私と呼ぶときだけ   作:パレット24

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第1章 ― 旅立ち

 

キングズ・クロス駅、九と四分の三番線。蒸気を吐き出す真紅の機関車が、魔法界への扉を開いていた。

 セレナ・フロストはトランクを引きながら、静かにホームへ足を踏み入れる。周囲の喧騒にも表情を崩さず、ただ透き通るような青い瞳で列車を見上げていた。

 

 その時、視線の端を黒髪の少年が通り過ぎた。痩せた体に大きなトランク、そして額の稲妻の傷。

 

 ハリー・ポッター。

 

 二人の瞳が一瞬だけ交錯する。

 だが言葉を交わすことはなく、少年はロン・ウィーズリーと共に列車に乗り込んでいった。

 セレナはほんのわずか、心の奥に引っかかるものを覚える。

(あの人も……普通の子じゃない)

 

 

 列車の奥の個室。

 セレナ・フロストは一人きりで窓辺に腰掛け、動き出した風景を眺めていた。

 けれど、その青い瞳はただ景色を映してはいない。

 耳の奥に、母の声が蘇っていた。

「──闇を知る人間だからこそ……導けるのは、あなたしかいない」

 その言葉は、まだ幼い心には重すぎるほどの響きを持っていた。

 母の指す“闇を知る人間”とは、あの黒衣の男──セブルス・スネイプ。

 彼の眼差しは冷酷だった。

 けれども、あの夜、彼は確かにセレナを拒まなかった。

 むしろ、試すように、そして見極めるように少女を見据えていた。

 

 セレナは窓の外に流れる景色に、知らず小さく呟いていた。

「……どうして、あの人は私を見捨てなかったの……?」

 ただの任務?

 それとも……母の言葉が言うように、本当に“導こう”としてくれているのだろうか。

 思い返せば、あの書斎の夜。

 薬棚の前で自分が放った言葉に、スネイプの瞳が一瞬だけ揺れた。

 冷たい氷のようなその目が──一瞬だけ、人の温度を帯びたように。

 セレナは胸の奥で得体の知れない感覚を覚えていた。

 安心と、不安と、そして……ほんのかすかな期待。

 窓に映る自分の横顔を見つめながら、少女は小さく笑った。

 その笑みはまだ幼いが、どこか凛とした光を帯びている。

「……もし、あの人が本当に“導いてくれる”のなら……」

 声は汽笛にかき消され、誰にも届かない。

 ただ少女の心にだけ、その決意の欠片が刻まれた。

 

その頃、駅の片隅。

 黒衣の影が、石壁に紛れるように立っていた。

 セブルス・スネイプは腕を組み、喧騒の中で一瞬だけ視線を上げる。

 赤い蒸気機関車の窓。その一つに、青い瞳の少女が見えた。

 物静かに窓外を見つめる横顔は、子供らしいあどけなさと、時折ぞくりとするほどの冷静さを併せ持っていた。

 

 彼はわずかに目を細め、そして──ふっと視線を逸らす。

 誰にも気づかれぬように。

 ただ、ほんの刹那、胸の奥に冷ややかなはずの心が揺らいだ。

(……あの娘の目は、リリーのそれとは違う。だが……)

 スネイプは舌打ちを堪えた。

 思考が過去に触れようとするたび、無理やり自分を冷徹さへと引き戻す。

 

 だが、その目に映った青の光は、確かに彼の心を刺激していた。

 恐怖でも、同情でもない。

 理解できぬ直感──あの娘は“闇に飲まれぬ力”を持っている。

 彼は低く呟いた。

「……行け。選ばれた血の娘よ」

 その声は、誰にも届かない。

 彼自身にすら届いていないのかもしれなかった。

 ただ、わずかな安堵と、抗いようのない“特別”が芽生えていたのは確かだった。

 我輩と呼ぶ冷酷な男の胸に、少女の名は静かに刻まれ始めていた。

 

 

 

列車が動き出し、蒸気がホームを覆った。

 セレナは個室の窓際に座り、遠ざかっていく駅を静かに眺めていた。

 トランクの上には、一冊の魔法書が開かれている。ページを指でなぞりながら、彼女の瞳は景色よりも「理論」に向けられていた。

 

 ガラリ、とドアが開く音。

 金髪の少年が勢いよく顔を出した。後ろには丸顔の取り巻きが二人。

「へえ……一人で座ってるのか。珍しいな」

 ドラコ・マルフォイ。

 その灰色の瞳が、セレナを品定めするように見た。

「僕はドラコ・マルフォイ。お前は?」

「……セレナ・フロスト」

 名を告げただけで、セレナは再び本へ視線を落とした。

 その態度に、ドラコは一瞬むっとしたが、すぐに興味を引かれるように口元を歪める。

「フロスト? 聞いたことがあるな。古い家系じゃなかったか?」

「……知っているのなら、それ以上は言わない方がいいわ」

 静かな声音。

 だがその瞳の青は、冷たくドラコを射抜いていた。

 取り巻きが小声で「すげえな」と囁く。

 ドラコは一瞬口をつぐんだが、次第に好奇心を滲ませるように笑った。

「……面白い。気に入った。スリザリンに来たら、悪くない仲間になれるかもな」

 そう言い残し、彼は取り巻きを連れて去っていった。

 

 再び静寂。

 セレナが視線を戻した窓の外を、別の個室の中から少年が歩いていく姿が映った。

 黒髪に丸眼鏡、そして額には稲妻の傷。隣には赤毛の少年。

 ──ハリー・ポッター。

 二人の視線は交わらない。

 ただ、すれ違いざまに、セレナの胸に言葉にならないざわめきが生まれた。

 自分と同じく、「何かに選ばれてしまった者」──そんな直感が、少女の心をかすかに震わせた。

 

 

列車が停まり、夜風の吹き込む駅に生徒たちがぞろぞろと降り立った。

 霧の中から現れたのは、巨大な影──ルビウス・ハグリッドだった。

「一年生はこっちじゃ! 船に乗って湖を渡るんじゃぞ!」

 その声は朗らかで大きく、緊張していた子供たちの心を少し和らげた。

 セレナも他の一年生たちに混じって歩き出す。

 

 ハグリッドは長い歩幅で歩きながら、ふと後ろを振り返った。

 青い瞳をした黒髪の少女が、騒ぐこともなく静かに行列の中にいるのが目に留まる。

「……おや、お前さん……えらく落ち着いとるな」

 ハグリッドの低い声に、生徒たちがざわつく。

 セレナは小さく瞬きをして答えた。

「……怖がる理由がないから」

「はは、そうか。大した度胸じゃな。名前は?」

「セレナ・フロストです」

 ハグリッドは大きな顎鬚を撫で、しばらく彼女を見つめた。

 そして、にかっと笑う。

「……不思議な子じゃな。けどな、怖がらんのは強い証拠じゃ。ホグワーツはきっと、お前さんに合っとるわい」

 セレナはわずかに口元を緩めた。

 それは他の生徒たちには気づかれないほどの小さな笑み。

 

 その様子を、暗がりの影から見ている男がいた。

 黒衣をまとい、物陰に佇むセブルス・スネイプ。

 ハグリッドが笑い飛ばすのを横目に、スネイプは一瞬だけ青い瞳の少女を見やった。

 冷ややかな光を宿したまま、だが心の奥には安堵が揺れる。

(……やはり)

 誰も気づかぬところで、彼はふっと目を伏せる。

 少女はまだ知らない。

 ──その影が、ずっと自分を見守っていることを。

 

 

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