ホグワーツ城の重厚な扉が開いた瞬間、セレナは思わず息を呑んだ。
大広間に一歩足を踏み入れると、頭上に広がるのは満天の星空──だがそれは天井の魔法が映し出したもの。
数百本の蝋燭が宙に浮かび、温かな光を放ちながらゆらゆらと揺れている。
石造りの壁には歴代の魔法使いの肖像画が並び、見下ろすように新入生を迎えていた。
四つの長いテーブルには上級生たちがずらりと並び、見知らぬ顔が好奇と期待の入り混じった視線を投げてくる。
セレナはその視線を静かに受け止めながら歩を進めた。
先導していたのは、背筋をしゃんと伸ばした女性教師──マクゴナガル教授。
眼鏡越しの鋭い視線は、落ち着き払ったセレナにも容赦なく注がれる。
「フロスト嬢、ですね?」
名を呼ばれ、セレナは小さく頷いた。
教授はしばし観察するように彼女を見つめたあと、唇をわずかに引き結ぶ。
「……随分と静かな子。ですが、瞳の奥に“決して怯まぬもの”を持っているように見えます。……良いですか、ホグワーツは知識と勇気を求める場。あなたもここで自分の居場所を見つけるのです」
「……はい、教授」
セレナの声は澄んでいた。
マクゴナガルは僅かに満足げに頷き、列の先へと歩みを進めた。
そして──古びた椅子と、その上に置かれた組み分け帽。
数えきれぬほどの生徒を寮に送り込んできた帽子は、今度はセレナを見上げる。
「フロスト、セレナ!」
名を呼ばれ、少女は一歩前に出た。
大広間の視線が一斉に注がれる。
帽子が頭に触れた瞬間、低い声が彼女の心に響いた。
『……ほう、面白い子だ。知識欲、冷静な理論、そして類稀なる直感……レイブンクローにぴったりだな』
「……」
『だが……おや、これは……強い血だ。古代の魔法……ほう、ほう! これは滅多にお目にかかれん。勇気も備わっておるが……なにより野心、力を望む心……スリザリンもお前を欲しがっているぞ』
「……私は……」
セレナは心の中で小さく息を吸った。
レイブンクロー──学問と理論の寮。
スリザリン──闇と野心の寮。
(……どちらでも生きられる。だけど……私が背負うものは……)
視線の先。
教授席に座る黒衣の影が、ほんの一瞬こちらを見た。
冷ややかな瞳。だがセレナには、その奥のわずかな熱を感じ取れた。
(……あの人が、私を導くなら……)
『ふふ……決めたようだな。いいだろう。お前は……』
「スリザリン!」
帽子の声が大広間に響いた。
緑のテーブルから拍手と喝采が湧き上がる。
セレナは帽子を外し、静かに席へ向かう。
その横顔を、スネイプはほんの刹那だけ追った。
「……やはり」
声にならぬ呟き。
我輩と呼ぶ男の胸に、確信と安堵が入り混じった。
組み分け式が終わると、スリザリンの新入生たちは上級生に導かれ、地下へと続く長い石の階段を降りていった。
湖の底に築かれた寮の入り口は、蛇の意匠を彫り込んだ扉。合言葉が唱えられると、重厚な音を立てて開いた。
中へ入った瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
スリザリンの談話室は湖に面した大きな窓を持ち、深い緑の光が揺らめいていた。水中を漂う巨大な影が、ぼんやりと外を横切る。
壁には銀と緑を基調とした装飾。蛇を象った燭台がいくつも並び、暖炉の炎が部屋をかすかに照らしていた。
冷ややかで荘厳、それでいて落ち着きを覚える空間。
セレナは周囲の生徒と共に部屋へ入った。
しかし彼女は誰よりも静かで、まるで水面に映る影のように目立たぬ立ち居振る舞いをしていた。
だが──その美貌と青い瞳は、否応なく人の視線を集めてしまう。
「おい、フロスト」
声をかけてきたのはドラコ・マルフォイだった。
彼は先ほど列車で見かけた時と同じ、挑むような笑みを浮かべている。
「結局スリザリンか。やっぱりな。……まあ悪くない。お前みたいなやつがいれば、うちの寮ももっと目立つだろうさ」
「……目立つつもりはないわ」
セレナの返答は冷ややかだが、声は落ち着いていた。
ドラコは一瞬むっとしたように眉をひそめたが、その後逆に面白そうに笑う。
「へえ……やっぱりお前、普通じゃないな。まあいいさ。退屈は嫌いだからな」
そう言って肩をすくめ、取り巻きを連れて去っていった。
残されたセレナは暖炉のそばに腰掛けた。
薪のはぜる音を聞きながら、窓の外の緑の光を見つめる。
胸の奥に、まだ答えの出ない疑問が浮かんでいた。
(……どうして、あの人は私を見捨てなかったの……)
母の言葉。
黒衣の教授の冷たい眼差し。
その奥に、確かに揺らめいた何か。
その夜遅く。
談話室の灯りが落ち、生徒たちがそれぞれの寝室に向かったあと。
静まり返った廊下の奥、闇に紛れるようにして一人の影が立っていた。
──セブルス・スネイプ。
彼は談話室の扉が閉じられたことを確かめると、ただ一度だけ視線を湖へ向けた。
その視線の先に、眠りにつく青い瞳の少女がいる。
「……これで良い。あの娘は、我輩の庇護下にある」
低く呟く声は、冷酷さを装いながらもわずかに柔らかかった。
やがて黒衣の影は廊下に溶けるように姿を消した。
スリザリン寮の明かりが落ち、湖底の静寂が戻った夜。
ホグワーツの校長室では、別の灯りが静かに揺れていた。
黄金の不死鳥フォークスが翼を震わせ、柔らかな鳴き声を響かせる。
机を挟んで向かい合うのは──アルバス・ダンブルドアとセブルス・スネイプ。
「フロスト嬢は、無事にスリザリンに組み分けられたようじゃな」
ダンブルドアの声は穏やかだが、その眼差しは鋭く光っている。
「はい」
スネイプは短く答えた。腕を組み、冷淡な声音を崩さない。
「やはり、あの娘には特別な“力”がある。古代の血──ヴォルデモートが喉から手が出るほど欲しがるものだ」
スネイプの目が細くなる。
「……だからといって、ここに連れてきたのは愚かだ。奴の耳に入れば、狙われるのは時間の問題」
「それでも、ホグワーツほど安全な場所はない。──そして、彼女には学びが必要だ。自らの力を制御する術をね」
しばし沈黙。
蝋燭の炎が、二人の影を長く伸ばす。
「……セブルス。あの子を導けるのは、そなたしかおらんのじゃよ」
ダンブルドアの声音には、確信にも似た響きがあった。
スネイプは低く鼻を鳴らした。
「我輩に子守は似合わん」
「子守ではない。──“教師”としてだ。いや、それ以上かもしれぬがな」
スネイプの瞳が一瞬揺れる。
窓の外、夜空に映る湖面を見やりながら、彼は小さく呟いた。
「……あの娘は、我輩の庇護下にある」
その言葉に、ダンブルドアは口元をわずかに緩める。
「ならば良い。セブルス、どうか忘れるな。あの子は“闇に飲まれぬ光”を持っている。君がそれを見失わなければ……彼女は、きっと道を誤らぬ」
スネイプは返答せず、ただ黒衣を翻して立ち去った。
その背に、不死鳥の鳴き声が長く響き渡る。