【名前がないので】その頃のHIDEYOSHI【名前を呼べないあの人】
本多藤吉郎はこのところ、ずっと奥三河を回って、土豪を説得していました。
『家康に付くか、武田の内乱に手を貸さずに、中立でいて欲しい』
こういう内容での交渉なので「手間はかからにゃーが、手柄にもならんでよ」と嘆く日々。
彼の今いる奥三河は、ほとんど手が離れてはいるが今川の土地で、しかも武田家の手が伸びて来ている最中の危険な場所。
そんな場所に単身投げ込まれているというのに、彼にとっては楽なもののようです。
まずは小さな事からコツコツと。村長クラスの小領主から始まって、その上へ、上へ、あるいは横へと顔と手を広げていきました。
一応は今川の勢力下、という土地ですので、寄り親寄り子制度というものが、一応は生きていて。
これは『大きな領主は中小の領主の、また領主は領民の、領民は自分の弟分や子分の。それぞれ面倒を見ろよ』という法律です。
これをやっておくと、自然とピラミッド型の組織と命令系統が出来上がるわけですね。これで戦への出席率も段違いになります。
それを下から逆に辿って、自分の人脈に変えていっているわけです。
さすがはのちの秀吉。人たらしのプロ。制度を使って、他家の人脈をハッキングしていますね。
彼はそうやって着実に土豪らの心の隙間に入り込んでいった結果、とうとう奥三河のトップ、奥平氏にまで辿り着きました。
奥平氏は、桶狭間までは今川に、姉川では徳川に、その後武田に内通、三方ヶ原では武田へと、くるくると立場を変えた典型的な『国境の国人』です。
今、その天秤は非常に揺らいでいて、このまま武田に付くか、同じ武田でも信玄ではなく勝頼に行くか。
今川は無いにしても、松平(徳川)か、あるいは織田、斉藤か。どこへ付くべきかを、非常に迷っていました。
そこへ導かれるようにピタリと収まりまったのが、藤吉郎です。やっぱりこいつ持ってるわ。
「武田家の曽根昌世から、実はこのようなものが……」
奥平氏の持つ重要地の一つ。のちに大きな合戦場ともなった
そんな場所にまで通された藤吉郎は、奥平氏の実権を握る奥平
「では、中を見させていただきます」
神妙な顔をしてそれを受け取りながら、藤吉郎の内心は喜びに満ちていました。
(気ン持ちええ~。ついこの間まで、頭を下げても相手にもされなんだ武士どもが、何ならワシの下手に出てくるの気持ち良すぎるわ)
急激に立場が変わった者にありがちな、多幸感と全能感。それが藤吉郎の脳を焼いているのです。
この気持ち良さがたまらなくクセになり、出世に血眼になる、脳内麻薬中毒者。史実の彼にも、おそらくそんな一面があったと思われます。
ただそんなジャンキーになっても、理性を失わない。なんなら更に輝くからこその豊臣秀吉。
「あ~、これはワナですわ」
書状をサラッと軽く読むや、そんな事を言いました。
これに慌てる奥平貞能。
「わ、ワナですと?」
書状の内容は要約すると『奥三河の土豪をまとめて、松平領へと侵攻せよ。武田家からも後詰は出す』というもの。
貞能は、このまま内乱が収まらない武田家に付くのが不安だったので、実行をためらい、藤吉郎に書状を差し出したのです。
まさかその内容自体に、何らかのワナがあるとは思っていませんでした。
そんな貞能に、藤吉郎は逆に問いかけました。
「では、この書状の内容。仮に、そう仮にですぞ。仮にですが、実行したらどうなっておりましたかのう?」
言葉を重ねて、いかにも重要な話なのだと思わせてから、相手にゆだねる。
そうして稼いだ時間で、藤吉郎はじっくりと書状を読み始めました。
だって 実は内容とか、まだ分かっていません から。
いや、考えてみてください。
諏訪にいた時も、彼はまだ文字は勉強中で、手紙を書けなかったのです。
それからさほど時を置いていない今、急にスラスラと書状が読めるようになっているわけが無いではないですか。
ではなぜ、藤吉郎は分かったフリをしたのかって?
ハッタリです。
ええ、ただのハッタリです。
差出人が、武田家で信玄の両目と言われる2人のうちの1人、曽根昌世であることから『あっ、これ謀略だな』と当て推量をしただけ。
『何かの策なんは間違いにゃーで、こう言っときゃー、勝手に答えを出してくれるじゃろ』
そんな思惑からの「実行したらどうなったか、考えてみて?」です。
『もう死ぬまで戦う、全部敵だ』と腹をくくった鳴海城に単身、交渉の使者に送り出されたのを始まりに。
本多正信に「今川を食う邪魔を武田にされたくないので、時間を稼ぎたい」と相談を受けて「武田家の内乱を長引かせる。そのために諏訪に独立してもらったら都合がいいですな」と答えた。
すると「じゃあやって来い」と、やはり単身で諏訪へ送られて。
思わぬ援軍を得て、無事に任務を達成。帰ってきたら「では奥三河を味方に引き込んで来い」と、やっぱり単身で送り出されて。
藤吉郎の松平家でのブラック労働な日々は、確実に彼のツラの皮の厚さとふてぶてしさをマシマシにしていました。
越えてきた死線の数だけ、強くなる。と表現するとカッコいいかもしれません。
「仮に、ですか。我が家がここらの家を纏め、松平を攻める。それが武田のワナだとすれば、約束の後詰は来ない。そうなると、まず勝てぬので、弱る。しかも松平とは明確に敵対する……」
そしてそんな藤吉郎のハッタリに、まんまと乗ってしまった貞能。
藤吉郎はその考えに、待ってましたとタダ乗りする。
きっと藤吉郎も弁舌のスキルを身に着けているのでしょう。主人公との間の、受け継がれる絆ですね。
「そう。武田家に文句も言い難い、弱い立場に追い込まれますな。そもそも曽根昌世のいる側の武田家は、少し前に諏訪で負けたばかり。松平家とやりあうだけの援軍など、出せるはずも無い」
「なるほど。ゆえに、ワナだと」
(よし。何とかなったで)
曽根昌世の事も、その謀略も。貞能から書状を出されて初めて知ったのです。
そこから口から出任せのハッタリだけで、奥平家を松平家へと転ばせた。言いくるめスキル大成功といった所でしょう。
「オノレ、曽根昌世め。我が家をなんだと思っておる」
一応はまだ武田家の傘下の土豪だというのに、謀略でツブされそうになって、怒りを露にしている貞能。
そんな彼を見て、藤吉郎はもう少し欲をかく事にしました。
「その曽根昌世。捕らえてみませぬか?」
「なんと?」
「一度直接話したい、と呼び出して…… なに、先程も言いましたが、今の武田家に兵を出す余裕はありませぬ。戦にはなりませんて」
「いや、しかし……」
さすがにしぶる貞能。こちらをワナにかけようとしたとはいえ『積極的に裏切って敵対する』という所までは、なかなか思い切れないのです。
しかしまたもや藤吉郎の弁舌が発動します。
「なに、命を取ろうとか、延々と捕虜にとか、そういう話ではありませぬ」
「では、どういうおつもりで?」
ニイッ と悪そうな、それでいて人を惹きつける笑みを浮かべて、藤吉郎は軽く言い放ちました。
「その曽根昌世という方を、こちらへと引き込もうかと思いましてな」
そして付け加えます。
「信玄の両目のうち、片方でも引っこ抜いてやったら、どんな顔をするのか見物だと思いませぬか?」
「ハ、ハハハ……」
カカカ と朗らかに笑う藤吉郎に、貞能は引きつったような愛想笑いしか出来ません。
『なんだかとんでもない事に巻き込まれたぞ。でも目の前のコイツを敵に回すのもイヤだな』
それが彼の正直な思いでした。
大きな流れに流されつつも、溺れてしまわないように、その流れの中をもがき、泳ぐ。
奥三河を束ねれば、数千の兵を出す事もできる奥平家といえども、そんな『国境の国人の宿命』からは逃げられないようです。
現代も戦国も。人の世というものの味は、いつだって世知辛いのかもしれません。
「さあて。これもどこまでが、あの人の予定通りやら」
急に表情が消えて、ポツリと呟いた藤吉郎のその一言を、貞能は聞こえなかった事にしました。
なにやら深い闇のような、得体の知れない何かを感じ取ったからです。
「聞こえざる、か。それが賢いと思うが、どうせ遅かれ早かれじゃ。そのうち巻き込まれるだろうから、覚悟はしとくとええぞ」
だから、続けての藤吉郎のよくわからない忠告にも、返事をしませんでした。
危険は回避するもの。それが戦国の国人領主の生き方なのです。
(ま、そんなだから、ワシらにええように転がされるんじゃが……)
それを横目に見ながら藤吉郎は『あの人』こと主人公の思惑を、その動きから考えてみました。
今は美濃じゃったな。どーせあの人のこっちゃから、何故か偉いさんにすんなり会って、何かオカしな事をしとるはず。
ワシは奥平家程度でも、そこそこ苦労したというに。やっぱりあの人は農民の出じゃにゃーて。
ほんで、美濃の斉藤家と、信濃の諏訪家。ついでにワシを通じてじゃが、三河の松平家。あの人は1人で、尾張のお隣の国の大半と顔をつないだ事になる。
ただ一国、伊勢を除いて。
ふむふむ。ワシら松平家と、諏訪家。その間の奥三河。富士の武田義信には声をかけておらぬが、それはこちらがやると踏んで、手を抜いたか。
それに加えて、あるいは越後の上杉家まで使って、武田家の包囲網を作るつもりかと思うとったが。
そうすると、武田家と直接領地が隣り合っとらん織田家は、ワシらへの支援程度はするじゃろうが、手が空くわけか。
そうか、それで伊勢にだけは何もしておらん…… いや、ワシが知らんだけで、何かしとるわ。あの人なら、絶対何かやらかしとるわ。
そう言えば、前に鳴海の一向宗を伊勢に流しとったな……
いったいいつから、どこまで仕込んどるんじゃ、あの人は。
目の前にいて、話しておる分には、むしろ軽くて分かりやすい性格に思えたんじゃが。
こうして離れて、遠くから行動だけを観てみると、どう考えても危険人物でしかないわい。
そんなあの人に、頭を下げさせるほど偉くなったら……
軽く想像してみた藤吉郎の背筋に冷たいものが走って、身体が勝手に身震いしました。
イカン。怖い。気持ち悪い。あの下げた頭の中で、絶対何かを企んどる。
そうかあ。偉くなると、あの人の策略にかけられる的の一つになってしまうんか……
じゃが、それでもワシは出世がしたい。
なんもかんもを、見返してやりたい。どうしようもなく、その思いに取り付かれとる。
これまでもそうじゃったし、これからもそうじゃろう。
……よし。とりあえずは偉くなっても、あの人とは仲良くしとこう。
何を考えとるのか、イマイチよーわからん人ではあったが、仲良うしとけばいきなりは悪いようにはせんじゃろ。
う~む。お袋さまや弟らが尾張におるっちゅ~だけで、怖くなってきたが、それも今更だからのう。
そうだの~。もう少し出世して屋敷とか貰ったら、呼び寄せるのも考えてみるか。
昔ネットを探し回った、個人サイトの小説なども紹介しようと思ったら、やっぱりだいたい閉鎖してて悲しい。
それらを記録してたはてなアンテナは、ログインに必要なメアドすら忘れて二度とアクセスできなそう。
そんな中、生きていた 輸送戦記 20話で完結済み。を推してみる。
元は5chが2chだったイニシエに、自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた という板で連載された小説の一つ。
ファンタジー世界に日本ごと召喚されたり、アメリカやソ連が召喚されたり、召喚されるのが現代じゃなくて帝国時代の日本だったり、あの板は今思うと色々な作品の原型というか、元ネタというか、先駆者っぽい小説が多々あったなあ。
空の資料館 という個人サイトにありますが、輸送戦記で検索しても見つかります。
F世界こと、ファンタジー世界へ日本召喚され、輸出入が死んで不景気な日本で中堅の運送会社に勤める人が、会社の仕事として向こう側の大陸へ。そこで騒動に巻き込まれて… という流れ。