TSヴァンパイアは世界を揺るがしかねない封印を解放し妹にしてしまうらしいです 作:西春江
虫のような複眼、鉄の皮膚、そして心臓部には赤く脈打つマセキ。
肌を剥いだターミネーター……が一番表現として合っているだろう。
人智を超えており、人間を軽く凌駕する肉体を持った機械生命体。
だが、そんな脅威も今は過去の話だ。
かつて、魔王がその存在に危機感を抱き、数年の歳月をかけて、徹底的に滅ぼし尽くしたのだ。
今では、雨が降りしきる廃墟、機械国家は、誰からも忌避される地獄へと成り果てた。
——腐りきった土壌、機能を維持したまま暴走する
「……オリオティスが生き残ってる保証はあるのか?」
「あるわ。私の加護は人に譲渡できるの。私はまだそれを感じてる」
俺の問いに、ノクトルは確信に満ちた声で応じた。
「なら、さっさと助けに行かないとな」
「えぇ、もう一週間は経ってるわ。早く……助けてあげないと」
一週間も放置されてるのかよオリオティス。
それでまだ生きているということは、かなりのタフガイらしい。
生還した暁には、ぜひ仲間に加えたいところだ。
「そういやぁ……なんでオリオティスと逸れることになったんだ?」
「ほとんど覚えてないわ……覚えてるのは、魔王に敗れて逃げ続けて、ここにたどり着いたってことだけね。……魔素も、加護も、体力も切らしてて、記憶が曖昧だわ」
「……魔素を切らしながらって、よく逃げられたな」
魔素切れは、《魔素病》と呼ばれる体の衰弱を引き起こす。
俺も一度だけ体験したが、あれは地獄だった。体は鉛のように重く、立ち上がるのもやっとになる。
その状態で逃げ延びたノクトルは、かなりのタフガールだ。
「火事場の馬鹿力と言うやつね。覚えてないから実感はないのだけれど」
流石異世界タフガール。
「それじゃ、そろそろ寝ていいかしら。今日やっとこのコロニーに着いたばかりよ。もう少し休みたいわ」
ガレットの話では、俺が迷宮から帰ってきた数時間前に、ノクトルはこの地に到着したらしい。
魔素病の症状を引きずり、飢えにも耐え、満身創痍で歩き続けていたというのにピンピンしている。
……やっぱり異世界の女の子はタフなのだ。
「わかった。じゃあ、明日の朝——」
「ちょっと待ちなさい」
ノクトルが俺の言葉を遮る。
「私が、あなたと魔王討伐に行く理由。……もう忘れたの?」
……理由?
オリオティスを助けるため。雨を止めるため。
そして…………。
「忘れてた……でも、本当にいいのか? ……結構、痛そうだけど」
「当たり前じゃない。私がついていく意味がなくなるわ」
言い終えると、ノクトルがゆっくりと歩み寄ってくる。
ノクトルの身を包んでいた黒煙が、ふわりと一部だけ晴れる。
露わになった、首筋。
「えと、いただきます」
俺は手を合わせて、ぺこりと頭を下げた。
そして翌日。
俺達は機械国家へ向かうことになった。
「よ、よろしくお願いします」
「えぇ、よろしく」
封印とノクトルが会話をしている。
封印がこうして他人と会話するのは、たぶんこれが初めてだ。
慣れない場に放り込まれて、ちらちらと俺の方に視線を送ってくる。
——助けて、とでも言いたげな目だ。
だが俺は、黙って頷くこともしない。
頑張って成長するのだ。
「私の名前はノクトル」
ノクトルが名乗ると、封印は一瞬きょとんとし、それから慌てて自分の番だと気づく。
「わ、わたしの名前は封印って言います。よろしくお願いしますっ」
その声に、ノクトルがピタリと止まった。
「それは……名前なの?」
「名前だよ?」
「……は?」
煙に包まれたその顔は見えないはずなのに、なぜだろう。
圧が、確実に俺のほうへと向けられたのが分かった。
……居心地が悪い。
「名前をつけてあげてないの?」
「いや、違うんだ。俺は悪くない」
反射的に言い訳が飛び出す。
「そういえば迷宮から出たら名前付けてくれるって言ってたよね」
「……ナナがつけるのじゃ、ダメなのか?」
最後の逃げ道を模索する俺。
だが、封印は困ったようにうーんと唸り、一言。
「……約束したじゃん」
確かに、約束は大事だ。
「付けてあげなさいよ。封印、封印って、語呂が悪いし……なんかダサいわ」
「え?」
ノクトルの言葉に、封印が小さく声を漏らす。
その表情に、ほんのわずかなショックが浮かんでいた。
最初は封印という名前に嫌そうな顔をしていたが、少しだけ愛着が湧いて来たのだろう。
「……わかった。何か、要望はあるか?」
「うーん。可愛いのがいい」
頭の中に一つの名前が浮かぶ。
「じゃあ、リリスはどうだ」
「おぉ、なんかいい感じ。可愛いかも」
この名前は、この世界に伝わるお伽噺に登場する伝説の勇者の名前だ。
魔王を打ち倒したとされる、英雄――リリス。
実際に存在したらしいし、なにより縁起がいい。
「……それ、極飢列伝の主人公の名前?」
ノクトルが急に口をはさむ。どこか不満げな声音。
「まぁ、由来はそこだけど。不満があるなら受けて立とう」
こういうのは異世界ガールのセンスに頼ろう。
もしかしたら、この世界では縁起が悪いなんてこともあるかもしれない。
まぁ、十数年生きて来てそんな話は聞いたことがないが。
「別にいいと思うわ。ただ……封印が魔王を倒した時、リリスが二回倒したみたいなややこしいことにならない?」
たしかに。文献に残る時、混同されてしまうかもしれない。
「じゃあ……少し変えてイリスはどうだ?」
「私それがいい!」
封印がぴょんと跳ねる。
「メリスと似てるしね!」
……しまった。不覚だった。
確かにイリスはメリスと響きが似ている。
というか、リリスとメリスも似てるな。
「じゃ、それで決定?」
「うん。私はイリス! よろしくノクトル!」
「えぇ、よろしく。イリス」
そのやり取りを見ていると、もう変更なんて言える空気ではなかった。
「メリスもよろしく!」
そしてこちらに元気よく向けられる声。
俺は悩んだ末に、最後には頷いた。
「よろしく。……イリス」
雨の絶え間ない音が、森の中で響き渡っている。
俺たちは濡れた木々の合間を縫うように進んでいく。
足元の地面は雨にぬかるみ、ところどころ泥が跳ねる。
踏みしめるたびに水音がじゅぶりと鳴って、歩くだけでも神経を使った。
生ぬるい風に混じって、濡れた草と土のにおいが鼻をつく。
イリスが何度も足を滑らしている。
この調子じゃ、機械国家に着くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
ノクトルが一人でこの森を突っ切ったというのが信じられない。
あの異世界ガール、タフすぎるだろ。
「うわ、なにあれ」
前を歩いていたイリスが、木の間から何かを見つけたらしく立ち止まった。
その視線を追うと、視界の先にぬるりと蠢く何かがいた。
「……きも」
なんだあのデカいナメクジは。1メートルはあるぞ。
「あ、あれってマモノかな?」
「流石にその類だろ」
あんな巨大なナメクジがいてたまるか。
「あれはマモノではありません。原生生物ですね」
ナナの無機質な声が、後ろからさらりと訂正してくる。
それを聞いて俺の脳内に浮かんだのは、さっきとまったく同じ単語だった。
「きも」
歩き続けて一週間ほどが経った。
当たり前だが雨は止まず、地面はグジュグジュのまま。
濡れた地面を歩くのはかなりの体力がいる。
そろそろどこかで休みたいところだ。
そんな疲労が漂う空気のなか、不意にノクトルが立ち止まった。
「静かに」
ノクトルはそっと後ろを振り返り、口元に人差し指を立てる。
森の奥、霞む視界の中にそれはいた。
巨大な蜘蛛のように見える。けれど、生物ではない。
鉄の外殻が雨に濡れ、光っていた。
「なに、あれ……?」
イリスの口から疑問が漏れる。
答えを教えようにも俺も、目の前にあるデカ物を知らない。
鉄ような皮膚に何本の脚も生えている。まるで機械の蜘蛛。
「……機械国家の、残党兵よ」
ノクトルが声を潜めて言った。
「逃げてる時、一度だけ見たわ。接触はしなかったけど……近寄らない方がいいと思う」
じり、とノクトルが後ずさる。それに合わせて俺たちも距離を取ろうと動き出した、その時――
「ノクトル様」
ナナの声が、鞄の中から静かに響いた。
いつの間にか、ナナは姿を現していた。小さな球体が淡く光を放つ。
「その多脚戦闘兵ですが、魔素の反応がありません。おそらく機能停止状態です」
「本当に……? そんなこともわかるのね、あなた」
ノクトルは訝しみながらも、静かに蜘蛛へと近づいていく。
「これ、中に入れるわ」
ノクトルが多脚戦闘兵のコックピット部分を開ける。
俺達はその中を覗き見る。
狭い車の内部を少し広くしたような構造で、奇妙な配線や金属片、よくわからない装置がそこかしこに転がっていた。
「結構広いな。今日はここで休むか? 外よりはマシな気がする」
もうグジュグジュに濡れた地面で寝るのは飽きていた。
「それなら、中の掃除は任せていい? 私は野営の準備をするから」
「わかった!」
イリスが元気よく返事をする。
それを聞きノクトルは鞄を開き、食料調達と結界の準備を始める。
「いや、イリス。お前は外でノクトルの手伝いをしてこい」
「え? 掃除は一人でいいの?」
「結界の展開や食糧調達、そういうの……できるようになったほうがいいだろ? その練習だ」
本音は中を変に弄り面倒事が起きるリスクを避けたいからだ。
もちろん、口には出さない。
それに、食糧調達スキルの習得が必要なのも、事実だから。
「わかった。頑張ってみるよ」
「おう。がんばれ」
そう言ってイリスは小さな拳を握りしめ、ノクトルの元へと駆けていった。
そして俺は、薄暗いコックピットの奥へと一人進み、ほっと息をついた。
「よし、掃除始めるか」
夜が来て、イリスが眠りに落ちた。
「寝たわね。イリス」
静かに、ノクトルが囁いた。
「単純に疑問なのだけれど。……何故あなたは、イリスに名前をつけてあげなかったの?」
ノクトルが視線をこちらにむける。
「迷宮で忙しかったから……?」
「嘘。語尾にハテナがついてる」
俺は視線を外して、重い息をつく。
「……わかるだろ? ……愛着を持つと面倒なことになる」
最後に殺すやつに愛着を持つなんて馬鹿らしいと、ノクトルに暗に伝えた。
それ以外にも理由はあるのだが、ノクトルに言ったところで意味は無い。
あれは、俺だけの問題だ。
「ていうか、ガレットさんも酷いよなぁ。最後は俺に任せるなんて、責任を投げるのにも程がある」
それも魔王討伐の勝率を高めるためだと言われたら、頷くしか無いが。
「最後って、何のこと……?」
「いや、最後は最後に決まって……」
ようやく俺は気づく、自分が取り返しの付かないミスをしてしまったことに。
きっと、ノクトルは、イリスを最後に殺すことを知らされていない。
「あなた、まさか」
ノクトルはすぐに真相へ辿り着いた。
「……少し外に出よう」
俺は小声で言い、寝息を立てるイリスを残して外へ向かう。
扉を開けた瞬間、雨音が世界を覆い、濡れた土の匂いが鼻に刺さる。
「……検討、だ。あいつが生きてると面倒なことになる可能性があると、ガレットさんが言ってた。だから、最後に殺すことを検討しろだってさ」
俺は正直に話すことにした。
隠そうとして仲間内で揉め事が発生したら面倒がすぎる。
「うそ、でしょ」
「本当だ」
「じゃ、じゃあ貴方はイリスを最後に、さいごに」
ノクトルの声が震えていた。
「だから検討だ。最後どうするかは……俺もわからん」
「うそ……」
ノクトルがペタリと座り込む。
今日一日、ずっとイリスと一緒にいたからショックがでかいのだろう。
最初に確認しておくべきだった。どこまでノクトルが知っているのかを。
「あなたは、それでいいの」
弱々しい声に、俺は目を伏せる。
「……殺したくない。だけど、あいつが人類の敵なら俺は……」
ノクトルは俯き長い沈黙を抱える。
「シーラ、一応言っておくわ。貴方がそんな責任を負う必要はないわ。代わりに……うん。代わりに私が——」
彼女の言いたいことは理解できた。
ノクトルにとって、俺はただの小さな女の子に見える。だからこそ、自分が背負おうとするのは当然なのかもしれない。
――でも。
「大丈夫。全部俺がやる。俺が――やらないといけない」
その言葉に、ノクトルは何も返さなかった。
ただ沈黙が降りて、雨音だけが俺とノクトルの間を埋める。
そして、その会話を最後に、ノクトルは機械の中へと戻っていった。