終末世界に先はない   作:空想の墓場

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『ウンババウンババ』

 

「我ら、堂々帰還せり!」

「はいはい。おかえり」

 

 西日が目に突き刺さる夕暮れ時。その眩しさに思わず目を細める。低くなった陽光が直接眼球に飛び込んでくるのを右手をかざして遮った。

 

 学校に帰ってきたときにはもうすでに日は傾き始めていた。茜色に染まる空がそこはかとない終末感を漂わせて、さっきまで見ていた青空と同じものだとは到底思えない。

 

 地球に帰還した宇宙飛行士ばりのリアクションをする遊はいったん放っておいて。あたしは後ろを振り返り、ちゃんと全員居るかを確かめる。

 

「みんないるー? はぐれた人は手を挙げて教えてね」

「はぐれてたら返事できませんよ」

「荷物は無事? 落としたりしてないよね?」

「ちゃんといますし荷物も無事です。とりあえず、すぐに使いそうなものだけ先に下ろしちゃいましょうか」

 

 栞の言葉に従って、改めて持ってきた荷物を簡単に整理する。4人分のカートは相変わらず山積み状態で、一触即発のジェンガのようだ。どこから手を付けたらいいのか分からず攻めあぐねる。

 

「すぐ使いそうなものって言ったら、照明とか? もうすぐ夜になるし」

「日は伸びてますけど、暗くなるのもすぐですからね。点検の意味も兼ねて出しておきましょうか」

 

 栞は会話も終わらないうちにランタンや懐中電灯を荷物の山から取り出していた。次いで、数本まとめてフィルムに覆われた乾電池。スーパーにいた時点で型番は把握済みだったらしく、迷いなく単1型の乾電池を選び取る。

 

 彼女は商品を梱包する段ボールを丁寧に開ける。あたしが少しじれったさを感じるくらいに。

 

 ごそごそやって箱の中から取り出したのは、やや仰々しさすら感じるランタン。上部に取っ手の付いた釣鐘型で、あたしたちの顔より一回り小さいくらいの、アウトドアの中でも上級者が使いそうな大型のもの。

 

「えっと、電池はどこに入れれば……。説明書、あ、あった」

「この下のとこじゃねーの? ほら、開いた」

「ああっ。もう。壊したらどうするんですか。もう一度スーパーに取りに言ってたらそれこそ真っ暗になっちゃいますよ」

「習うより慣れろってやつだよ。つーか、こんなんで壊れたら製品の方に問題があんだろ」

 

 初めに説明書を探す栞と、その隙にランタンを彼女の手から奪ってあちこち見回す遊。上下左右にひっくり返しながら底面のカバーを見つけると、それを指先で弄って外した。電池をはめ込むための窪みが露になった状態のまま、ランタンを栞に返す。

 

 栞は釈然としない表情でそれを受け取って、電池をセットする。普段使いではあまり見ることのない単1電池が三本、パズルのようにかっちりとハマる。なんだかそういうショート動画みたい。

 

「ここ押せばいいのか?」

「あっ、また適当に……」

「スイッチ、オン! ――――うわあああああ!?」

「眩しっ!?」

 

 瞬間、視界が白で満たされた。そのサイズから期待される通りの、むしろ期待以上の光量に思わずあたしは目を細める。ランタンから数歩離れた位置にいたあたしですらこれなのだから、電源ボタンに顔を近づけていた遊のダメージは計り知れない。

 

「目が! 目があああ!」

「どこの大佐?」

 

 小さな太陽のごとき光をもろに食らった遊が、叫び声をあげながら目元を押さえて大きくのけぞった。いちいち大袈裟な彼女のリアクションはあてにならないものの、想像をはるかに上回る明るさに感心する思いも湧いた。

 

「ちょっと舐めてた。こんなに明るいものなんだね」

「これなら夜でも困ることはなさそう、かな?」

「寝てるときにこんなんつけられたら逆に困るかも」

 

 夕暮れの中、あたしたちの立っている場所だけ不自然なほど白く発光している。流石に眩しさがうっとおしくなってきたので、顔をそらしながらボタンを押して電源を切った。……あー、まだ目の中に影が残ってる感じがする。

 

 ここまで明るいと熟睡してても飛び起きるだろうに。瞬きするたびにチカチカ点滅する残像を目障りに思いながら。

 

「ちょっと眩しすぎない? 調整できないの?」

「説明書によると、この隣についてるつまみで調節できるみたいですよ」

 

 栞はそう言って電源ボタン隣にあるダイアル式のレバーを弄ってから再び点灯する。すると、今度は適切な明るさの光が灯った。あたしはホッと胸をなでおろす。毎度毎度滅びの呪文を食らっていたのでは身が持たない。

 

「これで光源は確保できましたね。暗くなっても活動できますから、今までよりずっと時間を有意義に使えますよ」

「深夜に一人でトイレに行ったりとかな」

「そういうことじゃっ……。まぁ、それもありますね。暗いと転倒したりぶつかったりで危ないですしね。あくまで危険だからです。怖いとは違いますから」

「あいあい」

 

 これまでにないくらいの早口でまくし立てる栞の言葉を、遊が適当な返事で受け流す。その口元が抑えきれないといったふうに歪んでいるをあたしは見逃さなかった。

 

 ただ、栞の言う通り使える時間が大幅に増えたのも事実。ライトの類が何一つ無かったこれまでは、夜になってしまったら外出は当然のことながら、室内でできることもこれといってなかった。手元を照らす明かりも無いんじゃそれも当然。

 

 となると結局寝るしかないわけなんだけど、それはそれでもったいないし、何より退屈だ。もとより夜型人間のあたしは、暗くなるとかえって目が冴えるくらいのもの。

 

 そんな不健康体質な身だから、夜更かしできるアイテムはありがたいことこの上ない。片手で持ち運べる程度の大きさのランタンが、かつてないほど頼りがいのあるものに見える。

 

「いやー。これは革命だね。どうする? 深夜のガールズトークでもしちゃう?」

「起きてても不便じゃないのと、起きてること自体が良いことかは別ですよ。朔さん、今日寝坊したらしいじゃないですか」

「ぐっ……。思わずぐうの音が出てしまった」

「出るなら良いじゃないですか」

 

 鋭い指摘を食らって心臓を押さえるフリ。その様子を困惑して見ていた栞が、ふと思い出したように手を打つ。

 

「そうだ、火が付くかどうかも試しておきましょうか」

「だな。このクソ暑い中火おこしも気が進まねーけど」

「賛成! 火が付いたら料理もできるし!」

 

 荷物の中でもひときわ大きく、存在感を放っているバーベキューコンロを横目に見ながら言う。あたしもスーパーで見たときから気になっていた。皆も異論ないみたいだったのでひとまず組み立ててみることに。

 

 ただ、箱から取り出したパーツは思いのほか多く。混乱したまま探り探りで作業が進んでいく。

 

「このパイプってどこのやつ?」

「こっちじゃないかな? あれ、長さが違う」

「おい。こっちの脚完成したのに謎のパーツがいっこ余ったんだが」

「もーっ! 勘に頼りすぎですって!」

 

 取り扱い説明書とにらめっこしながら格闘すること数分。手間取りながらもなんとか組み立てることに成功する。メーカーの企業努力のおかげか、工具がなくても組み立てられたのはありがたかった。

 

 あたしたちの腰ほどの高さになったそれを前に額の汗をぬぐう。なんかもう一仕事終えた気分だけど、実のところ本番はまだ始まってすらいない。

 

 あたしはカートから着火剤らしきものを引っ張り出して手に取ってみる。なんだかめっちゃ硬いスポンジみたいな感触で、強く押すと軽く反発を返してくるそれをもてあそびながら。

 

「この着火剤? ってのに火を付ければいいんだよね?」

「炭を先に入れておくんじゃないの? 持ってきてはあったよね」

「はい。でも、炭に火をつけるのって意外と難しいって聞きますよ」

 

 3人寄れば文殊の知恵というが、4人いるのにどうしたらいいのか見当もつかない。木片を4人で取り囲んでまごついてる様子はどこか滑稽だった。どっかに使い方とか書いてないの、これ。

 

「火おこししたことある人とかいたりしない?」

「IHとかガスコンロは便利だったよね……」

「だいたい察した」

 

 聞いてみるも、依束が遠くを見ながら視線を逸らす。他の2人も同様だった。まあこんな状況だし、やったことあったら真っ先に仕切りそうなものだ。それがないってことはそういうこと。

 

 とは言っても、ここに文明の利器なんてものはない。分からないなら分からないなりに気合でなんとかするしかないのだ。とりあえず、着火剤をバーベキューコンロのなかに転がして、ライターで火がつかないか試してみる。

 

「ライター使うのも初めてかも。タバコのイメージがあるからかな、なんか危ないことしてるみたい」

「火傷だけしないようにね」

 

 心配そうな依束に見守られながら意外と重いボタンを押し込むと、小指の爪くらいの大きさの火が付く。それを近づけて炙ることほんの数秒、着火剤から白煙が上がり始めた。

 

「おお! 火だー!」

 

 赤みがかった光が灯ると同時、木の焼ける匂いと微熱を感じた。つい歓声を上げてしまったものの、まだ種火とさえ呼べないものだ。今も風に揺れて、あたしたちのはしゃぐ声にすらかき消されてしまいそうなほどに弱弱しく頼りない。

 

「ちょ、消えちゃう消えちゃう! 何これ、どうすればいいの!?」

「空気を送り込んでみるとか? 軽くふーってしてみなよ」

「それより燃料が足りないんじゃねぇの? 校舎に新聞紙あっただろ」

「いきなり言われてもどこにあったか覚えてませんよ。今から探しに行って間に合います?」

 

 まさしくてんやわんや。全員が全員ちょっとずつパニックになって、収集がつかなくなり始めていた。もし、キャンプ慣れしてる人がこの光景を見ていたら失笑してしまうような手際の悪さ。しかし、こんなでもあたしたちはいたって真面目。

 

 着火剤はまだあるのだから何回でもトライできるということなどすっかり頭から抜け落ちていて。今はただ、無我夢中でこの火をなんとか消さないようにすることで必死だった。

 

 ああもう! そんないっぺんに言われたって、あたしのちっさい脳内メモリでは処理しきれるわけない! とりあえずバーベキューコンロの上にそっと置いて、風に当たらないよう両手で火を覆ってみる。

 

 するとそれが功を奏したのか、小さかった火は次第に燃え広がり、やがて着火剤全体に薄くまとわりつくような炎になった。ゆらゆらと秒単位で姿を変える姿に一瞬目が引き込まれそうになるが、魅入っている場合じゃないと気を取り直す。

 

 まだまだお湯も沸かせないような火力を前にどうしたものかと思っていると、背後から肩をつつかれる。見れば、栞がどこからか持ってきた紙束を片手に立っていた。

 

「とりあえずこれでどうでしょう? 教室に貼ってあったプリントを剝がしてきただけですけど」

「おお、ナイス! 命の灯火をつなげよう!」

「無駄に熱いセリフですね……。あれ、これって医療モノでしたっけ?」

 

 いつの間に駆けだしていたのか、小さく息を切らせた彼女から追加の燃料を受け取って。次に火おこしするときは、絶対ちゃんと準備してからにしよう。そう決意を改めるには十分なきっかけだった。

 

 大袈裟な言い回しになってしまったけど、事実あたしたちにとってはそれくらいの一大イベント。これが生命線になるかもしれないと思えば必死になるのも当然。

 

 そうしてプリントをくべた途端、一気に勢いを増す炎。今まで慌てふためいていたのが馬鹿らしくなるくらいだったが、勢いがよかったのも一瞬。プリントが燃え尽きるのにつれて火もみるみるうちにしぼんでいく。

 

 『燃えやすい』と『消えにくい』は別の性質らしいと今更ながらに気付きつつ。炭を入れるなら、火勢の増した今がチャンスなんじゃないかと直感する。

 

「そろそろ炭を投入するタイミングなのかな?」

「準備はとっくにできてるぜ。言ってくれればいつでもオッケーだぞ」

「ま、待って! 丁寧にだよ? 一気に入れたら消えちゃうかもしれないんだから」

「うんうん。わーってるって」

 

 あたしが声をかけるより先に、遊は炭の入った袋を抱きかかえるようにして構えていた。彼女もまたテンションが上がっているようで、今か今かと機会をうかがっている。

 

 とはいえ舞い上がった精神状態のまま異物を放り込まれて、これまでの努力を消されたのではたまったものじゃない。慎重を期すように願った言葉には、本当にわかっているのか怪しい返事が返ってきた。

 

「えーっと、キャンプファイヤーのときってどうしてたっけ……」

「――そおい!」

「ちょっとぉ!?」

 

 中学校の頃だったか、宿泊学習でキャンプに行ったときのことを思い返していると、遊が不意打ち気味に炭を投げ入れた。消えてしまうかと思われて悲鳴を上げるが、意外にもそんなことはなく。

 

「……って、あれ? 割といい感じ?」

「へへ。ま、計画通りってな」

「絶対嘘じゃん」

 

 嘘か誠か、遊が鼻の下をこすりながら得意げに言う。汚れた指先で触ったせいで炭の色がヒゲのような跡を残していた。教えてあげようかとも考えたが、驚かされた意趣返しとしてやっぱりやめておいた。

 

「で、こっからどのくらいかかんだ?」

「さぁ? 結構かかりそうな気がする」

「風を送り込んだりするのは何となくイメージあるな」

「もうしばらく様子見てみようか」

 

 炭の下で赤熱する炎を見つめながら疑問に思う。消えてこそいないものの、炭そのものに火がついているわけではないし、今のところいきなり燃え上がりそうな気配はない。

 

 使えるくらいの火力になるまでどれくらいかかるのだろう。1時間とか、あるいはもっと時間がかかるのかもしれない。

 

 ちょっと見当もつかなかったので、交代で火の様子をうかがいながら時間を潰すことにした。予想よりもはるかに早く、あたしの持ってきた遊び道具の出番がやってくることとなる。

 

 

 

 ――そして、およそ30分後。

 

「ちょっとー。さっきからダイヤの9止めてんの誰? ウザいんですけど」

「さぁ? ボクじゃありませんよ」

「アタシでもねーぞ。つか一番の被害者アタシだし。この真っ赤な手札見せてやりてぇ」

 

 校門から入ってすぐ。昇降口の近く、バーベキューコンロを設置したところから少し離れたところに、あつらえ向きのベンチがあった。火からそう遠く離れるわけにもいかなかったので、あたしたちはそこに腰掛けてトランプで遊んでいた。

 

 害悪戦法によって友情が崩壊しかける直前。火の様子を見に行っていた依束が足早に戻ってくる。

 

「みんなー! そろそろ火が良い感じだよー!」

「マジ? 行こ行こ、こんなクソゲーやってる場合じゃない」

「なんだよ。消化不良だぜ」

 

 不満げに唇を尖らせる遊を置き去りに、あたしは手札を全部放り投げてバーベキューコンロのもとへ向かう。黒と灰の混ざった煙が立ち上っている場所に近づくにつれて、熱で空気が歪んでいるのが見え始めた。

 

 木々の爆ぜる音と真っ赤になった炭。小さかった火はいつの間に燃え盛る大火になっていた。夏の暑さとは違う、じりじりと乾いた熱が皮膚を伝う。

 

「おー……」

 

 間の抜けた感嘆の声が漏れる。汗が流れるのも忘れて、虫が吸い寄せられるみたいに火を見つめていた。遺伝子に刻まれた本能的な高揚感が身を包む。

 

「ウンババウンババ」

「せめてホモサピエンスでいて」

 

 喜びのダンスを踊っている遊に、依束から懇願に近しいツッコミが入る。文明が退化したからって知性まで退化させる必要はないってば。

 

 ただ、原始時代最初に火を灯した人間もこんな感情だったのだろうか。喝采を叫びたくなる、のとはまた別の、込み上げるような感動があった。

 

 数千年、あるいは数万年ぶり二度目の技術革命。遥か遠い過去のできごとをなぞっているだけだとしても、今のあたしたちにとって大きな前進であることに違いはない。

 

「火も使えるようになったことだし……。ご飯にしようか」

「待ってました! 缶詰もいろいろあるし、これでようやく味気ない食生活とおさらばできる……!」

「もう、大袈裟だなぁ。……朔ちゃん? え、嘘。泣いてる?」

 

 これが泣かないでいられようか。家では料理なんて滅多にしないあたしも、今この瞬間だけは見習いの板前くらいやる気に満ちていた。依束の言葉を皮切りに、手分けして夕食の準備を始めることにした。

 

 みんながめいめいに動くなか、あたしはカートから深底の鍋を引っ張り出して水をなみなみ注ぐ。気合を込めてそれを持ち上げ、なおもごうごうと火をあげるコンロへと近づく。

 

「網セットしてもらってもいい?」

「うん。……はい、どうぞ」

 

 流れるような連携のもと金網が敷かれ、その上に鍋をのせる。欲を言えばお米が食べたいところだったけれど、ここから水に浸けて炊きあがるのを待っていられるほど気長じゃない。全員等しく空腹だったために、今日はすぐできそうな乾麺を茹でて夕食にしようということになった。

 

 鍋いっぱいに張った水は見た目以上に重い。どしん、と。重さに引っ張られるままに網の上に鍋を置いて火にかける。大きく揺れた水面が次第に収まると、今度はすぐに気泡が立ち上ってくる。

 

「おおー! って、なんでこんなはしゃいでんだろ」

「ふふ。これまでに比べたらものすごい進歩だもん。少しくらいはしゃいでもいいんじゃない?」

「あたしも踊っていい?」

「それはやめてほしいかな」

 

 真顔でそう言い放つ依束。割とマジな剣幕。ともかく、お湯を沸かすというだけでこれだけ喜べる人間もそういない。単純な女だという自覚はある。

 

「沸くまでにももう少しかかりそうだね」

「その間に食器とか、配膳の準備しちゃおっか。いつもの教室でいいよね?」

「まぁ、テーブルとかをこっちまで持ってくるのも面倒くさいし、かといって地べたに座るのも違うし。それに外よりは室内の方がまだ涼しいでしょ」

 

 依束がふつふつと震える鍋を気がかりそうに見つめる。勢いよく燃えているのもあって、思ったほど時間はかからなそうはなさそうな気配もあった。お湯が沸けばあとは麺を茹でるだけだし、もう数分もしないうちに夕食が出来上がるだろう。

 

「じゃあそうしよっか。鍋は私と栞ちゃんで見ておくから、2人はテーブルの準備だけしてきてもらってもいい?」

「おっけー。任せて」

 

 手際よく役割分担をする依束。体よく調理場から問題児が追い払われた気がしないでもないが、気にしたら負けだ。彼女は続けて言う。

 

「そうしたら、いつもの教室で待っててくれたらいいから」

「いいの? 運ぶのも手伝うよ?」

「フルコースを運ぶわけじゃないんだから大丈夫だよ。今日は歩き詰めで疲れてるだろうしゆっくりしてて」

「そう? じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」

 

 依束の気遣いに手短に感謝を伝え、あたしと遊は教室へと向かう。昇降口から一番近いという理由だけで生活スペースとして選ばれたこの教室を、あたしたちは『いつもの教室』と呼んでいた。いちいち荷物を移動するのも大変なので、寝食の大半がこの教室で行われている。

 

 半日ぶりに帰ってきた教室は、当然朝出てきたときのままの姿を保っていた。真ん中にベッド代わりの運動マットが4つ並んでいて、寝坊したあたしのそれだけ斜めに傾いている。

 

 授業という本来の目的のため規則正しく並べられていた机は、今や就寝スペースの邪魔だとばかりに部屋の隅に押しのけられている。今回またしても学習机としての本分を発揮できない彼らには同情するが悪く思わないでほしい。

 

「遊ー。そこのマットどかしてくれない?」

「おう。……よっと、こんな感じでいいか?」

「さんきゅ」

 

 だらだらと喋りつつ教室の中央付近に4人分の机をくっつけて並べる。2対2で向かい合わせに、長方形に組まれた簡易的な食卓。そういえば、高校に入ってからはこんなふうに机をくっつけることあんまなかったな。

 

 そんなことを考えていたのもつかの間。遊と駄弁ること十数分。待ってていいと言われはしたものの、別に待ったとも思えるほどの時間も経たないうちに、依束と栞が両手に紙皿を乗せて教室にやってきた。

 

「待たせちゃった?」

「ううん、全然そんなことないよ。むしろ意外と早くてびっくりしてたくらい」

「それならよかった。はい。どうぞ」

「――おお! すごいじゃん!」

 

 2人が手に持った紙皿を机の上に置く。その瞬間、立ち上る湯気とともに香ばしい匂いが鼻腔に飛び込んできた。数日ぶりに感じる食材の匂いが食欲をそそる。

 

 出てきたのは、茹でたパスタに鯖缶やら焼き鳥缶やら、ありあわせの缶詰を乗せただけの簡単なものだ。料理と呼べるほど手は込んでいないし、お世辞にも豪勢とは言えない。しかし、事ここに至っては何よりのごちそうに思えた。

 

 栄養補給や生存のための『摂取』ではなく、『食事』であるという事実。そのことこそ空腹感を煽る最大のスパイスだった。

 

「そんなに褒められるようなものでもないと思うけど……」

「それでもだよー! ほら、座って座って。早く食べよ!」 

 

 思わず声の弾むあたしと、対照的に苦笑する依束。謙遜ではなく本気でそう思っているだろう彼女をやや強引に着席させ、食前の挨拶を執り行う。宴会なんかでよくある偉い人風に、大仰に抑揚をつけて。

 

「えー。本日は皆さんお疲れさまでした。炎天下の中大変なこともございましたが――」

「その前口上、必要ですか……?」

「ほっとけほっとけ。先に始めちまおうぜ」

「それじゃあ皆さんご一緒に! いただきます!」

 

 取り残されてしまわないよう早口で、されど自分史上最大級の感謝の念を込めて両手を合わせる。儀式的に行っていた動作が初めて意味を持った瞬間だった。

 

 あたしの号令に続いて、みんなも順々にいただきますの呪文を唱える。それを聞き終わるよりも早く、あたしは食器と同時に置かれたプラスチックのフォークを手に取っていた。

 

 口に含んだ瞬間、つるりとした歯触りのいい食感と、濃い目に調理されたソースの甘辛い味が広がる。それは乾パンの素朴で単調な味わいに慣れかけていた人間にとって眩暈に近い衝撃で、口元に手を当てたまま感動に打ち震えてしまう。

 

「ああ、これが文明の味……! 人類のみんなありがとう。この想いは絶対無駄にしないから……!」

「そのセリフは正しいの? まだいないって決まった訳じゃないんじゃ」

 

 そんな正論も耳に入らないほど一心不乱に、感慨にふける暇もなく無心で手を動かす。気づけば紙皿には一欠片の食べ残しもなく、あっという間に完食していた。

 

 そうして食事を終えるころには、窓の外は薄暗く影が落ち始めていた。さっそくとばかりにランタンの明かりを点ければ、教室の中にだけ昼がやってくる。

 

 心地よい満足感の余韻に浸りながら、今日の収穫に改めて思いを馳せる。火に食事に明かりに生活用品の補充まで。これまで通りとまではいかずとも、なにもかも足りなかった今朝までに比べれば大躍進と言っていい。

 

 食後には、全員の間にけだるさと和やかさがないまぜになった空気が流れる。こんなふうに穏やかな気持ちで一日を終えることなど、この世界になってからは初めての経験だった。

 

 毎晩眠る前に明日はどうなるんだろうとか、夢じゃないのかなんて考えていたのが嘘のようで、なんだか、張り詰めていた緊張の糸がふっつりと切れてしまった感覚だ。安心と満腹が合わさって、次第にまぶたが重くなる。

 

 そうでなくても慣れない環境下に粗末なベッド。知らず知らずのうちに疲れが溜まっていてもおかしくない。眠い目を擦ってあくびを噛み殺したタイミングで、栞が不意に口を開いた。

 

「一段落ついたところで、これからどうするかについて軽く話しておきませんか?」

「これからって、後は寝るだけじゃないの?」

「……そういう意味じゃありません。これから、どうやって生活していくかって話です」

「あ、あー! もちろん分かってるよ。やだなぁ、冗談に決まってるじゃん」

「はぁ。そういうことにしといてあげます」

 

 やめて。そんな呆れた目でこっちを見ないで。両手を顔の前で交差させて視線を遮る。

 

 もちろんこんなタイミングで今日これからの話するわけがない。考えなくても分かる。栞が議題に挙げたのはもっと将来的な話。

 

 改めて自分と彼女は別の人種だと分からされたところで。これから数年、ここで生活する様子を想像してみる。大概のことはなんとかとかなるで適当に流してしまうあたしですら、一筋縄じゃいかないことくらいは容易に理解できた。

 

「探せば周囲にもう何軒かスーパーはあるでしょうけど、ずっとそれに頼るわけにもいきません」

「まー、減っても足してくれるわけないしな」

 

 勝手に商品が増えだしたりしたらそれはホラーだ。スーパーにはたくさん物資が置いてあったけど無限じゃない。それに、実際問題使えるかというところまで含めると、思っているよりさらに少ない可能性だってある。

 

 久しぶりの食事の満足感で流されそうになってしまったけど、まだまだ問題は山積みなわけで。食料にしろなんにしろ、もっと根本的な解決法を見つけなくちゃならない。それを懸念しているのだろう、栞が言葉を続ける。

 

「ある程度自給自足できるようにしていかないといけませんよね」

「それで行くとやっぱり畑だよね。牧畜は難易度高すぎるし、そもそもいないし」

「食ったあとすぐ寝ようとする奴はいるけどな」

「うっさい」

 

 誰が豚候補か。口が滑っただけだもん。遊の脇腹を軽く小突いて抗議するが、へらへらと笑うばかりで暖簾に腕押し。

 

「校舎の裏手に花壇がありましたから、そこを使うのはどうですか?」

「校庭を一から耕すよりはよっぽどいいだろうね」

 

 あたしは背後に広がる校庭に目を向ける。そこに見えるのは、40%くらいジャングルになりかけの土地。雑草が生えまくっているのもそうだし、競技用に固くならされた砂地は、農作業に向かなそうに思える。

 

 それに比べれば、荒れ方としては同程度でも、花壇として使われていた場所の方が色々とやりやすいだろう。

 

「畑はそれでいいとして、生活環境も整えていかないとですよね」

「確かに、足りないものとか不便なものが多すぎるし」

 

 生活インフラが止まっている以上、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。最低限文化的な生活を送れるくらいの水準には持っていきたい。特にシャワー。気分的な問題に加えて普通に不衛生だもん、それで病気になったら笑い話にもならない。

 

 そういえば。ベッドを取り換えたかったのに探すの忘れていた。まぁ、どうせマットレスみたいな大きなものを運べるほど余裕はなかったし、また今度でもいいか。まずは生活必需品が優先。

 

 って言ってもなんかあったかな。あたしが差し当って必要なものを頭のなかでリストアップしていると、遊が何かを思い立ったようにポンと手を打つ。……あんまりいい予感はしないけど、聞いてあげよう。

 

「いっそのこと学校全体を大改造するってのはどうだ?」

「全体かぁ。できるならそうしたいけどさ」

 

 できるできないを抜きにすれば、遊の提案は理想的だ。ここに来て以来、あれがあったら、これがあったらと思ったことは数知れず。

 

 質の悪いベッド、ぼろ布みたいなカーテン、建付けの悪い窓ガラスなどなど。さらに言えば、廊下には雨漏りの跡と思しきシミもあった。まずもって快適な拠点がないことには、探索に出向く気力すら湧かない。

 

 一番の問題は、改造するにしてもそんなに大掛かりな改修を行う技術があたしたちにはないということ。よしんばガスや電気が通ってて、工具を使えても多分無理。

 

「学校を理想の空間に改造するなんて、ロマンの塊だと思わね?」

「ちょっとわかるけど。でもあたし、DIYなんてしたことないよ?」

「心配すんな。アタシもない」

「誇らしげに言うことじゃないでしょ」

「そこはなんかほら、気合でなんとかすんだよ」

「なんかとかなんとかとかあやふやだなぁ。でもまぁ、やれないこともない、のかな?」

 

 その自信はどこからくるのか。とはいえ、学校を住みやすく改造するってのには大賛成だ。元の生活に戻れる見込みが薄い以上、一生ここで過ごさなきゃいけないことも覚悟しなきゃいけない。むしろ、現状その可能性の方が高いまである。

 

 それならできる限り快適な空間にしたくなるのは当然のことだ。そのための物資やら設備やら技術やらは足りないが、あたしたちには最も優れた資源がひとつ残されている。

 

「時間だけはたくさんあるからね。この機会に勉強してみるのも悪くないかも」

「そうだなぁ。私はとりあえずシャワーが欲しいかな」

「ボクも賛成です。実のところ、日曜大工的なのに興味あったりして」

 

 やはりというべきか、ここの環境に不満を抱いていたのはあたしだけではなかったようで。言い出しっぺの遊は当然として、依束と栞も好意的な反応を返す。

 

 自分一人では思いたちこそすれ、実現は難しかったかもしれないが。今日だって分からないなりに何とかなったんだし、遊ほど自信満々に言い切ることはできずとも、やってやれない道理もないだろうとも思う。

 

「なら、ファイナルアンサーってことでいいよね」

「どうやら結論は出たみたいだな。それじゃあ――」

 

 遊がやにわに立ち上がり、高らかな声色で宣言する。ちょっと鼻につくドヤ顔を添えて。

 

「アタシはこれを、『学校ユートピア化計画』と命名する!」

「うわだっさ」

「なんでだよ。カッコいいだろ」

 

 あまりにもあんまりなネーミングに本音が漏れる。きっと子供にキラキラネームとかつけるタイプだねこいつは。

 

 まぁ、彼女のネーミングセンスはともかく目標があることは悪いことじゃない。学期も季節も、ともすれば時間感覚すら曖昧になりかねない世界だ。何かしらの区切りがなければ、先延ばし癖のあるあたしはいつまでだってだらだらしていられる。 

 

 それに、自由度の高すぎるゲームもそれはそれで困ってしまうもの。この世界で暮らして早4日になるが、すでに何から手を付ければいいか分からなくなりかけていたところだった。やること自体は山ほどあると分かってはいるんだけど、だからこそ逆にって言うのかな。

 

 やることを明確にするためにも、ある程度はっきりした目標はあったほうがいい。できるできないはそのとき考えるとして。

 

「とりあえず当面の目標はそれでいいかな」

「とは言っても、まずはどこからやろっか? 修繕したい場所も改善したい場所もいっぱいだよ?」

「それはおいおい相談ってことでいいんじゃない? 改めて校内を見て、何が無いかを確認してからでもいいし」

「それもそうだね。今日のところは、目標が決まったってだけで十分ってことにしちゃおっか」

 

 個人的には生活スペースを早急に改善したいけども。みんなが他の場所を優先したいって言うならどっちでもいい程度のものだ。あたしの提案でおおむね意見がまとまり、今度はどこをどんなふうにしたいかとか、飾り付けたら面白いんじゃないかなんて方向に話題がシフトしていく。

 

 明日から一段と忙しくなりそうな予感がしているさなか、くじけることなく遊が再び宣言する。

 

「『学校ユートピア化計画』フェーズ1、始動!」

「何フェーズでもいいからさ、やっぱりそのネーミングだけどうにかならない?」

 

 心からの懇願もどこ吹く風。満足げな表情をした彼女の耳に果たしてあたしの声は届いているのか。

 

 ……もういいや。誰かに発表するわけでもないし。今後あたしがその作戦名を口にすることは一生ないだろうしと、心の中でそう決意して。

 

 これで何をすべきかという話は一区切り。そうしたら次は満を持して、もう一つのメインイベントに移ろうじゃないか。

 

「ごほん」

「どうしたの? 風邪?」

「いや、そういうわけじゃなくてね」

 

 あたしは少しわざとらしく咳払いしてみんなの注意を引く。依束が心配してくるけどそうじゃない。ほら、もういっこあったじゃん。みんなも乗り気だったのに、まさか忘れてるわけじゃあるまい。

 

「ご飯も食べて、話もまとまったことだし。そろそろ『アレ』やりますか」

「アレ?」

「もう、とぼけなくていいって。うっかりさんなんだから~」

「とぼけるというか……何かあったっけ? 本当に分かんないんだけど」

 

 その反応からは誤魔化しやしらを切っているような雰囲気は一切なく。3人は顔を見合わせてなんのことやらと首を傾げ合っていた。もしかして、楽しみにしてたのってあたしだけ?

 

 いいもん。そっちが忘れてたって強行してやる。みんなの態度がじれったくなったあたしは、持ってきたカートの中を漁って目的の品を取り出す。そして、取り出したもの――花火セットを、嫌が応にも全員の目に入るよう高く掲げて。

 

「花火やろって言ったじゃん! せっかく持ってきたんだからさぁ! みんなでやろうよー!」

「あー。そういえばあったねぇ」

「缶詰に感動しすぎて忘れてたな」

「薄情者どもめ!」

 

 悪態を吐きながらも、今度はあたしが宣言する番だった。

 

「無事に探索も終わったことだし、新たな門出ってことで――祝砲を上げよう!」

 

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