『あぁ、愚かしい。何とも無様な姿を晒したな。なぁ? ■■■』
深く、深く沈み込んだ海中の真っ只中で。
意識を失いぐったりとしているアリスをしっかりと抱きかかえた状態で、自分達ごと風の衣で覆いながら窒息しないようにしているサイトの脳内に、その声は聞こえた。
サイトは、この声を無視出来ない。自身の負の側面、向き合わざるを得ない心の声そのものなのだから。
『……うるさい。黙ってくれ』
『ははっ、何が黙れだ? 厄者に突貫し返り討ちにあい、逆にギルドの皆々を危機に陥らせたではないか。これを無様と言わずして何という! 浅ましい行いによって、貴様は仲間を失いかけている!』
『っ、黙れって言ってるだろ! 絶対助けるんだ! 助けなきゃ、俺は————』
問答をしている最中に、サイト達は海流に攫われ海中を動いていく。
回り回る体。その勢いに、サイトも意識を失いかけたその時に————突如として、目の前に光が溢れ出した。
サイトは咄嗟に、その光の方向へと向かう為に体を動かす。
そして————————。
————————————————————————————
ゆらゆらと、意識は狭間に揺れていて。
自分自身の身体が、魂が、無事かどうかも分からない。
そんな最中に見えている、この光景は。多分走馬灯に近いものなのだろう。そうでなければ、あり得ない。そうでなければ、不可思議だ。
『兄さん、何してるんだよ。もう皆集まって……って、まだ仕事してたの? 今日ぐらい休んだって、バチ当たんないと思うけど』
この時の事は覚えてる。兄さんが自分の誕生日なのにも関わらず一向に食堂に来ないから、俺が部屋へ呼びに行ったんだ。
兄さんは俺に優し気な橙色の目で視線を送りながら、頭を撫でて返事をしてくる。
『ごめんなぁ、■■■。すぐに向かうつもりだったんだが……やっぱり困ってる人たちにはいち早く経過や成果を報告しないと、不安にさせてしまうだろう? だから、出来る分は終わらせておこうと思って、な』
『でも結局終わってないじゃんか……とにかくさ、早く食堂に行こうよ。俺もうお腹空いて仕方ないって』
『ははっ、分かったよ。じゃあ、行こうか。僕の好きな
何故、この時の記憶なのだろう。
温かな頃の、何の苦難も抱えていない時期の自分と兄の姿。
あぁ、そういえばこの頃にはもう既に……俺は兄さんに何も言えなかったんだろうな。
強くて、気高くて、優しい兄さん。
いつも皆の手本となって、先導し、動いていた兄さん。
そんな憧れの兄さんだったから……完璧だって思ってたから、何も言わなかった。
そう、何も。
『何故、物流が滞っているんだ? オウンズ家の癖に、こんな事も迅速に対応出来ないのか?』
『魔獣を、厄者を、災厄を早く討伐しろ! お前達の存在意義などそれしかないのだぞ!』
『勇者だなんだと大層に持て囃されちゃってまぁ……君なんてね、我々がいなければ碌に活動も出来ていないんだよ? 分かっているのかね、うん?』
場面が変わって、次の記憶に。
これは、兄さんが偉そうな大人たちに色々文句を言われてる時の記憶だ。
鮮明に覚えてる。特に、兄さんの苦しそうな表情を、覚えてる。
でも、兄さんはどんなに苦しくても……俺にその暗い
俺は、そんな兄さんに何の言葉もかけてやれなかった。
卑怯者、臆病者。
俺は兄さんに理想を当てはめて、そうであってほしいと願っていた。それが兄さんを苦しめて……兄さんは、独りでずっと辛くなっていたんじゃないのか?
お前は弱い
今も……兄さんその者になりきろうとしてるけど、全く出来てなくて。
出来ないのは、全部上っ面しか見ていなかったから?
俺は本当は、兄さんの事を何も知ることが出来てなくて————なのに、俺は。
俺は 「——
俺は 「——ト君!」
俺は 「——イト君!」
俺は、何だ?
何のために生きて、何のために————。
————————————————————————————
「っ!?」
目を見開き、サイトは起きた。
意識がはっきりと、鮮明になる。
自分が何かに寝かされていること。今いる場所は天井が異様に高い洞窟にも似た部屋の様な所であり、そして。横で椅子に座って、自身を心配そうに見つめているアリスの姿をサイトは確認した。
はたと、アリスと目が合った。
その瞳は驚きで見開かれ、涙を目尻に溜め込みながら安堵の声を漏らしていく。
「あっ……サイ、ト君? よかっ、た。よかったぁ……!」
「アリス……? ここっ、て————いっつ!?」
「あぁ、駄目だよ! 安静にしてないと……貴方、私を護る為に凄く繊細な力の使い方をしてたそうだから。神経がいつもより疲れてるんだって、医者の
身体中に走る痛みに呻きながらも、サイトは聞きなれぬ単語をしっかりと長い耳で受け取っていた。
妖。ラヴィ―ネでコトノハが話していた、魔獣とも違う未知の怪物。妖退治に特化した勇者の集団もいると話されていた筈。
その事を思い出したサイトは、痛む身体を無理やり起こして寝台から降りるとアリスの手を引っ張っていこうとする。
「アリス……ここは、危険だ! 妖がいるんなら、何をされるか分からない! 逃げよう!」
「えぇ!? ちょっ、ちょっと待ってよサイト君! 妖さんは私達を助けてくれたんだよ? だから————」
「————いいから! 俺の言う事を聞けよ!」
焦り、アリスの話を聞く事もせずに苛立ちながら叫ぶサイト。
そんな彼に、アリスはビクッと身体を震えさせてしまう。そして、そのまま委縮したように俯いてしまった。
サイトもそこで、自身が放った言葉の浅ましさに気が付き……雰囲気はどんよりと淀んで、最悪な状態となる。
どちらともが動けなくなってしまった、そのタイミングで。
「かっかっかっ! 起きて早々逃げようとするとは、
この場の空気を吹き飛ばさんとする豪快な笑い声が、遥か上の天井からサイト達の耳に届いた。
上方向に顔を向けていくサイト達。
すると、そこにいたのは。
鴉の様な嘴を持った顔。黒い羽毛を持った体格は引き締まりながらもしなやかな体躯であり、背丈はソウジと同じに近い。
服装や帽子は山吹装束であり、色味は紅色を中心として黒の挿し色が入っている。その帽子には黒色の羽飾りも備わっているのが見えた。
そして、更に目を引くのはその黒色の羽飾りと酷似した、背中から生えた大きな翼。
そんな見た目的には鳥種の
近づいてきた勢いで、凄まじいほどの豪風が辺りに吹き荒れサイト達は思わず顔を腕で覆ってしまう。
そして。
カンッ! と一本歯の紅い下駄が音を立てながら地面へと降り立ったその人物は、次いでまた豪快に笑いながらサイト達へと話しかけていく。
「かーっかっかっかっ! 愉快愉快! いやぁ、相も変わらず人類の間抜けな顔を見るのは気分が良いのぉ! 妖としてはやはり、こういう反応が見たいもんじゃわぁ!」
開口一番、失礼極まりない発言を繰り出した自身を妖と名乗るその人物に、サイトは嫌な顔を隠そうともせずにぼやいていく。
「な、なんなんだよあんた! 急に現れて勝手に馬鹿にして! 失礼過ぎるだろうが!」
怒りのままに言葉を発するサイト。そんなサイトを宥めようと、アリスが間に入っていく。
「ちょっ、ちょっと待ってサイト君! 私達を助けてくれたのはこの人だよ! 貴方が私を抱きかかえたまま気を失ってて、先に目覚めた私は途方に暮れて……そんな中でこの人は、私と貴方を担いでここまで運んでくれたんだよ?」
「はぁ!? 何でその時に逃げようとしなかったんだよ! 妖の話はコトノハから聞いてただろ! 危ない奴らだって知ってたんだろうが!」
「っ、だ、だから! 助けてくれたっていう事実があるじゃない! 本当にコトノハさんの話通りの存在なら、もうとっくに私達は何かされてるよ! 何をそんなに焦ってるのよサイト君!」
口論となってしまう二人。
しかし、サイトの方が冷静でないのは火を見るよりも明らかであった。
そんな二人の様子を、先ほどからジッと見続けていた鴉の妖。
彼はニマニマとした調子をしばらく保っていた……が、しかし。
「っ、焦ってなんか、ねぇよ! 俺は焦ってなんか……ちゃんと
その一言が放たれた、瞬間に。
鴉の妖から向けられる視線がサイトだけに移っていき————尋常でない程の
思わず息を呑むサイト。視線を向けられていないアリスも、その心を締め付けられるような圧に思わず怯えた表情を見せてしまう。
そんな鴉の人物は、その圧を一切崩すことなく口を開いていく。
「なんじゃ? 儂がちょいと圧を放っただけで怯んでしまうのか? 今の勇者というものは、存外脆いもんじゃのぉ?」
「……なんだよ、それ。馬鹿に、してんのか?」
「あぁ、馬鹿にしとるよ? ボーデン、並びにラヴィーネで活躍した勇者サイトというもんがどれ程の者か楽しみにしとったんじゃが……思っとった以上に弱そうなもんで、のぉ〜? 未熟未熟、滑稽じゃわぁ!」
鴉の妖の、喧嘩を売るような言葉。それは今の焦燥感に塗れたサイトの心には、酷く染み込んで……内に秘めた鬱憤、苦しみを解放させる要因となった。
敵意。しかしそれは余りにも無謀であり、癇癪を起こしているだけの、何の正当性もないもの。
『お■! サ■ト! 何■馬鹿■こ■をやって■る! そ■な行■は、勇■とし■相応■く————』
ハヤテの声も、届かない。最早ストッパーの役割を、果たすことすら。
今のハヤテには、出来はしない。
サイトの不出来な怒り。それに当てられたアリスは非常に心苦しくなっている……が、鴉の妖は意に介すことはない。
ニヤァ、っと挑発を含めた笑みを向けて、指をちょいちょいと自身の方へと曲げていった。
「————後悔すんなよ!」
売り言葉に買い言葉か、サイトは安々と挑発に乗って斬り掛かっていった。
鴉の妖は動かない。余裕の表れとも取れるそれに、サイトは怒りを滲ませながら剣を振るい————かけた。
ピタリ、と。風の剣は鴉の妖の目の前で止まった。
鴉の妖が何かしたわけではない。彼自身も少々驚いている。
止まった要因は……アリスが、鴉の妖を庇うようにして立っていたからだ。
その為に残っていた理性の欠片を総動員して、サイトはその攻撃を止めた。
が、滲み出る怒りが収まったわけではない。
サイトは荒れる矛先をアリスへと向けていく。
「どけ! 俺はソイツを斬る! 馬鹿にしやがって……ぜってぇに許さねぇ!」
「待ってよサイト君! この人は確かに私達を助けてくれたんだよ!? なんでそんなに冷静でいられないのよ! いつものサイト君らしくない!」
「うるさい! 俺はいつだって冷静だ! 兄さんみたいになろうとしてるんだ! なのに……あぁ、くそっ!」
アリスの静止の言葉に聞く耳を持たず、サイトは頭に血が上ったままの勢い任せに空いた片方の腕を振るう。
そんな彼に、彼女は————下唇を噛みながらも懸命に自身の想いを伝えようと声を張り上げていく。
「冷静じゃ、ない! とにかく落ち着こうよ!? 今の私達がすることは喧嘩じゃない! ヒノモトを……天火中を救うこと! そうでしょ!?」
「っ!」
「ほぉ?」
アリスの言葉が、部屋中に木霊する。
その言葉に目を見開き、驚くサイト。感心するように声を漏らす、鴉の妖。
部屋の空気はシン……と静まり、誰も声を発することはない。
そんな部屋の入り口から————間の抜けた声が、やって来た。
「しつれいしまぁ~す。兎の子の様子を……あれ、
現れたのは、紅いちゃんちゃんこに身を包んだ、医療箱らしき物を持った糸目で小柄な少年。
その背丈は普通の子供を想定しても尚低く、筋力の無い子供でも持ち上げられそうな程に小さいその存在は、てとてとと足音を鳴らしながらサイト達へと近づいてきた。
そんな少年に対し、オウソンと呼ばれた烏の妖は先ほどまで口論していたのが嘘のように上機嫌な声色で出迎えた。
「おぉ、
「はぁ!? お前、なに勝手に————」
「んぁ~? 安静にしてれば完治するもんだったんだけどぉ……あっ、オウソン様が何かしたんでしょ~? 面白がってちょっかいかけたりとかさぁ~」
「かっかっかっ! とにかく任せたぞ! 儂は一旦、ホムラにこ奴らのことを伝えてくるとするわ!」
ワラシと呼んだ小柄な少年に指摘されるも、なんの負い目もなしに豪快に笑い飛ばしていくオウソン。そして、彼はつむじ風を自身の周囲に起こすとそのまま姿を消してしまった。
呆けるサイトとアリス。そんな彼らを、ワラシはジーッと見つめていたかと思うと————二ッと笑みを浮かべて彼らへと話しかけていく。
「そんじゃま、た〜のまれちったからさぁ。兎の子は寝てくれるかなぁ〜? ちょ〜っと身体の容態を確認するだけだからさぁ〜」
「……素直に受けると思ってるのか? ふん、アリスがこいつらを信用するならそれでもいいさ。俺は外に出るから————」
「えぇ〜い」
サイトが外に出る宣言を仕掛けたそのタイミングで、ワラシはジャンプしてサイトの顔に謎の粉を振りかけた。
突然のことにサイトは反応出来ず、その粉を小さな黒い鼻から勢いよく吸い込んでしまう。
咳き込むサイト。次いで粉を振りかけてきたワラシを思い切り睨んでいく。
「げほっ、お前ぇ……! 妖って奴らはどいつもこいつも! 好き勝手、なやつ、らし、か、い……な……?」
徐々に、徐々に。眠気がサイトを襲い……やがて、バタリと床へと倒れそうになる。
すんでのところでアリスが支え、床に顔や前面の体をぶつけることはなかったが、アリスは困惑を隠せずにワラシの方を見てしまう。
ワラシは満足げに鼻を鳴らすと、医療箱と聴診器を取り出して寝台の近くにある椅子へと座った。
そして、アリスに一言。
「その子、そこに寝かせてくれる〜?」
ワラシの指示に素直に従い、アリスはサイトを寝台へと寝かせる。
そのまま診察を開始するワラシ。暫しの沈黙。
そんな沈黙が少し続いた後に……アリスは気になった事を、ワラシへと訊ねていく。
「あの、ワラシさんでいいんですよね? さっきの粉は一体……?」
「あれはただの眠り粉だよ〜。特に副作用もない安全な種類のやつ〜。効き目も早いしいい薬なんだよね〜」
「そ、そうだったんですね……はぁ、良かったぁ」
安堵する彼女に構わず、ワラシは診察を手早く進めていっている。
しかし話すこと自体に嫌悪を示してはいないようで、にこやかな笑みを維持したままにアリスの言葉を聞いているようだった。
そんなワラシの様子を察したのか知らずか、アリスは続けざまに質問を重ねていく。
「あの、ここってどこなんですか? あれよあれよと連れられて来たけど、実際のところは全く分かってないので……」
彼女の疑問に、ワラシはさらりと返答した。
「ここ~? ここはね~、『タカノマハラ』ってところでね~。おいらたち妖が管理する、
「タカノマハラ? それに、貴方たち妖が管理して結界石を守護してるって……助けてくれた時から思ってたけど、聞いてた話と全然印象が違うなぁ」
「あ~、おいらたち妖が人類を襲ったりしてるみたいなやつ~? まぁ~、半分正解で半分間違いみたいな感じかなぁ~」
ワラシの発言に首を傾げるアリス。
そんな彼女に、ワラシはこれまたあっさりと話していった。
「オウソン様に従って人類に味方してる奴と~、
コトノハの語った事の真相。妖側の簡単な事情はアリスを大いに驚かせながらも、無理やり納得するように頷いていく。
「な、なるほど。じゃあ、オウソンさんは味方側なんですね!」
「ん~、まぁ。そう思ってていいと思うよ~。君も兎の子も、色々目をかけそうだし〜」
「えっ?」
少し含みのあるワラシの物言いに、アリスは疑問の声をあげた。
しかしワラシは医療箱を片付け終わると、そのまま部屋を出ていこうとする。
と、不意にワラシは入り口前で立ち止まる。そして、くるりと顔をアリスの方へ向けながら。
「でも、そこの兎の子はちょっと危ないかもね~。色んな意味で~」
そう、言い放ち。とてとてと足音を立てながら部屋を後にした。
ワラシの言葉を受けたアリスは、悲痛な顔を眠るサイトへと向けると。
「……私は、貴方の傍にいるからね」
ポツリと、消え入るような声で呟き……兎の少年の手を、強く強く。
彼女は、握りしめていった————。