終末世界に先はない   作:空想の墓場

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夏の魔力

 

 日が暮れて空に星が浮かびだしたころ。辺りはすっかり暗くなって、数十メートル先さえはっきりしないくらいだった。

 

 そんな中、ほの明るい場所がひとつ。他に明かりのついている場所があるわけもなく、当然ながらあたしたちの集まる昇降口前だ。

 

 想像以上に明るかったランタンを地べたに置き、その隣に小さなろうそく。ランタンと比べてしまえば頼りないが温かみのある光を、アタシと遊、そして依束が取り囲むようにしてしゃがみこむ格好。

 

 遊がガラ付きの手持ち花火を構えるのを、あたしたちは固唾を飲んで見守っていた。彼女がその先端をろうそくに近づけて。

 

「んじゃ、火つけるぞ。……なぁ、この先っぽのヒラヒラした紙ってむしるのが正解って知ってたか?」

「え、導火線じゃないの? ――うわっ!?」

 

 唐突に発表された豆知識。あたしがそれに気を取られた一瞬の隙をついて、遊は持っていた花火に火をつけた。空気と火薬が混ざり合い、雨音にも似た音とともに激しく燃え上がる。同時に迸った閃光が目の前まで迫ってきて、反射的にのけぞる形で体を逸らした。

 

「へへ。油断禁物してただろ」

「油断って……。あーびっくりした」

 

 上がった心拍数を抑え込み、抗議を込めた視線を遊に送る。イタズラが成功した彼女は満足そうに笑っていた。

 

 全くもう。呆れ混じりにため息をついて、改めて彼女の手の中で火の粉を散らす手持ち花火に目をやる。花火って、こんなに派手だったっけ。思い出の中でおぼろげに燃えるものよりも、目の前のそれが遥かに盛大なもののように感じた。

 

 時流に合わせて火薬の量が変わったのか、それとも変わったのはあたしの方か。頭のどこかで子供の遊びだと過小評価していたのかもしれない。

 

 遊は「おー」と間抜けな声を漏らしながら、爆ぜる炎をじっと見つめていた。その無邪気な姿に倣おうとしたが、光と煙が日に焼けた目に染みる。じっとは見ていられず、あたしは目をしばたたかせて光源の少し上の宙に視線を映した。

 

「炎色反応って言うんだよな? 花火の色が変わるのやつ。何が何色だったか覚えてるか?」

「聞く相手間違ってるとは思わない?」

「おん。悪い。アタシのミスだ」

「謝られんのもなんかムカつく」

 

 なんだこいつ。背中を取られていることを忘れてるのか? こっちはいつでも仕掛ける準備ができているというのに。

 

 このまま尻に火でもつけてやろうかと本気で迷い始めたとき、栞があたしたちの隣に歩み寄ってくる。その手には水のたっぷり入ったバケツが握られていた。重さにふらつく彼女がバケツをやや乱雑に置くと反動で水が跳ねた。

 

 安全のため仕方ないとはいえ、ちょっと水がもったいなかったかも。そう思っていると、こちらの会話を聞いていたらしい栞がひとつずつ思い出すふうに指を折る。

 

「……赤がリチウム、オレンジがカルシウムですね」

「良く覚えてんな」

「よく覚えているというか、授業でやりませんでしたか?」

「ウチのガッコじゃ理科採用されてなかったから」

「そんなとこはありません」

 

 流石にその言い訳は苦しすぎる。栞がたしなめる口調で。

 

「もう、授業はちゃんと聞かないと駄目ですよ?」

「はい先生! 聞いても分からない場合はどうしたらいいですか!?」

「……人には、向き不向きがありますから」

「匙投げんのはえぇな!?」

 

 栞にメジャーリーガー並みの速度で匙を投擲されたことで、愕然と肩を落とす遊の背中を軽く叩いて慰める。ここまではっきり見込みなしを突き付けられるともはやすがすがしい。

 

 理科の授業ねぇ。嫌いではなかったけども。

 

 あたしはもともと興味のあることしか長く覚えていられない性質だ。それに、覚えていたとしても使い方が分からなきゃしょうがない。公式覚えるだけじゃんとか言うやつたまにいるけどさ、それを使える形に持ってくまでができないんだよ。

 

 そんなこんなで勉強はあまり得意じゃなかったわけだが。でも、この世界にはもうテストなんてないんだし別に勉強できなくたって良くない? そんな砂糖よりも甘い考えはすぐ見透かされた。

 

「朔さんも。使わないんだから別にいいでしょ、みたいな顔してますけど」

「え。エスパー?」

「顔に書いてありましたよ。ゴシック体太文字で」

「フォントまで分かるの?」

 

 そんなに分かりやすかっただろうか。頬を両手で挟んでむにむに動かしてみるも、自分ではよく分からない。感情の漏れやすい自分の顔のことは置いておいて栞に聞き返す。

 

「実際よくない? 学校ないんだし」

「だからこそですよ。水を手に入れたり、ものを燃やしたりするのにも知識はいるんですから」

 

 言われてみればそうだ。これからやろうとしている畑づくりや建物の修繕だって、学校で学んだことがそっくりそのまま使えるわけじゃなくとも、知識を身につけなくちゃいけないという点では同じ。

 

 学校が無くなって初めて勉強の大切さに気付くとは何たる皮肉。これが失ってから気付くってやつだろうか。こんな状況でも勉強しなきゃいけないとなると、少し気が滅入るものの。

 

「まぁ、理解できるかは別なんだけどさ」

「図書室にも使えそうな本がいくつかありましたよ。分からなかったら教えますし」

「さっすが、頼りになるぅ」

「撫でるのはやめてください」

 

 栞が恥ずかしそうな表情で頭の上の手を振り払う。こんな小さな頭に、あたしの何倍も知識が詰まっているのだから人間の脳ってのは不思議なものだ。手に残る頼りない感触を確かめながら思う。

 

「おーい。難しい話してないでさ。お前らもやれよ。アタシ一人ではしゃいでてもつまんねーよー」

「言われなくてもそのつもり。あたしはどれやろっかな」

 

 遊が唇を尖らせてこちらを振り返る。彼女の言葉に適当に返事を返して、自分もこの花火大会に参加すべく花火セットの詰まった袋を物色する。

 

 いくつもの種類と色の手持ち花火が揃っているなか、あたしが選んだのは先端が紙に包まれていない、ポッキーみたいな見た目のやつ。スパーク花火というらしいそれは他のものに比べると見た目は少々無骨だが、そのぶん豪快に燃えてくれるのでお気に入りだった。

 

 スパーク花火の先端を火にかける。少し湿気ていたのか、ブスブスとぐずるような煮え切らない音がしばらく続いた。

 

 まぁ放置されていたものだから仕方ないかとあたしが別のものと取り換えようとしたとき、不意に引火したそれが激しい火花を散らしだす。驚いて取り落としそうになるのを慌てて両手に持ち直す。

 

「ついたついた! ほら見て!」

「もう、そんなにはしゃぐと危ないですよ」

「お母さんは心配性だなぁ」

「あなたのような子を産んだ覚えはありません」

「ひど」

 

 思わぬ角度からの攻撃に顔をあげれば、栞がこちらを見てくすくす笑っていた。その姿は普段のイメージとは少し違っていたけど、こんなふうに冗談を言ってくれるようになったなら、最初のころよりはずいぶんと距離が縮まったのかもしれない。

 

 探索で得た思わぬ収穫。その事実に、なんだか嬉しくなって。

 

「――ふふっ」

「? なんで笑ってるんですか? もしかして、罵倒されるのが好きなタイプでした?」

「違うし。栞こそ、意外と冗談とか言うんだ」

「ボクだってそのくらい言いますよ。なんだと思ってるんですか」

「いやさ。嬉しくて」

「は?」

 

 栞からしてみれば、突然こんなことを言われても意味不明だっただろう。困惑した表情で聞き返す彼女に「なんでもないと」誤魔化して話を逸らす。

 

「ほら。栞もやりなよ、花火。すぐなくなっちゃうよ」

「はぁ……。まぁいいです。実を言うと、結構楽しみにしてたんですよ? 自分からやろうとは恥ずかしくて言い出せませんでしたけど」

「えー? じゃあ何? 一人はしゃいでたあたしが子供っぽいってこと?」

「そこがあなたのいいところだと思いますよ?」

「否定はしないんだね」

 

 話題を変えられたことに一瞬怪訝そうな顔つきをしたものの、すぐ気を取り直して軽口を返してきた。

 

 彼女は言われるままに花火を選び始める。そうして花火セットの前でしばらくフリーズ。慎重な性格がこんなところでも発揮されているのか、どれを取るべきか悩んでいるみたいだった。

 

「依束はいいの?」

「私はもうやったよ。でもやっぱり、みんなの見てるほうが好きかな」

「そう? ってかいつの間に」

「うん。だから気にしないで」

 

 ふと、隣に立っていた依束が気になって聞いてみると、そんな答えが返ってきた。本心からの言葉のようで遠慮している気配はない。見てるほうが好きってタイプは一定数いるし、彼女がいいって言うならそれでいいんだろう。

 

 まだ少し気にかかりながらも、この際だからと自分の花火の方を楽しむことにする。スパーク花火は今も弾ける音を立てて爆ぜている。それに目を奪われていると、早くも数本目を燃やしきった遊があたしの肩を叩く。

 

「なぁ、どっちが長く燃えるか競争しようぜ」

「お。いいよ。これが終わったらね」

 

 そう発して数秒も経たないうちに情けない音とともに手にしていた花火の火が消える。ひときわ強い光を放っていたものが無くなったことで周囲が一気に暗くなる。その落差せいか、なんとなくもの悲しい感じがした。

 

 明るさに目が慣れてしまったからかさっきより暗く思える視界のなか、手探りで花火セットに手を伸ばそうとして遊に止められる。

 

「待てって。同時じゃないと競争にならないだろ」

「そんなしっかりやらないと駄目? じゃ、気を取り直して」

 

 彼女の手には、まとめて持ってきたらしい数本の花火があった。見せびらかすようこちらに向けられたその中から一本を受け取り、あたしと遊が同時に火をつける。吹き出す火花が交差して、今度はむしろ眩しすぎるくらいに周囲を照らした。

 

 ただ、勢いがよかったのもつかの間。火薬が尽きていくにつれ音も光もしょぼくれていく。それにつけても、より早く終わりに近づいているのは遊の持つそれで、現状あたしが優勢だ。見かねた彼女が発破をかける。

 

「差せ! 捲れ!」

「競馬知らないけど『差す』って追い越すって意味でしょ? 長く燃えた方が勝ちなら違うんじゃない?」

「差すな! のんびりしろ!」

「応援の熱量と内容が釣り合ってないなぁ」

 

 見当はずれな応援がさらに変な方向へ向かっていくのが聞こえて思わず苦笑いする。だが、くだらない遊びにも全力で向き合える彼女の性質がこの静かな学校に熱を与えているのも確かだった。

 

 そのやたらと高いテンションにつられて、自分も知らず知らずのうちに声が大きくなっていた。しかし、彼女の応援も虚しく戦局は変わらず。やがて遊の花火が短い音を立てて燃え尽きた。そのすぐ後を追う形であたしのそれも消えた。

 

「はい。あたしの勝ちー!」

「ほとんど変わんなかったじゃねーか。引き分けだろ引き分け」

「それでもあたしの方が長く燃えてたのは事実だし。罰として左腕ちょうだい」

「罰重すぎね? 次次」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべて宣言すると、遊は悔しげに表情を歪める。間髪を入れず再戦を要求してきたのでもちろん受けて立つ。あたしたちは燃え残りをバケツに放り捨ててから、次の勝負に使う花火に持ち替えた。

 

 そうして、みんなで面白そうな順に片っ端から火をつけていく。次はこっち、今度はこっちといったふうに。赤、黄色、オレンジ、たまに緑や青。夜の闇のなかで、カラフルなフラッシュが断続的に繰り返される。

 

 そうこうしているうちにいつの間にやら勝負は関係なくなっていって、次第にただの花火大会へと変わっていった。爆竹に似た花火が盛大に炸裂する音よりも、あたしたちのはしゃぐ声の方がよっぽど大きかったと思う。

 

「今のはすごかったねぇ。じゃあ次は……あれ?」

 

 次を求めて伸ばした手が空を切る。見ると、手元にも袋にもどこにも花火はない。袋をひっくり返しても包装のゴミが落ちてくるだけだった。

 

「ありゃ。さっきので最後だったんだ」

「あっという間だったねぇ。残念」

 

 盛り上がっていたのもあって、肩透かしを食らった気分だ。まぁファミリーサイズの大袋とはいえ、これだけ手当たり次第に遊んでいたらそりゃなくなるのも早いかと思い直す。途中、湿気てて火がつかないのもあったし。

 

 スーパーで見たときはもっとたくさん入っていた気がしたが、終わってみれば一瞬だった。少々物足りない気持ちもあるが仕方ない。

 

「なんかあたしと遊ばっかやってなかった?」

「そんなことないよ。見てるだけでも面白かったし」

「それならいいんだけど」

 

 依束は笑顔でそう言ってくれたけど、自分ばかり夢中になって気が回っていなかったと遅ればせながら少し反省。こんなふうに遊ぶのも久しぶりで、羽目を外し過ぎたかもしれない。

 

 いつだって、楽しい時間はすぐに過ぎてしまうものらしい。もうこのイベントも終わってしまうことに多少寂しさを覚えつつ気を取り直して。実を言えばやることはまだ残っている。というより、ここからが一番大変な作業。

 

「それじゃあ、片付けしましょうか。散らかしっぱなしも見栄え悪いですし」

「花火なぁ……。楽しいけど、片づけるのだけは面倒なんだよねぇ」

 

 軽く足元に下げた目線。アスファルトの地面のいたるところに真っ黒な燃えカスが散乱していた。

 

 これを今から片づけるのかぁ。途端に現実に引き戻された感じがして急に気が重くなる。これからの作業にため息が出そうになるのをこらえていると、遊が頭の後ろで手を組みながら飄々と言う。

 

「火遊びするとおねしょするっていうし、アタシトイレ行ってこよっかな」

「……そう言って、片付けサボるつもりでしょ」

「そそそそ、そんなわけないだろ」

「目がバタフライで泳いでるよ」

 

 あたしに狙いを見透かされた遊がひどく狼狽する。彼女がごまかすように吹いた口笛も、動揺のせいか掠れていた。そんなにやりたくないのかとやや呆れもしたが、正直あたしも奇麗好きというわけじゃないから、めんどくさがる気持ちも分かる。

 

 でも、4人しかいない拠点では1人サボるだけですぐに汚くなってしまう。いくらあたしが自堕落だと言っても、共同生活を送るからにはね。最低限の整理整頓は……。まぁ、できる限りしよう。

 

 遊がごねるのを栞が説得しているさなか。あたしはカートにのせっぱなしだった荷物を見てふと閃く。

 

「じゃあ、外の片付けはこっちでやっとくから、2人は持ってきた荷物しまっといてくれない?」

「それは良いですけど……。大変じゃないですか?」

「散らかってるっても4人分ならたかが知れてるし。依束も、それでいい?」

「うん。全然大丈夫だよ」

「ごめんね。勝手に決めちゃって」

 

 実際、散らかっている面積こそ広いものの、ゴミの量自体はそうでもない。ゴミステーションに持ってくわけでもないなら丁寧に分別しなくたって、適当にまとめるだけで十分だろう。それなら手分けして作業した方がいいかと、その提案を受けて栞と遊の2人は。

 

「お2人がそれでいいなら。遊さん、荷物運びは手伝ってもらいますよ」

「ま、そっちの方が楽か」

「やっぱりサボる気満々だったんじゃないですか」

 

 冗談を言い合っている間にも、栞は淡々と荷物の山の中からほうきや塵取り、ゴミ袋といった清掃用具一式を取り出していた。

 

 というか、こんなものまで用意してたんだ。栞にとっては当たり前の日用品なのかもしれないけど、あたしは今この目で見るまで必要になると思いつきもしなかった。

 

 彼女がいなかったら、教室はしばらくもしないうちに汚部屋になっていただろうと思いつつそれを受け取る。

 

「火の消し忘れだけ気を付けてくださいね」

「わかってるってば」

 

 一言二言忠告をして、栞は運び込む荷物を整理しだす。その後、荷物の乗ったカートを押して校舎の中へと入っていった。窓の外からでも、懐中電灯の光で2人が移動しているのがなんとなく分かる。

 

 食料の保管方法やらインテリアのレイアウトやらは栞がなんとかしてくれるだろうから、あっちはあっちで任せよう。

 

 よし、それじゃあこっちもやりますか。まずはどこから始めようかな。あたしの視線の先には、燃えた灰のカス、色を失った炭、濁った水、乱雑に放り投げられた空き缶。

 

 ……思ったより散らかってるなぁ。こっち側になったの、判断ミスかも。

 

 そんなことを考えながらあたりを見回していたとき、背後から肩をたたかれる。振り向くと、依束の顔がすぐ近くにあってドキリとした。そのまま彼女が顔をさらに近づけてきたかと思えば、声を潜めてこそっと囁くように言う。

 

「朔ちゃん、朔ちゃん」

「ん? なーに?」

「はい、朔ちゃんのぶん」

「なにこれ……。線香花火?」

 

 彼女が手に持っていたのは2本の線香花火。それの一方をこちらに手渡してくる。さっき見たときはなかった気がするが、どこかに落ちていたのだろうか。その疑問を発するより先に依束が答える。

 

「セットの中にいくつかあったんだけど、ほとんど湿気てて。4人いるのに火が付くのは2本だけってなったら、ほら」

 

 確かにちょっと気まずいかもしれない。それでこっそり持ってきたのか。

 

「やっぱ花火大会の締めといったら線香花火だよねぇ」

「花火を見つけてきてくれたのが朔ちゃんだから。一緒にやってみない?」

「いいよ、やろっか」

「2人だけの秘密。これで共犯だね」

 

 いつの間にか同罪にされてしまったらしいがまあいいだろう。なんか響きが背徳的で格好いいし。依束が線香花火に火を点けると、次第に橙色が雫を作って輝きだす。バチバチと激しく爆ぜる音とともに放電するみたいな線が空気中に走った。

 

 あたしもそれに倣って線香花火に火をつける。同じ流れをなぞって雫ができるが、彼女の作ったものよりもわずかに大きいように見える。見た目には奇麗だけど、これじゃあたしの方が先に落ちちゃうななんて考えがよぎる。

 

「……」

 

 あたしたちの間に沈黙が流れる。けどそれは、気まずい沈黙ではなかった。

 

 体験の共有。それが自然と一体感というか、意識が混ざり合うような感覚を沸き起こした。言葉にするよりも鮮明に彼女の想いが聞こえる気がする。むしろ、言葉を発してしまえばこの感覚は途切れてしまう。そんな直感さえあった。

 

 光が目に染みて揺れる橙色がまぶたの裏に影を残す。まばたきするたびに線香花火はその背丈をどんどん縮めていった。光の玉は止まることなく、紙に包まれた火薬を燃やしていく。

 

 それはまるで『夏』という動画のシークバーが進んでいくみたいに。この光景にも、終わりが近づいている。

 

「もう、終わっちゃうんだね」

「ううん。続くよ。いつまでも」

 

 口をついて出たつぶやきに、ほとんど間を置かず言葉が返ってきた。初めて聞く声色と、珍しく断定的な口調。

 

 思わず顔をあげて隣に座る彼女を見た。依束はこちらに振り向くことなく、静かに線香花火の光を見つめている。丸くて大きな瞳に橙色が反射して、トパーズのように輝いていた。

 

 花火よりもその横顔に目線が行ってしまったのは、きっと。もっと眩しいものに見えてしまったから。

 

「覚えていたいって思うんだ。楽しいこともつらいことも、どうでもいいことも全部。目を閉じたらその続きが流れ出すくらい、はっきり」

 

 火花のはじける音にもかき消されそうなほどに小さな声。それなのにどうしてかあたしの耳に残る。鼓膜を通じて脳の奥に染み込んで、一番根っこの部分がじりじり灼けるような感覚だった。

 

「それくらいはっきり覚えておけば、思い出の中でいつでも続きを見られるでしょ?」

「でも、辛いことまで覚えてる必要なくない?」

 

 あたしが素朴な疑問を投げかける。楽しいこと、それだけで十分じゃないかと。楽しいだけでいられたらいいのに、日々の何気ない引っかかりが心をざわつかせる。その恐怖は、人一倍強いと思っていたから。

 

 依束が一拍置いて続ける。言葉は滞りなく、彼女の中ですでに答えが見つかっている問いらしかった。

 

「前にも話したよね。『最近何かあった?』って聞かれてなにも話せなかったとき、なんだかすごく悲しく感じるって。そんなふうに考えちゃうのは、世界っていう物語に自分はいないんだなって感じるからなんだと思う」

 

 

「ぼんやり生きていても世界が勝手に進んでくなら、何をしたって変わらないのかもしれない。でも、良いこととか悪いことって気付かないだけで、すぐ近くにあると思うんだ。いい天気だったとかご飯がおいしかったとか……。そういう些細なことが話せればいいのに、私たちはすぐに忘れちゃう」

 

 

「朔ちゃんも言ってたよね。なんとなくが集まって毎日だって。私もそう思う。でも、そういうなんとなくが人を作ってるんだとしたら、やっぱり忘れたくない。頑張った事実をなかったことにしたくない」

 

 

「みんなきっといつか死んじゃうんだとしても、誰かがその人のことを覚えてくれてたらいいなって。自分の知らないところでも、誰かが私の話で笑ってくれたら、そこにも私がいるって言えるんじゃないかな。……あっ、悪口はちょっと嫌だけど。それでも、誰にも覚えられてないよりいいって思っちゃうな」

 

 依束と目が合う。そのまなざしは穏やかながらも、瞬き一つせずこちらを見つめている。

 

 気恥ずかしくなってつい視線を逸らす。彼女の横顔に見入っているうちに、線香花火の火は落ちていた。そのせいで、目のやり場に困ってしまう。

 

「あ……」

「ふふ。私の勝ち」

「えー? 勝負だったのこれ? 先に言っといてよ」

 

 火が消えていたことに気付いて声を漏らしたあたしを依束がからかう。真面目ったらしくなっていた空気が緩んで、どちらからともなく笑いあった。

 

 彼女の雰囲気に当てられて、誰にも話したことない内心が引きずり出される感覚。これまでの人生で、一番素直に言葉を発せている気がした。

 

「この世界に、あたしたち以外の人っていると思う?」

「どうかな、分からない。もう誰もいないかも」

「いなくなった人たちのことも、覚えていくの?」

「うん。その人たちのことも覚えてあげていたい。たくさん頑張ってきたのに、なにも残せなかったなんて、寂しすぎるから」

 

 こんなふうに、他人のこと考えられる人のことを優しいというんだろう。優しい生き方を否定はしない。でも、損な生き方だなとも思う。きっと、そのせいで嫌な思いをすることだってあるだろうに。

 

 誰かがその人のことを覚えている限り、その人は世界にあり続けられる。彼女の言うことも分かるけど、だからこそ一つ疑問に思うことが。

 

(依束がみんなのことを覚えてるんだとしたら。じゃあ、誰が彼女のことを覚えていてくれるんだろう。)

 

 人間は自分たちが思う以上に利己的で、他人の優しさに鈍感だ。彼女がみんなの幸せを覚えていても、みんなは彼女の優しさを忘れてしまう。そんなふうに彼女が忘れられていくなんて、それこそ寂しすぎる。

 

「……じゃあ、依束のことはあたしが覚えといてあげる」

「え?」

 

 虚をつかれた依束の、気の抜けた声が聞こえた。そんな驚かれるほど意外なこと言ったかな。

 

 まぁでも、確かに自分でもキザったらしいセリフを吐いている自覚はある。顔に熱が集まるのをごまかすために立ち上がって、大仰に腕を振るう。

 

 線香花火の雫はとっくに落ちていた。それでも空気に満ちる火薬の残り香が花火大会を続けている。

 

「あたしもこの瞬間が終わってほしくない。なら続けようよ。このバカバカしい夏休みをさ」

「……そうだね。じゃあ、約束」

 

 彼女が右手の小指を差し出す。子供っぽい儀式でも、きっとそれでいい。振り返って思い出して恥ずかしくなっても、覚えていることに価値があるから。

 

 いつかあたしたちが死んで、本当の意味であたしたちを覚えている人間がいなくなったとしても続くような約束をしよう。

 

「朔ちゃんのこと、ずっと覚えてる」

 

 結んだ小指が締め付けられる。そこには、等身大の願いが込められている気がした。……ダメだ。どうにも照れくさい。どうしようもなくカッコつかないあたしは、すんでのところで口ごもる。

 

「勢いで言っちゃったけど、恥ずかしいなぁ……」

「えー? 朔ちゃん、嘘ついたの? せっかくカッコよかったのに」

「いやいや、嘘じゃないって! 記憶力にだけは自信あるから。……うん。約束するよ、あたしも依束のことずっと覚えてる」

「ふふ。そんな真剣に言われると照れちゃうね」

「はい指切った! からかうんならもういいでしょ」

 

 もはやこらえきれなくなってヤケクソ気味に手を離す。何がおかしいのか、あたしの顔を見て依束がくすくすと笑う。どうやらうまいこと乗せられてしまったらしいが、初めて知る意外と意地悪な一面も、もう忘れない記憶の一部になっていた。

 

「よかった。これで話せることができたかも」

「? なんの話?」

「『最近あったこと』の話。新しい友達ができましたって」

「あはは。話す人、いないけどね……」

 

 終末世界ジョークが飛んでまた彼女が少し笑う。少女らしいあどけない表情に目を奪われて、その顔を覚えていたいと思うと心臓が高鳴った。この音が彼女に聞こえてはいないかと不安になったときにはもう、自分の外側が熱いのか内側が熱いのかさえ分からなくなっていた。

 

 きっと夏の魔力に当てられてしまったのだろう。でなきゃありえない。湧き上がった正体不明の感情に、あたしはそう結論付けた。

 




一旦一章終わり。閑話を挟んでしばらく間が開くと思います。
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