「ここが、酒場だよな」
あの後、サイトは屋根から飛び降り酒場へと向かっていた。
そして現在、彼の目の前にあるのは『シリウス』と書かれた看板が掲げられた建物であり。
サイトはその建物へと、足を踏み入れようとしていた。
外からでも伝わる程に中から楽し気な様子が伝わってくる。
サイトは深呼吸をした後に、意を決して。
酒場の入り口である扉を、押し開いた。
すると。
様々な種族が様々な話題を飛び交わさせる光景が彼の目に飛び込む。
「最近景気はどうよ?」
「だーめだ。素寒貧だねぇ全く!」
「近くで魔獣達がまた暴れたんだってよ。毎度のことながら怖いなぁ」
「そんなに心配しなくっても、警備の人がいるんだから大丈夫だって」
「はぁーまたフラレた。ったくよぉ、俺の何がいけねぇんだぁ?」
「元気出せって、奢るからよ!」
商人らしき人物達が笑い合いながら近況を語り。
仕事の途中で立ち寄ったのか、まだ若そうな男達が外の状況を話し合っていて。
これまた若い男の一人が落ち込んでいるのを、耳の長い男が慰めている。
そんな光景を見たサイトは、フードの中で耳を少し動かす。
忙しなく、顔も変化させながら。
しかしすぐさま気を取り直し、近くのテーブルをキョロキョロと見回していく。
話せそうな人物がいないか、探していくと。
他の人々とは違って、一人でテーブルに座っている人物を発見した。
顔は見えない。
外套を羽織り、その外套に付いたフードで顔を隠しているからだ。
全体的に体を覆うような外套であるのも影響して、どんな服を着ているのか、そもそも人間なのか別の種族なのかすら分からない。
しかし、サイトはそんな得体のしれない存在に声をかけに行く。
テーブルへと足を進め、その人物の前に辿り着くと挨拶をする。
「こんにちは!」
大きな声量、かつ元気な声色の挨拶を投げかけると、その人物は驚いたように体を跳ねさせる。
フードに隠れた顔をサイトに向け、少しの間が空いた後に挨拶を返す。
「えっ、と。こ、こんにちは。何か御用、ですか?」
少々か細くも、聞き取りやすい滑らかな声をフードの中の耳でしっかりと聴き取ったサイトは、その人物に人懐っこい声色で用件を尋ねた。
「ちょっと聞きたいことがあってさ。前の席に座っても大丈夫?」
ちょいちょいと席を指さすサイトにコクリと頷く仕草をするフードの人物。
彼は礼を一言添えて、席に座った。
「あぁそうだ、自己紹介してなかったよね? 僕はサイト。貴方の名前は?」
「わ、私はアリス。アリス、です。えぇっと、その。何が、聞きたいんですか?」
「アリスね。じゃあ、早速質問なんだけどさ。アリスは
サイトがそう話し始めると、アリスは急に席を立ちあがった。
そのまま勢いをつけて酒場の入り口に向かい、扉を慌ただしく開き出て行く。
一瞬の出来事に顔をポカンとさせるサイト。
しかし顔を振って、自身も席から立ち上がるとアリスを追いかける為に。
酒場から抜け出した。
―――――――――――――――――――――
逃げ出したアリスを追いかけるサイト。
人混みをかき分けながらもどんどんと距離が縮まり、とうとうサイトがアリスの腕を掴んだ。
するとアリスは、腕を振ってどうにかサイトの手を振り払おうとする。
人の視線が集まる。
二人はお互いの事で精一杯なのか、全く気づいていない。
「ちょっと待ってよ! なんで急に逃げたのさ!?」
サイトは叫ぶ。
その声色には納得がいかない、といった雰囲気が混じっている。
件のアリスはというと、先程までのか細い声とは裏腹に。
怯えを含んでいるものの、大きく聴き取りやすい透き通った声で叫び返した。
「そっちこそ、なんで追いかけてくるのぉ!? あのまま酒場で別の人に聞きたいこと、聞いちゃえばいいじゃない!」
「いやだって君、厄者に反応したでしょ? だから何かあると思って!」
その言葉にアリスの動きがピタッと止まり、サイトも思わず制止してしまった。
そこで、彼は気づく。
彼女の腕が、小さく震えていることに。
サイトがそうして動きを止めたその隙に、アリスは手を振り払うと。
また彼から逃げ出そうとした。
しかし、その時。
彼女の進行を阻むかの様に、大きな風が吹き荒れる。
アリスは転び混乱し、動きが止まる。
それはサイトも同様であったが。
すぐに起きた現象に見当が付いた彼は、同時に顔を珍妙に歪ませていく。
前方、主に転んでいるアリスの正面辺りを見れば、
「いったたぁ……なんで風? それに、鳥?」
「おい、アリスとやら。知っている事を教えろ。そうすれば、もうお前を追わないと約束する」
転び痛めた尻を撫でながら、困惑するアリス。
そんな彼女を気にする事なく、ハヤテは慈悲もなく問いかける。
通常、一般的な認知では鳥は喋らない。
獣族には鳥型の者もいるが、それは形態がそうであるが故だ。
だが、アリスの目の前の鳥は喋っている。
嘴を開き、鋭い眼光を彼女に向けながら、淡々とした渋く重い声色で。
困惑は徐々に増幅していき、やがて言葉が漏れる形として出てきた。
「しゃ、喋ってるぅ!?」
フードを被っている顔が見えていなくても伝わる程に、アリスは恐怖で怯えた声をあげた。
そんな様子を見たサイトはめちゃくちゃに、それはもう大層に慌ててしまう。
ハヤテは人前で喋ることを避けていた。
下手な混乱を起こしたくないのと、仮に喋る時はどうしてもその場で必要な状況であった場合に限りであるからだ。
だが今のハヤテは、周囲にいる人々を気にもせずに喋ってしまっている。
それは彼が、確実に今自身が喋るべきところであるからと判断したからであるが。
周りにいた多くの往来人は、ハヤテが喋っている事に気付いてザワザワと騒ぎ始めてしまった。
この状況をどうにかしようと、サイトは声をあげていく。
「す、すごいなーこのにんぎょうー! しゃべるんだなー!」
上ずった声で、サイトは周囲を誤魔化そうと大声をあげる。
それと同時に、ハヤテを持ち上げると腹部の辺りを押し込んだり翼辺りを動かしながら腹話術の様な動きを見せていった。
しかし、人々の好奇の視線は途切れない。
寧ろ、より人々を集めてしまっている。
困り果てた彼は、アリスに近づいて一言。
「アリス、立てる?」
しかしアリスは首を全力で振る。腰を抜かしてしまったのか、立てないようだ。
ならばとサイトは持っていたハヤテを放して、座り込むアリスをそのまま軽々と抱き上げる。
その抱き上げ方は、俗に言うお姫様抱っこ。
アリスは羞恥心に見舞われ、バタバタと腕を動かして抵抗を見せた。
「っ!? ちょ、ちょっと待って恥ずかし――――」
けれど、サイトは全く気にせず。
脚に力を込める様に膝を曲げていくと。
「しっかり掴まってて、よっ!」
とんでもない跳躍を放ち、並び立つ家の屋根に飛び乗ると。
そのまま別の屋根に順々に移るように飛んで、その場を後にした。
――――――――――
アストラに並び立つ家の屋根の上で、サイトとアリスは座り休んでいた。
サイトはこれといって疲れた様子は見せていないが、アリスの方は息を乱して顔面蒼白である。
「死ぬ、かと思っ、た!」
「ご、ごめん。あの場はあぁするしかなかったからさ」
「はぁぁ。もう何がなんだかって感じだよぉ」
すっかりへたり込んでいるアリスへ、申し訳なさそうにフード内の頬をかいて謝るサイト。
そうしてしばらく休んでいると、バサバサと羽音がサイト達の耳に聴こえてくる。
音の方へ顔を向けると、ハヤテが近づいてきていた。
サイトは手を振って迎え、腕にハヤテを乗せた。
「おっ、来た来た。……で、何で喋ったんだよお前?」
「情報源があるというのに、何も聞き出さずに終わるなどあり得ないと思ってな。いやまぁ、少し急ぎすぎた気持ちもあるには、ある」
普段からの調子で話す彼らの様子を見たアリスは、怯えた声を発しながら離れていく。
その怯えの対象は、全てハヤテに対してであろうが。
そんな彼女をハヤテはジッと見つめると、サイトの腕から離れて屋根へと着地する。
アリスと向かい合う状態になった彼がとった行動は。
頭を下げる、であった。
「えっ」
間の抜けた声をあげるアリスに、ハヤテはその姿勢を維持したまま嘴を開く。
「先程の騒動は俺たちに非がある。許してもらえるとは思ってないが、謝罪を述べよう。すまなかった」
ハヤテの謝罪に、サイトも続いて。
頭を下げて謝罪する。
「僕も。急に追いかけて、無理強いさせてごめんなさい」
彼らの謝罪を、アリスはジッと見つめる。
その表情にはまだ怯えが残っているが、けれど何かを決意したように。
口を開こうとした、その瞬間。
「楽しそうにしてんなぁ」
一番にサイトが、次いでハヤテが上を向き、アリスも少し遅れて上を向くとそこには。
容姿は人間のようだが、肌の色が紫で髪も紫色の短髪。
上半身は何も着ておらず程よく筋肉が見え、下半身にはパンクな刺々しいズボンと靴を履き。
背中に悪魔のような翼を生やし、特徴的な朱色の角を携えている。
そしてひと際視線を集めるのは、真っ赤に染まりきった不気味な目。
「俺も混ぜてくれよ?」
この場で最もどす黒い異形の存在が、サイト達の前に姿を現した。