地下の教室に、湿った空気と薬草の香りが満ちていた。
スネイプはゆっくりと黒板に複雑な配合式を書き出す。
アッシュワインダーの卵、ムーンストーンの粉末、グリンゴット冷却液……上級生ですら習わぬ材料名に、生徒たちは息を呑んだ。
「──これが完成すれば、“透明化の霧”が得られる。
だが……間違えば毒霧だ。命を縮めたくなければ、手を出すな」
冷たく言い放つと、生徒たちのざわめきはさらに広がる。
ハリーはレシピの複雑さに眉をひそめ、ロンは「冗談だろ……」と呟いた。
ハーマイオニーは必死に黒板を写し取りながら手を上げかけるが──スネイプは一瞥すらしない。
セレナは静かに手元の材料を揃えていた。
長い黒髪が揺れ、青い瞳が淡々と順序を見極める。
その姿に、周囲は呆然と息を呑んだ。
煮え立つ鍋の前で、セレナは一切の迷いなく杖を振る。
淡い銀色の霧がふわりと立ち上り、やがて透明へと変わっていった。
──成功。
沈黙が訪れる。
スネイプの目が細められ、彼女の作り出した霧を映した。
教室の誰もが「信じられない」と思ったが、教授だけは別の思いを抱いていた。
(やはり……フロストの娘は──特別だ)
授業が終わると、生徒たちは慌ただしく退出していった。
ハーマイオニーは悔しさで顔を赤くし、ハリーは「すごいな……」と小声で呟いた。
「……フロスト」
背を向けかけたセレナに、低い声が落ちる。
振り返った青い瞳と、教授の漆黒の視線が交わった。
「授業の後……残れ」
理由も告げず、スネイプは黒衣を翻して去っていった。
残されたセレナは、その言葉の意味を測りかねながら、静かに教室を後にした。
夜の地下室は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
厚い石壁はひんやりと冷たく、灯されたランプが弱々しく光を投げる。
並べられた薬瓶や鉱石の影が長く伸び、まるで異形の獣が潜んでいるかのように揺れていた。
セレナは背筋を伸ばし、机の前に座っていた。
黒衣の教授が後ろに立っているだけで、空気は張りつめる。
だが彼女は怯まず、静かな青い瞳で前を見据えていた。
「……我輩が呼んだ理由は、分かるか」
低い声が背後から落ちる。
「授業での調合……それがきっかけでしょうか」
セレナは静かに答えた。
「ふん……半分だ」
スネイプは机に置かれた瓶のひとつを指先で叩いた。
硬質な音が地下室に響く。
「お前には“理論を超える直感”がある。理解せずとも核心を掴み、成功へ導く力だ。……だが、それは諸刃の剣でもある」
セレナのまつげがわずかに揺れた。
「危うさを、知る必要があると……?」
スネイプは一瞬だけ彼女の横顔を見つめ、冷たく頷いた。
「そうだ。知る前に失敗すれば、命はない」
彼が机に置いたのは、青白く輝く小瓶だった。
「“記憶の抽出薬”を作れ。……三年後に学ぶ薬だ」
「……!」
セレナの瞳がわずかに見開かれる。だが、すぐに平静を取り戻し、材料に視線を落とした。
魔法薬の調合が始まる。
粉末が光を帯び、液体が泡立ち、独特の香気が立ちのぼる。
セレナの手は迷いなく動き、鍋の中に魔法の痕跡を描いていく。
──だが、わずかに順序を誤った。
液体がくすみ、暗い色を帯び始める。
「……止まれ!」
鋭い声とともに、冷たい手が彼女の手首を掴んだ。
スネイプの指先は氷のように冷たかったが、その強さには確かな庇護があった。
「記憶は脆い。順序を間違えれば、二度と戻らん」
叱責の声の奥に、焦りと苛立ち、そして別の感情が混じっていた。
セレナは見上げた。
黒い瞳と青い瞳が交わり、互いの呼吸がわずかに触れ合う。
「……教授」
その声があまりにも真っ直ぐで、スネイプは一瞬だけ心を乱された。
胸の奥で、口をつきそうになった。
(私が……守らねば)
だが、吐き出されたのは冷徹な沈黙だけだった。
やがて、薬液は静かに澄んだ銀色を帯びていった。
セレナは深く息を吐き、手を下ろす。
「……できました」
スネイプは瓶を取り上げ、光にかざした。
その中で銀色の液体がゆらめき、ほのかに輝いた。
長い沈黙ののち、低い声が落ちる。
「……初めてでこれを仕上げる者は、ほとんどいない。上出来だ」
冷たさを崩さぬ口調の奥で、ほんの一瞬だけ口元が緩んだ。
それをセレナは見逃さなかった。
「だが覚えておけ」
再び声が硬さを取り戻す。
「鋭い刃は使いこなせば武器となる。だが油断すれば、自らを斬り裂く」
セレナは深く頷いた。
「……心得ます、教授」
青い瞳に宿る決意を見て、スネイプは胸の奥で小さく息を呑む。
その声に触れた瞬間、彼の心は確かに熱を帯びていた。