分からなくもない。

 闇の気配が濃い森に入ることを、正面から受け入れられる生徒は少ないだろう。

 だが同時に、胸の奥で別の声が囁く。

(私は──あの“影”の正体を確かめなければならない)

 

 玄関の扉が開かれた。

 冷たい夜風が一気に流れ込み、犬のファングが耳を伏せて唸る。

 校庭は月光に染められ、凍ったような空気が肺に突き刺さる。

「ついて来い。遅れるなよ」

 ハグリッドがランタンを掲げ、巨体を揺らしながら進む。

 闇に沈む大地を抜けると、やがて巨大な木々が壁のように立ちはだかった。

 幹はねじれ、枝は黒々と交差し、隙間から覗く月光さえ細く切り裂かれている。

 そこが、禁じられた森だった。

 

 森の入口に立った時、セレナは肌にざわりとした魔力を感じた。

 柳の杖が手の中で微かに震え、血の奥に隠された古い記憶を呼び起こすような響きを持っていた。

 (やっぱり……ここには“それ”がいる)

 ハグリッドが振り返り、声を張る。

「さて。今夜の仕事を教えよう」

 彼の顔には怒りではなく、不安があった。

「森の奥で、ユニコーンが傷つけられとる。もう一頭、死にかけとるやもしれん。……血を吸うやつが出ておるんじゃ」

 ハーマイオニーが息を呑み、ハリーが顔をしかめる。

 ロンはごくりと唾を飲み込み、マルフォイは青ざめた顔で後ずさる。

「ユニコーンは神聖な生き物だ。……そいつを襲うなんて、並みの魔獣じゃない」

 ハグリッドの声が低く沈む。

「だから、お前たちも目を光らせろ。血は銀色に光る。見つけたら合図を出すんじゃ」

 ファングがくんくんと鼻を鳴らした。

 その小さな音さえ、森の中では大きく響く。

 

 ハグリッドは四人とマルフォイを見渡し、分けるように手を挙げた。

「二組に分かれる。……わしとハーマイオニー、そしてフロストはこっち。ポッター、ロン、マルフォイはファングを連れて向こう側だ」

「なんで僕がポッターと組まなきゃならないんです!」

 マルフォイの抗議は、夜風にかき消された。

 セレナは一瞬だけハリーと視線を交わした。

 緑の瞳の奥に、不安と決意が混じっていた。

 彼女は小さく頷き返す。

(無事でいて──)

 

 森に足を踏み入れると、すぐに空気が変わった。

 冷たい霧が漂い、地面は柔らかく沈む。

 木々の枝が絡み合い、夜空を閉ざしている。

 ランタンの明かりは頼りなく、炎の周囲だけが世界のすべてになった。

 ハグリッドが慎重に足を進める。

 セレナは彼の後ろを歩きながら、柳の杖を胸に押さえた。

 杖の芯──セストラルの尾の毛が、不穏にざわめいている。

「……感じる?」

 彼女の呟きに、ハーマイオニーが首をかしげる。

「何を?」

 セレナは答えなかった。

 森の奥から、かすかな銀色の匂いが漂ってくる。

 冷たく、美しく、そして痛ましい気配。

 

 やがて、木々の切れ間にそれはあった。

 苔むした地面に、銀色の滴が散らばっている。

 まるで星の破片を撒いたように、闇の中で光を放っていた。

「……ユニコーンの血じゃ」

 ハグリッドの声が低く落ちる。

「まだ新しい……近くにいるはずだ」

 セレナは跪き、指先で光を帯びた雫を見つめた。

 その美しさに胸が締めつけられる。

 柳の杖が、強く脈打った。

(これを奪う存在は……人ではない)

 月光の欠片のような滴を前に、夜の森は静寂を取り戻した。

 だが、その奥に潜む“影”は、確かに息づいていた。

 

 

― 恐怖と直感

 森の中は、城から一歩踏み入れただけで別世界に変わった。

 空は枝葉で閉ざされ、月光は裂け目から細い糸のように落ちるばかり。

 土の匂いは濃く、獣の気配が重く漂う。

 ハリー、ロン、マルフォイの三人は、犬のファングに先導されながら進んでいた。

 ランタンの炎は心許なく、影ばかりが大きく揺れている。

「ちっ、こんなの冗談じゃない」

 マルフォイが吐き捨てるように呟いた。

「ユニコーンを襲う“何か”がいる森だぞ? 僕は危険に巻き込まれるためにホグワーツへ来たんじゃない!」

 ロンがすぐさま噛みついた。

「だったら戻ればいいだろ! お前がノルベールをチクったせいで、みんなまとめて巻き込まれたんだ!」

「なっ──僕は正しいことをしただけだ!」

「嘘つけ!」

 二人の声が高まり、ファングが落ち着かぬ様子で唸った。

 ハリーは黙ったまま、枝の軋む音に耳を澄ませていた。

 

 森は沈黙しているはずなのに、不思議と“息”をしているように感じられた。

 目には映らないが、奥で何かがうごめき、こちらを窺っている。

(……誰かがいる)

 胸の奥に不安が広がるのに、同時に確信も強くなる。

 この感覚は嘘じゃない。闇の中に“誰か”が潜んでいる。

「……静かに」

 ハリーが低く告げると、ロンとマルフォイは口をつぐんだ。

 次の瞬間、月明かりに照らされた草むらに、銀色の滴が輝いた。

 ロンが小さく叫びそうになるのを、ハリーが制する。

「血だ……ユニコーンの血」

 マルフォイの顔から血の気が引いた。

 手にしたランタンが震え、炎が不規則に揺れる。

 

 銀の滴は線を描くように地面に続いている。

 ハリーが屈み、指先で触れると冷たい光が爪先まで走った。

 まるで星の破片を手に取ったような美しさ──だが同時に、胸の奥がざわりと軋む。

「なんて……綺麗なんだ」

 呟く声に、ロンが険しい顔を向ける。

「綺麗なんてもんじゃない、ハリー。これ……ひどいことだぞ。ユニコーンは無垢な生き物だって言うだろ? それを襲うなんて……」

 ハリーは答えなかった。

 胸の奥で、声なき囁きがする。

 ──この血を求める者が近くにいる。

 背筋を冷たい手でなぞられるような感覚に、ハリーは無意識に杖を握り直した。

 

「戻ろう! もう十分だ!」

 マルフォイが突然、叫ぶように言った。

「見つけたんだし、証拠はある! これ以上進む必要はない!」

「黙れ」

 ロンが低く返す。

「戻るなら勝手に戻れ。でも……ハリーを置いてはいかない」

「ば、馬鹿じゃないか! 闇の魔法使いでもいたらどうする!」

 その言葉に、ハリーは胸を刺されるような感覚を覚えた。

 “闇の魔法使い”──その響きが、今この森の闇にぴたりと重なったのだ。

 ファングが唸り、低い声で吠えた。

 木々の間で何かが動いた気配がする。

 

 三人は固唾を飲み、杖を構える。

 沈黙。

 枝の軋む音が近づき──だがすぐに遠ざかっていった。

 ハリーは深く息をつき、二人を振り返った。

「……行こう。まだ“そいつ”は近くにいる」

 ランタンの炎が再び揺れ、道を照らす。

 銀色の血の滴は森の奥へ奥へと続き、彼らを誘うように輝いていた。

 不安と恐怖と直感を抱えたまま、三人は闇の中へ進んでいった。

 

森の奥は、昼間の光が届くことは決してないだろうと思えるほど暗かった。

 ハグリッドの持つランタンの炎は頼りなく、黒々とした幹と枝に押しつぶされそうに小さく揺れている。

 セレナはその後ろで、杖を握った手に汗を滲ませていた。

 苔むした岩の脇に、また銀色の雫が散っていた。

 光は澄んで美しい──だが、その美しさこそ残酷だった。

「……近い」

 セレナが低く言うと、ハグリッドが頷いた。

「ユニコーンは気高い生き物だ。あんな姿を見るのは辛いぞ……」

 ハーマイオニーは唇を噛みしめ、目を逸らした。

 セレナは視線を落とし、光る血痕をじっと見つめる。

(この血を欲する者……それは、ただの獣じゃない。もっと深い“闇”だ)

 柳の杖が手の中で震え、彼女の脈と重なる。

 血の奥に眠る古代の感覚が、危険を告げていた。

 

 一方その頃。

 森の反対側では、ハリーたちもまた、同じ銀色の痕跡を辿っていた。

 ロンは顔を青ざめさせ、マルフォイは小声で呪文を唱えるように不安を吐き出している。

「僕たち、もう戻ろうよ! どうせ見つけたんだし──」

「うるさい!」ロンが吐き捨てる。

「ハリー、どうする?」

 ハリーは答えず、ただ耳を澄ませていた。

 遠くで枝が折れる音。

 風に乗って、動物の苦しげな鳴き声がかすかに届いた。

(……いる)

 直感が確信へ変わっていく。

 心臓の鼓動が速くなる。

 闇の中に潜む“何か”が、こちらを待っている。

 

 セレナもまた、同じ声を聞いていた。

 ユニコーンの、細く弱々しい鳴き声。

 それは美しくも痛々しい音色で、闇に染まる森を震わせていた。

「──あっちだ!」

 ハグリッドがランタンを掲げ、木々の奥を指差す。

 セレナの視線が闇を貫いた。

 その瞬間、胸の奥で強いざわめきが広がる。

(来る……! この先に、私を狙う“影”がいる)

 足が一瞬止まった。

 だが、彼女は自らを奮い立たせ、前へ進む。

 

 森の中央へ向かって──。

 ハリーたちも、セレナたちも、違う道を辿りながら、同じ一点へ近づいていた。

 銀の血痕が二筋となり、やがてひとつに合流する。

 まるで見えない糸に導かれるように。

 ファングが突然吠え、ハリーが立ち止まる。

 セレナもまた、杖を握り直し、呼吸を整える。

 同じ森の奥。

 同じ闇の気配。

 ふたつの道が交わる場所に──“それ”は待っていた。

 

 

― 闇に口づける影

 森の奥は、言葉を失ったように静かだった。

 遠くでフクロウが鳴く声もなく、ただ冷たい霧が木々の間を漂っている。

 銀色の滴が増え、やがて細い小川のように地面を縫って流れていた。

 その先に──月明かりの差す小さな空き地があった。

 

ハリー側

 ハリーは息を詰め、枝の陰からその光景を見た。

 月光に照らされ、白銀に輝くユニコーンが横たわっている。

 長いたてがみは土に散り、翼のような足は微かに震えるだけ。

 その美しさはなお神聖で、同時に痛ましかった。

 だが──その体に覆いかぶさるように、黒い影がいた。

 顔も輪郭も曖昧で、ローブのようなものが闇と一体化している。

 その口元がユニコーンの傷に吸い付き、銀の血を啜っていた。

 冷たい戦慄がハリーの背を走る。

(……血を飲んでいる!)

 銀色の液体が影の口端から滴り、土に落ちるたび、夜の闇が震えるように濃くなる。

 その光景は、世界の理をねじ曲げる冒涜だった。

 ロンが喉を詰まらせ、マルフォイが声を上げかけた。

「や、やめ──」

 ハリーが振り返り、必死に口元を押さえる。

「静かに!」

 だが遅かった。

 

セレナ側

 同じ空き地を、別の方向からセレナも目撃していた。

 ハグリッドとハーマイオニーが少し後ろで立ち止まり、彼女だけが一歩前へ出ていた。

 ユニコーンの血の光に照らされるその影──。

 それは“人の形”をしていながら、人ではなかった。

 セレナの胸の奥で、血がざわめき、杖が熱を帯びる。

(……これが、母が恐れた存在)

(“闇を知る人間”にしか導けぬ、と言ったのは……このため?)

 影がかすかに顔を上げる。

 その口元には銀の血が光り、赤黒い瞳が森の奥を探るように動く。

 次の瞬間、その目が、枝陰のハリーへとぴたりと向いた。

ー追走

 黒い影が動いた。

 滑るように立ち上がり、異様な速さでハリーの方へ迫る。

 大地を踏む音もなく、ただ風と闇だけを引き連れて。

「──ハリー!」

 ロンの叫びが木々に響く。

 ハリーは本能的に後ずさり、杖を構えた。

 だが影は止まらない。

 銀の血を啜ったばかりのその姿は、飢えた獣のように執拗で、恐ろしく速かった。

 マルフォイが悲鳴を上げ、ファングが吠えながら尻尾を巻いて逃げ出す。

 ハリーの額に、焼けるような痛みが走った。

 稲妻の傷が激しく疼き、視界が白く弾ける。

「ぐっ……!」

 杖を握る手が震える。

 

セレナの視点

 セレナは木々の陰からその光景を見ていた。

 ハリーが影に狙われている。

 咄嗟に杖を握り直し、呪文を叫びそうになる。

(……でも、届かない。間に合わない!)

 柳の杖は熱を帯び、彼女の血は警鐘のように脈打つ。

 “鍵の血”を求める闇の囁きが、空気に滲んで聞こえた。

 ──フロストの娘……その血をよこせ……

 喉の奥が凍りつく。

 影の視線が一瞬、ハリーを通り越し、セレナの方をかすめた気がした。

 心臓が止まるほどの恐怖。

(見られた……!)

 

 月明かりの下、影がハリーに迫る。

 森の緊張が極限まで張り詰め、闇は呑み込もうと膨れ上がる。

 そのとき──。

 頭上から突然、重い蹄の音が轟いた。

 枝を蹴り飛ばし、星明かりを背負った巨大な影が飛び込んでくる。

「──やめろ!」

 低い声が夜を裂いた。

 金色の髪をなびかせたケンタウルスが矢のように駆け込み、黒い影とハリーの間に割り込んだ。

 

空き地に駆け込んだのは、ひときわ若くしなやかな体躯を持つケンタウルスだった。

 金の髪が月光を受けて輝き、藍色の瞳は夜空の深みを湛えている。

 ファイレンツェ──星読みの一族のひとり。

 彼は長い腕を振るい、闇の影に向かって力強く叫んだ。

「立ち去れ! 森の聖域を穢すことは許されぬ!」

 影は唸るように揺らめき、森の奥へ滑るように退いていった。

 血の滴が地に散り、空気が不気味に震える。

 緊張の糸が切れると同時に、ハリーは膝から崩れ落ちた。

 額を押さえ、息を荒げている。

「……痛い……!」

 

 ファイレンツェがハリーの前に跪き、その額に視線を落とした。

 目を細めると、低い声で呟く。

「やはり……印が疼いているのか」

 ハリーは困惑しながら顔を上げる。

「な、何を知ってるんですか?」

 だがファイレンツェはすぐに答えず、夜空を仰いだ。

 星々は梢の隙間から冷たく瞬き、その光は未来を語るかのように揺れていた。

「星はすべてを語る。──あの者はまだ、完全な姿ではない。

 血を求め、力を繋ぎ止めているにすぎぬ」

 その声に、セレナの心臓が強く打った。

 

 彼女は一歩前へ進み、柳の杖を握りしめる。

「……その“血”が、狙われているのは……ユニコーンだけじゃない」

 ファイレンツェの視線が、セレナに移る。

 深い藍色の瞳に射抜かれ、呼吸が止まるような感覚が広がった。

「……気づいていたか。フロストの娘よ」

 彼の声は確信に満ちていた。

「お主の血もまた、あの者にとっては望みの一部。古き契約が刻んだ“鍵”の血脈だからだ」

 ハーマイオニーが驚いてセレナを見つめ、ハリーも目を見開いた。

 セレナは唇を噛みしめ、答えを飲み込む。

 

 ファイレンツェは空を仰ぎ続けた。

「だが心せよ。星々はすべてを明かすわけではない。

 “鍵”は扉を開くためにある。誰が開くか──それを選ぶのは、血を持つ者自身だ」

 セレナはその言葉に震える。

 自分の存在が“鍵”だと改めて告げられることは、誇りであると同時に恐怖だった。

(私が選ぶ……? でも、どうすれば……)

 

 ハリーが問いかけた。

「ファイレンツェ……あれは誰なんです? あの黒い影は……」

 ファイレンツェは目を伏せ、言葉を選ぶように低く答えた。

「名前を語ることは禁じられている。だが、お前の傷が示しているだろう。

 あの者は死を逃れ、血にすがっている。完全ではなくとも……まだ生きているのだ」

 ハリーの胸に冷たいものが広がる。

 ロンは信じられないと首を振り、マルフォイは蒼白な顔で後ずさった。

 

 ファイレンツェは立ち上がり、蹄で土を鳴らした。

「今宵のことは忘れるな。だが、軽々しく口にするな。

 星は未来を映すが、未来は一つではない」

 その言葉を最後に、彼はハリーを背に乗せた。

「ここからは森の外まで送ろう」

 ハリーは驚きながらも掴まり、ファイレンツェは滑らかな動きで森を駆け出した。

 その姿は月明かりに銀の線を描き、やがて闇に消えていった。

 

 空き地には、セレナとハーマイオニー、そしてハグリッドが残された。

 セレナは深く息を吐き、杖を胸に抱く。

 “血は鍵”──その言葉が頭から離れない。

 影が消えた森の奥で、まだ何かが彼女を見ている気がした。

 

 

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