光などまるでない、暗闇の中で。ランスは宙に浮いていた。
意識は朧げで、この世界は夢の中なのだろうと理解したランスは、ひたすらにその空間を漂い続けていく。
そんな彼の、三角の耳元に。誰かの声が呟かれた。
『お前が……お前がもっと、強ければ。我は苦しまずに、済んだかもしれない、のに』
ゾッと。背筋がざわつく声だった。誰のものなのかも、理解した。
ハスタの声だ。
その姿を視認する。身体中が凍り付き、今にも動かなくなりそうな獣龍。目隠しをされた筈の目から、恨みが伝わってくるようだ。
『あれしか、出来なかったのか? どうしてあんなにも、手をこまねいていたのだ』
冷たい声が、ランスに降りかかる。
そのまま、彼の耳には別の声も聞こえてきた。
『貴方が決意を早くに固めていれば、こんな面倒なことにならずに済んだかもしれないのに』
若く、少年らしさを備えたその声。サイトだ。兎の少年は立った状態で、呆れた視線をランスに向けて言葉を続けていく。
『メソメソしすぎなんだよ。弱っちいメンタルして、恥ずかしくないの?』
――――やめろ、やめてくれ。言われずとも、俺が一番分かっているから。
思わず耳をふさぐランスだが、そんな彼に追い打ちをかけるようにして、鋭い雰囲気を持った声が突き刺してくる。
『あんだけ俺が言ったってのに、結局何にも出来ず仕舞いかよ』
グラディス。夢の中では、彼すらもランスを罵倒していく。
『お前、何なら出来るんだよ? 大切な身内を亡くすことが、お前の仕事か?』
その一言で、ランスの心は酷く乱れていく。最早、壊れる寸前。
目を見開き、呼吸がままならなくなってきた頃に――――彼は、目を覚ました。
「っはぁ、はぁっはぁ、ぅえっゲホッゴホッ、ぐぅぅ……!」
生理的にえづき、目元に涙を蓄えながら————飛び起きた彼は口の端から溢れた唾液を拭っていく。
目覚めた場所はギルドに備え付けられた医務室で、ランスはベッドの上で寝かされていた。
シーツを思わず握りしめる。くしゃりと、形が歪に変わるほどに。
悪夢を見た。それも心を追い詰めるだけで、整理などつけられはしない、純然たる悪夢。
炎で炙られる悪夢を、ランスは何度か見ている。しかし、その悪夢よりも今回見た悪夢の方が。
「……あぁ、くそ。あんなこと、言うわけないのに。ハスタ兄さんだって、サイトだって、グラディスだって。皆、みんな。言うわけ、ないのに」
より、辛いものがあった。
辺りを見回す。一人で寝かされていた様で、人の気配はない。しかし、お見舞いの品として近くの机に少なからずの果物が入ったバケットと手紙が添えられているのをランスは発見する。
ベッドから床へと足をつけて、そのままバケットの下へと向かう。果物をジッと見た後に、手紙の方に手をつける。
中身を読んでみると、そこには丁寧な筆跡でこう書かれていた。
〘ランス。まず最初に、助けてくださってありがとうございます。貴方のお陰で、
読み終え、ランスはその手紙を握りつぶしそうになってしまう。
形が変わりかねない程に。強く、強く。
そうしてしばらく立ち尽くしていると、コンコンと木製の扉がノックされる音が聞こえた。
出入り口の方から、見知った声がかかる。
「ランスー、グラディスだー。入らせてもらうぜー?」
先ほど悪夢で聞いたものとは似ても似つかない、穏やかで落ち着いた声。
グラディスの呼びかけに、ランスは努めて平静を装った口調で答えていく。
「いいぞ、入ってくれ」
応答が聞こえてすぐに、グラディスが入ってきた。
そしてすぐにランスの下へと近寄ると、ジロジロと彼のことを見ていく。
少しして、グラディスは「ふんっ」と一つ鼻息を零すと、口を開いていった。
「まっ、身体の方は良さそうだな。無理して動いてんじゃないかって、ちょっと心配したぜ」
「……まぁ、な。色々と、迷惑をかけたようだ。済まない、グラディス」
「そこは、ありがとうじゃないのか? ……なんて、んな軽口言えるほど、お前も整理つけられてないだろうけどよ」
言いながら、グラディスは目元を拭う仕草を取る。その仕草の意図を読み取ったランスは、力なく笑った。
沈黙が、医務室を包む。
そんな中で、先に口を開いたのはランスだった。
「俺はこれから、どうすればいいのだろうな。兄を亡くし、俺自身この体たらくだ。まったく、情けないことこの上ない」
「……どうすればっ、て。んなの、兄貴の分まで頑張る以外に、何があんだよ」
「俺が、か? 厄者共々ミアには逃げられ、結局兄に命を救われた、この俺が? 何の冗談だ。俺にそんな資格、あるわけ――――」
言いかける前に、グラディスがランスの胸ぐらを掴み上げる。
衝撃で、机の上に置かれた果物が床へと落ちていった。
グラディスの目には、色濃く怒りが滲んでいる。魂を視る必要もなく分かりやすいその感情に、ランスは目を逸らす。
が、それをグラディスは許さない。意識を集中させる為に、胸ぐらを強く強く握りしめながら、口を開いていく。
「ぜってぇに、そんなこと言うんじゃねぇ」
「っ……うる、さいな。事実そうだろう。俺みたいな弱い奴が、兄の分まで頑張るなんて烏滸がましいことを言えるはずがないって!」
「弱いとか! んなこと関係ねぇんだよ! お前にとってハスタさんは、大切な人だろうが! そんな人の意志をお前は受け継いだ! その魂に、しっかりと刻まれたんだよ! だから……んな情けねぇこと、言うんじゃねぇ」
その声色に、悲しみの色が混じっていく。
ランスは、グラディスの表情を見た。感情が昂り過ぎてグシャグシャになったその顔つきに、酷く困惑していく。
時計の針の音が、嫌になるくらい鮮明に時を刻んでいくのが耳に入ってくる。
そうして、しばらくした後に。グラディスはランスの胸元に拳をゆっくりと押し当てて、更に言葉を続けていく。
「……確かに、最後になっちまった。けど、最後に話せたんだろうが。立派で、気高く、誇らしく。昔からよく知っていた、最高の兄貴だった。そうだろ?」
「…………」
「そんな兄貴の意志を繋いで、お前はお前らしく進めばいい。それに、もしお前が立ち止まりそうになったら……俺がまた
熱く、意志のこもったその言葉に、ランスは目を丸くする。
『魂命の渦』の時でもグラディスはランスの為に、自身の身が危険に陥ってでもハスタに向かっていっていた。
仲間だから。たったそれだけの単純な理由のみで、彼はランスを助ける。
そしてそれは、彼に限らない。サイト、ソウジ、アリス。フロスティア、ゲルダ、コトノハ。それに、ラヴィ―ネを救おうと尽力してくれたギルド員や協力者。
自身の知る限りでの人でさえも、皆一様に人の力になろうとひたむきに頑張っている。
そんな彼らの想いを見せつけられているのだから――――自分がこれ以上、くよくよしてはならない。
白毛の獣龍は、フッと。そこで、久方ぶりの緩く小さな笑みを浮かべていく。
「あぁ、そうだな。俺の気持ちの通りに、進めばいいんだ。そして、もし躓きそうになればその時は……また、
憑き物が少しだけ、落ちたような。そんな柔らかな表情を向けて、ランスはそう話す。
そんな彼に対し、グラディスも二カッと晴れやかな笑みを見せていった。
「あぁ、任せとけよ!」
まだ、事態が完全に解決したわけではない。
それでも彼らは希望を胸に、前を向いていくのだ――――。