TSヴァンパイアは世界を揺るがしかねない封印を解放し妹にしてしまうらしいです 作:西春江
魔王が死んだ。
それを実感した直後、体の力が抜ける。
ようやく大仕事を終えた。だが休む前に、まだやるべきことが残っていた。
「んで、何でここにいるんだ……」
俺の胸の中で、イリスの肩がピクリと揺れる。
「別に怒っては……いや、怒ってはいるな」
その一言に、再び小さく肩を揺らした。
「……ごめん」
「……はぁ。ま、とりあえず、色々あったけどあれだな」
俺はイリスの目の前に拳を突き出し、イリスは瞬きを繰り返しながら、それをじっと見つめる。
「助かった」
「え?」
「お前がいなかったら死んでたかもしれん。助かったよ」
イリスは恐る恐るといった表情で、こぶしとこぶしをコツンとぶつける。
……魔素の切れた俺は、魔王の力では感知できなかったはずだ。
だが、それは別として足音や気配で気づかれてた可能性は高いし、最後の最後に油断して、あの触手にやられてた可能性もあった。
「私も、ありがとう」
「……ん?」
「助けてくれて、ありがとう。私、もう会えないと思ってたから」
涙を浮かべながら微笑む少女がそこにいた。
「メリス……私を家族の元まで、ここまで連れてきてくれてありがとう」
その笑顔を見た時――。
俺はここに来れて良かったと、勇者になれて良かったと、ようやく心の底から思えた。
そうして、全て目標が無事……ではないが成功し、全てが終わりを迎えた。
……だが物語は、まだほんの少しだけ続く。
「どこに行ったあの球体?! どこまで知ってたのか全て白状してもらおうか?!」
「えぇ?! ナナが可哀想だよ?!」
ナナを探して一時間ほど経った。
そして、ようやく発見した。
「よぉ、死んだふりか?」
蒼い髪の少女が瓦礫の下にいた。
ルインアークに乗り込む前に、彼女は言っていた。
球体は死ぬが、人型の方は生き残る可能性があると。
クラウドに保存的な話だろう。
「死んだふりではありません。閉じ込められてたダケ」
俺は無言で瓦礫をどかしていく。
「ノクトル様に機械を食べる趣味は、幸いなことに無かったようです」
やがて姿を現したナナは、上半身しか残っていなかった。
人間であれば致命的だが、機械属ならば死には至らない。
機械国家に戻れば、予備の身体はすぐに手に入るだろう。
俺はナナを背に担ぎ、その場を後にした。
「マスター」
背中から小さな声が響く。
「なんだ」
「ありがとう、ございます。私はようやく、生まれた意味を実感できました」
「……おう」
こいつにも色々文句を言いたかったが、結局はただ、世界を救うという最初にインプットされた命令を守っていただけなのだろう。
文句を言うのは、雨の止んだ世界を歩みきった、もっとずっと後でいい。
「あとは何か、やり忘れた事はあるかな?」
イリスが空を仰ぎながら呟いた。
さっきからずっとこの調子で空を見続けている。
雨の降らない空が珍しいのだろう。
「墓は作ったし……壊れてたけど
俺の言葉に、イリスは小さく首を傾げた。
考え込むように眉を寄せ、そしてふと何かを思い出したのか、その表情を暗くする。
おおよそ、何に気づいたのかは理解できた。
魔王を倒した後――イリスは死を選ぶ。
「メリス、私……」
俺は深く息を吐き出す。
――状況は変わっていくものだ。
それが、良かれ悪かれ不変なんてものは存在しない。
終わらないと思っていた雨ですら、今はこうして止んでしまったのだから。
だから、俺はこの言葉を口にする。
「お前は、魔王には――なれないよ」
その一言が、俺のすべてだった。
背中に背負っているナナも頷いている。
魔王と同じ種族というだけで、同じ魂という理由だけで彼女を殺すのは……間違っている。
こいつは、魔王には絶対になれない。
「え?! それどういう意味?!」
イリスが大げさに声を上げる。
その軽快なやり取りに、胸の奥に残っていた重苦しいものが、あっけなく霧散していく。
こいつを、妹と重ねること自体が間違いだった。
ようやくその答えに辿り着けた俺は、ゆっくりと歩き出す。
「次の目的地は機械国家だ。二代目ヴィーとナナの身体、あとは
その次は、コロニーだろうか。ガレットさんの野郎にも、色々問いたださなければならない。
「んじゃ、出発」
「しゅっぱーつ!」
イリスが無邪気に手を空へ突き上げ、号令を響かせる。
その姿を見て、俺はようやく実感した。
俺たちの魔王への長い長い旅路は、ここで終わりを迎えたのだと。
そして、新しい旅が始まったのだと。
――ニ週間が経った。
帰路についた俺たちは、いつの間にか「見たことのない土地を見に行こう」という話になっていた。
雨の降らなくなった世界は、これまで想像もしなかったほど行動範囲を広げてくれる。
そこは、俺の知る常識から外れた世界だった。
見たこともない獣、耳にしたことすらない鳴き声。
湿気に濡れた土と、腐りかけの植物の匂いが鼻を突き、息苦しささえ覚える。
マジンこそいなかったが、マジュウの類は溢れていた。
魔王を倒して雨を止めたところで、この世界の害は消えないらしい。
この世界が完全な平穏を取り戻すのは、もう少し後の話なのだろう。
そんな中、一匹のマジュウに出会った。ナナが言うには、一級レベルの化け物。
正直、俺は今すぐにも逃げ出したかった。
――寿命を削ってまで戦う理由なんて、もう俺のどこにも無かった。
けれど、逃げ出そうとした俺の腕を、イリスが強く掴んで止めた。
いやいやながらついて行くと、イリスはその一級クラスのマジュウを目にした瞬間、灰へと変えた。
その光景に俺は言葉を失った。
ヴィリアの記憶を継いだという彼女は、俺よりも魔法に秀でていた。
……その時、心のどこかで理解してしまった。
もうイリスは大丈夫なのかもしれない、と。
――1週間が経った
ヴィーの機動力を失った俺たちは、時間をかけて巫女様のコロニーに辿り着いた。
……いや、正直に言えば遠回りしたせいでもある。
コロニーを探索した。中はかなり荒れていてマジュウの群生地と化していた。
イリスと相談し討伐を決める。
もちろん俺は後方待機だ。吸血属の力をもう使う気はないから今の俺は戦力外。
その間、一度だけ崩聖龍に襲われた。
その巨大な影がコロニーを覆った瞬間、俺は死を覚悟した。
だがイリスは数分どころか数秒もかけずに殺してみせた。
……正直、その時の俺の顔はひきつっていたと思う。
冗談めかして「やっぱり、イリスを殺す必要があるかもなぁ……」なんて言ったらイリスに真顔でブチギレられた。
――1ヶ月が経った。
ようやく俺達は機械国家に帰り着いた。
歩き旅に疲れたオレたちは速攻で二代目ヴィーを探しに行く。
……ノクトル無しで機械属に追われるかと思ったがナナのおかげで事なきを逃れた。
どうやらナナはこの前の旅の時に機械国家を掌握していたらしい。
もしかしたら、この旅で一番使えないのは俺なのかもしれない……。
魔王戦まではかなりの仕事をしたと自負していたのだが、老後というやつなのだろうか。
ナナの代わりの体はできるだけ似たようなのを選んだ。
蒼髪ロングの俺より少しでかい女の子。……いや、正直に言おう。俺の趣味だ。
その後、
ナナが「この旅が終わったら治しに行く」と言っていた。
この旅の終わり――それがいつくるかはわからないが、終わる原因は大体予想がつく。
もっと、この旅を楽しもう。
――また、時間がたった。
雨の止んだ世界を歩き、生き残った生存者のグループを発見した。
彼らは原始的な生活をしていた。
俺はつい、魔王を倒した英雄だと自慢して回った。これぐらい許されてもいいだろう。
が、問題発生。誰もそのことを信じない。
証明しようにも証拠が無い。
イリスが俺を慰めてくれた。
――時間が、経った。
ある日のことだった。
ようやく、故郷に辿り着きそうだという時に問題が起きた。
いや、きっと問題でも何でも無いと思う。そう、思いたい。
……イリスと旅をしている最中ある迷宮を見つけ探索に向かう。
ナナの探知とイリスの戦闘力があれば死の危険はほとんどない。
探索中、扉を開けようとした。……力が入らなかった。
筋力が落ちていた。
要因は容易く想像できるが、それで無いと信じたかった。
俺は疲れが溜まったと口にし、その場を後にした。
その日の晩、ナナに診断を頼んだ。
診断を行った彼女は何も言わなずに、どこかへ向かって行った。
数時間後、葉っぱを大量に抱えたイリスが戻ってきた。ナナに頼まれて手伝ったらしい。
直後、ナナは容赦なく俺の口に草を詰め込んだ。
薬の類は苦手では無いが、流石にあれは二度と経験したくない……。
――二週間が経った。
俺はついに故郷へと帰ってきた。
「無いじゃん」
「……無いね」
無い――というのは語弊があったかもしれない。
「……」
俺はコロニーをじっと見つめる。いや、コロニーだった場所を見つめていた。
巫女様のコロニーと、同じだ。
ギリギリ間に合うと思っていた。けれど甘かった。結局、何も救えなかった。
自分を責めかけた瞬間、ナナが口を開く。
「マスターが何をしても、このコロニーは滅ぶ運命でした」
ナナは俺の横を通り過ぎ、崩れたコロニーに足を踏み入れた。
「あそこで滅んでしまうと言った場合、マスターは魔王討伐に向かわない未来を選んだかもしれません」
「……」
「これが、最後の嘘です」
ナナはくるりと振り返り、悪戯っ子のように笑った。
俺とイリスはその背中を黙って追う。
タイムリミットに間に合うように努力したのが無駄だったと落ち込んだが、それは違うとナナに諭された。
コロニーの崩壊と同時に雨がやみ、コロニーの住民はここら周囲で生き残っているらしい。
努力は無駄ではなかったらしい。
危険な魔物が潜んでいるのではと身構えたが杞憂に終わる。
このコロニーを滅ぼした存在は当の昔に逃げてしまったらしい。
俺は自分の部屋へ向かった。
片付けが苦手な俺の部屋は、いつも散らかっていたが……今はそれ以上だ。
地震が起きたレベルの大惨事だ。
「うわぁ……すごいね、これ」
「うーん……俺、この部屋でくつろぐの楽しみにしてたんだがなぁ」
苦笑いしながら、俺は瓦礫の間を漁る。
「そういえば、この部屋で一緒に寝たよね」
「……そうだったか? 覚えてない」
「絶対嘘。メリスって昔のことを思い出すの恥ずかしがるよね」
この旅の最中に、俺のことを深く理解したらしい。
――図星だ。
俺はイリスの言葉を無視し、ある場所に向かった。
「……ここにいるんだよな?」
「はい」
恐る恐る目の前の扉を開く。
そこは書室のような部屋だった。
崩れた棚に、散乱した本。紙の匂いに埃が混じっている。
だが、そんなことより――。
「っ……!」
誰の声だったか、わからない。
目の前にいたのは、探し求めた人物。
だが、その目は虚ろで、腹部には槍のようなものが深々と突き刺さり、壁に縫いつけられていた。
文句を……言ってやるつもりだったのだが、これでは、何の意味もない。
「逃げられたな」
「メリス、私が」
「頼む」
――ガレットさんは、マジンになっていた。
▽▲▽▲▽
僕は、コロニーの片隅で、何もできないまま歳を重ねて、静かに死ぬんだろうなぁーと。
そう、思っていた。あの日までは――
「……君は?」
崩れた瓦礫の上、鈍色の空の下。
僕の目の前に、ひとつの球体が浮かんでいた。
「わかりません。私は誰なのですか?」
「さぁ……僕にもわからないよ」
――それが、僕と
名前を
未来を読む機械属らしいが、今はその機能が壊れているらしい。
最初はただの変わった機械だと、そして気の合う友人の一人だと、僕は軽く受け止めていたのだ。
歳が二桁になった日。
両親が事故によってマジンと化した。
あの日の光景は今も夢に焼き付いている。
母が、父が、僕を殺そうと狂気に落ちる姿。
僕は何とか助かったが両親は死んだ。
その日から、魔王はただの背景ではなくなった。
世界のどこかに在る「存在」ではなく、僕の目の前から大切なものを奪った「仇敵」になった。
「
「協力させていただきます。私の生まれてきた意味ですので」
その会話を境に、僕の日常は一変した。
まず、このコロニーで権力を好き放題使える立場までこぎつけ、
人間関係も、時間もすべてを打算に使い、ようやく力を手に入れた。
ここが、スタート地点。
未来を読む。
それは単純に見えて、実際には血を吐くような作業だった。
未来を「調整する」という行為は、繊細で、慎重で、残酷だ。
わずかな行動の違いが、数多の人間の命を左右し、世界の歴史をねじ曲げる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
狂うほどの反復。自分が何をしているのかわからなくなるほどの選択を僕は繰り返す。
時に、人を殺さねばならないこともあった。
直接的に、あるいは間接的に。
「ラミア・メリス……やっぱり彼女を魔王の器にするのが一番、勝率は高くなる……か」
「……すみません。私の性能ではこれ以上は……」
「いや、いいんだ。君は十分やってくれている」
他の誰でも駄目だった。
ヴィリアでも、ハロルドでも、サニーでも、ヤックルでも。
僅かに確率は変動するが、魔法使いという因果だけでは足りない。
問題は彼女――シーラ・メリス。
彼女が関わる未来は、全てが大きく捻じ曲がる。
悪い方向にも、良い方向にも。
彼女という存在自体が因果を狂わせる。
やはりラミアを器にするのが最も「勝ち」に近づく。
だが、その過程で大量の犠牲が生まれる。
ハロルド、オリオティス、ヴィリア、メリス家……その他大勢。
「これは……地獄にしか行けないな」
――年月が経つ。
その日、一つの歯車が狂った。
ノクトル。
ランガルジアの未来視で唯一、映らなかった少女。
僕は彼女を脅威と断じた。……けれど、試しに彼女をランガルジアに組み込んだ瞬間、全てが変わった。
未来はシーラ以上に大きく捻じ曲がったのだ。
何をするのかは視えない。
だが、変化の痕跡だけは確かに存在した。
僕は賭けた。この狂った歯車に。
――そして、今。
雨が降っている。止まる気配は今のところ無い。
知っていたともさ。僕の存命中に魔王が討たれる可能性は限りなく低いと。
「シーラちゃん……頼んだよ」
成した後の世界を見ることができないのは、あまりに悔しいが、僕は罰を受けなければならない。
「
▽▲▽▲▽
ガレットさんの机の上には、一通の手紙が置かれていた。
乱れた筆跡で綴られたその文面は、謝罪と感謝。
イリスの記憶を通して彼の過去を知っていなければ、俺はどう受け止めていただろうか。
憎んでいたかもしれないし、軽蔑していたかもしれない。
けれど今の俺はイリスのおかげで、彼を好意的……いや、憎みより少しマシ程度に受け止めている。
許せない。だが、もし俺が同じ立場だったら、似たような選択をしていたかもしれない。
そして、手紙の最後とても重要なことが書いてあった。
――レルナクリアを助けてあげてくれ。
「……正直、俺は助ける必要が無いと思っている」
ナナとイリスが露骨に嫌そうな顔をする。
「まぁ、マスターが仰ることも理解はできますが……」
レルナクリア、それは――。
「えいっ」
「バッ?!」
イリスが唐突に槍を数本、躊躇なく引き抜いた。
――レルナクリア。
俺の
白髪の美少女、目が赤く紅色。
俺と同じ
ガレットの手紙の最後に、このままだと可哀想だから助けてあげよ〜、と書いてあった。
最後の最後に爆弾を押し付けてきやがって。
「お、お前! 躊躇ってものが無いのか?! こいつが頭のおかしい奴だったらどうする?!」
「大丈夫だよ。勝てるって」
フラグにしか聞こえない!
槍を引き抜かれた衝撃で、少女の肩が小さく揺れた。
みるみるうちに傷口が塞がっていく。再生が早すぎる。俺なんかとは次元が違う
冷や汗が首筋を伝う。
俺は逃げる準備をする。
まだ、死ぬには早すぎる……!
レルナクリアが立ち上がる。その目は虚ろで、どこかで見た覚えがある。
……そうだ。あれは巫女様のコロニーで、俺が血液不足に陥ったとき――。
瞬間、レルナクリアがイリスに飛びかかろうと跳ね上がった。
が。
「えいっ」
イリスの一言と共に、謎の圧力に押し潰され、床に叩きつけられるレルナクリア。
「……えぇ……」
「これって血液不足……かな?」
「たぶん……そうだろ」
「……メリス以外に飲ませたく無いなぁ」
ぼやきながら、イリスはレルナクリアに歩み寄る。
懐から小さなナイフを取り出し、迷いなく自分の手のひらを切り裂いた。
ポタ、ポタ、と赤い雫が零れ落ちる。
その血がレルナクリアの口元に届くとわずかに喉が動いた。
血液を飲んだ途端、レルナクリアの動きがぴたりと止まった。
やがて、彼女はゆっくりと頭を上げる。
恐る恐る、といった様子で口を開いた。
「も、もしかして僕が血を飲むとこ、見られてた……かな?」
俺がこくりと頷く。
瞬間、彼女の顔がみるみる赤く染まっていった。
血の色ではない。ただ頬が紅潮しているだけだ。
「……なんかいい人そうだね」
「……だな」
――レルナクリアが仲間になった。
その日の晩、俺はある場所に向かっていた。
外壁の裂け目から広がる景色を見下ろせる、高台。
雨の日も美しかったその眺めは、今では晴天に照らされ、遠くの山々まで見渡せるほど澄んでいた。
そして。そこに、一つの大きな石が立っていた。墓石だ。
「あいつが死んでから……始めてきたな」
その一言で、イリスの表情が固まる。
「墓参りは嫌いなんだ。無意味な行為だし、何より悲しい」
俺は手を合わせる。
この世界でこれが合っているかは知らないが、俺はこれしか知らん。
「……何をすればいいのかな?」
「さぁ、自由にしてくれて構わん。墓参りなんて、ただの自己満なんだからな」
イリスが俺の言葉に嫌そうな表情をする。
「じゃ、じゃあ……一言だけ」
「おう」
彼女は俺を真似して目を閉じ、手を合わせた。
「私のせいで……ごめんね」
思わず「お前は悪くない」と返そうとした。だが、その言葉が出ることはなかった。
先にイリスが、
「――ありがとう……ごめんね……」
小さな声。イリスはそう呟いて立ち上がった。
「……行くか」
「うん!」
きっと、その言葉が合っているのかは互いに理解していないだろう。
だが、それ以外の言葉が見つからなかった。
……そうして俺達はコロニーを後にした。
――また、時間が経った。
けれど俺たちの旅には、明確な目的なんてひとつもなかった。
魔王を倒すことも、故郷に帰ることも、機械属を仲間にすること、そんな目的は俺たちのどこにも無い。
ただ、旅を楽しんだ。
前回、俺の体調不良のせいで迷宮の探索が中途半端に終わってしまった。
その迷宮ではない、別の迷宮を探索することにした。
レルナクリアが先頭、ナナが探知、イリスが後衛。
俺のやることは飯を作るぐらいしか残っていなかった。
……味が、わからなかった。
この世界での数少ない楽しみの一つだったのに、それすらも失われている。
けれどイリスは俺の作る料理を、いつも幸せそうに口にする。
俺はイリスに飯の作り方を教えた。
ナナの方が上手く教えられるだろうし、知識も豊富だろう。
それでも、俺が彼女に教えたかった。それだけで理由は十分だった。
――時間が流れる。
旅の中、俺たちには一つの小さな目標ができた。
海を泳ぎたいと、イリスが言っていた事を思い出した。俺はすぐに「海へ行こう」と提案した。
もちろん、ここから最寄りの海だって気が遠くなるほどに遠い。
それでも、目指す場所があるだけで旅は鮮やかになる。
道中、俺は元の世界の話をした。
レルナクリアもイリスも目を輝かせて聞いてくれた。
その話を聞き、レルナクリアが能力でゲーム機を作った。
だが、生成された物はよく分からんものだった。
ある程度の記憶がないと補助されないらしい。
イリスは、そのゲームを楽しそうに遊んでいた。
……その日の夜、俺は何度も吐いた。
昼に食べたものを、胃液を、最後には血までを。
俺の荷物はナナが代わりに持つことになった。
イリスは俺の現状を知らず、メリスだけズルいと言っていた。
その姿が微笑ましかった。
――時は止まらない。
俺たちはまた迷宮に足を踏み入れた。
理由はイリスの家族探し、悪く言えば次世代の魔王の対処。
同じことを繰り返させないために。
もう、この世界に終わりのない雨が降る光景など見たくはなかった。
見かけるたびに探索をした。当たり前だが魔王は見つからなかった。
イリスはこの間にも成長を続ける。
もう、俺を必要としないところまで来ていた。
それでも、俺は彼女と過ごす時間を、必死に大切にした。
どんなくだらない話でもよかった。
ただ隣で言葉を交わす、それだけでよかった。
けれど、その最中に俺の腕が動かなくなった。
次の瞬間、またも喉から血が溢れ出す。
イリスは怒りの表情で、俺に何故隠していたのかを問いただしてきた。
俺は笑って、すべてを話した。
彼女に隠してきたこと、俺の終わりが近いこと。
その日のイリスの表情を俺は、一生忘れることはないだろう。
――時間が経った。
生き残った人間がいた。
イリスはそこで休もうと俺に提案……というより強制だった。
俺はまだ歩きたかった。旅を続けたかった。
けれど、あいつの頼みなら断れるわけがない。
「魔王を倒した」と告げると、彼らは目を丸くし――そして、俺たちを歓待してくれた。
よかった……今回は信じてくれた。
少しの間、安らぎを味わった。
けれど長居はできない。俺たちは再び歩き出した。
道中、イリスはことあるごとに俺へ手を差し伸べてくる。
転ばないように、と。疲れていないか、と。
俺はそれを拒絶する。
心配をかけない背中を見せること。それが、最後まで俺に残された唯一の役目だった。
ナナが俺の体を診てくれた。
結果は……分かりきっていた。
状態は芳しくない。いや、もう限界に近いのだろう。
――少しだけ、長い時が流れた。
そしてその時は、思っている以上に早く、俺の目の前へと迫ってきていた。