新月へと至る燈 作:まじ卍
私は…
食べた。母が食事として持ってきたものを、得体の知れない何かを黒く、苦いものを口に入れる。噛むたびに、嫌な味がどんどん広がる。腐った草と土を混ぜたような臭いが鼻に抜け、喉を通そうとして、思わず吐きそうになった。
それでも、噛む。噛んで耐えた。歯がきしむほど力を込める。ぬるぬるとした感覚が舌や口の中に広がり、まとわりつく。息を止めて飲み込もうとしたらするのだけれど、のどが受けつけない。戻ってこようとするのだ。胃液さえこみあげてくる。口いっぱいに広がる苦さが、頭の奥まで染みこむ。
吐き出してはいけない。何があっても、喉の奥でせりあがる吐き気を、舌で押しこめる。胃に落ちるまで、何度も何度も繰り返す。飲み込んだ瞬間、胃の底に黒い石が沈むように重さが走る。体が悲鳴をあげているのだ。あげているのだ。胸が詰まって、呼吸が浅くなる。
思わずあの中身をすべて吐き出しそうになる。ソレを耐えるためにさらに押しこんでいく。汚いもの、臭い物に蓋をするみたいに。喉が裂けるように痛むのを、無理やり通す。胃がねじれて、内側からかき回されるみたいに苦しい。それでも、手は止められない。口は動かさなければ。食べ続けるそうしなければ母は…私を喰らうのだろう。
ソレを喉に通すたびに、噛むたび、体の中が濁っていく感覚がする。どろりとした液体が舌の上を這いまわり、鼻から抜ける臭気で頭がくらくらする。目の奥が熱を帯び、吐き気と一緒に涙がにじむ。けれど、涙を拭うことはない。拭く手は動かない。食べることが止まったら、そこで私が終わるという関心があった。
何度も、何度も、同じことを繰り返す。用意された食事を口に入れる。噛む。吐き気に襲われる。飲み込む。苦しむ。それだけでだいたい1日が終わる。
少し離れたところで、優しげな笑顔をした母がいた。白い服装に白い帽子、爛々と輝く赤い目をしている。私は未だ多分子供だから元々小さいのだろうけれども優に2倍いや3倍くらいの大きさだ。かなり大きな外見で笑顔はキレイの中には何もない。その顔には怒りも喜びも、悲しみもない。ただ「優しいように見える」だけの笑顔だ。そういった仮面をかぶっているように。多分実際そうなんだろう。何せ人じゃない。そう…思う。
「オイシイ カ」
笑っているようにも見える。ただ瞬きもせずじっと私が食べている様子を見ている。
「美味しいです…か、母さん」
その視線を感じる。私の胸の奥が強く縮む。呼吸が細くなり、喉の奥に黒い塊が詰まったまま残る。けれど食べるのをやめることはできない。やめたらどうなるか知っているから。
実は私にもここに来てから兄弟ができた。兄弟といっても血の繋がりなんてない。ただの順番。私より早く家にいれば兄、姉。私より遅く家に来たら弟妹。そんな歪な兄弟だった。仲が良かったわけじゃない。話したわけではない。ただ、同じ境遇の兄弟
姉は反抗した。母の用意した食事を飲み込まなかった。吐き出した。母の前で、それを吐いたのだ。
その瞬間、母の顔がわずかに動いた。優しげな笑みのまま、動いた。
ビュンという風を切るような音が鳴った。その音が母が姉を打ち抜いた音だと気づいたのは、骨が砕ける音がして、肉が裂ける臭いがした時だった。あの臭いはもう忘れることはできないだろう。姉は声を上げた。悲鳴とは違う。そうじゃなくて何かが破れたような絶叫とも違う何が終わった音。
次の瞬間には動かなくなっていた。そこに転がるのは、もう姉ではなかった。
姉だったものを母の手が掴む。まるで顔が半分になるくらいまで開閉するかのように口が開け、その暗闇の中にソレは消えていった。。
母は表情を変えない。ただ、淡々と。優しげな顔のまま。歯なんて見えなかったけど何か硬いものを噛み砕くようなそんな不気味な音だけが響く。それが耳に残って、いまも離れない。
弟もいた。
彼は逃げ出した。食事を用意している時、自身の皿になったソレを無視して、走り出した。小さな足が必死に懸命に地を蹴った。息を荒げ、声を振り絞って叫んでいた。誰かに助けを求めるためにだ。恐怖に押されるように、逃げ出したのだ。
結論から言えば、逃げ場はなかった。母の視線が追いかける。次の瞬間飛び上がり弟を捕まえようと走り出した。次の瞬間、悲鳴が聞こえた。
何が起きたのかわからない。ただ母がそこにいて、弟が捕まっていた。いや、弟だったものが捕まっていた。
何せ悲鳴、いやあれはもっと酷い何かだった。あまりの恐ろしさに耳を紡ぐでいたから聞き取れなかった。弟のような何からは手足が欠如していた。一本づつ。体が半分くらい裂けていた。滴る血の音がした。あまりの怖さに一瞬しか見れなかったが今でも震えが止まらない。
母は変わらず優しい顔をして、彼を食べたのだろう姉の時にも聞こえたあの音が聞こえたのだ。ひとつ弟のおかげで知れたことがある逃げても無意味だということを。
妹は耐えられなかった。。
泣いた。ずっと泣き声を上げていた。涙と声が止まらず、母の前で嗚咽を繰り返していたのだ。
母はそれを見て、静かに近づいた。抱きしめたのだ妹を。愛情を注ぐと。そんなありきたりなことをするためではなかった。口を大きく開いたのだ。妹は叫ぶ間もなく、頭から飲みこまれた。骨の砕ける音だろうか。母の喉奥から甲高い声と一緒に響いていた。おそらく体がばらばらに噛み砕かれていたのだろう。妹の声は途切れた。例の音だけが響いていたのだった。母に愛情などないことも知った。
兄は彼らとは違った。
食べることをやめなかった。生きることを選んだのだ。ずっと母の前で、口に入れ続けた。吐かず、逃げず、泣かず。ただ食べ続けた。
けれどやがて、立てなくなった。体は細く、力を失い、動かなくなっていった。母に暴力を振るわれたわけでもないのに全身にアザみたいなものがついていた。黒い黒い何かの斑点が。母の前でソレでも食事をしようとしていた。だけど限界が来た。
静かに、その時を待つように。満面の笑顔の母が大口を開け兄を包見込んだのだ。例の音が響く。兄はなすがままだった何もできなかったのだろうか。ただ、ただ恐ろしい音だけが残っていた。
そうやって私だけになってしまった。他の妹や後々が来ることもある。その子たちは兄のように食べられるか弟のように死ぬことが多い。
従わなければ食べられてしまうし、従わなければすぐに食べられてしまう。
ならば私は死にたくなかった。少しでも長く、生きられる方を選ぶしかない。
胸は苦しく、胃は焼けるように痛む。頭の奥では、黒い味がずっと渦を巻いている。それでも食べる。それしか思い浮かばないから。生きる方法がないのだから。
母が見ている。優しげな顔で。何も変わらず笑顔のまま私を見ていた。
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