「頼む! このとーりだ!」
手を合わせて拝む。
頭をちょっと上げてうかがうと、その相手……伊集院レイはひどく不思議そうな顔をしていた。
「何故、僕がモデルをしなくてはいけないのだね」
「そりゃ、お前のように美しくて芸術的な素材をほっとくなんてもったいないだろう」
我ながらウソっぽいセリフだ。
「ぜひとも絵に描いてみたいんだよ」
伊集院はさらに不審の色を向ける。
「まあ、その気持ちは解らないでもない。だが君が言うとしらじらしいと言うか、何か裏がありそうで仕方がないのだがね」
「そ、そんなことはないだろう」
「ほう、それでは純粋に、君が、この僕を描きたくて仕方がないという訳だね」
ずいっと俺につめ寄ってくる。
うう……
「わかった、ごめん、悪かった。しょーじきに言います」
両手を上げて、まいったをした。
「今年の文化祭で美術部は絵の展示をするんだよ。でも絵の展示なんてそんなに人が集まらないだろ? そこで、なにか目玉が欲しいってことになって」
「で?」
「伊集院を描いたら少なくとも女子は呼べるだろう、と」
そーっと顔色を見ると、予想通りあきれた表情をしていた。
「まったく、絵画の展示に客寄せなど……確かにある程度は必要かもしれないが、そこまで必死になるとは変わった部だ。まぁ、昨年以上にそれを思い知らせる事などないだろうがね」
「ああ……アレ、ね」
去年の文化祭は公開デッサンだった。しかもヌードの。
訪ねてきた女の子にはさんざん言われるわ、やたら叫び声を上げる男子はいるわ、とにかく話題にはこと欠かかなかった。
モデルの前に陣取っていたのに優美ちゃんに引きずられてった好雄は、「後で絵見せてくれ~~~」と遺言を残していったが、集中できなくて俺のデッサンはまともに描き上がらなかった、というオマケつきだったし。
「たしかにやり過ぎだったよな。顧問が女じゃなきゃ『勉強の一環だ』というのも通らなかっただろうけど。……いや、許可されたのは今でも不思議だ」
と、今はその話をしてるんじゃなかった。
いや、むしろそれで、伊集院をくどき落とさなくてはいけない状況を思い出す。
「お願いだ、俺を助けると思って!」
「君を助ける義理などない」
「それじゃ、ほら、美術部を助けると思って」
「だいたい、どうしてそこまで人を呼び込まなくてはいけないのだね」
うっ……
「そもそも静かにゆっくりと鑑賞するべきものだろう。君がそこまで必死になる必要性は見受けられないのだが……どうやら、そうでもなさそうだね」
俺の顔色を見て、ニヤリと笑う。
「そうだね、その理由によっては考えてみようかな」
ぐぐっ……
「言わなきゃ……ダメ?」
「モデルがいらないのなら、それでもいいさ」
言いたくない。
言いたくはないが……
「……伊集院がムリなら、去年の方式でもいいって話で先生と女子が盛り上がってさ」
「去年、と言うとヌードデッサンだろう。何故そこで女子が盛り上がるんだい?」
「……モデルに……男子を使おうかって話で……」
「つまり、君、かい?」
「………………」
返事はしないが、伊集院はそれで察する。正確には俺をふくむ男子部員だ。
伊集院の顔がゆがむ。見たくないものを想像したんだろう。
「……それは、逆効果じゃないのかい」
「俺だってそう言ったよ! でも本気だか冗談だか分らないぐらい盛り上がってしまって何とも……」
「そんな下品で卑猥な出展に許可がでるわけなかろう」
そう思う。
そう思うけどもさ、
「去年の実績がある分、楽観してもいられないんだ。頼むよ」
伊集院はアゴに手をあてて、今度こそちゃんと考えてくれているようだ。
「……第一、仮に僕がモデルになるとしても、何故描くのが君なのかね。美術部員は他にも居るだろう」
「片桐さんって話もあったんだけど、女の子だといらぬ反感を買うかもしれないし」
「で、君である必要性は?」
仲いいでしょ、と言われたのは不本意なので口には出さない。
「いちおう、部長でもあるから」
「ほう、それは知らなかった。美術部はよっぽど人員不足らしいね」
ぐ……、
我慢我慢、これを逃したらヌードモデルだ。
「たのむ、この通りだ」
ふたたび両手を合わせて頭を下げた。
「別にヌードになってくれってワケじゃないんだし」
カァッ、と伊集院の顔が赤く染まる。
「あ、当たり前だ!!」
「ほんの冗談だろ」
「君の下品な冗談にかまっている暇はない」
そういえば、去年のヌードデッサンの時も真っ赤になって怒っていたっけ。意外と純情なのかもしれない。
「ごめん。あやまるから、一度だけでもモデルになってくれないか。そんなに手間は取らせないから、頼むよ。このとーり!!」
必死になって頼むと、「断る方が手間がかかる」と、一回だけという条件でしぶしぶ引き受けてくれた。
美術室に入ると、作業をしていた部員が一斉にこっちを見る。なにせ学祭展示の目玉となる絵のモデルだ。もっとも、男子は「助かった!」という顔だったけど。
「ハーイ伊集院くん、よく来てくれたわ!」
片桐さんが両腕を開いて大げさに歓迎する。
「彩子くんのためならお易い御用さ」
伊集院も手にキスでもしかねない態度で応えた。
ちぇっ。さっきまで、さんざんしぶってたくせに。
「ただ、僕を描くのが彼だと言うのは納得しかねるがね」
「ウチの部長じゃご不満? この間、市のコンクールでも入賞した腕の持ち主よ。彼ならきっと満足のいく絵を描いてくれるわ」
「片桐さぁん、プレッシャーかけないでよー」
「あら、事実じゃない」
せっかく片桐さんがほめてくれたのに、伊集院は鼻で笑う。
「しかし金賞を取ったわけではあるまい、僕を描くにはそれくらいの腕じゃないとね」
「よく知ってるわね」
「いや……彩子くんが金賞を取ったコンクールだからね、そのくらい当然じゃないか」
「その私が保証するわ。この間はたまたまそーだっただけで、彼の絵が金賞取ってもおかしくなかったもの。高校に入ってから絵を始めたなんてアンビリーバブル、信じられないわ」
「持ち上げすぎだって、そんなにほめても何にもやらないよ」
「うーん残念。職員室の前に飾ってる空の絵、欲しかったのにィ」
冗談めかしてそう言うと、片桐さんは「がんばってね」と自分の持ち場に戻っていった。
「じゃあ、座ってラクにして。適当にスケッチするから」
伊集院は背筋を伸ばしてイスに腰掛け、不敵な笑みを浮かべる。
「普通にしてていいって」
「僕はこれが普通だ」
そうかもしれない。いつもポーズつけてるようなもんだからな。
スケッチブックを開いて、そんな伊集院を描き出す。
それでも、一年の頃はもっとわざとらしいほどにキザな身のこなしだったから、少しは丸くなったかな……俺が見慣れただけかもしれないけど。
「そーいや、今年もクラス展示出ないのか? 好雄がなげいてたぜ」
「ああ、そう言えば彼はリーダーだったね。普段はそういった責任のある仕事はしないのに。ずいぶん張り切っているみたいじゃないか」
「あいつはお祭り大好き男だからな」
「『お祭り大好き男』ね、違いない」
くくっ、と笑う。
あいかわらず芝居じみてはいるが、前ほど小馬鹿にした笑い方じゃなかった。やっぱり、丸くなったよな。
「暇があったら考えてみるよ。もっとも、この僕に空いた時間などそう簡単に出来はしないのだがね」
……言うことはあいかわらずだけど。
雑談しながらも手を動かしていた俺は、一枚目ができあがりスケッチブックをめくる。
「ほう、もう出来たのかね」
「軽いスケッチだからな」
「にしても、いつぞやの時に比べたら随分と早い」
「……って、二年も前のこと言うなよ。あの時は絵を始めた頃だったからしょうがないだろ。悪かったってば」
一年の文化祭で似顔絵を描いた時のことだ。描くのに集中するあまり、何時間も伊集院をつきあわせてしまった。そういえば、あれから絵を描くことが楽しくなったような気がする。
「だが速ければいいと言うものではない、僕を描くならきちんと描いて貰わなくてはね」
「もちろんコレは下準備……ってコトは、正式にモデルやってくれるのか?」
伊集院はちょっと眉を寄せて、
「今日一日描いただけで、僕の絵を適当に描かれては困るからね」
仕方なく、という様子で言った。
「サンキュー!!」
手をつかんでブンブンと振ると、不快そうにその手をすぐ離す。
「ただし、場所はこちらで用意させて貰おう」
「なんで? ここじゃダメなのか?」
「僕は構わないのだが……」
伊集院はちらりと周りを見る。
「どうやら作業の邪魔になりそうだからね」
室内のほとんどが、手を止めてこっちを見ていた。
ムリもない、絵の出来によっては客足に差が出る展示の目玉だ。それに伊集院のファンもいる。伊集院を描く話が出て、真っ先に名乗りを上げた部員もいたからな。
「わかった、まかせるよ」
了解すると、満足したように伊集院は帰っていった。
***
次の日、俺は伊集院家にいた。
敷地内にある「アトリエ」という建物に通される。ここだけでも俺の家よりよっぽどデカイ。
「どれでも好きな物を使ってくれたまえ」
棚の中には、絵に関するありとあらゆる画材や道具がそろっていた。見覚えのある絵の具を手に取ってみたが、ひとかけらの日本語表記もない。とりあえずそれは棚に戻す。
「ありがたいけど、しばらくは必要ないよ。まだモチーフも決まってないし」
「モチーフ? 肖像画にモチーフが必要なのかね?」
「いや、いらなくもないんだけど、俺が描くのは肖像画じゃないから」
「肖像画じゃ……ない?」
「ほら、最後の文化祭だろ。ただ描いてもつまらないと言うか、何かテーマのあるものを描こうと思って」
「この僕に付き合せておいて、ただ描くのがつまらない、だって? 君は自分がヌードデッサンから逃れたいだけで、仕方なく引き受けたのかね」
「あ、ごめん、そーじゃなくて。いや、そーなんだけど、仕方なくじゃなくて、まだ何も考えてなかったから、題材が決まった分ありがたいよ。いつもそれで悩むからさ」
正直、貧乏クジを引いたという気もしないでもなかったが、いま言ったことも事実だ。いろんなものをスケッチしながらさまよったあげく一番初めの題材に決めた、なんてことも一度や二度じゃないし。
「とりあえずモチーフが決まるまで、ひたすらスケッチさせてもらうよ」
そう言いながらも、ラフスケッチは描き上がっていく。
「失礼します。お茶を用意いたしましたので、休憩されてはいかがですか?」
髪を二つに結ったメイドさんが入って来た。
ココア色のシンプルな制服とクリーム色のエプロンが可愛らしい。
「いらっしゃいませ、わたくし東美利と申します。なにかありましたら、いつでもお申しつけくださいませ」
俺に向かってぺこりと頭を下げるもんだから、あわてておじぎする。
「あ、ども、よろしく」
なんだか妙な返事だけど、俺と年も変わらなそうな女の子に改まってそんなこと言われても、どう返していいのか分からない。
「それじゃ、ひと休みしようか」
伊集院にそう声をかけると、ひとつ息を吐いて立ち上がった。
お茶とお菓子が用意してある隣の部屋で、しばしくつろぐ。
「ええと……何ですか?」
視線を感じて横に立っている東さんを見ると、ニコニコと嬉しそうに俺を見ていた。
「あ、申しわけありません。レイ様が学校のお友達をつれてきたのは初めてのことでしたので、つい。しかもレイ様の……」
「美利!!」
伊集院が強い口調で言葉をさえぎる。
「ここはいいから、下がりたまえ」
「はい。失礼いたします」
気にしてなさそうにニッコリ笑ったまま礼をすると、退室していった。
まるでガールフレンドを連れてきた小学生の母親みたいだ、なんて思いながら出て行ったドアを見ていると、せき払いが聞こえる。
「いつまで休憩しているのかね。それともデッサンはもう終了したのかな」
「ああゴメン、それじゃまた頼むよ」
「仕方がない、付き合ってやるとしよう」
伊集院は、それはそれは押し付けがましく言った。まあ、お願いしている立場だからしょーがないけどさ。
その後もとりとめのない話しをしながら伊集院を描いていると、コンコン、とノックの後にさっきのメイドさんが入ってくる。
「失礼いたします。夕食の用意ができましたので、ご案内いたします」
夕食? もーそんな時間か。
「あ、俺もう帰ります。おジャマしました」
あたふたと片付けようとする俺を東さんが止める。
「お客様の分も用意いたしましたので、めしあがっていってください。帰りはお送りしますので、ごしんぱいなく」
「いやでも悪いし」
「えっ、食べないんですか!?」
は? 何でそんなに驚くわけ?
「せっかく今日はレイ様の特別なお友達だっていうからはりきって用意しましたのに……。これ食べないで帰ったら、一生コウカイしますよ」
一生……そんなにスゴイのか?
たしかに伊集院家の食事なんてめったに食べられないし、クリスマスの時なんかも腹いっぱいなのについ食べてしまうぐらいうまかった。
一生モンの食事か……
「帰ると言うなら放っておきたまえ。どうせ彼の舌では趣向を凝らした料理もたいして意味を持つまい。それどころか食材を判別できるかどうかも怪しいところだね」
「それぐらい分かるよ!」
「よかった! それじゃめしあがっていただけるんですね」
……あれ?
「お家には連絡しておきますので、ごゆっくりしていってください」
東さんはにっこりと嬉しそうに笑った。
「モチーフは決まったのかね」
次の日もアトリエでデッサンしていると、伊集院が聞いてきた。
「きのうの今日で、そんな簡単に決まるワケないだろ」
正直言うと、まだ考えてもいなかったりするんだけど。
「この時間は僕がスケジュールを割いた上で成り立っている事を忘れてはいないだろうね。何日も押し掛けられる身にもなってみたまえ」
「分かったよ。俺も早く作業にうつりたいんだから、努力するって」
俺だって、コイツと何日も顔をつき合わせるなんてあまり考えたくはない。
「これだから庶民は困る。ただ努力すれば結果が出るというものではない。それ相応の積み重ねをして初めて……」
伊集院のセリフをノックがさえぎり、きのうのメイドさんが入ってきた。
「失礼いたします。お茶の用意ができました」
「ほ、ほら、休憩しよう」
助かった、と鉛筆を置いて立ち上がると、東さんはペコリと頭を下げる。
「本日お世話をさせて頂く、東由利です」
「いいですよ東さん、そんな何度も言わなくても」
「いえ、私は……」
「失礼な男だな、君は。前々から洞察力が欠けているとは思っていたが。もっと相手をよく見たまえ」
よく見ろって、何を?……あれ? そういえば髪も結んでないし、ちょっと雰囲気が違うような……
「きのうは妹の美利で、私は姉の由利です」
姉妹!?
「すっ……すみません!」
「いいえ、双子ですから間違われるのも当然です。気になさらないで下さい」
同じ顔だけれど美利さんとは違う、落ち着いた感じの笑顔で言った。
「うまいな、コレ」
むぐむぐと菓子をほおばり、紅茶をすする。
おっと、また行儀が悪いとしかられるかな、ときのうの夕食を思い出しながら伊集院を見ると、こっちのことなんか気にしてないのか興味がないのか、宙に視線を浮かしたままお茶を飲んでいた。
カップを受け皿に置くと、ふう、と息をつく。
「つかれたか?」
「い、いや、このくらい大した事はないさ」
そうは言っても、見られ続けるというのはけっこうなストレスになる。
俺も部活でデッサンモデルをやらされた事があったけどキンチョーするしロクに動けないし、クロッキー100枚描いた方がよっぽど楽だと思った。
なんか、リラックスさせる方法はないかな……
「!?」
「……何かご用でしょうか?」
ティーセットを乗せたワゴンの横で、由利さんが微笑む。
「あ、その……おかわりください」
「はい、ただ今」
ニコ、と笑って新しくいれたお茶を差し出された。
……おかしいな。刺すような視線を感じたと思ったんだけど、気のせいかな。
「そうだ伊集院。ちょっと庭をスケッチしたいんだけど、いいかな」
「庭を?」
「来るたびに思ってたんだけど、すごい庭だろ。一度ちゃんと描いてみたいと思ってたんだ」
「……君は本当に絵を描くのが好きなんだね」
あきれたように言われたけど、ほめ言葉だと受け取っておこう。
「それにホラ、絵のヒントになるかもしれないし」
伊集院は疑わしい瞳を向ける。
そりゃ、庭を描いてモチーフが浮かぶかと言われれば疑問だ。と言うか庭を描きたいがためのデマカセだし。
「防犯上、撮影も禁止しているんだが……そうだな、多少なら許可しよう」
「サンキュー! そうと決まれば早く行こうぜ!!」
立ち上がって伊集院の腕を引く。
善は急げだ。うかうかしてたら、やっぱダメとか言われかねないからな。
「ちょっ……待ちたまえ!! まったく、もう少し落ち着きというものを持ってくれないか。第一、道具も持たないで何をしようと言うんだい」
「あ、そうか」
隣りの部屋に置いてあるスケッチブックと鉛筆を取りに行こうとして、回れ右をしたら由利さんと目が合った。
ニコっと微笑まれたけど、その前に一瞬、すごい目でニラんでたような気がした……俺、何かしたっけ?
「うわあ……」
ぐるりと見渡すと、緑、緑……。
「相変わらずすごい庭だよなぁ。ここが同じ市内……いや日本だとは思えないよ」
目の前には映画で見たような庭園が視界いっぱいに広がっていた。その辺から貴族やお姫様の一人ぐらい出てきそうだ。
「当然だ」
目の前のおーじサマが言う。
「庭師が季節ごとに設計し、24時間管理して完璧なものを作り上げているんだ。そもそもこれはフランスの……」
いつものように自慢話が続くが、適当に流しておく。
「俺はあるがままの自然が好きだけど、こうして見ると作り上げられた緑の姿ってのも悪くないと思うな」
イスに座ると俺はスケッチブックを開く。
どこを取っても絵になりそうな風景だ。
「そういえば、君は風景画がメインだったね」
目の前に座った伊集院が言う。
うん、
さっきよりも表情が柔らかい。
「よく知ってるな」
風景と共に伊集院も描き出す。
さすがに非常識な男は、非常識な規模の庭によく似合っている。
「廊下に展示されていた絵もコンクールも、風景画ばかりだったようだから」
「そっちの方が俺に向いているようだし、題材も文句言わないからな」
伊集院はニヤリと笑う。
「君のような男に付き合う物好きは、そうは居ないだろうからね」
「いるじゃん、物好き」
そう言って、目の前の男を指さす。
「なっ……君が必死で頼むから、仕方がなく引き受けたのじゃないか!!」
「あ、うん、そうでした。感謝してます」
真っ赤になって怒る伊集院もついでに描いておく。
実際には使わないだろうけど、描くものが決まってないだけに多くのものを用意しておいて損はないだろう。
そう思いながら描いていたが、少しずつ、その筆がにぶる。
「ところで……その……」
振り返ると、数メートル後ろに黒服の男の人が立っている。
「どうぞ、私の事は気になさらずに。居ないものと思って下さい」
気にするなって言われても……
「外井は僕に害なす人間を排除するだけだ。君が何かしようとしない限り、岩と同じだと思いたまえ」
「そりゃ、何もしないけどさ」
さっきの由利さんの視線とは違うけど、みょーに威圧感がある。
緑の中に黒づくめの、しかも俺なんて片手でひねられそうなガタイの男が、背後で見張っているって……。
アトリエから外に出ようとしたらドアの横に外井さんが立っていて驚いたけど、どーせ伊集院家にいる限り監視され続けるんなら、見えないところでやってほしい。
伊集院の緊張がほぐれるのと対象的に、俺の緊張は高まっていった。
「ところで、君は人物画は描かないのかね」
「いや、部内でも人物デッサンはやらされたし、ちゃんと描いたこともあるけど……自分のペースで描ける静物画の方が気がラクで」
「その程度で、この僕を描こうなんて言うのかい?」
「う……」
たしかに苦手意識は持っていた。
一年の時、似顔絵描きで伊集院に何時間もつき合わせてしまったし、後で描くと約束した詩織の絵も上手く描き上がらなかったせいか、今でも人物画はなんとなく進んで描く気はしない。
でも、技術だけはそれなりにあるハズだ。
「だったら、自分で確かめてみろよ」
スケッチブックを渡す。
そこには話しながら笑い、怒る、伊集院の自然な表情が描かれているはずだ。
伊集院は険しい表情をしながら、どんどん赤くなっていく。……気に入らなかったかな。
パタンと閉じると、それを俺に突っ返した。
「ま、まあ、とりあえずは及第点と言う所だな」
「あくまでまだデッサンだからさ、本番はもっとがんばるよ」
「当然だ、そうでなくては困る。……失礼、ちょっと小用を思い出した。君は好きなだけ庭でも描いていたまえ」
伊集院は外井さんを連れて、さっさと行ってしまった。なんだ、トイレなら早く言えばいいのに。
よし、これで心おきなく庭が描けるってものだ。あ、いや、伊集院を描きにきたんだけど、やっぱ俺はこっちの方が性に合ってる。監視もいなくなったことだし、自然と鉛筆も走ってきた。
「…………様……その……」
「……………………」
「……失礼します!! お食事の用意ができましたけど!!」
「うわっ!!」
耳元で大声を出されて我に返る。
横には東さん……髪を結んでいないから由利さんの方、が立っていた。
「あ、食事?」
気づくと夕暮れ時になっていた。いつの間にか辺りにライトも照らされている。ナイター完備か?
「いや、きのうもごちそうになっちゃったし、今日はもう帰ります」
きのうは美利さんにノセられてしまったけど、そう何回も食べて帰るわけにもいかない。……たしかに、ものすごくうまかったけど、ナイフとフォークがクイズのようにならべてあるし、伊集院によるマナーの解答と解説つきとあっては、食べた気がしなかった。
「もう用意してしまいましたし、遠慮なさらないで下さい」
「でも悪いし……」
「お願いします!」
……へ?
由利さんは頭を下げていた。
な、なんでメシ喰う喰わないで、そこまでされなきゃいけないんだ? しかも俺が喰わせてもらう立場だってのに。
「レイ様はお一人で食事される事がほとんどです。私たち使用人はご一緒することはできませんし、いつもさびしそうで……。ご迷惑でなければ、レイ様のためにも召し上がってもらえないでしょうか」
そーいえば、きのうも俺と伊集院だけだった。
デカイ広間にふたりで食事ってのもどーかと思ったのに、いつもはあんな所で一人で食べているのか……。
「……俺の方こそ迷惑じゃないなら、かまわないですけど」
「ありがとうございます」
もう一度頭を下げると、本当に嬉しそうに笑った。
「それより……さっきは人違いしちゃって、本当にすみませんでした」
「え? いえ、さきほども言ったように、よくある事ですので気になさらないで下さい」
「でも、俺の事……怒ってなかった?」
「え、あっ……」
由利さんは見る間に真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい!! 私ったら……レイ様は昨日の事ばかり話すし、今日も私達の前では見せないような表情をなさっていたので……その……」
……ああなるほど。俺、ヤキモチ焼かれてたワケか。
って、男の俺に嫉妬してもしょーがないと思うんだけどなあ。
「……伊集院の事、好きなんだね」
「はい! レイ様は私の憧れですから!」
照れもせず、嬉しそうに言った。
大人っぽい態度の彼女は、その時初めて美利さんと同じ屈託のない笑顔を見せた。
「…………」
「…………」
シャッ、シャッ、と鉛筆の走る音がする。
「………………」
「………………」
カチ、カチ、カチ、と時計の音が聞こえる。
「……………………」
「……………………」
ポツポツ、と雨が窓をぬらす。
「………………………………」
「………………………………」
「…………伊集院、少しは楽しそうな顔しろよ」
さっきからつまらなそうな顔のスケッチばかりたまって、描く気もなくなっていた。
伊集院は窓を向いていた体をこっちにもどすと、一段と不機嫌な顔になる。
「……面白くない顔をしているのは、君の方じゃないか」
えっ、俺?
「庭が描けないからと言って、そんな顔しないでくれたまえ。まったく、君ときたら僕を描きに来たのか庭を描きに来たのか判らない」
「……………………ごめん」
「…………」
「…………」
俺の手も止まり、伊集院はさっきより不機嫌な顔で押し黙る。
あれから毎日のように通ってスケッチをしていたけど、指摘のとおり最近は伊集院より庭のスケッチが増えていた。
今日は雨だからと庭を描くのを反対されてガッカリしてたのは事実だけど……
「………………」
「………………」
雨と時計の音がさらに大きくなり、気まずい時間が流れる。
雨が降っている外よりも、どんよりと重い空気だった。
「……解かった、仕方がない」
「え?」
伊集院は突然立ち上がる。
「ついて来たまえ」
言われるままにアトリエを出、伊集院家の本館へと通される。
長い廊下を右、左、また左、と迷路を歩いているような感じだ。いやすでに迷い込んでいるのかもしれない。
帰り道さえ分からない道を案内人は黙って先を行く。さっきの声をかけづらい空気のまま、俺も無言で後をつづく。
このまま牢獄へと連れて行かれるんじゃないか?、なんて思っていると伊集院は大きなドアの前でピタッと止まった。
「ここなら君の仏頂面も少しはマシになるだろう」
その部屋はちょっとした広間になっていた。
一面に大きな窓があって、薄墨色の空と雨にけぶる庭が見える。
「……描いてもいいのか?」
俺は部屋の中に歩みを進め、窓のそばに近づく。そこから見える景色がそれだけで一枚の絵のようだ。
「君の顔を見ているとこっちまで滅入ってしまうからね。まったく、手のかかる男だ」
あきれたように、けれど温かな眼差しで言った。
さっそくスケッチブックを開いて描き出す。
伊集院っていいやつだよなー、我ながらゲンキンな気もするけど。表現方法がヒネくれてさえいなければもっと友達とかできてもいいはずなのに。
「……どうしたのかね」
「え?」
「あまり、筆が進んでいないようだが」
「い、いや」
たしかに、せっかく描きたかった庭なのに、なんだか筆が乗らなかった。
「そんなことないって。うん。こんなキレイな庭だし」
せっかく機会を作ってくれたというのに、「なんとなく」じゃ悪いような気がした。とりあえず話題を変える。
「そういえば、ここの景色って見たことあるような気がするんだけど」
「二日程前に向こう側から描いたじゃないか」
「あ、そっか、遠くの方に見えたのってこの部屋だったんだ。でも、なんか印象が違う気がするな」
「雨が降っているからじゃないのかね」
「うーん、それだけじゃない気もするんだけど」
「それなら多分、この庭がこの部屋のために作られているからだろう」
「は? この部屋のために?」
庭が、部屋のためって……どーゆー意味だ?
「この部屋の、この窓からみて一番美しく見えるように庭が設計されているんだ。ここは特別な来賓の為の部屋だからね、本来なら君のような人間は一生目にする事のできない……」
「はいはい」
伊集院もやっとエンジンがかかってきたようだ。
このデカイ庭がこの部屋から見るためだけに作られてるなんて、ゼータクな作り方だ。コイツの家は俺らの常識の範囲では片付けられないのは分かってたけど、本当にゼータクてのはこういうのを言うんだろうな。
部屋のための庭、か……そうだ、スキがなさすぎるんだ。
キレイなんだけど完璧すぎて、よく出来た写真を見せられているような、なんと言うか面白味がない。
以前、片桐さんが「整った美形よりは味のある中年や老人を描いた方が面白い」と言っていたのをそんなもんかなあと思ったけど、そんなもんなのかもしれない。
実を言うと、伊集院を描く話で片桐さんが辞退したもう一つの理由でもあった。
「……どうしたのかね」
「あ、ううん。それより、この部屋の中もスケッチさせてもらっていいかな、普段見られないようなもんもいっぱいあるし」
アンティークな机やら飾り棚やら甲冑やら、興味を引くものがいろいろあった。どれも描きでがありそうだ。
「好きにしたまえ」
仕方ないな、という感じに笑った。
「失礼いたします」
美利さんが入ってくる。
夕食の時間にしては早いかな、と思ったら伊集院のそばに寄って何か用件をつたえる。
「失礼、僕は少々席を外させてもらう。美利、彼が抜け出したり物を壊したりしないように見張っていてくれ」
「かしこまりました」
「……俺は動物か何かか」
伊集院が出ていったのを確認して言うと、美利さんが笑う。
「あのさ、ちょっと聞いていいですか」
「なんでしょう」
美利さんはニコっと笑う。
俺が伊集院家でまともに会話できる唯一の相手だ。ちょっと話が噛み合わない時もあるけど。
「俺、迷惑じゃないですか」
「どのへんが、ですか?」
「今だって用事ができたんだろ? 伊集院、忙しいって言うわりに俺につきあってくれるし、ジャマしてるんじゃないかと……」
「レイ様がそうしたいから、しているだけだと思います」
「いやでも、モデルの件だって俺がムリヤリ頼み込んだせいだし。あいつ、ああ見えてけっこう押し切られやすいだろ」
そう言うと、美利さんは嬉しそうにニコ──っと笑った。
何か、ヘンなこと言ったっけ?
「……以前もレイ様を描かれたことあるんじゃないですか? 鉛筆画の、横顔の絵を」
「ああ、一年のときに……って、伊集院がしゃべったんですか?」
「その絵をご自分の部屋にかざられているんです。わたしもいい絵だなーって思って見てました」
「えっ……」
伊集院が、俺の絵を飾ってくれてる!?
絶対そんなことしないヤツだと思っていたのに……うわ、それってすげー嬉しいかも。
「メーワクだと思ってたら、ここまで連れてきませんって」
「そう……かな」
もしかして、俺の絵に期待してくれてるってコトだろうか。
ひとまずホッとする。けど、気がかりはまだあった。
「でも、伊集院以外に迷惑かけているんじゃないかな……由利さんとか」
……あははは、と美利さんは苦笑いする。
「すみません、メイワクかけてるのはこちらのほうですよね」
「いや、そんなこと……」
…………なくもない気もするけど。
伊集院と由利さんの三人のときの、刺さるような視線はなんとも居心地悪くて、休憩中も休憩した気がしなかった。
「由利はレイ様のファン歴が長いから、家のもの以外がなかよくしてるのが受け入れられないんだと思います。だいじょーぶ、そのうちなれますから」
「……それって、由利さんが俺がいるのに慣れるってこと? それとも由利さんの態度に俺が慣れるってことですか?」
美利さんはちょっと首をかしげる。
「どっちが先でしょうね」
あははは、と笑って言った。
いや、笑えないんですけど……
* * *
「あれ、どーしたんですか先輩」
美術室に入ると、まだ時間も早いこともあって後輩が一人いるだけだった。
「美術部員が美術室にきちゃいけないのかよ」
「もー先輩ったらー」
しょーがないなー、と笑う。
「伊集院家で描いてたんじゃないんですか?」
「モチーフが決まらなくてさ。気分変えたら何か思いつくかと思って」
伊集院家で庭を描いちゃ夕飯を馳走になって、スケッチブックと腹は満たされど何も決まらないまま文化祭の日は確実にせまってくるわけで。どーにかして自分を追い詰めようと、伊集院にことわって今日は美術室に来た。
とりあえずいつもの俺の場所に陣取る。
「うーん」
白いキャンバスに伊集院の姿を思い浮かべる。
「うーん」
伊集院……伊集院……
「う──ん」
やっぱり、ただの肖像画ってのはダメかなあ。
「う───、出ねえ───」
頭をかかえて顔を上げると、後輩と目が合った。
ペインティングナイフを持ってはいるが、キャンバスの逆、こっち側を向いている。
「なんだよ」
「だって、おもしろいんですもん、先輩の百面相」
「このっ」
食パンを丸めてぴしっと投げると、「きゃー」とか言いながらそれをよけた。
ああ、平和だなあ。
伊集院家にいたらこんなやりとりはできないもんな。
「ったく、お前は何描いてんだよ」
あきらめて立ち上がると、後輩のキャンバスをのぞく。
青と白、海の風景だった。
「なんだ、けっこー進んでるじゃないか」
こんな早く来て、作業する必要もなさそうなぐらい。
……と言うか、やばいのは俺か。
「この色が、ちょっと気に入らなくて……」
ロイヤルブルーとセルリアン、明るめの青が全体に広がる。構成は悪くないけど、いまいち印象が薄い。
「ちょっと深みが足りないかもな。お前、いつももっと濃い青使ってたんじゃなかったっけ。こないだの絵の背景とか、すげーいい色だったよな」
「あれだとちょっと暗くなっちゃうんじゃないかと思って。それに先輩の空の絵、あれをちょっと目指してみたんですけど、どーやったらあの色が出せるんですか?」
あの絵? っても描いたのはけっこう前だからなー。どんなんだっけ?
「見たまんま描いただけだと思ったけど」
彼女は、はああ、とため息をついた。
「先輩といい片桐先輩といい、どーしてそんな簡単にあんなステキな絵が描けるんですか」
「簡単だったらこんな悩んでないだろ」
「でも先輩、描き出したら迷いナシって感じじゃないですか」
「そーでもないんだけどな……あのさ、マネして覚えるのも必要だけど、自分の持ってるものを大切にするのもいいんじゃないか? お前の青、俺はうらやましいと思うぜ」
「そ……そですか?」
まんざらでもない顔をする。
自分の持っているものを大切に、か。……そうだ、俺だって人物画だと思うからむずかしく構えるけど、自分の得意なモノ、風景画に伊集院がいるって程度に考えればいいんじゃないか。
「ところで、先輩はまた伊集院家に行くんですか?」
「うーん、どーだろうなー。伊集院は描かなくてもいいほどスケッチはしたからなあ」
むしろ、庭が描きたくて通っているようなもんだから。
「あーあ、せっかくレイ様がモデルだって言うから、毎日見られると思ってたのになー」
「あれ、お前も伊集院のファンだっけ? あいつのドコがいいんだ?」
「そりゃ全部ですよ!全部!! 涼しげな目元、スラッと伸びた手足、サラサラで美しい金髪、さらに超お金持ち! 誰も寄せつけない孤高の存在って言うんですか? どれを取ってもカンペキじゃないですか」
「誰も寄せつけない……どこらへんが?」
「もー、先輩ぐらいですよそんなこと言うの。この間びっくりしました、レイ様にあんなズケズケ言うなんて!」
それが悪い事でもあるように、後輩は言う。
と言うか、言われてるのは俺の方なんだけど。
「いやでも、しゃべるとけっこう面白いヤツだぜ。お前もいっぺん話してみろよ」
後輩は「とんでもない!」と首を振る。
「レイ様と話すなんて、とてもとても!! キンチョーするし何話したらいいか分んないし。雲の上の人なんですから」
「雲の上、ねえ……」
そりゃ、住む世界が違うと感じることもあるけど、生まれた所なんてそいつが選べるわけじゃないだろ。
勝手にイメージ作って、祭り上げられて。
寄せつけないんじゃなくて、周りが勝手に寄りつかないだけじゃないか。
「先輩……?」
たしかに本人も意識してそうしてるフシはあるけど、そんなんじゃ永久に本当の伊集院なんて分らないじゃないか。
孤独……孤高……独り……
「もしもーしっ。……こりゃダメだわ。先輩、『入っちゃった』みたいね」
後輩が目の前で手をひらひらさせているのにも気づかず、俺はかすかなイメージをたぐり寄せようとしていた。
「伊集院、ちょっとモデルになってくれないか」
休み時間にそう声かけると、伊集院は不機嫌を絵に描いたような顔を向けた。
「……君は、押し掛けるのも突然なら、居なくなるのも突然なんだね」
あ、
もしかして……
「ご、ごめん。俺、美術室で作業始めたって話してなかったっけ」
「聞いた覚えはないね」
ムスッとして言った。
「ごめん、悪かった! 描くものが決まったら一刻も早く描き始めたくて、うっかりお前に言うの忘れてた。ごめん!!」
「……解ったから、顔を上げたまえ」
不機嫌そうなままだったが、案外あっさり許してくれた。
頭を上げると、まわりでは「どーしたんだ?」という感じで何人もこっちを見ている。あ、悪い事したかな。
「それで、また少しモデルやってもらえないか」
「僕はもう、充分君に付き合ったはずだが」
「あの時はモチーフも決まってないまま、やみくもに描いてただけだから足りない所もあるんだ。頼む、ちょっとの時間でいいから」
「……解った。君の頼みは断る方が骨が折れるからね。ただし、これきりにしてもらおう」
「サンキュー。それじゃ、あっち向いて遠くを見つめてくれないか」
伊集院は芝居めいたしぐさで遠くを見つめた。それをまわりの女子がうるんだ瞳で見る。
キザったらしいが、絵になるのは事実だ。
「なんだ? 伊集院描いてんのか?」
好雄がスケッチブックをのぞき込む。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない。っつーか、伊集院んちに通ってるらしいのは知ってたけど、放課後はさっさといなくなるし最近は何言ってもうわの空じゃんか」
「俺、絵の製作に入ると、頭ん中それで一杯になっちゃうんだよな」
「まったく、僕が訪ねて行った事さえ気付かないんだからね」
伊集院は遠くを見つめたまま言う。
「え、お前来てたの?」
「ほらコレだ。君がいつもの時間に来ないから美術室まで探しに行ったというのに、僕の声は聞こえない、姿は見えていない、という様子だったからね」
「ごめん、特にキャンバス向かうとまわりも見えなくなってしまうんだ」
「彩子くんもそう説明していた。まぁ、その場は彼女に免じて退いたがね」
視線をこちらに向けながらもポーズはくずさず、俺も手を止めずに描き続けていた。
それを好雄が感心したようにながめている。
「しっかし上手いもんだな」
「俺だってダテに美術部の部長やってるわけじゃないんだぜ」
片桐さんに半ば押し付けられたせいでもあるけど。
「一年の時を考えたら信じられないよな」
「おうよ、この二年半それはもう血のにじむような努力を……」
「努力は自慢するものではない。凡人ほど過程を口にしたがる」
「分かってるよ、冗談だって」
キーンコーンカーンコーン、
何枚か書き上がったところに鐘が鳴る。
「あ、悪いけど昼休みもつき合ってくれ」
「えっ、ちょ……」
「じゃあ頼んだぜ!」
半ば強引に約束して自分の席に戻る。すぐに先生もやってきて、伊集院は言い損ねたように自分の席に戻っていった。
デッサンは描き上がったが、思ったようなものが描けなかったと言うか……伊集院の表情が硬い気がした。
ぶつくさ言いながらも、伊集院は昼休みもつき合ってくれた。
教室だと騒がしいかと屋上を選ぶと、ちょうど誰もいなくてふたり貸切り状態だった。
青空に筆でさっとなでたような雲が浮かんでいる。天気のいい日はまだ暑いぐらいだけど、空はもう秋の色だ。
それをバックに伊集院は再びポーズをとる。
「……ごめんな」
「え?」
「製作始めた事、ちゃんと言ってなくて」
「それについてはすでに謝罪を受けたし、君の非礼は今に始まった事じゃないから気にする事はないさ」
ケチをつけられてるのか許してもらえたのかよく分からない。
でも、その表情からはさっきの硬さは消えていた。
うーん……
「しかし、アトリエを使ってくれて構わないと言ったのに、美術室で描いているとはね」
「さびしい?」
ニヤッと笑って言ってみると、伊集院は眉を上げる。
「確かに口数の多い男が居なくなって、我が家はこんなに平穏だったかな、と思う事はあるがね」
ちぇっ、かわいくねーなあ。
「やっぱ道具も使いなじんでるし、昼休みでも行ったりできるからな」
「ところで、モチーフは何に決まったのかね」
う、やっぱソレは聞かれるか。
「あー……えっと…………ナイショ」
「何だね、それは」
伊集院は眉を寄せる。
テーマとかって改めて口に出すのも照れくさいし、じゃなくても今回は……そりゃ考えたのは自分だけど、伊集院に言ったらどんな反応されるか……
どーにかして話をそらせないかと考えていたら、屋上のドアが開く。
「あ、ソーリー、ごめんなさい。ジャマしちゃったかしら」
救世主は片桐さんだった。
「へーきへーき。何か用?」
「先生が文化祭の打ち合わせがあるから、放課後に職員室まで来てって」
「……副部長、まかせた!」
びしっと片手を上げると、片桐さんは「やっぱりね」という顔をする。
「俺の絵が間に合うかどーか、ってトコロなのは知ってるだろ。頼むよ」
「オーケー、いいわよ、貸しにしといてあげる。後でまとめて返してね」
バチン、とウインクする。
片桐さんに貸しを作っとくと後がコワイ気もするけど、背に腹は変えられない。
「ふうーん、ナルホドね」
片桐さんはスケッチブックと伊集院を見比べて、ひとり納得する。
伊集院はと言うと、ポーズをくずしてこっちを見ていた。
あれ? また表情が硬くなってないか?
「彩子くんは彼が何を描こうとしているのか、知っているのかい?」
あっ、反則!
せっかく話がそれたのに、ヒトから聞き出そうとするなんて。
「んー……絵を見るかぎり、ガケの上に伊集院くんが立っている……らしいけど、今のところはサッパリ」
俺はホッと胸をなで下ろす。
「ま、まあいいじゃないか、出来てからのお楽しみってコトで」
「出来上がったら目も当てられない、では困るがね」
「だいじょーぶ、私が保証するわ。声かけても気づかないくらい集中してる時って必ずいい作品が出来るから。伊集院君も文化祭まで楽しみにしてましょ」
「まあ、彩子くんがそう言うなら……。しかし僕を描く以上、中途半端な物は描けない事を肝に銘じておきたまえ」
「はいはい、分かってるよ」
「それじゃ、がんばって。シーユー、またね」
片桐さんが出ていったのを見届けると、再び信用のない眼差しをこっちに向ける。
「彩子くんはああ言ってたがどうなんだ、自信はあるのかい?」
「自信ある……とも言えないけど、まだ途中だし。でも筆がのってるのは確かだから、間違いはないんじゃないかな」
「もちろん、そうでなければ困るのだがね」
いつものように、えらそうに言って口の端を上げる。
そう、伊集院家にいる時のように……あれ?
教室にいる伊集院はいつもと同じなのに、描いてみたら硬い表情をしていた。つまりはいつも硬い表情をしているのか?
「……どうかしたのかい?」
ここで描いていた時は自然な表情だったのに、片桐さんが来たらまた硬くなった。
「うーん……?」
コイツでも普段は気を張っているんだろうか。
家にいる時は気を抜くのは当然としても、ここで描いている時も柔らかい表情をしてるって事は俺に気を許してくれてるって事なのか?
「……おい」
気づくと目の前に伊集院がいた。
その顔は教室にいた時よりずっと自然だ……と思ったらまた硬くなる。いや、赤い?
「……へ、返事くらいしたまえ!」
伊集院の顔は真っ赤に染まる。
もしかして、照れてる?
「な、なんだね?」
俺がぷっと吹き出すと、伊集院の顔はいっそう赤くなる。
「いやーかわいいな、お前」
ぐしゃぐしゃと頭をなでると、真っ赤になってその手を払う。
「止めたまえ! なっ……何を考えてるんだ君は!! ……まったく」
乱れた髪を直しながら、不思議そうな顔をする。
整いすぎてる?孤高? ……とんでもない!
正面からつき合ってみると、すげー面白いやつじゃないか。
「……なあ、またお前ん家の庭をスケッチしに行っていい?」
「僕は忙しいと言っているだろう」
でも、それは否定の言葉ではないはずだ。
「お前に付き合ってもらわなくても、一人で描くからいいだろ」
「勝手に歩き回られては困ると言っているんだ」
「んじゃ、伊集院がヒマな時でいいや」
「僕に暇などない」
「はいはい。忙しいお前の、ちょっと空いた時間を俺にくれよ。頼んだぜ」
伊集院は困った顔をしながらも、けして「嫌だ」とは言わなかった。
「ねえ、もうちょっと落ち着いたら?」
文化祭当日、行ったり来たり、立ったり座ったりしている俺を見て、片桐さんはなだめるように言った。
「気持ちは分かるけど、描いちゃったものはしょーがないでしょ。ドンウォーリー、心配しないの。とってもステキな絵じゃない」
「って言っても……なあ……」
俺だって出来は悪くないと思っている。悪くはないけど……。
「あ、レイ様!」
誰かが声を上げたと同時に、俺は逃げ出す。
「ウェルカム! ようこそ伊集院くん、待ってたわ」
片桐さんは俺の首根っこを捕まえたまま、にっこりと微笑んだ。
「この僕がモデルをしたからには、見ないわけにもいかないからね」
「うちの部長に案内させるからゆっくりしていってね。さあ、どーぞどーぞー」
伊集院にムリヤリ俺を押しつけた。
うう、ヒトゴトだと思って。
「君の絵は……」
「あっ! ほらコレ!! なかなかいいだろ」
「ふむ……まだ荒削りだが、悪くはないね」
「だろ? この青の使い方が絶妙でさ。マネしてみたりしたんだけど、なかなか同じようにはいかないんだよな。あ、こっちは一年生だけど最近力をつけてきて……」
「解説はいいから、君の絵は何処だい」
う……
「もしや、この後に及んで完成してないなどと言うつもりはないだろうね」
俺の反応を見て、伊集院は眉をひそめた。
「完成はしてる」
「完成したが失敗作、と?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
伊集院は腕を組んだまま、イライラと小刻みに指を動かす。
「煮え切らない男だな。いいから早く何処にあるか言いたまえ、僕にはその絵を見る権利がある!」
これ以上引き延ばせそうもなく、俺はまっすぐ前を指す。
「……そこ曲がって、正面のところ」
伊集院はつかつかと行ってしまう。
俺も重い足を引きずってその後を追った。パネルの角を曲がると俺の絵と、その前にボウゼンと立つ伊集院の背中が見えた。
……だから、見せたくなかったんだ。
「あっ先輩、コレ評判っすよ!」
近くにいた男子部員が駆け寄ってくる。
「いやーいいですよね、この『戦いの女神』!」
あ……
「さっきもオレの友達が『美人だよなー』ってホメてましたよ」
目の前に立った伊集院の肩がワナワナと震え、耳が見る間に赤く染まっていく。
「ふ、不愉快だ! 失礼させてもらう!!」
伊集院はそう言い捨てると、怒って帰ってしまった。
後輩は不思議そうに俺を見る。
「先輩、オレ何か悪いこと言いました?」
「いや、あいつはいつもあんなんだから、気にしなくていいよ」
後輩は別に気にした様子もなく話をつづける。
「でも先輩、始めは伊集院レイを描くって話でしたけど、やっぱ題材変えて正解だったと思いますよ。これなら男女とも評判いいですもん」
「あ……ああ、そうだな」
俺が描いたのは「英雄」だった。
鎧をまとい剣をかまえてガケに立つ、孤独な勇者として伊集院を描いた。……つもりだった。
描き上がって改めて絵を見るとそれは女性にしか見えず、モデルの話を知っていた部員でさえ「ソレ」を伊集院だとは思わなかったようで、いつの間にか「戦いの女神」とまで名付けられていた。
絵を描き始めてからロクに話をしてなかったのが幸いしたらしいく、伊集院をモデルにした話もなかった事にしておいた。
いや、モデルが分からなくなるのが幸いと言っていいか疑問だけど、伊集院だってイヤだろうし俺だって不本意だ。
そんな俺の心情は置いとかれたまま、「戦いの女神」の評判は上がる一方だった……
ぼーっとイスに座っていると、目の前に缶ジュースが差し出される。
「おつかれ、部長さん」
「サンキュ。副部長もおつかれさま」
片桐さんは隣りのイスに座って、自分の分のジュースを開ける。
「最後の文化祭も終わっちゃったわね」
「ああ、そうだな」
パネルを片付けた教室はガランとしている。
夕焼けが奥まで入り込み、文化祭の終わったさびしさを盛り上げていた。
「大成功だったわね。やっぱり『戦いの女神』のおかげかしら」
「……だから、違うって」
あっははは、と面白そうに笑った。
「なんで、アレが女神になるんだよ」
はあああ、とため息をつくと、片桐さんは軽く肩をすくめた。
「しかたないわよ、モデルが伊集院くんだもん」
「だよなー、あいつがやたら華奢なのが悪いんだよ」
画面構成のために髪をほどいてなびかせたのも悪かったが、無骨な甲冑と対称的に間からのぞく手足があまりにも細く、かえって女性的な印象を強めていた。
描いた俺でさえ伊集院だと思って見なければ、別人に見える。
「男から『美人だよなあ』って感想もらった時はフクザツだったよ。なんかダマしてるみたいでさ」
……今日はすごくつかれた。
ただでさえ本人の反応が怖かったと言うのに、「女神」をほめられるたびに俺はよろこぶどころか後ろめたくなっていった。
片桐さんはちょっと考えるそぶりを見せた後、バンと俺の背中を叩いた。
「美の前には性別なんてささいなモノよ。ドンマイ、気にしない気にしない」
ううーん。そうかなあ……。
「ま、思ったモノと多少違ったとしてもいい絵が描けたんだし、展示も成功したんだからよかったことにしときましょ。……ヌードデッサンがなかったのはチョット残念だったけどね」
「あのね」
「表向きには伊集院くんのモデルがなくなったんだからその話も出たのに、先生ったら『冗談に決まってるじゃない』だもんね」
そりゃ分かってはいたけど、それを聞いた男子部員は心の底からバンザイをしたものだった。
「展示の片隅でちょっとやらせてくれてもよかったわよねぇ」
片桐さんは意味ありげにこっちを見る。
「いいよ。ふたりっきりでなら、ね」
ニヤリ、と笑い返す。
俺だって負けてばかりじゃいられない。
「ワオ! グッドタイミング! ちょうどパネル返しにみんな出ていっちゃってるから、ここでやりましょ!」
どこから出したのか、スケッチブックと鉛筆を持ってぐいっと身を乗り出す。
……負けた。
俺の反応を見て片桐さんは「冗談なの?つまんない」と座り直した。
まったく、どこまで本気なのか分からない人だ。
「ところで出すんでしょ、目展」
「一応、そのつもりだけど」
目展といえば、日本でも一、二を争う美術団体の展覧会だ。入選すればそれだけで芸術家として認められるとも言える。
もちろん入選できるとは思ってないけど顧問にも勧められていたし、腕試しに出すだけ出してみようと思っていた。
「題材は考えてる?」
「いやまだ全然」
「じゃあ、伊集院くんを描いてみるのってのはどう?」
「伊集院を?」
意外な言葉だった。
俺が人物画を好んで描かないのは知っているし、彼女も伊集院という題材に魅力を感じていないようだったから。
「前から人物画も悪くないって思ってたけど、やっぱり描かなきゃもったいないわよ。あの絵、すごく表情もよかったじゃない。寂しげで、けれど内に秘めたモノを持ってるってカンジで。
前に伊集院くんを描いてもつまらないって言ったのは取り消すわ。伊集院くんってもっとお人形みたいに出来上がった表情しかしないと思ってたけど、あの絵とか屋上で描いてた時とかとってもいい表情してたじゃない。あなたとの絵の相性もいいんじゃないかって思ったのよ」
「……そうかな」
「そーよ。あの絵が評判よかったのはその腕だけでも、モデルが伊集院くんだからだけでもないと思うわ。目展で、とは言わないけど、また人物画もトライしたらどうかしら」
「たしかに、人物画は人物画の面白さがあるよな」
風景画はその情景と描き手の心を映す。
人物画はさらにその対照物の心情まで描き出す、そんな体験ができたような気がした。
「そうだな、考えてみるか」
また庭を描く約束は取りつけたし、最終的に風景画になるかどーかは置いといてとりあえず描いてみるものいいかもしれない。
「そーこなくっちゃ。期待してるわよ」
バシッと背中をたたいて、片桐さんは無責任に言った。
……またアイツと顔をつき合わせるのか。
イヤな顔をする伊集院を思い浮かべながらも、俺はどこか楽しみでもあった。
美術部三部作、のつもりでした。
3作目を書くまで2作目は再録するつもりなかったけど
読み返したら思ったよりちゃんと書けてたし、次書かなくてもまとまってると思ったので。
オリキャラが前に出ているのは……スミマセン。
3作目書けたら本にしようかな、と一瞬思ったので少し直してあります。
一部、分かりづらかった部分を加えたのと、三点リーダーにした程度。