伊落マリーは人が嫌いになってしまった。そんなお話。
【掲示板で投稿した物を僅かに加筆、修正した作品になります】

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人嫌いマリー

 僅かに数センチ先の隔たりから、声が響く。

 狭い告解室の中では音が数度反射し、悪戯に神経を逆撫でる。

 

 内容は関係ない。

 傍から聞けば些細なミスだったり、本人が恥ずかしい暴露だったり、普通に犯罪だったりを吐き出されるが……正直、どうでもいい。

 

 所属も関係ない。

 トリニティ自治区内の住民が最も利用してはいるが、ティーパーティに正義実現委員会、救護騎士団、果てはシスターフッドの一部生徒も利用しているが……正直、何でもいい。

 

 ただ人が話す声が、音が、無性に嫌悪感を与えるだけなのだ。

 

「――神に立ち返り、貴方の罪は許されました。神の平和の内にお帰りなさい」

 

 厳かだが慈愛に満ちたような、そんな何時もの声を作り上げ決まり文句を口に出す。

 何処か晴れやかで、付き物が落ちたかのような感謝の言葉を最後に信者は部屋を後にする。

 

 ……そんな言葉でさえも、虫唾が走る。

 

 

 

 十九時。

 備え付けられた時計が指し示した時刻で、本日の当番が終了した事に一つ息を吐く。

 今日も敬虔な信徒の一人として応対出来たと、張り詰めた糸が緩められるのを感じた。

 

「マリー? もう教会を閉める時間ですよ」

「――サクラコ様!」

 

 司祭室の扉が叩かれ、その先から発せられる声に思わず色めき立ってしまう。

 万一にでも扉を当てないよう、鍵を外してからゆっくりと開き私は小さな独房から解放される。

 

 私に分かる慈しみの微笑みを向けられながら自然と、細められたローズ色の瞳に吸い寄せられてしまう。

 けれども違和感を感じさせぬよう、私はサクラコ様に対して精一杯の笑顔を向けて答えた。

 

「ありがとうございます、サクラコ様。次の信徒様が来る心用意をしていまして……」

「……あまり、無理をしてはいけませんよ? それに、告解室の司祭当番も別の方に代わって貰っても」

「お心遣い、ありがとうございます。ですがこれも、サクラコ様の様な立派なシスターに成る為の試練だと私は受け取っていますから」

「そう、ですか……ならマリーの憧れに恥じぬよう、私も精進しなくてはなりませんね?」

 

 思案するように暗い影を落としたお顔は、一転して茶目っ気を溢れた笑顔を見せそう答えてくれた。

 だから私も、不肖ながら淑やかに笑みを返して応えた。

 

 一先ず寮に帰る様にと、サクラコ様に言われ一足先に教会を出る。

 笑顔でその場は答える事が出来た物の、思わず教会を見つめ上げてしまう程度には戻る気にはなれなかった。

 しかして誰を待つ訳でも無く、門前に立ち尽くすのは迷惑極まり無いだろうて。

 

 不承不承ながら、私は帰路へ着く。

 

「……」

 

 然程時間もかからずに着いた寮では、まず寮長に挨拶をし入浴時間の終わりを確認する。

 同時に、事前に取り分けて貰っていた夕餉を受け取り私は一人の自室へと戻る。

 ……他信徒とすれ違う度に突き刺さる、好奇と憐憫の混じったような視線にはとうの昔に慣れてしまった。

 

 集団生活の歯車から一人だけ浮き上がるような生活だと、自室の扉を背にしながら嗤ってしまう。

 運んできた夕餉に手をつける事無く乱雑に机に置き、着替える事もせずに掛け布団の中に自分の身を隠す。

 外から聞こえる人の声を遮る為に、体の内側で暴れる苛立ちに振り回されない為に。

 

 誰にも気付かれぬようにと、祈りながら。

 私は静かに眠りについた。

 

 

 

 私は何も初めから、人が嫌いだった訳では無かった。

 切っ掛けはとても些細な話だった。

 

 丁度一年前、私がシスターフッドの体験会に足繫く通っていた頃の話だ。

 

 来年入学する組織への体験会。

 私ほど熱心な子は他には余り見られなかったが、立派なシスターへといち早く成りたかった当時の私は友人たちに背を押されながら毎日のように通っていた。

 簡単な雑務から始まり、ボランティアやちょっとした荒事にまで駆り出されるようになり、当時の私はシスターフッドの一員に成れたと思って舞い上がっていた。

 

 そんな折、事件が起きた。

 

 それがどの先輩から言われた事だったかは、今では思い出せない。

 ただきっと、司祭を行うのが面倒だと思った先輩に押し付けられたのだろうと推測は出来た。

 簡単な聖句や決まり文句だけを教えられ――それすらあやふやなまま――未熟な私は司祭の役目を任命されてしまったのだった。

 

 初めは慣れないながらも何とか司祭として立ち振る舞う事が出来た。

 確か、応援もされたし、何気ない雑談のような場としても使われたような気もする。

 それも全て定かではないけれど。

 

 そこそこの人数の告白を聞き遂げ、私でも出来ると自身が付いてきた頃……○○は現れた。

 

 男だったか、女だったか。それすらも定かではなく。

 思い出そうとしても、出来の悪いモンタージュのようにしか思い出せない。

 

 けれど確かに思い出せる事は、私はその場で人身売買に関する犯罪の告白を聞いてしまったことだった。

 

 酷く、戸惑った。

 摘発もされておらず、時効という事で後は自身の心が軽くなれば良いと、自分本位の考えしか話していなかったのを思い出せる。

 けれども、敬虔な信徒なのか、形式に則って残りは此方から許しの言葉を投げかけるだけになった。

 

 ……私は何も、言えなかった。

 今考えるなら適当に決まり文句を吐き出し、先輩方に相談でもすればよかったのだと思う。

 

 だが、あろう事か。

 私は告解者に対し【司祭】ではなく、【伊落マリー】として対応してしまった。

 

 何を言ったのだろうか。

 でも確か、綺麗事を無残に吐き出していたようにも思える。

 

 その言葉を聞いた告解者が激昂したのは言うまでもない。

 告解室の扉が開かれ、司祭室の扉が乱雑に叩かれるのを鮮明に思い出せる。

 まるで化け物が責め立てるように言葉を吐き散らしながら、只管に叩いて、叩いて、叩いて――。

 

 ぎいと、扉が開いてしまったのだった。

 

 司祭室の鍵について説明を受けていなかった私は、その存在を知らなかった。

 僅かに生まれた隙間から漏れ出る光が絶望の兆しに見えて。

 そこにかけられた手が見えた頃には、あれ程までにうるさかった言葉が欠片も聞こえて来なくて。

 椅子に座っていた私は震えながら、扉の先に立つ何者かに只怯えながら見上げる事しか出来なくて。

 

『――!!』

「いやっ……!!」

 

 

 

 ……室内は、完全に闇の帳に包まれていた。

 窓から差し込む月明りも分厚いカーテンで遮られており、僅かに窓辺を照らしているだけだった。

 近くに置いたスマホを探そうと辺りを見渡した所で、私は静かに溜息を吐いた。

 

「本当、情けないですね……」

 

 シーツを軽く撫で、そこまで面倒な事態に成っていない事に安堵するも、掛け布団は流石に駄目になった。

 どうせこの後は清掃の時間だ……そう自身を納得させ、動きやすい体操服に着替えてすっかり冷めてしまった夕餉を取る。

 

 漫然と食べ進め、恐らく全て胃に詰め込んで再度手を合わせた。

 着替えた時に手繰り寄せたスマホで、現在の時刻を確認する。

 

 時刻は午前二時。

 タイミングバッチリだと己の気持ちを奮い立たせ、洗濯物を抱えて浴場へと静かに向かって行った。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

 働かざる者食うべからず、とまでは言わないが。

 ここシスターフッド寮では炊事洗濯清掃の仕事を当番で回している。

 カフェテリアでの炊事も、大量の衣服と格闘する洗濯も、複数箇所周らなければならない清掃も出来なくはない作業だった。

 

 ……ある一件を境に私は浴槽清掃係に立候補する事になったのだが、また別の話だ。

 

「さて……始めましょうか」

 

 洗濯物は固めてある所に分けて入れ、粗相をしてしまった部分に関しても既に水洗いしてあるので問題は無い。

 ……既に何回やったのかなんて、覚えていないのだから。

 

「……よしっ! まずは脱衣所から」

 

 沈み込んでいきそうな気持ちを無理矢理掬い上げ、掃除用具を手にして磨いていく。

 備品の補充やタオル置き場の清掃、忘れ物が無いかなどの確認をして確実に熟していく。

 

 鳥の鳴き声すら響かない丑三つ時。

 風情の欠片も無い人工的な太陽の下、まるで独りになったかのような寂寥感を覚えるが……それと同時に、深く安堵する気持ちが確かに有った。

 

 無心に床を、鏡を、棚の中を。

 日々の汚れを落として行き、清潔になった脱衣所を見て一息ついた。

 

 お次は、浴室。

 今日はお湯を抜いて清掃を行う日ではない。

 床掃除を終えてシャンプー等の洗面用品の補充を終わらせれば、ゆっくりと湯船に浸かれそうだと浮足立ちながら電動デッキブラシのスイッチを入れた。

 

 手に馴染んでしまったデッキブラシの振動を感じつつも、丁寧に端から汚れを落として行く。

 一組織が毎日使う場所で、どうしても日々の汚れは付いて行ってしまう。

 でもだからこそ、日々の清掃の大切さと言う物が身に染みて行くのだ。

 

「……」

 

 なんて、心にも無い事だ。

 ただ単純に、こうして一人で作業しているのが好きだという事を言い換えているに過ぎない。

 

 皆の寝静まる夜にしか作業できない事も相まって、浴室清掃は不満の多い当番だった。

 だから、都合が良かったのだ。私にとっても、皆に取っても。

 

 事情を知らぬ者は、私の事をシスターの鏡だと見当違いの事をぬかす。

 事情を知っている者は、私に無理をしていないかと要らぬ気づかいを押し付ける。

 

 腹立たしくは無い。

 けれど、私は。あの夜、昼に。

 随分と、おかしくなってしまったのだろうと、思う。

 

「ふう……」

 

 手慣れた清掃は速やかに完遂出来た。

 時刻はまだ、四時すら回っていない。

 

 朝日はまだ昇らなかった。

 

 

 

「――はあ~」

 

 立ち昇る湯気と湿度と汗の三拍子でびしゃびしゃになった体操服を脱ぎ捨て、掃除をした者に与えられる特権を享受する。

 なんて悪い子なのだろうと、ポカポカした思考のまま湯船に全身を浮かべる。

 

 プールでは無いの。

 きっと皆に見られれば行儀が悪くはしたないと窘められるだろう。

 だけど誰も居ない。

 だから私は自由なのだ。

 

「……ふう」

 

 瞼で電光を遮り映し出される網膜、お湯に揺蕩う解放感と全てを包むような紅茶の香りが得も知れぬ理想郷を感じさせてくれた。

 微睡さえ与えてくれる揺り篭だが、流石にお風呂で眠ってしまうのは不味い。

 離れたくない心を理性で引きはがし、湯船から上がる。

 

「……もう一度、髪を洗いませんとね」

 

 確かに幸せなのだが、こればっかりは玉に瑕だ。

 渋々と洗い直し、再度湯船に浸かる事無く私は浴室から出た。

 

 まだ負けたことは無いが、欲望に負ける可能性は有るのだ。

 ならば根本の原因から潰すのが賢明と言う物だろう。

 

 誰に対する言い訳かを内心で繰り返し、後ろ髪を引かれる思いで自室へと帰って行った。

 

 

 

 そこから少しばかりの仮眠を取り、私の一日は始まる。

 朝餉を取り、空っぽになった器に黒い感情が溜まって行くのを感じながら他信徒と会話を行う。

 

 学友の勉学を手伝ったり、シスターフッドの活動で街に向かったり。

 そんな何時もの変わらない日常が始まっていた。

 ボランティアの途中、唐突にサクラコ様が話しかけてくるまでは。

 

「マリー? 少しよろしいですか」

「サクラコ様? 私であれば何時でもお呼び立てください!」

「……ありがとうございます。実はですね、信頼できる方に一週間ほど連邦捜査部シャーレへお手伝いしに行って貰おうと思っているのですが……マリーは予定、空いています?」

「一週間、ですか……」

 

 一週間、サクラコ様と離れることになるのはかなりの苦痛だ。

 ……だが、一つ。たった一つだけ聞き捨てならない文言が有ったのは分かっている。

 

 思い上がりも甚だしく、少しばかりの恐怖を感じてしまうが聞かずに居られなかった。

 まるで祈る様に胸元で両手を組み、サクラコ様に問うた。

 

「あ、あの……私は、サクラコ様に……どれくらい、信頼されていますか?」

 

 まるで予想だにしなかったように、サクラコ様は瞼を瞬かせていた。

 そして、言葉を噛み砕き理解した後は柔らかく微笑んで私の頭を優しく撫でてくれた。

 ……蕩けてしまいそうで、ふわふわする。

 

「余り、明言してしまうのはシスターフッドの長として示しが付かないので……ここだけの話にして下さいね?」

「ふぁ、は、はい……」

「ふふっ、このお話を相談したのはマリーが初めてですよ……これ以上の明文化は不味いですから……ね?」

「は、はい……!」

 

 分かっている。

 こんな言葉に何の意味も説得力も拘束力も無い事なんて。

 

 分かっている。

 自分がこう聞けばサクラコ様がこう答える他無いなんて。

 

 分かっている。

 シスターフッドの長であるサクラコ様が最も信頼しているのが一年の私では決して無い事なんて。

 

 けど、だけれども……!

 

「分かりました! 不肖、マリー。サクラコ様の命に必ずや答えてみせます!!」

「……えっと、そこまで気を張り詰めなくても良いのですが」

「大丈夫です! マリーに任せてください!!」

「…………頼りにしていますよ」

「はいっ!」

 

 己の偶像の為ならば、命を捨てられるのが聖職者と言う生物では無いでしょうか。

 そんな真理に従って、私のシャーレ手伝い一週間の日々が幕開けた。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

 連邦捜査部シャーレ。

 確か、外部から来た大人が顧問をしている新しい部活だったか。

 生徒会長の失踪と同時期に現れた事から、置き土産だとかそもそも権力の簒奪をした結果だとか。

 そんな他愛無い噂が降って思い出されるが頭を振って取り繕う。

 

 何だっていいのだ。

 例えどのような人物だろうが、高々一週間程度の付き合いになるだけで。

 

 立派なシスター像の輪郭を描きながら挨拶を交わし、簡単な書類仕事のサポートを行う。

 確かにサクラコ様が危惧した通り、信頼できる人物でなければ推薦し難い仕事だろうと思った。

 各学園の情報、特にゲヘナに関する書類等々もあり、素行が悪い生徒であれば情報の改竄を行ったりする恐れがある。

 仮にそうなってしまえば、サクラコ様の面目丸潰れだと言うのに。

 

 ……それにしても、この人はうるさい。

 当たり障りのない問いに笑顔で答えて行けば、ずけずけとパーソナルスペースを踏み荒らすような質問ばかりを投げて来る。

 思わず零れ出そうになる舌打ちを押さえ、優しいシスターを必死に取り繕う。

 

 サクラコ様に対する強い畏敬の念を抱きながら、その日の業務は終わった。

 たった一日で酷く疲弊してしまったが、これはサクラコ様から与えられた試練なのだろう。

 この程度熟せなければ、サクラコ様のような……。

 

『“マリーは本当にサクラコを尊敬しているんだね”』

「……」

 

 そんな、薄っぺらな言葉一枚ではない。

 個人に憎悪を募らせるなどシスターとして有ってはならないが、今日だけは許して欲しいと切に願った。

 

 

 

 二日、三日目と彼は慌ただしい日々を過ごしていた。

 行き先を告げぬままシャーレを飛び出し、ふらふらになりながら帰ってくる。

 

 ……所詮、噂は噂で。彼、先生は所謂立派な大人と言う者らしい。

 私に対する軽口か無ければ尊敬の一つでも抱けたかも知れないが……如何せん、私達の距離は近すぎる。

 

 苛立つ神経に蝕まれながら、外面だけでも取り繕えている事を深く感謝して欲しいものだ。

 主が居なくなった室内で、私は一つ溜息を溢しながらそう思った。

 

「……なんて、傲慢なのですかね」

 

 違う。

 これは恐らく、嫉妬だ。

 

 シャーレの手伝いをしていて分かったが、先生はあまり生徒の手伝いを良く思っていない。

 私の時間を奪っている事に関しても初日、散々謝罪された。 

 

 それなのに、だ。

 サクラコ様を頼り、あまつさえサクラコ様もその期待に応えたいと言う信頼関係が構築されている事実に気付いてしまったのだ。

 決して長くは無い筈のその付き合いで、一体どのように関係を深めたのか知りたくて、聞きたくて。

 

 ……でも、気付きたくは無かった。

 切実に。

 

 

 

 二十時。

 普段であれば眠っている時間帯。

 僅かに胡乱で来た頭をコールタール染みたインスタントコーヒーで無理矢理現世に縛り付ける。

 思わず渋顔を浮かべてしまう程の味わいだが、不本意ながら意識が覚醒していく。

 

 ちびちびとコーヒーを流し込みながら作業を進めていると、先生は帰って来た。

 

 ……眠たそうだの、疲れていそうだの言われてしまうがどの口が言っているのだろうか。

 横目で流し見るが、ヨレヨレになり埃だらけのワイシャツや疲れの溜まった笑顔が嫌に目立つ。

 

「……一回シャワーでも浴びて寝たらどうです?」

“えっ?”

 

 そうして、普段であれば決して口に出すことの無い内心がまろび出てしまった。

 不味いと思った時には既に遅く、先生も普段とは酷く異なる物言いに瞬きしながら此方を見つめて来ていた。

 

「――ご、ごめんなさい! 言われた通り少し眠気が襲って来ていまして……少し、仮眠してきますね?」

“あ、うん……ごゆっくり?”

 

 挨拶もそこそこに、急いでその場から離れる。

 走らず、しかし歩きと言えない程の速度で仮眠室へと足を進める。

 既に作り上げている自分の空間に飛び込み、毛布に包まり必死に目を閉じる。

 

 ……動悸が激しい。

 カフェインが体を回って鼓動を速めているに過ぎないのだ。

 

 

 だから、そう。

 

 僅かに睡眠を取るために、静かになって欲しいと祈るのは。

 

 とても、自然なことだ。

 

 

 毛布の中でコーヒーの香りが充満する。

 閉じた視界がグルグル廻り、鼓動が只管激しく主張する。

 だから、もう。祈る事しか出来なかった。

 

 

 

 四日目。

 先生の身辺警護と言う形でシャーレから足を伸ばすこととなったのだが。

 案の定と言うべきか、私達は戦闘に巻き込まれていた。

 

 先生が組織衝突の仲裁を行おうとしたのだが、敢え無く失敗。

 銃を持ち出し乱闘になったのだが……それにしては両者共に此方を攻撃する比重が大きい様に思える。

 もしかしたら何らかの陰謀に巻き込まれてしまったのかも知れないが、何でもいいか。

 

 要は先生を守り切ってこの場を鎮圧するのが仕事だ。

 

 シスターフッドから支給されたアサルトライフルを握り、遮蔽から身を乗り出し駆けながら一人二人と手元の銃を狙い撃つ。

 銃を取り落とし無防備になった者は、敵対している相手に蜂の巣にされていく。

 別の遮蔽に隠れながら一息つく。

 

 思ったよりも上手くいったが、想定していた以上に此方に注意が向いている。

 ……インカムからも私を窘めるような言葉が耳鳴りのように聞こえてきたから、電源を落として懐に仕舞う。

 

 戦闘は、嫌いじゃない。

 人の声は全て銃声と爆発音によって掻き消され、イラつく存在を察知して自らの暴力をぶつけてもそこに正当性が生まれる。

 

 所詮、私も獣なのだ。

 清廉潔白の聖女を目指そうとも、薄汚い私がそれを認めない。許さない。

 自嘲気に嗤い、マガジンのリロードは完遂していた。

 

 気が付くと、私は考え無しに乱闘の中心部へと駆けていた。

 

 撃って、撃たれて。

 銃弾が全身を殴りつけるが、まだ動くことは出来る。

 だが、このままでは先に限界が来てしまう。

 

 気絶した一人を蹴り上げ、即席の盾としてその影に隠れる。

 強い不快感。問答無用で付き飛ばしたくなる衝動を抑え、人越しに伝わる衝撃が止むのをじっと待つ。

 

 集中して撃たれたせいで舞い上がった砂埃の中に、地面に転がっていた銃を投げ捨てる。

 動く影に反応して放たれた銃弾を確認し、漸く盾にした人を突き飛ばした。

 

 立っているのは残り八人。

 とりあえず目の合った奴の銃と頭を撃ち抜いて、残り七人。

 遮蔽――ではなく、一人に向かい突撃し銃弾を気絶するまで叩き込む。

 

 ぐらりと倒れる相手の襟を掴み、砲丸投げの要領で近くに居た人に投げつける。

 投げられた相手を踏みつけながら、アサルトライフルに残った弾丸を全て叩き込む。

 残りは――。

 

「っ……!」

 

 人数を数える前に、銃弾が複数から叩き込まれた。

 咄嗟に近くの看板に身を隠したが、このままでは不味い。

 考えている余裕など、無かった。

 

 次の瞬間には手榴弾が投げられるかも知れない。

 次の瞬間にはロケットランチャーが向けられているかも知れない。

 次の瞬間にはグレネードランチャーが撃ちこまれるかも知れない。

 

 だから私は、最も強くて――最も頼りに出来ない愛銃を抜いた。

 

 まるで散歩にでも出かけるかのような自然体で、看板からその身を晒す。

 そして、銃を此方に向け、撃ってくる存在に対して冷静に撃ち返していく。

 

「……一つ」

 

 目を開けていられない程のマズルフラッシュと衝撃が止まる事無く襲い来るが、私だってこの程度では止まれない。

 

「二つっ……!」

 

 ピタリと撃ち切ったが、まだ目の前に敵は居る。

 既に用意していたマガジンを交換し、残った二人も狙い撃つ。

 

「三……四つ!」

 

 最後の一人が倒れ伏すと同時に、大きく息を吐き出した。

 全身が酷く痛む。このまま同じように倒れて、地面と挨拶したい所だが……まだ、休むわけにはいかない。

 

“マリー! 大丈夫なの!?”

「あっ、せんせ――」

 

 勝手に飛び出し、勝手に通信を切り、悪い事をしたと思いながら声に反応して。

 

 咄嗟に駆けだしていた。

 

 

 見えてしまったのだ。

 路地裏から爆発しそうな弾頭を担いだ何者かが此方を狙っている姿を。

 

 弾倉に残った最後の一発で輩の手元を撃ち抜き、既に定まっているであろう照準を狂わす。

 だが、この戦闘でのツケが回って来たかのように、弾頭は私の足元目掛けて飛んできた。

 

 

 

「――うぁ……? うぅ……」

 

 頭が、ゆれる。

 耐えがたい耳鳴りに襲われている、きがする。

 痺れる手足、視界も霞む――いまは、なんじ?

 

「あっ――」

 

 ぞわりと、全身に悪寒が走る。

 何かが、誰かが。私の体に触れた。

 

「――やっ、いやっ! やだっ!!」

 

 藻掻く、足掻き、暴れる。

 おかげで気配は遠くに離れたが、私は近くに転がっていたマグナムを掴み私に触れた人間に向けた。

 

 ……向けてしまった。

 

「………………ぁ」

“……”

 

 銃口の先には、先生が居た。

 神妙な表情で、銃口を見つめている。

 血の気が引き、握っていたマグナムを落としてしまう。

 

「あ、あの……これは……」

 

 必死に、弁明の言葉を捻り出そうとするが、一語足りとも浮かんでこない。

 このままではシスターフッドが――サクラコ様に、迷惑が。

 

 先程とは違う痺れが全身を駆け巡る。

 滲みだした視界の先で、先生は両手を下ろして――笑った。

 

 

“ありがとう、マリー。君のおかげで助かったよ”

 

「…………え?」

“うん! 後始末はヴァルキューレに頼んであるから……お昼も近いし、マリーは何食べたいかな? 私の懐が許す限りなら何でもいいよ!”

 

 そんな事を、言った。

 

 叱責でも、憐憫でも、詰問でも無くて。

 思わず開きそうになった口は、先生の軽いウィンクによって遮られた。

 

 そういった動作一つ一つが、私の内面を透けて見られているようで、怖くて――少しだけ、安心した。

 

「……では、鴨南蛮そばで」

“そばか~、いいね! ……い、一応聞いておくんだけど、飛びぬけて値を張るお店とかじゃないよね? わ、私でも払えそうかな?”

「ただのおそば屋さんですよ?」

“……以前サクラコに教えて貰った店に行ったんだけどね、予想外の出費をくらってしまってね”

「そ、それは……」

 

 もう、先程の空気は霧散していた。

 けれども、先生の労わる気持ちだけは痛いほどに伝わって来て。

 不思議と、その声には。不快な気持ちは湧いてくることは無かった。

 

(本当に……不思議な方ですね……)

 

 他者のパーソナルスペースに入り込もうとするその意思は、何も変わっていない。

 しかし何故かそれすらも、どこか心地いいと思えてしまう私が居た。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

 五日目。

 昨日の事もあり、私はシャーレから出ることも無く書類業務に励んでいた。

 ……本来すべき外回りでの護衛からは外されてしまったが、致し方ない話だろう。

 私の行動は到底護衛と呼ぶには攻撃的過ぎたのだから。

 

 そんな風に考えていると、先生は明るい声を出しながら帰ってきた。

 

“ただいま〜! あ、マリーもお疲れ様。どれくらい進んだかな?”

「割り振って頂いた書類に関しては大体は終わらせました」

“流石、そんなマリーにはご褒美を上げないとね!”

「いえそんな態々……」

“……実の所、私が休みたいだけなんだ。付き合ってくれると嬉しいんだけど、ダメかな?”

 

 手にぶら下げていた紙袋からおかしを取り出しながら先生は困ったように笑っていた。

 確かに作業している人を前にして休める性質では無いだろうと思い、私は立ち上がる。

 

「なら、お茶を入れてきますね。先生はコーヒーでいいですか?」

“いや、マリーと同じものが良いかな? その方が楽だろうしね”

 

 鼻歌を挟みながら机一杯にお菓子を広げるその姿からは、頼りある大人の雰囲気なぞ微塵も無くて。

 上手いものだと内心舌を巻きながら給湯室へと向かう。

 

 一人で作業していた時にも度々利用しており、口にする機会が無かった物も幾つか試したりもした。

 ……エナジードリンクは眠気覚ましにはそこそこ優秀だったが、如何せん自身の趣好とは外れていた。

 

 それはともかく、普段使っている紅茶のラベルが貼られた缶を手に取り、手早く準備を完了させる。

 時間をかけ、不用意に期待を煽りたくは無いのだ。

 

 

「すみません、お待たせしました」

“いやナイスタイミングだよ。これがお土産のミレニアム料理研究部特製の洋菓子だよ! ……お口に会うかは分からないけどね”

「は、はあ……」

 

 ティーポットとカップを二つと小皿に輪切りにした檸檬を乗せたトレーをテーブルの脇に置き、並べられたお菓子を見る。

 色彩が異常な彩を見せている訳では無い。

 むしろトリニティで売られていてもおかしく無い程、精巧で整った形をしている。

 

「見た所、美味しそうですけど……」

“そう? それならどれ食べたい? 私はこのケーキを選ぼうかな……”

「なら、私は……これを」

 

 食品サンプルのように綺麗に切り分けられた断面を見つめながら、シンプルそうなガトーショコラを手に取る。

 少なくとも先生の選んだショートケーキに比べて隠し味を仕込める要素は少ないだろうと、少し疑いながら一欠けら試しに口に放り込む。

 

「……これは、ミント?」

“メッ、メンソール……!!”

「せ、先生!?」

 

 強いミントの風味に驚いていると、隣で大きく一口でクリームと生地を頬張った先生が悶絶していた。

 ……料理研究部には根強いミント好きでも居るのかと戦々恐々としながら先生を揺り起こした。

 

 幸い、とびっきりの外れは最初先生が取ったケーキのみで、他は変わった味わいだが美味しいおやつだと言えた。

 ……全体的に爽やかな感覚が強くて、中々紅茶を飲めた物では無かったけれど。

 

“うーん、口の中が凄いすーすーするね”

「見た目からは全く分からない辺り、そういった事を研究しているのでしょうか……」

“まあ極度にメンソール濃度を高める方向にシフトしなかっただけ偉いと言えるかな!”

「これはこれで罠ですけどね……」

 

 他愛無い雑談を挟みながら、新鮮な感覚に舌鼓を打っていると、ふと手の付けられていないクッキーが目に入る。

 他のお菓子と分けられているような位置だったが、同じテーブルに乗っているのだからと遠慮なく手を伸ばし、齧る。

 

「っ――!!? ごほっごほっ!」

“マリー!?”

 

 ミント感は無かったが、苦い。

 ただ只管に苦くて……忌憚なく言えば不味い。

 咳き込み背中をさすられながら、目の前で開けられた缶コーヒーを手渡される。

 

「んぐっ……んっ……ん……ふぅ…………あの、先生。このお菓子は一体……」

“あーごめん、これは個人的に頼んだ奴なんだ。偶に食事を抜いたまま働いちゃうからね……眠気覚ましも兼ねたカロリーバーみたいなものなんだ。ごめんね、間違えて置いちゃって片付けるのを忘れていた”

「あ、いえ……私も勝手に食べてしまってごめんなさい」

 

 渋い顔を浮かべながら眉を顰める先生から、後悔の念が滲み出ているのが分かって。

 此方が謝罪の言葉を話しているというのに、何故だか自然と笑みが零れてしまった。

 

“……はいはい! これでこの話は終わりね! 私もそろそろ仕事を始めないといけないしね”

「なら、私も手伝いますよ。これ以上お菓子を食べてしまっては夕ご飯を食べられなくなってしまいそうですし」

“OK、腹ごなしにもう一仕事といこうか”

「はいっ」

 

 先生が自身のデスクへと戻って行く後ろ姿を見つめながら、背中に感じた熱を思い出す。

 咄嗟だったから。

 きっとそうに違いないと頭を振って、テーブルを片付けて先生の手伝いの為に動き出す。

 

 ……一つだけ冷蔵庫に入らなかったケーキは、後で食べようと心に決めて。

 

 

 

 六日目。

 先生は相も変わらず忙しそうにシャーレから飛び出て行った。

 恐らくだが、本来は今私が手をつけている書類業務に縛られているせいで自由に外出も出来ないのだろう。

 ……単純に健康を害していないか心配になる生活を送っているようだった。

 

 昨日言っていたカロリーバーも、そんな無茶を通す為の策なのだろう。

 早死にしやしないかと心配しつつ、書類と睨めっこしているとミレニアムの生徒がオフィスに入ってきた。

 

 先生は不在だと伝えるとすぐに出て行ってしまった、が。

 一つ、奇妙なことを呟いて部屋を後にしていった。

 

『ああ、貴方が例の話の――』

「……」

 

 ペンを走らせる音だけが部屋を満たす。

 脳を震わす微かな疑問を塗りつぶすように、必死に業務で疑惑を殺す。

 何の話か分かりはしないが、周知するべき事実があったと取れる。

 

 そして、それが私に関する話だという事にも。

 

「……あっ」

 

 べきり、と。

 嫌な音を立てながらペンを圧し折ってしまった。

 書類にインクが垂れないように急いでテーブルの上から手を動かすが、折れてしまったペン自体はテーブルの上を汚しながら転がって行ってしまった。

 

「あ、れ……?」

 

 拾わなければ、書類が書き直しになってしまった、だの。

 そんな事を考える隙が無い程に、私はインキに塗れた掌を見つめていた。

 

「お、おかしいですね……」

 

 手が、震える。

 痙攣は一向に収まってくれずに、粘ついたインキだけが袖すらも汚していくのを見つめる事しか出来なかった。

 

「止まって、ください……」

 

 右手首を反対の手で掴むが、震えの収まる気配は見られない。

 

「とまって……」

 

 衣服が汚れる事すら構わず、胸に抱く。

 

「おねがい、だから……」

 

 時だけが無常に流れ、動き出せるようになったのは自身が一人だけだと確信出来てからだった。

 着替える事すら怖かったが、汚れたままで作業も出来ない。

 シャーレ併設のコインランドリーに着ていた物を放り込んで、洗濯機が回る姿だけをじっと眺めていた。

 

 がたごと、がたごと、と。

 

 

 

 七日目。

 昨日は幸いにも痴態を先生に見られることなく業務に戻る事が出来た。

 

 それにしても、一週間。

 短くも長い日々だったと言える一週間ではあった。

 

“はあ~……今日でマリー帰っちゃうのかあ……明日から一人で書類仕事かあ……”

「……っ、宜しければ明日以降も手伝いましょうか?」

“いやいや、これ以上マリーに迷惑はかけられないからね! 明日から私一人で、頑張るしかないよなあ……”

「あははっ……」

 

 真に聞きたかった言葉を飲み込み、上辺だけの言葉を投げつける。

 聞いてしまえばきっと、止まる事など出来なくなってしまうのだから。

 

 ――どうして他の学校に長期手伝いの依頼をしていないのか。

 

「――では最後ですし、私の出来る限り書類は片付けちゃいましょう?」

“ううっ、マリーは立派なシスターだね……献上品にお菓子はいかが?”

「ふふっ、時間が来たらいただきますね」

 

 雑念を圧し潰すようにして、自身の蒙昧さに磨きをかける。

 きっと大丈夫なのだと、根拠皆無の信頼を向ける。

 

 それは単なる甘えではないだろうかと。

 心の奥底で響く声に蓋をして、最後の一日を楽しむことを徹底した。

 

 この中は何処までも安全なのだから、臆病なままで居て良いのだと。

 考えなければ何処までも甘いままで、微温湯に揺蕩う快楽を享受しても良いのだと。

 私は自然と張り詰めていた心をそっと緩めた。

 

 

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、時刻は定時を指していた。

 うだうだと残りたくなる気持ちを振り払い、追加で一泊してしまう前に私はシャーレから出た。

 

 夜風に当てられ、沸騰させていた頭からじんわりと熱が失せる。

 一度気付いてしまった違和感は、簡単に拭い去られる事も無く。

 黒い煙を上げながら、私の中で燻っている。

 

「……」

 

 聞きたかった。知りたかった。

 そして同時に、聞かない方が正解だったと思う自分が居た。

 冷めていく冷静な自分が、答えを導き出そうと必死に思い出を解体していく。

 抱いていたであろう熱が夜に溶け、色褪せて行く記憶に怯えながら、必死に、必死に――答えを探す。

 

「っ……」

 

 せめて胸に抱いた温かい気持ちだけは失せぬようにと、自身を軽く抱きながら。

 私は私の蛮行をただ耐えていた。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

 そうして、私の日常は戻ってきた。

 

 朝起きて人と語らい、昼食べて人を助け、夜床に就き孤独に清掃する。

 ――そうなる筈だった。

 

 サクラコ様が手を回してしまい(私の為を思ってだろうが)夜間の清掃を元の当番制へと変えられてしまった。

 ……私の特権は、そのままに。

 

 サクラコ様に聞けば、大体のシスターたちは事情を慮って納得してくれた――とは言われたが。そうでは無くて。

 これはただ私の気持ちが収まらないだけで。

 見せかけの偽善が疼き、日々の雑務を積極的に請け負ったりもした。

 

 今まで関わり合いにならなかった人たちとの交流が増える。

 ……汚泥が溜まる。

 

 作り笑いとシスター然とした振る舞いが強要される。

 ……汚泥が溜まる。

 

 明確な頭痛を奥歯で噛み殺しながら、笑顔で毎日を過ごす。

 ……汚泥が、溢れる。

 

 

「……うぁ?」

 

 そんな無茶な日々を過ごしだした結果、私は殆ど使われていない教会の椅子で居眠りをしてしまっていた。

 いけない、まだやらなければいけない仕事は山積みだと言うのに。

 

 最近は夜の寝つきも悪く、先程の微睡の心地よさに心奪われてしまいそうになるが、己を律することに関しては慣れている。

 くらくらと揺れる頭を抑えながら立ち上がり教会の戸を開ける。

 

 その時だった。

 

「――すか」

(……サクラコ様?)

 

 遠くから、サクラコ様の声が僅かながらに耳に入る。

 ピンと立ち上がる耳を自覚しながらも、扉を開ける手は止まってしまっていた。

 ここは碌に使われていない教会、こんな所で誰と何を話しているのか気になってしまったのだ。

 ――好奇心は猫をも殺すと言われていたのに。

 

「改めまして、マリーの件を受け入れて下さってありがとうございます。先生」

“困っている生徒を助けるのが私の仕事だからね”

(――…………え?)

 

 思考が、止まる。

 先生からの依頼では無かったのかと、受け入れとはどういう、信頼とは。

 言葉が湧き出、溢れ続ける。

 感情を整理する前に、サクラコ様たちが此方――教会に近づいている事に気づき、急いで扉付近から離れ物陰に身を隠した。

 

 ……いや待て。隠れる必要は何処にも無かっただろうと思った頃には遅く。

 そっと息を殺し、教会内に入り何かを話している二人の声に耳を澄ませる。

 

「そうだとしてもありがとうございます……私たちでは、マリーを助けてあげれませんから」

 

 助けてあげられないとは、なんだ。私は十二分に助かっているし、むしろ返せていない現状に不満を持っているほどだ。

 ……頭が痛い。

 

“あんまり自分たちを卑下しないで。サクラコたちがマリーを大切に思っている気持ちは伝わっている筈だよ”

 

 大切に思っているとは、なんだ。それは私がシスターフッド内で腫れ物のように扱われている現状を指しているのだろうか?

 …………頭が、痛い。

 

「そうだと良いのですが……一度、救護騎士団へ行ってみないかと聞いてみたのですが……自覚が、あまり無いみたいで」

 

 あの時の事だろうか。覚えている。何処も怪我をしていないというのに診療を進めるサクラコ様に困惑したのだ。

 ……それをどうして今話している?

 

“■■■■■■■■■かな……前に聞いた話だと対人恐怖症も併発しているんだよね?”

 

 待て。

 どうしてそれを。

 何故それを先生が知っている?

 なんで、サクラコさんは、それを当然のように受け入れている?

 

 

 

「――ええ、マリーには元のように戻って欲しいのですが」

 

 

 

 ぶつりと、何かが切れた音がした。

 

 

 

 あの後、二人は何かを話して教会を後にしていた。

 どれくらい後か、私は持ってきていた道具すらも忘れて教会の外へ出た。

 

 空は、冷たく私を見下ろしていた。

 

 既に当番の時間は過ぎていたが、最後にサクラコ様の居る教会に足を運び挨拶してからその場を後にする。

 酷い吐き気をと頭痛を誘発するような双眸と声だったが、上手く表面を隠せただろうか?

 いやきっと上手く行ったに違いない。

 私は、演技は上手いのだ。

 

 歩く、歩き、歩いて。

 私は見慣れぬ廃墟へと足を運んでいた。

 道中は分からないが、目的地は自然と理解していた。

 遅ればせながらも辿り着くだろう。

 そんな、気がした。

 

 既に躯は片付けられた地下の処分場、私はそこで一人立つ。

 染みついた血の跡は今も残ったままで、そこに混ぜるように自身の手首を切り裂く。

 

 一度、二度では大した量の血も出ない。

 意識を飛ばす事など到底出来ないし、お湯も無いから何度も切り裂く他に方法は無い。

 

 痛みに呻き、鮮血を新たに壁に塗りたくっていく。

 飛び散る赤をアクセントに、舞台で踊るバレリーナのように踊り狂っていく。

 

 一体何時までそうしていたか、立ち上がる気力も無くなり、痛みに喘ぐ事すらかなわない体は、腕に深く刻まれた傷から血液が漏れ出る様をただ眺める事しか出来なかった。

 血が地面に広がる様に、意識も体から離れて行く。

 きっとこのまま目覚める事など無いのだと悟りながらも、何処か心地よさを覚えて。

 

 マリーの意識は暗がりへと沈んで行った。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

 それは、マリーにとっては予想外の奇跡だった。

 

 幾重にも重なった血と一個体による大量の血液。

 多数の生贄と対象となる生物の死。

 それが、魔方陣の起動条件だった。

 

 物言わぬ躯と化したマリーが眠る地面が青白く光り、マリーを包み込むように光の粒子が飛び回る。

 ――不老不死の魔法。

 この部屋に伝えられた逸話だが、その真実は定かではなく本来誰も起動できずに朽ちるのを待つだけだった。

 

 だが、魔方陣は起動した。

 否、起動してしまったのだ。

 不完全な状態で。

 

『……』

 

 マリーは、マリーを見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 ♢ ♦ ♢ ♦ ♢

 

 

 

 

 

「……」

 

 丸一日。

 マリーが教会を去って24時間以上が経過し、時刻は20時過ぎを刻んでいる。

 既に部下であるシスターたちにはマリーの捜索に走らせているが、芳しい報告はあげられない。

 

(……あの時、止めていればよかったのでしょうか)

 

 サクラコは思案する。

 先生の力を借りマリーを預ける所迄は良かった。

 事実、帰って来たマリーは比較的社交的になって周囲と積極的に交流をするようになったのだから。

 

 だが、居なくなった日。

 最後に会ったマリーは、表情も相まってまるで人形のような違和感を感じさせる笑顔を浮かべていた。

 

(マリー……)

 

 何処かで間違えてしまったのかと想像力を巡らせる。

 けれど、幾ら思考しようとも答えが出てくるはずも無く――。

 

 不意に、スマホが鳴り響いた。

 画面を見ると、マリーの文字は確実に映っているのは分かった。

 

「――ッ、マリーですか? 今どこに」

『告解室で・お待ちしております』

 

 問い詰める前に、一方的に場所だけを指定されて通話は切られてしまった。

 

 告解室。

 マリーが言ったのであればあの場所だろうと嫌々ながら察してしまう。

 ……あの日、マリーが連れ去られた。あの部屋だろうと。

 

 マリーの声を抱きしめるようにスマホを胸元で握り締める。

 画面に走ったノイズに気づくことなく。

 サクラコは言われた場所へと向かうべく、立ち上がった。

 

 既に教会は閉められており、部外者は立ち入り禁止と成っている。

 当然、告解室も例外ではなく、告解室の扉も司祭室の扉も開け放たれていた筈だが。

 サクラコが見たのは閉じられた告解室の扉だった。

 

「……マリー?」

 

 返事は無い。

 だが、この先に居るような気配を感じる。

 一体、何故一日とは言え何も伝えずシスターフッドから飛び出したのか。それを聞いて欲しいのでは無いのかと、勝手に合点に行きサクラコは司祭室へと足を踏み入れた。

 

 司祭室は、ひんやりと冷気に包まれていた。

 少しばかりの違和感を感じながらも、サクラコは告解室と繋がる小窓を開いた。

 

『お待ち・しておりました_サクラコ様』

「マリー……!」

 

 だがそんな違和感も、マリーの声を聴いたサクラコにとって些事に変わった。

 つらつらと規律について説いた方がいいのか、それともまずは顔を見せて欲しいと言うべきか。

 

 そんなサクラコの思考を打ち砕くようにマリーは語りだしてしまったのだが。

 

『サクラコ様_一つ・告解させてください』

「……分かりました、聞きましょう」

 

 この性急さは珍しと思いながらも、そもそも今回の事態がイレギュラーだ。サクラコはしかと頷いた。

 何かが擦れるような音が響き、マリーは機嫌良さ気に答える。

 

『ありがとうございます・サクラコ様』

 

 では決まり文句からと、言葉を始める前にマリーは己が罪を吐き出し始めた。

 

『私は幾人も・幾人もの命が目の前で散って行くのを見流してしまいました_助けることが出来たかも知れなかった命でした_ですが・私は我が身可愛さで全て肉塊に変えてしまったのです』

 

 諫める事も出来た。

 だがサクラコはマリーの言葉に固まらせることしか出来なかった。

 

『助けて・と_その願いに対して私は・告発と言う形で全て報告に回して・私自身の価値を知らしめて助かろうとしていたのです』

「そ、れは……」

 

 仕方が無いと、言っても良いのだろうか?

 マリーが気に病んでいるのは恐らく、三つ。

 

 自身がシスターフッド所属でありながら他者の救済ではなく、むしろ立場を利用したような真似について。

 助けを求める弱者に救いの手を差し伸べる訳では無く、蹴落とすように事件の犯人に売り渡した事について。

 そしてそうまでして生き残った自分自身に対しての罪悪感について。

 

 サクラコは迷った。

 このまま話を聞いているだけで良いのかと、彼女は私に助けを求めているのではないのかと。

 

 決心の末、サクラコは

 

「いいですか、マリー」

 

 自身の言葉で答えることにした。

 

「貴方の罪を無くすことは難しいでしょう」

 

 答えて、しまった。

 

 

『ふふっ』

 

 

 笑う。

 その笑い声と同時に、サクラコは何かが割れるような音を聞いた。

 ……と同時に、告解室の鍵が開く音も。

 

「マリー!?」

『……今、許しの秘跡は破られました』

 

 サクラコは急いで司祭室から飛び出し、鍵の開いた告解室の扉を開ける。

 まだ声はそこから聞こえるのだ。

 ならば――。

 

「――なっ」

『サクラコ様、貴方も所詮変わらぬ肉の器の持ち主なのですね……私と同じ、ミスをする』

 

 だが、そこにあったのは古ぼけたラジオのみで。

 そこからマリーの声が流れているに過ぎなかった。

 

 ラジオ局? 否、そんな筈がない。

 だって、今先程まで告解室の扉は内側から閉められていたのだから。

 

 ――なら、どうやってラジオから声を出しているのか?

 

 疑問に思ったせいなのか、ラジオから流れるマリーの声が途端にノイズが走る。

 これだけが今あるマリーとの繋がりなのだ。

 サクラコはラジオに手を伸ばし告解室へと足を踏み入れた。

 

 反するように、サクラコの背後から足音が響く。

 告解室から丁度直線、それを理解しながらサクラコはラジオでは無く背後へと視線を向けた。

 

「……マリー?」

 

 それがマリーだと思ったのは、果たして偶然か。

 青白い肌にシスターフッドの前身であるユスティナ聖徒会の服に身を包んだ少女が振り返る様にしてサクラコを見ていた。

 顔は薄暗く見えやしなかったが、人魂のように青く光る小さな瞳孔だけがサクラコを貫いていた。

 

「待ってくださいマリー! シスターマリー! 返事を……」

 

 サクラコの嘆きも虚しく、ユスティナの少女はその姿を暗闇に消した。

 足音すらも、響かせないままで。

 

「……私は」

 

 追いかけることは、出来なかった。

 もう二度と会うことの無い決別の意思をしかと受け取ってしまったから。

 力が抜け落ちるように壁を背にその場にへたり込む。

 

 告解室から響くピンクノイズだけが教会の静寂を切り裂いていた。

 それは全てが手遅れだと示しているようで。

 

「私が、あの時に……」

 

 サクラコの後悔も罪悪感も、ただノイズに掻き消されて行くだけだった。




スレ内では載せられませんでしたが、コンセプトとなった歌は「さみしいひと」って歌です。
さ〇なかさんが絵を描いた方です。

なんか全然知らない有名な同名の歌があって滅茶苦茶ビビってる。

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