夜のホグワーツ。
石造りの廊下に足音が反響する。
「急いで! フィルチに見つかったら終わりよ!」
ハーマイオニーが囁くように言い、ローブを翻した。
ハリーとロンがその後を慌てて追いかける。
そして──四人目の影が、すでに彼らの一歩先を歩いていた。
セレナ・フロスト。
冷静な青い瞳は、暗闇の奥を見据えている。
曲がり角を抜けた瞬間、扉が目に入った。
大きく、そして重々しい木の扉。
「ここは──」ハリーが息をのむ。
「立入禁止の三階……だよな」ロンが青ざめる。
セレナは振り返らず、ただ一言。
「……扉」
その声音は冷たく、それでいて確信に満ちていた。
好奇心と恐怖に揺れるまま、彼らは扉を押し開けた。
──そして、次の瞬間。
低い唸り声が響き渡り、三つの巨大な頭が暗闇から現れた。
鋭い牙、光る眼。
フラッフィー──三頭犬が、唾を滴らせながら睨みつけてくる。
「ひっ──!!」ロンが叫び、後ずさる。
ハリーも青ざめた顔で身を固くする。
ハーマイオニーが必死に言葉を探す。
「ど、どうしたら──」
その中で、ただ一人。
セレナだけが、恐れを見せなかった。
彼女はゆっくりと杖を構え、低く呟いた。
「落ち着きなさい。……音楽があれば眠るわ」
「音楽……?」ハーマイオニーが振り向く。
「そんなの、どこに──」
だがセレナの視線は、犬の巨大な足元に釘づけだった。
その下に隠されている“何か”に。
「……守っているのね」
その呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
次の瞬間、扉の外から足音が迫ってくる。
フィルチか、それとも──。
「急げ!」ハーマイオニーが叫ぶ。
ハリーたちは慌てて扉を閉め、廊下へと駆け戻った。
心臓を叩きながら走る中、ハリーがセレナを見やる。
「……君、知ってたのか? あの犬のこと」
セレナは青い瞳を伏せ、淡々と答える。
「知っていたわけじゃない。ただ……“血”がそう告げただけ」
それ以上の説明はなかった。
冷たい仮面の奥に隠された真実は、誰も知らない。
ハロウィンの夜に
「ト、トロールが! ち、地下の回廊にトロールが現れた事を…ご、ご報告…致しま、す!」
大広間に駆け込んだのは、震える声で叫ぶクィリナス・クィレルだった。
ターバンを揺らしながらよろめき、長卓の端につまずいて倒れ込む。
その情けない姿に、生徒たちの悲鳴がさらに高まった。
「落ちついて!! 各自、監督官の指示に従い寮へお戻りなさい!」
マクゴナガルが声を張り上げる。
生徒たちはぞろぞろと席を立ち、各寮ごとに整列を始める。
その混乱のさなか、セレナはふと顔を上げた。
──クィレルの視線が、ちらりと彼女を掠めた気がした。
怯えているようでいて、どこか計算めいた冷ややかさ。
やがて人波に押され、セレナは一人、別の廊下に出てしまう。
そこへ現れたトロール
腐った皮膚、濁った目、そして振り下ろされる巨大な棍棒。
セレナは咄嗟に杖を構えたが、足が一瞬だけすくんだ。
その瞬間──
「──イモビラス!」
鋭く低い声が石壁を震わせる。
スネイプの杖先から放たれたのは、青白い閃光だった。
稲妻のように走った光がトロールの全身を覆い、瞬く間に氷の膜のような輝きへと変わる。
魔法の衝撃が走った瞬間、トロールの筋肉が硬直した。
振り上げた棍棒は空中で止まり、そのまま石像のように動きを失う。
鼻息さえ凍りついたかのように、鈍重な呼吸音も途絶えた。
セレナは驚きに息を呑む。
「……これが、『イモビラス』……」
スネイプは冷ややかな視線をトロールに向け、言葉を続ける。
「対象の時間を束縛する術式だ。神経と筋肉の動きを強制的に止める……魔法生物に使えば、この通りだ」
棍棒が床へと落ち、鈍い音が響いた。
完全に制止された巨体は、壁に凭れかかるように崩れた。
セレナが恐る恐る近づくと、スネイプは杖を下ろし、冷たく言い放った。
「動くな。術が解ければ再び暴れる。……我輩の指示があるまで近づくな」
彼の声はいつも以上に冷徹だった。
だが、漆黒の瞳の奥には──わずかな安堵の色が浮かんでいた。
「……愚かな娘だ。だが……無事で何よりだ」
その小さな呟きは、セレナにしか届かない声音だった。
「教授……」セレナは小さく息を呑んだ。
その時、石の廊下にまた足音が響いた。
駆け込んできたのは、青ざめた顔のクィレルだった。
「ひ、ひぃっ……! お、恐ろしい……!」
ターバンを巻いた男が、廊下の奥から転がるように現れた。
クィリナス・クィレル。
額には玉のような汗が浮かび、ローブを握りしめて震えている。
「わっ…こ、ここにも……ト、トロールが……! わ、わたしは……」
彼は壁際に寄りかかり、息を荒げた。
だが、セレナの青い瞳には、その震えの奥に別の色が見えた。
怯えすぎている。いや──演じている。
スネイプは目を細め、漆黒の視線をクィレルに突き刺す。
「……偶然ここに現れたのか、クィリナス?」
「も、もちろんですとも! 生徒を……さ、探していて……」
クィレルはおどおどと目を逸らし、背を向けた。
その背中を、セレナは無意識に見つめていた。
「……怯えているのに、瞳が笑っています」
小さな呟き。
だが、その声はスネイプの耳に届いていた。
「フロスト──黙れ」
スネイプは低く言い放ち、彼女の肩を押して背後に下がらせた。
その瞳の奥には、冷酷さと……わずかな苛立ちが宿っていた。
「貴様の観察眼は時に命取りになる。忘れるな」
クィレルの姿はすでに廊下の奥に消えていた。
残されたのは、氷のように静止するトロールと、黒衣の教授、そして冷静に見据える少女。
セレナは唇を結んだまま、胸の奥にざらついた違和感を抱えていた。
──“あの男は、ただ怯えているだけではない”。