闇深い世界で…悪化させた日々 作:不良品の主人公
私達Bクラスの無人島特別試験は、一見すると極めて順調だった。
「みんな、お疲れ様! 今日も怪我なく過ごせて本当によかった」
二日目の夕暮れ時。私は集まったクラスメイトたちに、努めていつものような笑顔を向けていた。
初日、私達は運良く「井戸」のスポットを占有することができた。ここは周囲の土地が狭く、学校から支給された大きなベースキャンプ用のテントは二つしか設置できないという難点があったけれど、男子たちが工夫してくれた。木々の間に小型のテントを器用に押し込み、余ったスペースにはハンモックを吊り下げることで、全員分の寝場所をしっかりと確保したのだ。
もちろん、決して快適なバカンスというわけにはいかない。夜になれば大量の虫が容赦なく襲いかかってくるし、慣れない環境での虫刺されは本当に痒くて辛い。女子たちの中には夜中に何度も目を覚ましてしまう子もいた。だけど、そのくらいのことで私達Bクラスの絆が揺らぐことはない。全員が一丸となってこの試練を突破するためなら、誰も弱音なんて吐かないし、リタイアなんて絶対にしたりしない。その強い連帯感こそが、私達の最大の武器だった。
食料の調達も、今のところは計画通りに進んでいる。森の中を探索して見つけた野生の野菜や果物を少しずつ集めつつ、海辺に近いメンバーが毎日魚を釣ってきてくれる。それでもどうしても足りない栄養素や最低限の備品は、試験用のプライベートポイントから少しずつ消費して補うことにした。多少のポイント消費は痛いけれど、クラスの誰一人として体調を崩させないための、必要な投資だ。
そして何より、水に関しては「井戸」があるおかげで一切の不自由がなかった。
「一之瀬さん、井戸の水、ウォーターシャワーとして使っても大丈夫かな? 汗がすごくて……」
「うん、大丈夫だよ! 飲用水の分を引いても、みんなが体を清めるくらい十分に水はあるから平気。気にせず使ってね」
汗まみれになった女子たちが、冷たい井戸水で嬉しそうに肌を潤している。水分補給に怯える他クラスの惨状を思えば、私達は間違いなく「恵まれている側」の筈だった。
スポットを占有するための大切なカードリーダーは、私の大切な友達である、千尋ちゃん――にお願いしている。
「千尋ちゃん、今日もカードの更新、ありがとうね」
「……うん。一之瀬さんがそう言うなら、別にこれくらい、いいけど」
声をかけると、千尋ちゃんは視線を泳がせながら、小さく、どこか冷たいトーンで返事をした。私に向けられるその瞳には、かつてのような純粋な親愛の情ではなく、痛々しいほどの拒絶と、気まずい沈黙の壁が厳然と存在していた。
(……やっぱり、まだ、上手く話せないな……)
胸の奥が、きりきりと締め付けられるように痛む。
この学校には私達の間に立ってくれる存在がいない。だからこそ、少し前に千尋ちゃんから真剣な表情で告白された時、私はその想いに対して、自分一人で向き合わなければならなかった。
『一之瀬さん、私、あなたのことが……』
あの時、私はどう答えて良いのか、本当に分からなかった。千尋ちゃんは大切な友達で、クラスメイトで、失いたくない存在。だけど、彼女が求めてくれた感情に、同じだけの熱量で正しく答えを返すだけの心の準備が、私にはどうしても出来なかった。
結局、私はまともな答えを返せないまま、ただただ言葉を濁し、曖昧にその場をやり過ごしてしまったのだ。
答えを出すことから逃げてしまった私と、傷つき、どう接していいか分からなくなってしまった千尋ちゃん。
それ以来、私達の関係は完全にギクシャクしてしまっていた。クラスの前ではお互いに「普通」を装っているけれど、二人きりになると、息が詰まるほどの気まずい空気が流れる。
この無人島という極限状態の中、リーダーという重責を本人の希望とは言え千尋ちゃんに背負わせてしまっていることへの罪悪感。そして、彼女との間にできた埋まらない溝。Bクラスの試験は数字の上では順調そのものに見えたけれど、私達の足元には、目に見えない小さな亀裂が確実に生じつつあった。
そして――そんな私達の「順調な箱庭」のすぐ近くまで、あの男の、悪魔のような影が忍び寄っていることに、この時の私はまだ、気づく由もなかった。
千尋ちゃんに体力がないことは、クラスのみんなもよく知っていた。だから、リスクを冒してまで他のスポットをいくつも占有しようという意見は、最初からほとんど出なかった。
「千尋ちゃんに無理はさせられないし、この井戸のスポットを堅実に守り切る。それが私達の役目だよね」
「うん。初めての特別試験だし、まずは確実にポイントを稼いでいくこと。それが一番の勝ち筋だと思う」
神崎君たちとそう話し合い、私達は一歩一歩、慎重に進んでいた。ギクシャクした空気の中でも、千尋ちゃんは責任感から必死にリーダーを務めてくれている。このまま何事もなく試験を終えられる――そう信じていた、そんな最中だった。
私達が仮想敵の一つとして警戒していた、Cクラスの首領。
龍園翔が、突然私達の前に姿を現したのは、試験三日目の午前十時のことだった。
「よう、おめでたい頭のBクラス共。息災にしてたか?」
草むらをかき分けて現れた龍園君の背後には、彼の忠実な取り巻きである石崎君や、大柄なアルベルト君の姿もあった。私達のエリアに緊張が走る。
「……何の用かな、龍園君」
私はみんなの前に一歩進み出ると、努めて毅然とした声で彼を見据えた。
「ここは私達が占有しているスポットだよ。他クラスの君たちが、大勢で土足で踏み込んでいい場所じゃないはずだけど?」
「くくくっ……。おいおい、そんなにトゲトゲすんなよ一之瀬。なぁに、大した用じゃねえさ。ちょっとした『お裾分け』をしに来てやったんだよ」
龍園君は歪んだ笑みを浮かべ、後ろに控えていたアルベルト君に顎で合図を送った。
「Hey, move.」
アルベルト君がのっそりと前に出てくると、抱えていた大きな、そしてずっしりと重そうな代物を、私達の足元へとドサリと置いた。
「な、何だこれ……? デカい魚……!?」
「嘘だろ、凄え……カンパチじゃねえか、これ……!!」
Bクラスの男子たちが、驚きに目を見開いてワッと騒ぎ出す。
それは、大人一人が両手で抱えるのも一苦労するほどの、立派な大型のカンパチだった。鱗が太陽の光を浴びてぎらぎらと輝いている。あんなに大きくて凶暴そうな野生の魚を、この無人島でどうやって獲ってきたんだろう。しかも、一匹や二匹じゃない。クラス全員が満腹になれるほどの量が、そこには用意されていた。
「龍園、一体何の真似だ。俺たちを騙そうとしても無駄だぞ」
神崎君が鋭い視線を送りながら警戒を露わにするが、龍園君はフッと鼻で笑い、軽く肩をすくめてみせた。
「ハッ、相変わらず疑り深い奴らだ。俺の『仲間』がさっき海で獲ってきたんだがよ、生憎うちのクラスだけじゃ食いきれる量じゃねえんだ。だが、せっかくの最高級の獲物だ。ただ腐らせるにゃあ反吐が出るほど勿体ねえ。うちはもう十分満足したからな、お前ら無能なBクラスの飢えた腹にも、少しばかり分けてやろうと思ってな」
「信用できるかよ! 恩でも売るつもりか!?」
男子の声に対して石崎君が「おい、黙って受け取りやがれ!」と凄む中、龍園君は気に留める様子もなく話を続けた。
「新鮮だがよ、こんなジャングルだ。生で食って腹を壊すなよ。大人しく焼いて食った方が身のためだぜ。おい、そこの男子。ついでだ、調理の仕方を教えてやるからよく聞け」
「えっ、俺!?」
指を差された男子生徒がおろおろする中、龍園君は淡々と、けれど驚くほど手際の良いレクチャーを始めた。
「まずはエラと内臓を綺麗に落とせ。真水で血合いをしっかり洗い流さねえと、臭みが残る。身はぶつ切りにして、支給された塩を多めに振ってから火を通すんだ。これだけの巨体だ、中までしっかり熱を入れろよ?」
龍園君を信用する理由なんて、どこにもない。だけど、彼の口から語られた調理方法は、過酷なサバイバルにおいて完璧すぎるほど筋が通っているように思えた。
「くくくっ……。忠告はしたぜ。生で食って腹壊して、情けなくリタイアすんなよ? それじゃあな」
龍園君はそれだけ言い残すと、ひらひらと軽く手を振って、来た道をそのまま戻っていってしまった。嵐のように去っていくCクラスの背中を、私達はただ呆然と見送るしかなかった。
「……どうする、一之瀬」
神崎君が、足元の立派なカンパチと私を交互に見つめながら、低い声で尋ねてきた。
「Cクラスのやることは信用できない。毒でも仕込まれている可能性を、完全に否定することはできないぞ」
「それはそうだけど……でも、一之瀬。これ、本当に美味そうだよ。……俺たち、食おうぜ」
「正直、果物や小さい魚だけじゃ、みんな結構お腹空かせてるし……」
男子たちが口々に、期待を込めた目で私を見てくる。周りの女子たちも、ゴクリと唾を飲み込んでいるのが分かった。井戸の水はあるけれど、みんな肉体的な疲労と空腹が限界に近づいていたのだ。
私は、ずっと黙って少し離れた場所にいる千尋ちゃんに視線を向けた。千尋ちゃんは、不安そうにカンパチを見つめたまま、小さく「……私は、一之瀬さんに任せるよ」と呟いた。
みんなの空腹そうな顔、そして、龍園君のあの「嘘をついていない」自信に満ちた目。
「……うん。それじゃあ、龍園君の教えてくれた通りにしっかり火を通して、みんなで食べようか!」
私の言葉に、「よっしゃあ!!」とBクラスのエリアが一気に活気を取り戻した。
男子たちが協力して手際よくカンパチを捌き、焚き火の煙とともに、香ばしい魚の焼ける匂いが辺りに広がっていく。
焼き上がったカンパチの身は、信じられないほど脂が乗っていて、本当に美味しかった。
「何これ、美味すぎる……!」
「生き返るわ、本当に……」
みんな、久しぶりの満腹感に自然と笑顔がこぼれていた。
最初は毒でも入っているんじゃないかって冷や冷やしたし、神崎君も一口目は慎重だったけれど、誰の体調にも異変は起きず、ただただ純粋に最高のご馳走だった。
「……でも、あいつら、本当にただの親切でこれを置いていったのか?」
食後に一息つきながら、神崎君がポツリと疑問を口にした。その言葉に、私も小さく頷く。
美味しかった、満腹になった。だけど、あの冷酷な龍園君が、何の見返りもなくこんな大サービスをするはずがない。
この美味しいカンパチの裏に、どれほど恐ろしい罠が隠されているのか。
満腹になった幸福感の裏側で、私の胸の奥には、拭いきれない不穏なざわめきが、小さく、けれど確実に残り続けていた。
翌日――試験四日目の午前中。私達の前に、またしてもあの男が姿を現した。
「よう、一之瀬。相変わらず、水があるとはいえ随分狭えスポットにしがみついてるもんだな。堅実と言えば聞こえはいいが……ククッ、随分としけた作戦だ」
龍園君は、私達のテントの狭さを見下すように鼻で笑った。彼の後ろには、昨日と同じように石崎君とアルベルト君が控えている。
「今日も何の用かな、龍園君。私達は君たちの施しがなくても、自分たちでやっていけるよ」
昨日のカンパチの件がある。警戒しつつも、私は一歩前に出て彼を牽制した。だが、龍園君は私の言葉など最初から聞いていないかのように、後ろの二人に短く声をかけた。
「おい石崎、アルベルト。おめでたいBクラス様へ、お荷物を下ろしてやれ」
「は、はい、龍園さん、おいBクラス、ほらよ、ありがたく受け取りやがれ!」
二人が大きな鞄から取り出し、私達の前にドサドサと差し出したのは、今度は信じられないほど大量の、瑞々しいトウモロコシだった。
「……トウモロコシ? どうして、また私達にこれを?」
私は目の前の光景が信じられず、思わず問い詰めていた。昨日あれだけの魚をくれて、今日は山のようなトウモロコシ。いくらなんでも、他クラスへのサービスが過ぎる。
「あん? 聞くまでもねえだろ。大した理由じゃねえよ」
龍園君は退屈そうに首を回しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「ぶっちゃけた話だ、うちのクラスじゃもう食い飽きちまったんだよ。身の程を知らねえで、馬鹿みてえに必要以上に採ってくる奴がいてな。まあ、うちは今、脳筋どもをフル稼働させて色んなスポットを占有しまくってる最中だ。たかがトウモロコシだけに拘る必要なんてどこにもないのさ。――そこにある一つのスポットを護るだけで手一杯なお前等と違ってな」
「っ……!」
彼の言葉に、私の横にいた神崎君の顔色が変わる。龍園君の発言が事実なら、Cクラスのカードリーダーは、この炎天下で複数のスポットを往復できるほどの、底知れない体力を持った人物ということになる。
「じゃあな。どうしても食料が欲しけりゃ、いつでも分けてやるよ。てめえ等のそのおめでたい頭が、こんな序盤で簡単に潰れちゃ、後半戦が楽しめねえからな」
龍園君は冷たく言い放つと、またしても軽く手を振って、嵐のように去っていってしまった。
「な、何なんだよ、あいつ……」
「またただで食料を置いてったぞ……」
残された私達は、山積みのトウモロコシを前に唖然として立ち尽くすしかなかった。
龍園君の底知れない不気味さと、Cクラスが裏で進めている圧倒的な規模の作戦への恐怖。その衝撃があまりに大きすぎて、私は完全に失念していたのだ。
自分のすぐ後ろで、じっと地面を見つめていた千尋ちゃんの存在を。
そして、彼女の耳に、周囲の男子たちが声を潜めて交わしていた「不穏な会話」が、しっかりと届いてしまっていたという事実にも、私は全く気付けなかった。
「なあ……今の龍園の話、マジだと思うか?」
「色んなスポットを占有してるってやつか? クソ、もし本当なら、Cクラスはどれだけスポットポイントを稼いでるんだよ……」
「やべえな。これ、このまま堅実にやってても、スポット占有のボーナスポイントだけで俺たち、Cクラスに一気に抜かれるんじゃねえか?」
「おい、しっ! 声がデカい、馬鹿なこと言うなよ! ……白波に聞こえるぞ」
「あ、悪い……。でもさ、実際焦るだろ……」
男子たちは、自分たちが必死に隠そうとした焦燥感を、ボソボソとした多数の呟きとして漏らしていた。彼らは千尋ちゃんを気遣ったつもりだったのだろう。だけど、それは逆効果だった。
「…………」
千尋ちゃんは、その会話をすべて聞いていた。
元々、私との関係がギクシャクしている中で、クラスのためにと無理をしてリーダーを引き受けてくれていた千尋ちゃん。そんな彼女の小さな肩に、「自分がリーダーとして一つのスポットに引きこもっているせいで、クラスが負けるかもしれない」という、あまりにも残酷で、あまりにも重すぎる責任の圧力が、容赦なくのしかかっていく。
私は唖然としたまま去っていく龍園君の背中を見つめ続けており、千尋ちゃんの顔から、すうっと血の気が引いていくその瞬間に、気付くことができなかったのだ。