石造りの冷たい地下室。棚には無数の瓶が並び、奇怪な生き物や薬草が浸された液体が鈍く光を放っている。
スリザリンとグリフィンドールの一年生たちは緊張した面持ちで座り、ざわつく声が反響していた。
ドアが勢いよく開き、黒衣が音もなく室内を滑る。
セブルス・スネイプ教授が現れると、一瞬でざわめきは静まり返った。
「魔法薬学とは……繊細な技、正確な手順、そして集中力が要求される学問だ」
スネイプの声は低く冷ややかに響く。
彼は視線を巡らせ──青い瞳の少女に一瞬だけ止める。
だがすぐに表情を戻し、別の方向へと目を逸らした。
その一瞬を感じ取ったのは、セレナだけだった。
スネイプは黒板の前に立ち、ゆっくりと教室を見渡す。
「さて……ポッター」
名を呼ばれ、ハリーがびくりと体を強張らせた。
教室の空気がぴりりと張り詰める。
「もしウィガテン草のしぼり汁に、アスフォデルの根を加えたら、どんな効果がある?」
「えっ……」
ハリーが言葉を詰まらせる。
「ベゾアールとは何か、そしてそれはどこで見つかる?」
隣でロンが小声で「難しすぎるよな……」とつぶやく。
前列のハーマイオニーが必死に手を伸ばしているのを、スネイプは完全に無視した。
「もしドラフト・オブ・リビング・デス『生ける屍の水薬』に、どんな材料を加えれば効果が強まるか?」
沈黙が落ちたその時、教室の隅から静かな声が響いた。
「…… 死に至る眠り、仮死状態にする薬をつくる材料。ベゾアールとはヤギの胃の中に見つかる石で、ほとんどの毒の解毒剤になる。最後の質問は砕いたバレリアンの根です」
全員の視線がそちらへ向く。
答えたのは、セレナ・フロスト。
スネイプの口元がわずかに動く。
「……正解だ、フロスト」
短くそう告げ、彼は黒板に杖を振るい、材料の名前を次々と書き出した。
ハリーは少し赤くなりながらセレナを見やった。
セレナは視線に気づいたが、青い瞳をただ黒板へ戻す。
彼女にとって、誇示するつもりはなかった。ただ「知っていることを口にしただけ」。
その冷静さが、ハーマイオニーには妙に眩しく見えた。
(わたし以外にも……知識でスネイプ先生に評価される人がいるのね……!)
授業の終わり。
スネイプは生徒たちを冷たく見渡した。
「今日の出来は……凡庸。だが──」
そこでほんの一瞬、青い瞳の少女に視線を送る。
「……一部を除いて、だ」
その言葉が誰を指すのか、生徒たちは分からない。
だがセレナは、自分だけが理解していた。
授業を終えた一年生たちは、ざわつきながら教室を後にした。
廊下に出た瞬間、ロンが大きく息を吐く。
「うわぁ……なんだあの先生。いきなりハリーに当てるなんて、意地悪すぎるだろ」
「でも答えられなかったじゃない」
ハーマイオニーが口を尖らせる。
「ちゃんと勉強していれば、すぐ分かる問題だったのに」
「いやいや、あれは普通分かんないだろ!」
ロンが反論するが、横でハリーは少し複雑な顔をしていた。
その時。
静かに歩いていたセレナが、彼らの横を通り過ぎる。
「ねえ!」
ハーマイオニーが思わず声をかけた。
「さっき……どうしてあんなにすぐ答えられたの? 教科書を全部覚えているの?」
セレナは立ち止まり、振り返った。
青い瞳が三人を映す。
「……覚えているわけじゃない。ただ……分かっただけ」
「分かっただけ?」
ハリーが首をかしげる。
「薬は……材料の性質を考えれば、結果が見えるものだから」
さらりと告げると、セレナは再び歩き出した。
冷たい印象を残しながらも、その声にはどこか柔らかさが混じっていた。
残された三人は顔を見合わせる。
「……ちょっと怖いけど、すごい子だな」
ハリーの呟きに、ロンは「怖いってのは同感だな」と肩をすくめた。
ハーマイオニーは何も言わず、ただ強く唇を噛んだ。
教授の独白
地下室の授業が終わり、生徒たちのざわめきは遠ざかっていった。
石造りの部屋に残されたのは、魔法薬の匂いと、黒衣の男ひとり。
セブルス・スネイプはゆっくりと杖を振り、残された薬瓶を棚へ戻す。
瓶がぶつかる乾いた音が、静寂の中に響いた。
(……やはり、あの娘は群を抜いている)
授業中、彼はあえてポッターに問いを投げた。
答えに詰まり、恥じ入る姿を見て内心で冷笑したのも束の間──
澄んだ声が静けさを切り裂いた。
フロスト。
青い瞳の少女は、まるで当然のことのように正解を口にした。
スネイプは机の端に手を置き、指先で石の表面を叩いた。
無意識に、思考が言葉となって零れる。
「……フロスト。お前は──私の……」
そこで言葉が途切れた。
「私」と言ってしまった自分に気づき、舌打ちのように短く息を吐く。
再び心を閉ざし、冷徹な仮面を被る。
「……我輩の想像以上だ」
黒衣を翻して部屋を出る前、彼はほんの一瞬だけ足を止めた。
闇に揺れる記憶の中で、蒼い瞳の少女が振り返る。
冷たいようでいて、柔らかい笑みを見せたあの瞬間。
(……なぜだ。なぜ、あの瞳に……惹かれる)
答えのない問いを胸に抱えたまま、セブルス・スネイプは静かな闇へと姿を消した。
湖底にあるスリザリン寮の談話室は、深い緑の光に包まれていた。
窓の外には巨大な水草が揺れ、時折、影のような大きな生き物がゆっくりと横切る。
冷たい空気と荘厳な雰囲気。だが暖炉の炎だけが、静かに生徒たちのざわめきを照らしていた。
その片隅に、セレナ・フロストは静かに腰掛けていた。
開いた魔法書に青い瞳を落とし、周囲の喧騒に一切動じない。
ただ存在しているだけなのに、その美貌と冷ややかな気配が、否応なく周囲の視線を引き寄せていた。
「……フロスト」
声をかけたのはドラコ・マルフォイだった。
彼は取り巻きのクラッブとゴイルを従え、暖炉の前に立っている。
「今日の授業……見事だったじゃないか。スネイプ先生に気に入られたな」
「……別に」
セレナは視線を上げることなく答えた。
「いや、あれはすごいことだぞ。ポッターを押さえて先生の目に留まるなんて、普通できやしない」
ドラコはいつものように皮肉げに笑うつもりだった。
だが、彼女が涼やかな瞳を上げ、わずかに小首を傾げた瞬間──言葉が喉に詰まった。
青い瞳は透き通っていて、見られているだけで胸の奥を掴まれるようだった。
「……注目されたいわけじゃないわ」
「……!」
ドラコは思わず目を瞬かせる。
冷たさを帯びた言葉。だがその声音の奥には、わずかに柔らかさが潜んでいた。
それが彼にとって余計に心を揺さぶる。
「フロスト……お前は変わってる。スリザリンにいるのに、他の誰よりも……孤高だ」
言い終えてから、自分でも意外な言葉を吐いたことに気づき、ドラコは気まずそうに視線を逸らした。
セレナは再び視線を本に戻す。
けれどその横顔には、炎に照らされて一瞬だけ優しい影が浮かんでいた。
「……変わっているのは、あなたの方かもしれない」
囁くように告げられたその言葉は、ドラコの胸に深く残った。
クラッブとゴイルが呆然とする中、マルフォイの灰色の瞳は、初めて誰かを真剣に見つめていた。
その夜、ホグワーツの職員室。
暖炉の火がぱちぱちと燃える中、アルバス・ダンブルドアがゆったりとした声で口を開いた。
「セレナ・フロスト……あの子は特別だね」
マクゴナガルが頷く。
「授業態度は静かですが、才能は目を見張ります。……それに、あの子が持つ“血筋”のことを考えると……」
「狙われる可能性は高い」
ダンブルドアの声が低く沈む。
「だからこそ、導き手が必要なのだ。表の世界を生きる術を、誰かが教えなければ」
「……ならば」
冷たい声が割り込んだ。
壁際に立つ黒衣の男──セブルス・スネイプ。
「我輩が教える。魔法薬学だけでなく……必要な知識すべてを」
マクゴナガルが眉をひそめる。
「スネイプ……本気で言っているのですか? あの子はあなたを──」
「……だからだ」
スネイプの声は低く鋭かった。
一瞬だけ、言葉を飲み込む。
(……私が導かねばならぬ)
心に浮かんだ“私”を必死に押し殺し、彼は再び冷徹な仮面を纏った。
「フロストの娘は、闇に対抗できる資質を持っている。……ならば、闇を知る我輩こそが適任だ」
ダンブルドアはその黒い瞳を見据え、静かに頷いた。