(仮題)ヴィークル・メアを求めて/(旧)母父の名で帰ってきた 作:MenoMash
2007年12月22日土曜日-阪神競馬場
JpnⅢ ラジオNIKKEI杯2歳ステークス
──さらに大外からリュウールドレ
──伸びる、伸びる
──白毛の馬体が今、ゴォールを
──1着リュウールドレ
──2馬身差でサブジェクト
──さらにハナ差でサムイダテン
勝った…勝った。驚異の末脚だった。
真っ白な馬体が後方から、大外から飛び出した。
叩きあっていたサブジェクトとサムイダテンを軽々と追い抜いて、1番にゴール板を越えていった。
現実味がない。ただ、目の前の現実に心が、感情が追い付いていなかった。
あの馬と同じトキツカゼ牝系の、あの馬とは違うサラ系の白馬。
リュウールドレは、キナダタチバナとは何もかもが違うのに、その血統だけが似通っている。
小前田が馬主を始めたのは、ヒカリデユールが中央に来てからのことだ。
その大分前には父が2頭ばかり持っていたが、あれらもプリメロが入った馬だったか。
ともあれ、すっかりヒカリデユールのファンになってしまい、馬主を始めることにしたのだ。
そうして、様々な偶然の末に所有することになったのが、カンタベリーの1981。
キナダタチバナと名付けたその馬は、父ダンシングキヤツプ、母カンタベリー、母父トパーズという、当時の主流からもかけ離れた血統をしていた。
全くと言っていいほどに勝てなかったが、それでも人懐こくて素直なキナダタチバナの血を繋ぐ中で、同じ牝系でヒカリデユール産駒のサラ系牝馬を購入した。
トキツコウギョクの1987、のちのキナダネオンも成績は良くないが、受胎率が高かった。
そのキナダネオンのラストクロップが、オグリキャップ産駒のリュウールドレだ。
自分の趣味から生まれた、ロマンの結晶の如き血統。存在だけで価値があるはずの馬は、それを肯定するかの如く白毛で生まれてきた。
生まれながらに真っ白な馬体で、ぴょこぴょこと悪びれもせずに牧場内脱走の常習犯となったリュウールドレは、厩務員もとい飼育員は勿論のこと、観光客からも大人気だった。
育成牧場へ行ってからは、ストレスからかナスルーラのインブリードを存分に発揮していたようだが、それでも半姉や姪に比べれば大人しい馬だ。
馴染みの調教師に預けた、その馬が。走ると思っていなかった馬が、随分と素質があったらしいことに気が付いたのは、新馬戦を圧倒の1番人気の1着で終えてからだった。
新馬戦の後は重賞2着を3回。連帯率100%のシルバーコレクターとして、話題になり始めた矢先のことだ。
勝った。
数多の牡馬を蹴散らしての鮮やかな勝利。同席していた──競馬絡みで運転手として連れまわすことの多い厩務員──葉山に声をかけられるまで放心していた。
20年以上に渡る馬主人生初の中央重賞勝利だった。浪漫が現実に打ち勝った瞬間。あの日、キナダタチバナに見た夢は間違っていなかった。最初にキナダタチバナが居てくれたから、リュウールドレまで夢を繋ぐことが出来た。本気で、そんな風に思うことができた。
「改めて、おめでとうございます。小前田さん」
「本当に菅井先生のおかげです。ありがとうございます」
歓喜に身を包まれたまま、菅井調教師と勝利を分かち合う。
「菅井先生、以前いただいたお話ですが」
小前田は、ソエ回避以前に菅井から持ち掛けられた話を思い返す。あの時は流石にどうかと思ったが、もしかしたら。もしかしたら、いけるかもしれない。リュウールドレは、才能を、実力を示した。小前田に初めての中央重賞勝利をプレゼントしてくれた。
ならば、小前田も決めなくてはならない。
「行きましょう、クラシック路線」
小さく、息をのむ音が聞こえた。しかし、それはほんの一瞬だった。思わず破顔した菅井調教師は、すぐにまじめ腐った表情へ取り繕う。
「本当ですか、いえ確かに距離適性はそちらですが」
「ええ、本当ですよ。それに、ティアラ路線では距離が短すぎると言ったのは、菅井先生の方でしょう」
「ウオッカのように、牡馬相手に牝馬が勝つのは、本来とても難しいことです。それでも?」
「それでも、クラシック路線に進ませます」
一度、言葉を止めて泡の弾けたビールを飲む。祝勝会の場は、すっかり会議場へと移り変わりつつあった。
「あの仔は、トキツカゼの玄孫ですよ?」
適当に理由をつけているだけかもしれない。それでも。
それでも、あの馬が走っているところが見たい。
まずは自分にできることから始めるしかないだろう。
ここから、社長のプチ暴走が始まります。
4歳・秋の遠征先アンケート(本編の結末は大きく変わりませんが、ウマ娘編の展開には影響あります)
-
アメリカ・BC(オールウェザー)
-
オーストラリア・メルボルンカップ(芝)