TSヴァンパイアは世界を揺るがしかねない封印を解放し妹にしてしまうらしいです 作:西春江
イリスがマセキを口にして、深い眠りへと落ちていった。
俺はイリスを背負い、ふらつく足でナナの元へと向かう。
俺は、止められなかった。
「マスター」
淡い青髪が風に揺れ、無機質な声が俺を迎えた。
その存在は、あまりに整いすぎている。人形のように完璧で、だからこそ今は不気味に感じる。
「……お前は、どこまで知ってるんだ」
声は掠れていた。怒りでも恨みでもなく、ただ自分を責めるような響きで。
ナナとガレットさんには、隠し事が多すぎる。
イリスが「自分から死を選んだ」のも、最初から計算されていたのではないかと……そんな疑念が頭の中で渦巻いていた。
――魔王を倒すため。
理由は理解できる。
だが、納得のできない境界線の上まで来ていた。
本当なら、もっと早く聞くべきだった。
イリスが自死を決断する前に。
問いただしてさえいれば、何かが変わったのかもしれない。
後悔は濁流のように押し寄せ、心を削っていく。
そしてようやく、ナナが口を開いた。
「全ては、幸ある未来のためにやったことです」
海のように澄んだ蒼髪が風に揺れる。
その光景は美しくもあった。だが、同時に海と同じく深淵で、未知で、底が知れない。
「擬似目標未来到達率予想一致率86%」
機械的に、淡々と告げられる数字。
「目標達成。シーラ様への一部情報を開示。計画の遂行に悪影響なしと判断。――どうぞ、お聞きください」
マスター、ではなくシーラと俺の名を呼ぶ。
ナナの瞳は一度も逸れない。
「……イリスから聞いた。あいつを殺すことを喋ったんだろ? なぜだ? そんな事したら、どうなるかなんて」
「一番いい結果を迎えるためには、あそこでイリス様に情報を開示する必要がありました。それを遂行しただけのことです」
――またそれだ。
魔王を討伐するために、あそこでイリスに情報を与える必要がある……?
それは、違うだろ。
「……イリスにそのことを教えたのは魔王を討伐するためじゃなく、イリスに自死の判断をさせるためか……?」
ナナは小さく頷き、呆気ない真実に力が抜けた。
「……俺が馬鹿だったよ」
それは違うと、言ってほしかった。
「……幾つか、気になってた事がある」
俺は虚ろな目で問いかける。
「オリオティスの時だ。あれは
それなのに、俺たちは壁にぶつかって来た。
何度も死ぬ思いをした。
巫女様も、死んだ。
「必要な過程でした」
また、呆気ない事実。
「全て、知ってたのか」
ナナは首を横に振った。
「全てではありません」
「……どういう意味だ? 全部知ってないとこの行動は取れないだろ」
「私の機能――
私の機能、何のことだ。
しかも、未来が見えない?
「ま、待て。お前に
自分で言っていても理解できない。
俺が見た
それが、あの小さな球体に入っている?
「そういえば言っていませんでしたね」
俺から一歩距離を取り、大袈裟なポーズをし始めるナナ。
「私の名前はナナ。隠すつもりは……まぁ、あったんですけど。もう一度自己紹介を」
俺は頭を抱える。目眩が起きそうだ。
「私の名前は
こいつが、
「……そうだったのか」
じゃあ、あの時、俺が見たのは偽物だった?
「もう少し良い反応をくれると思っていました……」
「状況が状況だ。反応する元気はない」
イリスのことだけで頭の容量は限界だ。
ここで新しい爆弾を落とされても、処理できるわけがない。
「今日は撤退だ。明日の俺に……」
ふと、ある事を思い出して、帰路へつこうと歩み出した足が止まる。
「……魔王に関する未来が見えないって、どういう意味だ?」
ナナの声色がわずかに低くなる。
「魔王の未来に関するものを見ようとすると黒い靄が走るんです」
「……じゃあ、魔王の力も姿もわからない?」
「はい」
能力や姿を教えないのは、それも良い未来に行くために必要な事だと思っていたが、違ったらしい。
黒い靄が走って見えない。魔王の能力……か?
再び撤退を選ぼうとナナに背を向けた、その時だった。
「今日この日、黒い靄が大量に走ります」
ナナの声が背後から降る。
「未来も、現在も、全てが見えなくなるほどの大量の霧が」
その声音はいつもと同じ冷静さを保っていた。
だが、それに対して俺は冷や汗が止まらなくなっていた。
今日、全てが見えなくなるほどの大量の霧、その意味は――そんなの、考えなくてもわかった。
「これも必要な工程なのか?!」
振り返りざま、怒鳴りつける。
「はい」
即答。
「クソっ!」
背中のイリスが苦しげに声を漏らした。
マセキの結合が始まっている。
こんな時に、もし魔王が現れたら――。
「撤退だ!」
俺はその事実を伝えようとノクトルがいる方向へと向かう。
ノクトルはマジンの死体がある場所で、ボーッと空を見上げていた。
「ノクトル! 逃げるぞ! 俺達の仲間に特大の馬鹿がいやがった!」
ナナが俺に視線を向けてくるが、そんなの気にしたことではない。
必要な工程――もはや関係ない。
イリスの死を操作し、あまつさえ魔王に関する事をまだ隠していた。
「ノクトル!」
ノクトルは空を見上げている。
全員頭がおかしい。なぜ、こんな時に限って。
ナナは特大の隠し事。
イリスは自死の判断。
ノクトルは仲間の死を悼み放心。
そんなのはオリオティスの時に慣れただろと、醜い思考が浮かび上がってくる。
最悪がピークを迎えている。
「ナナ、イリスをヴィーに戻せ。こいつは使い物にならん!」
しかし、返ってきた答えは――。
「のー。今、イリス様をヴィーに引き戻したら敗北します。イリス様が生き残ってしまいます」
「あぁ?!」
耳を疑う。
生き残ることが敗北?
なぜ、イリスが生きてはいけない?
ナナに対しての疑心が限界を迎えそうになった時――思考の奥底から、とある答えが浮かび上がってくる。
「ま、待て……お前……!」
それに、気づいてしまった時には乾いた声が漏れていた。
俺はナナに掴みかかり、ナナの淡い蒼髪が揺れる。
「嘘だ。違う! そんな、だって……?」
ナナは何も言わない。
まるでその沈黙こそが答えであるかのように。
早く、逃げないといけないのに、俺はそんなことはどうでも良くなっていた。
「マスター、落ち着いてください」
突き飛ばす。
「落ち着けるか! お前は知ってるんだろ?! この後、俺が何を言うかを!」
こくりと、頷く。
その、素直な態度が俺の歯車を加速させる。
「お前が……! オリオティスを殺しんたんだな……!」
ナナは何も言わない。
何かの間違いであれと、俺は信じたかった。
「――あいつを、殺したのも……お前か?」
絞り出すように問うた声は、か細かった。
そして、ナナは――ゆっくりと頷いた。
「私が殺したも同然です。ですが、霧が酷いです。今は状況を――」
「黙れ!」
沸点が限界を超える。
「じゃあ、イリスのこともお前が原因なんだな?! お前は、世界を救おうとして俺達を蔑ろにしたんだろ?! 必要な犠牲だと割り切ったか?! 英雄になりたかったのか!?」
声が止まらない。
自分でも制御できない。
自分の状況も、これから起きる事も全て把握している。
それなのに、俺は止まれない。
「マスター、魔王への勝率は高くても一割未満。これ以上はそれすら――」
途端、イリスが背中で動き始める。
ようやく起きた――そう思った。
だが、少し様子がおかしい。まるで夢でも見ているようだった。
……イリスが、いる。
俺がここで戦わない判断をしたら、この眠っている少女はどうなる?
「クソ……! ナナはここからできるだけ離れろ! お前がいても邪魔なだけだ!」
イリスを背負い直し、ノクトルへと歩を進める。
「起きろノクトル!」
手を掴もうとした。
だがノクトルは動かない。
その瞬間。
「……メリス」
背中から小さな声がした。
「イリス?!」
振り返る。
虚ろな目を開いたイリスが、俺の肩に凭れかかっていた。
目の焦点は合わず、今にも背中から滑り落ちそうに力が抜けていた。
「魔王がくる。戦えるか?」
俺の問いかけに、イリスは反応しなかった。
このままだと――俺一人で戦うことになる。
勝てるか?
無理だ。
俺一人じゃあ、結界を破ることができない。
せめて、イリスかナナ――しかも球体のほうのがいる。
「ノクトル! ノクトル!」
背を力強く揺さぶる。
振動に応じるように、彼女の黒煙がゆらりと揺れた。
「メリス……違う……」
イリスの呟きが背中で零れ落ちる。
だが、俺は無視した。必死にノクトルを起こし続ける。
――だが。
直感で悟る。これは、ダメだ。
放心状態、ノクトルが起き上がった所で使い物になるのか?
気持ちは痛いほどわかる。
俺も、あいつが死んだ時似た状態になったことがある。
あの時の俺に、もしノクトルと似たような力があったとして、戦えるか?
答えは、否。
できるわけがない。
「……ダメか」
ナナが言っていた。良い結果に辿り着くように調整したと。
歯車は繊細な構造になっている。きっと、どこかで歯車が狂ったんだ。
そして、一つのズレは大きなり、このクソみたいな状況になった。
人間程度が、未来という大きくて繊細な歯車を調整できるはずがなかった。
俺は手を止める。ノクトルを揺らすことさえやめた。
じゃあ、次はどうする?
……せめて、イリスにだけでも生きてほしい。
「消費――」
能力を起動しようとした、その時。
ノクトルが、立ち上がった。
「……っ」
背のイリスが何かを呟いた気がした。
けれど聞き取る余裕などなかった。
「魔王がくる! 今すぐに戦う準備を――」
ノクトルがこちらに振り返り、黒煙が形を変える。
これまで全身を覆っていたそれは、ユラユラと蠢き、外套のように姿を変えた。
「雨が降ってる日の、陽光が私は好き」
ノクトルがぽつりと口にした。
その光景がとても不気味に見えた。
「美しいと、そう思わない?」
「何の話を……」
頭がおかしくなったのか。そう思った瞬間。
「あぁ、豊潤だったわ」
ノクトルは――笑った。狂気にも似た笑み。
こんなに笑うノクトルは初めてだと、いつもの彼女を知らないのに確信した。
「ねぇ、シーラ。私、貴方のこと好きよ」
愛の告白。
否。違う。そんな可愛げのあるものじゃない。
――俺は、ノクトルの現状を理解した。
「今日という日に感謝を。そして……あぁ、そうそう」
ノクトルの口元から白い八重歯が覗いた。
「いただきます」
懐から取り出したのは、マセキ。
その意図に気づいた瞬間、俺は悟る。
状況は、最悪を通り越したのだと。
「消費!」
俺が手のひらをノクトルに向けた、その刹那。
ノクトルの指が動いた。
まるで見えない楽団を操る指揮者のように、優雅に、滑らかに。
――イリスのように。
轟音が響き世界が割れる――そう感じた時には遅かった。
轟音が世界を引き裂き、天地が逆さまに転がる。
さっきまで
「ッッッッッ?!」
重力が牙を剥き、俺を真っ逆さまに引きずり落とす。
背中にいたイリスの体が引き離されていく。
イリスは眠ったまま、ただ墜ちていく。
このままじゃ、彼女は死ぬ。
「消費一月!」
思考より先に、口が動いていた。
想像したのは、イリスの方向に飛ぶこと。
弾丸のように俺の体が弾け飛び、イリスの腕を掴む。
胸が潰れるほどの焦燥の中、必死に宙を見上げる。
――そこにいた。
ノクトル。
彼女は俺を見下ろし、指をピタリと俺に向けた。
瞬間、世界から白以外の色が消えた。
「消費一月! 消費――」
必死に能力を重ねる。
何度も弾け飛び、風を裂き、色のない空間を抜ける。
そして――。
視界に色が戻った時。
俺は巨大なクレーターの底にいた。
「……最悪だ」
唇が勝手に動き、声が漏れる。
何が起こったかは、まだよくわからない。
だが、一つわかったことがある。
ノクトルが――魔王だった。