TSヴァンパイアは世界を揺るがしかねない封印を解放し妹にしてしまうらしいです 作:西春江
心臓は脳を動かし、脳は心臓を動かす。
どちらかが無かったら俺は死ぬ。
「しょ、ひ、じゅ、ねん」
俺の首元——その切断面から、鮮血のような紅が、ふわりと宙に舞い伸びていく。
それは胴体と頭部を、再び繋ぎ合わせようとしていた。
咄嗟に発動した俺の能力。
「はぁ……! はぁ……! お、おれ、生きて……!」
呼吸が荒い。
震える手で、首筋を触る。ちゃんと、ある。繋がってる。切れてない。
あと一瞬。
ほんの、ほんの一瞬遅れていたら、今ここには、いなかった。
「で、ギリギリ俺は助かった。
そう言って俺は、オリオティスの胸に突き立っていた剣を引き抜いた。
「じゃぁ本当に一度は首を切られたのね……?」
「あぁ」
ノクトルが驚愕という表情を浮かべていた。
そう、表情が見えていた。
「ノクトルってそんな顔をしてたんだな」
「? 何を……なっ?!」
はっとしたように、自分の頬に手を当てるノクトル。
そして、自覚する。いま自分の顔が、隠れていないことに。
普段、ノクトルの周囲を覆っている黒煙、彼女の加護は、すでにオリオティスとの激戦の中で使い果たされていた。
そのため、いまのノクトルの姿を隠すものが何もない。
「こっち見ないで!」
「別に悪くないと思うけど」
「私も!」
イリスがノクトルの顔を見ようと覗き込んでいる。
それを避けようと四苦八苦するノクトル。
「……」
ノクトルの顔を見つめる。
黒髪の普通の女の子という感じだ。
黒髪。この世界ではほとんど見かけることのない、異邦の色彩。
だからこそ俺は思わず、確信に近い推測を立てた。
俺と同じ転生者――いや転移者か。
どちらにせよ、この世界の出身ではない可能性が高い。
俺以外にも、ここに来てしまった者がいるということだ。
……もしこの話になった時、俺の中身が男だとバレまずい事になりそうだ。
うん。黙っておこう。
「ノクトル、オリオティスはどうする」
ノクトルは三角座りをし、その中に顔を埋め込み隠していた。
「……少しだけ、オリオティスと二人にさせてほしい」
「りょーかい」
俺は口を開き、ナナの場所に向かおう。そう言おうとした、まさにその瞬間だった。
足元が、白く光った。
「置き玉——」
誰かの声が上がるのとほぼ同時に、骨が砕けるような鈍く湿った音が耳を貫いた。
反射的に、俺はその場から身を翻す。
「クソッ!」
——だが、何も起きなかった。
「あ、あ? オリオティスじゃないのか? な、何だ今の?」
俺を狙ったオリオティスの決死の一撃かと思ったが、何も起きない。
不発だったのか? それとも、狙いが違った……?
俺の脳裏に嫌な予感が走り抜ける。イリスとノクトルの姿を確認しようと、すぐに振り向いた。
二人とも、無事だ。だが。
「イリス?」
様子がおかしかった。
地面にぺたりと座り込み、大粒の涙をこぼしながら、かすかな声で嗚咽を漏らしていた。
「何が起きたんだ?」
「……オリオティスの置き玉よ。あの人の加護は罠のようにも使えるの。置き玉をして、一発隠してた。また、私のせいね……ほんとうに、ごめんなさい」
意味が理解できなかった。
だが、すぐに気づく、ノクトルの足元、そこに首の折れたオリオティスの死体があった。
「……まだ、生きてたのか」
イリスは、あの一瞬で決断を下したのだ。
死んだと思われたオリオティスの攻撃を止めるために、首を捩じ切ったのだ。
「あぁぁぁぁ……ごめん……ごめんなさい……」
イリスの涙は止まらなかった。
俺は彼女のもとへ歩み寄り、そっと肩に手を置く。
「イリス、落ち着け。……お前のおかげで助かったんだ」
優しく言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「そうじゃなきゃ、俺は今ごろ……蒸発してた。こんどは首だけじゃ済まなかった」
けれど、彼女は俯いたまま、耳を貸そうとしない。
ならばと、俺は一歩前へ出た。
「こっちを見ろ。……俺を見ろ」
その言葉に、ようやく彼女が顔を上げる。
「お前のおかげだ。助かったんだ」
これで合ってるかはわからない。
「お前がしたことは悪いことじゃない。前に言ってたよな……生前、仲の良かったやつを殺すのは、マジンにとって本当に辛いことだって」
「で、でも……!」
彼女はかすれた声で抗う。
「でもじゃない。……じゃあ、俺が死んでよかったのか?」
その言葉に、イリスの瞳が大きく見開かれた。怒ったように眉をひそめる。
「そんなわけ——!」
「別に悔やむなって言ってるんじゃ無い。悔やみたいなら悔めばいい。でも、お前はいいことをしたんだ、マジンを殺した。んで、俺を助けた。それが全部だ」
俺から言えるのはこれぐらいだけだろう。
いや、一つだけ忘れていた。
「ありがとな。イリス」
その言葉に、イリスの目から流れる涙が、ほんの少しだけ穏やかになった気がした。
イリスは人を殺せるようになったのだろうか、そんな疑問を胸に抱えたまま、俺はふらりとナナの元へ足を運んでいた。
「まだじゃん。まだまだじゃん」
ナナは機械に接続したままだった。少しで終わるって話だった気がする。
さっきの場所に戻るのも少し気まずい。
イリスは泣いているし、ノクトルはオリオティスを抱いて離そうとしない。
もう少しだけ時間を潰してから戻るとしよう。
それから約一時間が経過した。
さすがに時間を持て余しすぎて、俺は今、ノクトルの背中の治療に取りかかっていた。
「いっ!」
「変な声出さないでくれ……」
俺はノクトルが負傷した背中部分を治療していた。
治療といっても俺ができるのは浅知恵程度だ。
これもナナが戻れば少しマシになるだろう。肝心のナナはまだまだ起きる気配は一切ないが。
「これが……貴方には変な声に聞こえるの?!」
「ごめん。冗談で空気を紛らわそうと」
「余計なお世話ね……!」
できるだけ慎重にやっているはずだ。
問題があるとすれば、その慎重さを裏切るほど技術不足だ。
「痛み止めの魔法は無いのか?」
「もうとっくにかけてるわよ……! んぐ……っ!」
ノクトルが奥歯を噛みしめ、耐える声が漏れる。
その姿を、イリスが不安そうに覗き込んでいた。
「だ、大丈夫なの?」
イリスの目元は赤く腫れている。
涙はもう止まったようだが、その痕跡はまだしっかりと残っていた。
「一応これで終わりだから大丈夫」
ノクトルの顔は真っ青だ。
呼吸も浅く、全身から力が抜けかけている。
「加護に……頼りきってたせいで、痛みに慣れてないのよ……」
小さな声で、ノクトルが呟く。
「それじゃあ……その、オリオティスと二人きりにさせて」
「あ、ああ……そういえば、さっきも言ってたもんな」
彼女の言葉にうなずき、俺は立ち上がった。
イリスがいつの間にか俺の背後にぴたりと張りついている。
「じゃ、またナナの様子でも見てくるよ」
「……ん」
ノクトルは小さく答えた。
イリスが、そっと俺の背後にくっつく。
まるで、生まれたてのカモガエルが親の後をぴょこぴょことついて回るように、彼女は一歩も離れようとしない。
以前は、もう少しだけ距離があった気がする。
俺とイリスの間には言葉にはできないけれど、確かな間合いのようなものが存在していた。
それが今、ふと消えていた。
「近くない?」
「え、え? そうかな」
イリスは驚いた顔をする。
どうやら、意識して距離を詰めてきたわけではないらしい。
「あ、わかった。いつもならこのぐらい近づくとメリスが怒ってたから新鮮なんだよ」
確かに、そんな気がする。
いつもならこのぐらい距離が近いと怒っていたはずだ。
「じゃあ、怒るか」
「えぇ?! なんでぇ?!」
イリスは心底不満そうにする。
「別にいいじゃん」
「別によくは……」
「メリス?」
……そうだ、なぜだろう。
なぜ今、俺は怒らない? なぜ拒絶しない?
まさか、俺はこの少女を……殺すつもりではなくなっている?
——情を抱いてしまった?
「……別にいいか」
思わず漏れたその言葉が、自分の声とは思えなかった。
「やったぁ!」
イリスが嬉しそうに飛び跳ねる。
「イリス……イリス。うん、イリスだ」
「さっきから変だよ?」
彼女が不安そうに俺の周りをぐるぐると回り始める。
ただ名前を反芻していただけなのに、不安がられるとは。
「……魔王を倒したら、お前の家族を探しに行こう。前に、言ってたよな?」
その一言に、イリスが小さく目を見開いた。
「言ったけど……ほんとに、どうしたの?」
「いや、ただの確認。でも、お前の家族どこにいるんだろうなぁ……」
「わかんないね」
俺は、ほんの少しだけ、未来が楽しみになった。
家族なんていないかもしれないが、別にいいさ。
その過程に、きっと意味がある。
この少女となら、その旅路も——悪くないと思えた。
もちろんノクトルも連れていきたい。あいつが旅に付き合ってくれるかどうかは謎だけど、もし来てくれるなら頼もしい。
それからナナも一緒に。
……そうだな、四人で旅をしよう。
「メリス、その約束……忘れちゃったのかと思ってたよ。あの話、全然してくれなかったし」
イリスの言葉に、少しだけ胸がちくりとした。
「信用してなかったのか?」
「信用してるに……してなかったかも」
信用されてなかったんだ俺。
「ま、まぁ、信用されてないぐらいで俺は傷つかん」
「……なんかメリス変わった? 本物?」
何やら失礼なことを言われている。
「本物だ。本物」
「本当かなぁ?」
少しだけ気が抜けているのは事実だ。
以前の俺は、イリスに対してあまりにも冷淡だった。
それは、最終的に彼女を殺すつもりだったから。感情を持たないようにしていたはずだった。
だけど、今は違う。
イリスは、ただの少女だ。
人を殺すことに怯え、誰かのために戦い、後悔し、それでも手を差し伸べてくれる少女。
俺を……助けてくれた少女だ。
そんな彼女を、どうして殺せるだろうか。
きっと、ガレットさんも彼女を見れば、同じことを言うだろう。
ただ、一つ問題があるとすれば――
「ね、ねぇ」
イリスがそっと尋ねてくる。
その声には、わずかな緊張と期待が混ざっていた。
「なんだ? 今なら大抵のことには怒らないぞ」
俺が答えると、イリスは「じゃあ……」と少しだけ視線を逸らし。
「お姉ちゃんって呼んでもいいかな?」
顔を真っ赤に染めて、そう言った。
ああ、なるほど。
以前、一度だけ姉と呼ばれたとき、俺はそれを拒んだ。
その記憶が彼女の中に残っているのだろう。
だからこそ、今ならいけると踏んだわけだ。
「絶対ダメだ」
「なんでぇ?! 今日は優しかったのに!?」
……それをしてしまったら、俺は俺を許せなくなる。
「何が何でもダメ」
「確固たる意志?!」
イリスがガーンとした顔で崩れ落ちる。
だがそのやり取りをしているうちに、ナナの元へとたどり着いた。
彼女は情報の解析を終えたようで、機械の上でふわふわと浮かびながら待機していた。
「マスター。遅れました」
「いや、いいさ。ナナが来てたら危なかっただろうし、ちょうどよかったよ」
「お気遣いありがとうございます。状況は?」
「最悪だな。オリオティスがマジンに堕ちていた。ノクトルは重症。イリスはマジンを殺したせいで精神疲弊中。俺も十年失った」
イリスが、そっと俺の袖を引っ張った。
「ん?」
「私はもう大丈夫」
か細い声に、俺は少しだけ驚いた。
「……だそうだ」
「了解しました。状況提示ありがとうございます。さんきゅー」
ナナは静かに頷くと、すっと俺の耳元に顔を近づけた。
そして、周囲には聞こえない小さな声で――。
『えまーじぇんしー。魔王についての情報を獲得しました』
「聞くのは俺だけで良かったのか? ノクトルは?」
俺は場所を移し、ナナと二人きり、いや、一人と一体の空間にいた。
これは、おそらく重要な話。イリスやノクトルには聞かせられない、あるいは、聞かせるべきではない話。
「はい。マスターだけで大丈夫です。この情報は好きに扱っていただいて構いません」
伝えるか否かは、俺の判断に委ねるということだろう。
「良い情報と悪い情報。どちらが好みですか?」
「その言い方で良い情報以外選ぶやついないだろ……?」
ナナは「じゃあ」と小さく返す。
「魔王の弱点を把握しました」
俺の喉が唾を飲み込んだ。
「魂に直接響く攻撃と多重術式が弱点、悪い言い方だと、それ以外は基本無効化されます」
「これのどこが良い情報……?」
むしろ悪い情報に聞こえる。
多重術式なんて使える人材はこのメンバーに一人もいない。
……もしかしたら、イリスがそれを扱えるようになるかもしれない。
ある理由を一点に、俺はそう思う。
「魔王の攻撃手段は、多岐にわたる魔法と加護による攻撃。詳しくは今日の夜に全て教えます」
「何でもありかよ魔王様。てか、そうなると不意打ちで殺すしかなくなるな。毒でも飲ませ……いや無効化されるんだった……本当に、これのどこが良い情報?」
どんどん戦意が削がれていく。
「何も知らずに戦うよりは有利になると思います」
まぁ、視点を変えれば良い情報と言えるか。
「——悪い情報ってなんのことだ?」
これら全てが良い情報として扱えるなら、悪い情報なんてあり得るのか?
「マスター。今日再会した時、イリス様ととても仲が良く見えました」
……なんだ? いきなりそんな話を?
「……いつもと変わってなかったと思うんだけど、そんなに変だったか……?」
イリスにも同じようなことを言われた気がする。
「いつもなら怒る直前の犬みたいな顔を」
「俺そんな嫌そうな顔してた?!」
思わず自分の頬を触る。これからは気をつけて行こう。
「ただ、あれだ。殺す気がなくなったってだけだ。あいつ、マジン殺して泣いてたんだぞ? しかも、俺を助けて……それに、あいつと重ねるのを止めた……ま、だから仲良くなったとは少し違うかもしれ……な、いけど」
ふと、背中にぞわりと寒気が走る。胸の奥で、嫌な予感が膨らんでいく。
「勇者リリスを知っていますか」
その言葉に聞き覚えがある。この世界に来て何度も聞かせてもらった御伽話、いや、現実に起きた話。
そして、イリスの名前の由来。
「……もちろん、知ってる」
「正史では魔王の討伐は失敗したようです。魔王は不死の存在になっていたようです」
「……それで」
「討伐に失敗した勇者は、殺すことから封印に舵を切り、魂を四つに分解し、封印を施し、事実上の討伐を成したようです」
封印——その言葉が、脳内で何度もリピートされる。
ここまで準備をされたら嫌でも俺はわかってしまう。
でも、何かの間違いであることを信じ、俺はナナの言葉に耳を向ける。
最後に、勘違いだったと笑うために。
「元魔王の力は、捕食を成し能力複製する力を持っていたようです。そして、現魔王も類似している能力を持っていることを確認しました」
喉が渇き始める。
「ま、待て。……あいつは、違う」
否定する俺の声は、あまりに弱々しい。
しかし、ナナは止まらなかった。
「——イリス様は、魔王です」