武田軍襲来。その情報に私は当初激しく動揺して、滅茶苦茶ビビッていました。
だって武田ですよ。自国だけでは、民衆に飢え死にが普通に出るので、他国に集団で強盗に行く。そんなヤツらですよ。
しかもそれが常態化しているので、罪悪感とか、ためらいとか無いんですよ。
一切の躊躇無く、こちらを殺して奪いに来るんですよ。それも国が主導して!
しかも戦国最強と言われるほど強い軍団で、同盟を組んでも不可侵条約を結んでも、絶対にいつか裏切って攻めてきます。
その攻められる当事者のひとりに、いきなりなってしまったのです。それはビビるってものでしょう。
小一時間ほどは、思考停止していました。
「あれ? でも待てよ」
ですが冷静になって考えてみれば、今回の武田軍の移動ルートは山梨県から愛知県西部。しかも室町時代。
道が、ぜんぜん整備されていないわけですよ。
一旦南下して、東海道を西へというのが普通ですが、さすがの武田も、今川の領土になっている三河を無断で通れません。
たぶん。いや、いくらなんでも、やれないでしょう。同盟破棄10割を誇る武田でも。
盟友の敵討ちを口実にしながら、その盟友の領土を略奪しながら進軍とか、さすがに。
……しないよね? してないよね?
すごく不安ですが、確認できない事には話が進みません。だから今日のところは解散で。
油を絞った後の大豆に、摩り下ろした山芋をツナギに使った豆ハンバーグで、茶碗に残っていたメシを片付けて、今日の所はここまでとしました。
しかし余ってるんですよね、絞った後の大豆。こうして料理に使えないかと、試行はしているのですけれども。パサついてしまうので、ツナギが必須なんですよね。
パン粉はパン自体が無いし、卵は高いし。山芋もいいお値段ですし。何か丁度いい物はありませんかね。
牛馬に食わせてもいいし、肥料にしてもいいのですが。
食べられるし、栄養価も高いので、何かもったいないんですよね。
などと考えつつ、会計をしていると、看板娘の1人が思いつめた顔でやってきました。
「お願いします。あの人を許してやってください」
そして頭を下げられました。
ええ… こんな時に面倒くさそうなサブイベント、起こさないで欲しいんですが。
そもそも、あの人って誰?
ああ、この間クビにした元店長ね。この店よこせってトチ狂ったんで、叩き出したヤツ。
何をいきなり血迷ったんだか。
「あの人、わたしと一緒になるんだって。それで、雇われのままじゃカッコつかないからって…」
あほくさ… おっと、つい本音が出そうになりました。
それなら普通に相談しなさいよ。味噌煮込みうどん専門店でも作ってやって、こっちはそこへの仕入れで稼ぐとかすぐ考えてやったのに。
それをいきなり店ごと強奪する方向に走るって、ダメでしょう。
「あいつは裏切りました。だからもう、仲間じゃないんですよ」
そこはハッキリさせないといけません。ケジメやスジは大事。だってまともな法律とか無いんだもん。
特に民法は、大名が独自に分国法で定めていなかったら、掟や慣わしという、下手すると明文化すらされていないローカルルールが支配しています。
だからこそ、最低限の倫理は守らないと、信用というものが無くなってしまうのです。
でも情が無いって言われるのも、評判に関わるんですよね。
「ですが、あなたは違います。あなたが独立して、なにか店を、商売をやりたいというのなら、相談に乗りましょう」
それであいつを食わしてやるもよし、店員として使ってやるもよし。
カッコつかない夫として、妻に頭が上がらないまま一生生きていくといい。
そんな風にサブイベントをこなしつつも、東海道に網を張っていると、なんと武田軍が別方向から襲来しました。
確かに東海道以外にも、道はもうひとつあります。木曽路です。
長野県から奥三河あたりを経由しての、細々とした道です。
細々なので、大軍が通るには向きませんが、それでも4千人ほどの武田軍が、尾張へとやってきました。
緊急事態だと清洲城へと集まっている我々のもとへ、その知らせが届きます。
「ご報告します! 四つ割菱の旗を確認! 武田が現れました!」
そしてスックと立ち上がり、信行さまが堂々と命じました。
「よし。用意していた兵糧を、渡してやれ」
武田を迎え撃つどころか、歓迎して、兵糧を渡せと命じました。
え? また即行降伏ッスか?
そう思った家臣は、私だけではないはずです。ねえ、丹羽様。
私と一緒に兵糧の手配をしながら、信長様が生きていらしたらって、また愚痴ってましたからね。
ですがこれ。どうやら「予定通り」だったようで。
私達、旧信長派閥には、情報が降りてきていませんでしたが。
そう。現在丹羽様の助手っぽいポジなので、私も旧信長派扱いなのです。
足軽とはいえ、信行さまの下で戦っていたのですが。
しかも実は仕留めたとき以外、織田信長にお会いした事はないのですが。
あ、それと物頭に出世しました。事務方の重臣の丹羽様の、秘書的存在なので。
いや、秘書と言うか、補佐? サラリーマンなら部長補佐くらいですかね。
そんな一応は重臣なのに、ハブられていた丹羽様と私は、まったく知らなかったわけですが。
どうも信行さま。尾張統一に手こずっていた時から、武田に同盟を打診していたようなのです。
武田は、今川と北条と同盟を結んでいます。
この三国同盟により、北条は関東に専念でき、武田は諏訪など北へ領地を広げ、今川は三河、尾張へと対処できる。
今川義元の師匠、太原雪斎、渾身の策。
織田の武田への接近は、それを台無しにしようぜ! というムーブになります。
だって武田が織田と同盟を結べば、今川は織田を攻めにくくなりますからね。
そうなったら今川は、東の北条、北の武田、西の尾張、南は海と、どこにも勢力を伸ばせなくなってしまいます。
三国同盟を結んだ意味は? しかも発起人の今川だけ意味が無くなるとか。
それは武田の今川への裏切りでしょう。普通なら、そんな事はしません。
普通なら。
武田なら、ワンチャンあるかな。そう読んだ信行さまが、正しそうだから困る。
この武田を使って、今川への盾に使う計略は、意外と上手くいきそうでしたが、そうなる前にタイムアップ。
今川が織田に仕掛けてきてしまって、信行さまは即降伏してしまったわけです。
戦って、勝っても負けてもボロボロになっては、その先生き残れない。そういう判断だったのかもしれません。
家中の士気もやる気も、正直グダグダでしたし。この判断も間違いとは言えないから困る。
しかしそこで、まさかの事態。
歴史の修正力でも働いたのか。桶狭間にて、今川義元が討ち取られ……
……あれ。これって。この状況って、もしかして、つながってる?
「丹羽様。…………武田が来るの、やけに早かったですよね」
もしかして。
武田を盾にするのが間に合わず、今川が仕掛けてきたので、時間稼ぎをした…?
降伏して、従順であると見せて、義元を尾張へと呼び込んで。そこを山口親子を炊き付けて、 襲撃させる。
もし討ち取れたら儲けものだが、襲撃の事実だけあれば良い。
これで鳴海城を攻める大義名分と、今川を混乱させての足止めが出来る。
とはいえ鳴海城を織田家だけで落としても、あとを継いだ今川氏真に誉められて終わり。
しかし武田を呼び込んで、鳴海城を取らせたなら?
かねてからの狙い通りに、武田を今川との間の壁に出来る。
そして尾張は再び、織田家のものに……
「まさか、尾張を今川の支配から、解き放つために…?」
もしかして。丹羽様も同じような推測に、思い至ったのでしょう。
硬い表情で、それだけを言って、あとは口を閉ざされました。
しかしこっわ。
優柔不断に見えていた信行さまも、戦国の大名でしたよ。織田信長の弟でしたよ。
信長の遺体を前にして、ただただ信じられない物を見た。とばかりに立ち尽くしたり。
その後の統治も基本顔見せしないで、城にこもってばかりいて。
自民党下した後の野党連合みたいにグダグダ状態で、配下のまとまりがなくても、ロクに統制に動かなかったのに。
裏で、やる事はやっていたみたいです。外交は確かに、大名の仕事。
でも尾張国内の事を、部下に丸投げするな。
信長も、その父親も兄弟姉妹がたくさんいて、その子供も含めて織田シリーズは大量生産されていまして。
それぞれ律儀だったりちゃっかりしてたり、信雄だったり色々いますけど。
織田信行。彼は間違いなく信長の弟で、只者ではなかったようです。
しかし義元の仇を討つ。と攻めてきた武田が、味方という発想はありませんでしたよ。だって武田だし。
今の織田家は、今川に降伏した傘下の家。
武田は、その今川の当主の敵討ちにやってきた。
じゃあ味方だな。といえば、理屈の上では、そうなのですが。
しかし、まさか状況を動かして、武田を味方として呼び込むとか。色んな意味で怖い。
これで鳴海城のついでに大高城、沓掛城を取り返して。鳴海城を武田にお礼として譲渡して、狙い通りに今川との間に、武田がフタをしてくれたならば。
義元は亡くなったし、仇は討って義理は果たした。そういう感じに織田家が独立しても、わりと世間的には許されます。
今川的には許されませんが、そこは武田がカバー。
同盟を組んでいるのに、この武田の動きが許されない。と今川が動いたとして。
今の義元亡き弱った今川と戦えるのは、武田には願ったりな状況なわけで。
その火種にして、橋頭堡の鳴海城。
補給は、甲斐の国からは道が悪いし距離もあるしで、織田家に頼らざるを得ないので、当面織田家は安泰。
信行さまの目論見くらいは、当然のように読んでいるだろう武田信玄。
彼が「尾張を先に取るか」とか、考えてなければ安泰。
もしくは将来、今川を飲み込んで大きくなった武田が「次はお前だ」してくるまでは安泰。
武田が牙をむいてくるまで、武田相手に下手に出て好感度を稼いでおけば、また即行の降伏をキメられるかもしれないし。
そうなる前に、美濃か伊勢を攻め取れていれば、武田も戦をためらって、上杉なり北条なり、姉小路なりにターゲットを変えてくれるかもしれません。
頑張ってください、信行さま。
まあ、1番頑張らないといけないのは。
山口親子の次に、武田の相手しないといけない、三河の松平元康。のちの徳川家康ですかねえ……
山口親子は、尾張から来る武田と、駿河から来る今川の板ばさみ。
家康は史実どおりに三河で独立したら、清須同盟抜きで、西にも気を配らないといけないし、そのうち武田が来る。
独立しなかったら、たぶん三河武士が不満度を上昇させて、父親や祖父と同じく家臣による暗殺コース。
家臣らを説得できたら、しばらくは大丈夫かもしれませんが。それでもやはりいつかは、独立せざるを得ないでしょう。
……あれ? そういや秀吉はどこでしょう。
少なくとも、織田家中では見た事が無いんですが。