TSヴァンパイアは世界を揺るがしかねない封印を解放し妹にしてしまうらしいです 作:西春江
あれから一日が経過した。
崩聖龍は、依然としてこの地を離れる気配を見せない。
そんな中、俺は巫女様に連れられて、ある一室へと足を踏み入れていた。
何やら、俺に伝えたいことがあるらしい。
「
「え」
横に控えていたレベリカがそう言い残し、俺の返答を待つこともなく、すっと部屋を出ていった。
……今、初めて知った。巫女様が盲目だったなんて。
食事の席でも、何気ない会話の中でも、普通に振る舞っていたから、そんなことを思いもしていなかった。
「シーラ様、お願いしますね」
巫女様はそう告げると、すっと腕を上げ、何かを求める仕草を見せた。
俺は、その意図を瞬時に理解する。
――犯罪臭がすごい。
「……巫女様、本当にいいんですね?」
「もちろんです」
俺は半ば観念し、巫女様の衣服に手をかけた。
なぜそんなことをするのか? 一言で説明してやろう。
――俺は今、巫女様と共に浴室に来ていたのだ。
チャポン、と水面を破る音が響く。
浴室というよりも、これはもはや露天風呂だ。
石造りの縁から湯気がゆらゆらと立ちのぼり、視線の先には庭園のような景色が広がっている。
俺たちのコロニーには、こんな贅沢な設備は一切ない。きっと、コロニー創設者の趣味だろう。
「シーラ様、どうかされましたか?」
巫女様が視界に入ってくる。
俺は慌てて視線を逸らし、湯船から見える景色に意識を逃がした。
見ろ、山肌の雪。ほら、空の色も美しい。そうだ、景色だ、景色を楽しめ俺。
「シーラ様?」
その瞬間、背中に柔らかな感触が触れた。
巫女様が、俺の背中に触れている。
「ふひょ!?」
反射的に、俺は湯しぶきを上げながらその手を振り払った。
何を隠そう、中身は男。この状況を純粋に楽しめるほど、俺の心は図太くない。
罪悪感と動揺が、湯よりも熱く俺を支配していく。
「私と一緒に温泉に入るのは……嫌でしたか?」
あぁ、そうだよ。なんて口が裂けても言えない。
「そういえば、私の体を洗ってくれていた時も……そんな様子でしたね」
ああ、忘れかけていた記憶を、何故今この場で掘り起こす。
必死に頭の中から追い出そうと、俺は壁に額を打ち付けた。
ゴンッ。
「何故壁に頭突きを!? 壁に何かされましたか?! レベリカ! レベリカ来てくださーい!」
「お、落ち着きましたか」
巫女様が、湯気の向こうからじっと俺を見つめてくる。
その瞳は、まるで何かを探るようで……いや、ただ心配しているだけだな。
「……もう大丈夫です」
なんせ俺は吸血属だ。頭に多少の衝撃を受けたぐらいで簡単に死ぬことはない。
「やはり、私と温泉に入るのは嫌でしたか?」
巫女様の問いかけに、俺は息をゆっくり吐き出し思考を整えた。
先ほどみたいな間抜けな反応を、巫女様に見せるわけにはいかない。
「そういうわけじゃありません。この世界に来てからの発作のようなもです」
「発作? 発作?! あれが?!」
巫女様がぱちくりと目を瞬かせ、驚きの表情になる。
……変人だと思われてなければいいが。
「それで、巫女様は何故、俺とここに?」
「……冷静すぎて逆に怖くなってきました」
巫女様がコホンと小さく咳払いをする。
「正直にお話しします。少しの頼み事と……それから、シーラ様に少しでも楽しんでもらえたらと」
少しの頼み事。
その言葉が、俺の心の中で妙に引っ掛かる。……まさか、また崩聖龍でも倒せと言うつもりじゃなかろうな。
「シーラ様は、雨に対抗する手段を持っているのではありませんか?」
雨に対抗する手段——ノクトルとヴィーのことだ。ヴィーは壊れてしまったが、まぁ、隠す必要は無い。
「一応、とは言っても世界を救えるレベルの代物じゃありませんけどね」
俺がそう答えると、巫女様の表情がぱっと明るくなる。
「……どのようなものかを、聞いても?」
俺は簡単に、ノクトルについて説明した。
「そのような方が……。もし、シーラ様が良かったら、このコロニーの子供を何人か引き取っていただけないでしょうか」
子供を引き取る。その意図はすぐに理解できた。
コロニーが滅ぶ前に、せめて幼子だけでも避難させるつもりなのだろう。
本当に、この人は自分のことより他人のことばかり考えている。
俺は湯の中で腕を組み、少し考え込む。
食料はこのコロニーから融通してもらえばいいとして……問題は魔王戦の最中だ。
後方に避難させれば、まあ……大丈夫、か?
「……わかりました。そのくらいならできます。ただ、危険はあると思います」
「このコロニーにいる方が、ずっと危険です。私の見込みでは……残り二週間ほど。魔王退治に同行させた方が、生き残る確率は高いはずです」
「それでいいなら、数人程度なら保護できるはずです」
俺がそう答えると、巫女様はようやく肩の力を抜いた。
小さな安堵の吐息が、湯気に紛れて消えていく。
そして、彼女はゆっくりと肩までお湯に沈めた。
「……これで、私からの頼み事は終わりです。あとはゆっくり、この場所を楽しんでください」
俺も肩までお湯に沈み込む。 沈黙が続く。
ふと、前から気になっていたことを切り出すことにした。
「レベリカと……巫女様って、どういう関係なんです?」
問いかけに、巫女様は唇の端をわずかに吊り上げた。
その笑みは、どこか挑発的で、人をからかう時の表情だ。
「ふふ、どのような関係に見えますか?」
質問を質問で返される。嫌な笑みと共に。
……大体の見当はついている。けど、外していたらそれはそれで恥ずかしい。
俺は、心の中で小さく息を吸い、覚悟を決めた。
「——姉弟」
巫女様の瞳がわずかに見開かれる。
「バレていましたか。一応、機密事項なのですが……このコロニーの皆さんも、もう気づいているようなんですよねぇ」
そりゃ、バレるだろ。
「……たまたま。運がよく気づきました」
俺は嘘をついた。
「たまーに、恋仲なのかと聞いてくる方々もいるんですよ?」
その言葉に、俺は以前のレベリカと巫女様のやり取りを思い出す。
確かに、あれだけ仲が良ければ……そう見えなくもない。
「え、ていうか巫女様は……レベリカに、そういう気があるんですか?」
瞬間、巫女様の表情から色が消えた。
「あるわけないじゃ無いですか。姉弟ですよ?」
声は静かで、しかし拒絶の色を含んでいた。
……確かに、恋仲に例えられるのは、ちょっとキツいかもしれない。
反省反省。
また湯音だけが響く沈黙が訪れる。
「それじゃあ、今度は私から質問を」
「どうぞどうぞ」
さっきのやり取りの手前、断れる空気じゃない。
「イリス様とは姉妹なのでしょう?」
その瞬間、俺の心臓が跳ねた。頬がこわばり、湯の熱とは別の熱が頭に昇る。
「そう、見えますか」
「はい。とても仲の良い姉妹に——」
「俺とあいつは姉妹なんかじゃありませんよ」
巫女様が小さく目を見開く。
「あら、そうなのですか。私はてっきり姉妹なのかと」
そう思われても無理はない。俺たちは、外から見ればそう見えるはずだ。
「俺は、姉になる資格なんて無いんです。それに、俺は……」
言葉が喉で途切れる。
それでも、巫女様は優しげな微笑を崩さなかった。
「姉妹に資格なんて、要らないと私は考えますけどね」
その言葉に、俺は何も返せずにいた。
「少なくとも、イリス様は貴方を姉のように思っているのでは?」
過去の記憶が胸をよぎる。
そういえば、何度かあいつは俺を「姉」と呼んだ。
確かに、それは事実だ。……けど。
「あっちがどう思っていても、なれないものはなれないんです」
「本当ですか? そう言っていても、実は姉になりたいんじゃないですか?」
巫女様が湯の中で身を寄せ、探るように視線を向けてくる。
「だ、だから無理なものは無理です! 俺は資格がないんです!」
「資格なんて要らないと言っているじゃないですか。本当は姉になりたいんでしょう? あの子を大切に思っているじゃないですか?その心だけで充分だと思いますよ」
「俺はあいつの姉には——」
言い合いは、何分も続いた。
「うぐっ……うぐっ……」
気づけば、頬を熱いものが伝っていた。
押し問答の果てに、涙は自然とこぼれ落ちていた。
「え、えぇ?! な、泣かないでくださいよ。そ、そんなに嫌でしたか?!」
巫女様はおろおろと湯の中で身を動かす。
人を泣かせたのは、きっと初めてなのだろう。
「ど、どうすれば……そ、そうです。レベリカを呼びましょう。レベリカー! シーラ様を助けてあげて下さーい!」
俺は慌てふためく巫女様を、湯の中で押さえつけた。
「なるほど……イリス様は魔王で……魔王を倒した後に排除しないといけない……しかも、イリス様はシーラ様の……」
湯気の中、巫女様が俺の言葉を反芻するように呟いた。
俺は巫女様に全てを伝えていた。
巫女様はしばし黙り込み、「う〜ん」と顎に指を当てて考え込む。
やがて、何か思いついたらしく、指を軽くパチンと鳴らした。
「殺さなくてもいいのでは?」
俺の耳に入ったのは、あまりに甘く甘美で許してはいけない言葉。
「……無理です。魔王は、危険です」
その言葉は、この世界で生きる者なら誰もが骨の髄まで知っている事実だ。
今、イリスが「いい奴」だからといって、それが未来永劫続く保証なんてない。
核のスイッチを持つ少女を放置するような真似は……できない。
「いえいえ、そういう意味ではありません。今、殺さなくてもいいのでは? 魔王を倒して、数年後、数百年後でもいいかもしれません。シーラ様は吸血属ですから」
一瞬、心が揺れかけた。長寿である俺なら、それも可能だ。
……だが、それでも駄目だ。いつ魔王の本性が目を覚まし、俺の寝首を掻くか分からない。
その時は、もう手遅れだ。
そうなってしまうと、やはり魔王戦の後、殺すのが一番だ。
「それも、ダメです。いつ魔王の本性に目覚めるか、不明です」
巫女様は呆れたように肩をすくめ、それから、ゆっくりと口を開いた。
「家族の仇だからですか」
心臓が跳ねた。胸の奥で何かが弾ける。
バクバクと煩いほどの鼓動。図星……かもしれない。
俺は魔王に――唯一の家族を殺された。
死体を見た。美しかったあの少女は、もう元の面影すら残らないほどに壊されていた。
だから俺はイリスを恨んでいる?
……いや、違う。そうだ。俺はイリスを恨んではいない。
心の中で複雑に拘束された紐が解けていく感覚。
そして、ようやくわかった。俺は、俺は——
「……魔王を、イリスを、許すのが怖い。あいつが死んでるのに、俺だけが生き残るのが嫌だ……そんなことするぐらいなら、イリスを殺して、せめて罪を償いたい」
自分の口から出たのは、驚くほど淡々とした、そして弱い声だった。
「だから、あいつを殺そうとしたのに……あいつは俺を姉だと呼ぶ。そんな奴を、俺は——殺したくない」
視線を上げるのが怖かった。
どうせ巫女様は、俺をあざ笑っているに違いない。
……だが、見た彼女の表情は、ひどく真剣で、そして、柔らかく笑った。
「明日——シーラ様とイリス様でお話をしましょう。イリス様は分かってくれるはずです」
そう言って、巫女様は湯の中でそっと俺を抱き寄せた。
その肌の温もりと、柔らかい感触が頬に触れる。気づけば、堰を切ったように涙が溢れていた。
……そして現在。深夜。
巫女様とイリスが眠りに就いた頃、俺の頭は妙に冴えていた。
冷静になったせいで、自分が何をしたのかを理解してしまった。
巫女様——少女の胸で泣いた。
思い出すだけで、顔が真っ赤になり、湯よりも熱くなる。
「あぁ! クソ……! 死ね……俺! 死ね……!」
狭い部屋を、グルグルと同じ場所を回り続ける。
「明日朝すぐに巫女様に謝って……いや、違う。まずはイリスと会話だ。そして巫女様には謝罪と感謝を」
イリスと向き合う機会を作ってくれた巫女様に、礼を言わなければ。
あの人のおかげで、俺はやっと前を向けそうだ。
「明日……全てを解決する……」
覚悟を決め、布団へ潜り込む。
頭の中で、何度も何度も予行演習を繰り返す。
やがて、思考がぼやけ、深い眠りに落ちた。
だが。
——翌日、巫女様は眠りから覚めなかった。