何の変哲もない普通のラブコメ   作:ナオ3

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過酷な一日の終り


8話

地獄のホームルーム――その名に相応しい時間だった。

 

俺と白桜美怜、そして何故か別クラスの紅峰華音。

この三人だけで行われる異様な空間。

結局、クラスメイトどもは三村先生を保健室へと運んだきり、誰一人戻ってこなかった。

……臆病者め。いや、英断と言うべきか。少なくとも命の危険を察知する嗅覚はあったのだろう。

 

だが、そのツケは全部俺に回ってきた。

 

氷の女王・白桜美怜と、狂気の人形・紅峰華音。

二人は俺の両隣に陣取り、まるで俺を挟み撃ちするかのように腕を組み、同時に顔を寄せてくる。

左右からじっと俺の顔を見つめるその様子は、まるで獲物をじわじわ追い詰める捕食者だ。

 

 

(美怜テメェ、ちゃんと担任のツラを見ろや! 何で俺の顔しか見てねぇんだ!)

(華音、お前は別のクラスだろ!? 自分の教室に帰れよ! ていうか何で堂々とホームルーム受けてんだ!!)

 

 

担任の高槻先生は、俺たち三人の光景を一瞥して、恐ろしいものを見てしまったような顔をしていた。

無理もない。最近娘から「パパ臭い」と言われ、体臭を気にしている哀愁漂う、ただのおっさんだ。

そんな男が、今この異様な光景を直視して正気を保てるはずがない。

 

彼は震える声で、それでも職務を全うしようと必死に言葉を紡ぐ。

 

 

「え、えー……では、来週の予定だが……」

 

 

だが、誰も聞いていない。

少なくとも両脇の大財閥令嬢二人は完全に俺しか見ていなかった。

視線の圧力が重い。刺さる。俺の心臓が針山に投げ込まれたようにズタズタにされていく。

 

俺の精神はすでに限界を超えていた。

 

 

「じゃあな、来週生きてたらまた会おう宇生!」

 

 

授業が終わるや否や、高槻先生は最後の気力を振り絞ってその言葉を残し、全力疾走で教室から逃げ出した。

その姿は、戦場から退却する兵士そのものだった。

 

俺も二人の腕を振り払い、有無を言わさずダッシュ。

逃げる、逃げる、逃げる。

今この瞬間に俺が求めているのは平穏だけだ。

 

 

だが――

 

 

「またね、優斗くん」

「優斗、明日」

 

 

遠くからそんな声が聞こえた気がした。

いや、幻聴だ。絶対に幻聴だ。

もし現実だったら、俺の安息は永久に失われる。だからあれは幻聴でなければならない。

 

男子寮の入り口に立ったとき、俺は膝から崩れ落ちそうになった。

 

 

「おお、なんて神々しい!」

 

 

見慣れたはずの寮の建物が、まるで神殿のように輝いて見えた。

そうだ、ここは世界で一番神聖な場所だ。

白桜美怜も紅峰華音も絶対に入れない聖域。俺にとって最後の避難所。

 

中に入ると、クラスメイトたちが待っていた。

親友の田所圭介を筆頭に、男子たちが心配そうに駆け寄ってくる。

 

 

「ゆ、優斗?」

 

「大丈夫か?」

 

「顔が、ヤベエぞ?」

 

 

俺は彼らの顔を見て、憔悴しきった声で呟いた。

 

 

「……うらぎりもの」

 

 

その言葉に、クラスメイトたちは痛そうな顔をした。

罪悪感が滲み出ている。

 

 

「……すまん」

 

「教室に戻るのは臆病な俺達には無理だったんだ」

 

「白桜さんの顔を見るなんて……無理無理無理!!」

 

 

その気持ちは分からなくもない。だが俺に押し付けた罪は消えない。

俺は震える声で語った。

 

 

「あの後、紅峰華音が来たんだぞ……!」

 

 

その瞬間、クラスメイトたちの顔色が変わった。まるで落雷を受けたように一斉に青ざめる。

 

 

「地獄かよ!?」

 

「スマン、本当にスマンかった!!」

 

「白桜さんと紅峰さんによる大財閥令嬢サンド……死ぬ」

 

 

俺は頷いた。あれは死に等しい体験だった。

圭介は頭を深々と下げて言った。

 

 

「優斗、今は休め、な?」

 

 

その声に、男子たちも静かに頷いた。

 

 

「みんなも優斗を休ませてやってくれ!」

 

 

「……飯は?」と誰かが聞いた。

 

 

「今は、いい」

 

 

俺は短く答えた。

あの白桜シャワーを浴びてからというもの、胃袋は完全に死んでいる。食欲など消え失せてしまった。

 

惨劇の記憶がフラッシュバックする。

顔に張り付いた生温い感触。鼻を突く刺激臭。口内に広がった忌々しい味。耳に残る水音。目に焼き付いた美怜の痴態。

思い出しただけで吐き気がこみ上げ、胃液が逆流しそうになる。

 

 

「とにかく、寝かせてくれ、頼む」

 

 

男子たちは静かに道を開けた。

その表情には同情と恐怖が入り混じっていた。

部屋に入る。

 

 

「ああ……」

 

 

今朝、俺はこの部屋で目を覚ましたはずなのに。

長い旅を経てようやく帰ってきた心境になる。

いや、あれは旅なんて生易しいもんじゃない。戦争だった。

 

俺はすぐに上着を脱ぎ捨てる。

普段の優等生の俺なら、きちんと畳んで椅子にかけておくが、今はそんな気力もない。

 

ベッドに倒れ込んだ瞬間、全身を包み込む柔らかい感触に、俺の心もようやく解放された。

長い戦場から戻った兵士が武器を投げ捨て、安堵の吐息と共に大地に身を投げ出す――その瞬間に似ている。

 

幻聴が聞こえる。

 

 

『おいおい、お疲れじゃねーか』

『まったく、頑張りすぎだぜ、優斗?』

『俺の胸で癒されな』

 

 

(ああ……美怜や華音の億倍いい……)

 

 

そうだ。俺にとっての安息は、このベッドだけだ。

世界で唯一、俺を裁かず、責めず、ただ受け止めてくれる存在。

氷の女王でもなく、狂気の人形でもない。

そこにはただ、柔らかさと無条件の許容がある。

 

俺は頭からシーツをかぶり、全身をベッドに押し付ける。

するとさらに幻聴が重なった。

 

 

『なぁ、優斗。お前が本当に求めてるのは俺だろ?』

『全部忘れていいんだ。ここで寝てりゃいいんだ』

 

 

「……ああ」

 

 

思わず声が漏れた。

ただ眠りたい。安らぎたい。それだけだ。

 

 

(俺は……ベッドと結婚したい)

 

 

今の俺は本気でそう思っていた。

ベッドと結婚する。ベッドと新婚生活を送る。

朝目覚めればベッドが「おはよう」と囁き、夜眠れば「おやすみ」と包み込んでくれる。

考えれば考えるほど理想の伴侶だ。

 

 

……と、そこでまた幻聴が聞こえた。

 

 

『俺は何も求めない。ただそこにいてくれればいい』

 

「ベッド……」

 

 

そうだ。

 

 

ベッドだけは違う。

何も求めず、ただそこにいてくれる。

俺が横になれば柔らかく受け止め、力を抜けば優しく包む。

理想の伴侶だ。いや、もはや神だ。

 

そのまま、俺は静かに眠りに落ちた。

ベッドに抱かれ、ベッドに包まれ、ベッドに愛されながら――

 

 

(俺は……ベッドと結婚する……)

 

 

最後の意識がその決意を反芻し、深い眠りに沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

荘厳な鐘の音が鳴り響く――いや、荘厳というより、地獄の開門の合図にしか聞こえない。

俺は目を開けた。

 

そこに広がっていたのは、地獄だった。

 

純白のバージンロード。

豪華絢爛なステンドグラス。

煌びやかなシャンデリアの光が降り注ぎ、列席する者たちは全員、黒一色の――喪服。

 

 

「……なんだ、これは……葬式か?」

 

 

呟いた俺の声は、虚ろに響くだけだった。

いや、葬式であることは間違いない。

だが同時に――結婚式でもあった。

 

視線の先。

純白のドレスに身を包んだ二人の花嫁が、ゆっくりと歩いてくる。

 

白桜美怜。

紅峰華音。

 

二人の財閥令嬢が、笑顔でこちらに歩み寄ってくる。

そのドレスは神々しいまでに美しく、だが俺には純白ではなく、白い布に赤黒い染みが広がっているようにしか見えなかった。

 

 

「ふふ……待たせたわね、優斗くん」

「やっとだねぇ、優斗ぉ。僕たち、結ばれるんだよぉ」

 

 

背筋が凍る。

なんで二人が同時に花嫁なんだよ!?

どこの二股マリッジだ!?

 

 

「……逃げ……」

 

 

声を出そうとするが、喉が詰まって何も出ない。

いや、声を出すまでもなく、俺は逃げられなかった。

足元を見下ろすと――俺は死装束を着せられていた。

白い着物に、胸には数珠。背中には経文が書かれた布が貼り付けられている。

 

 

「な、なんで俺が死装束なんだよおおおおおお!!!」

 

 

絶叫は、虚しく反響するだけ。

 

祭壇の中央に立つのは神父――の格好をした田所圭介だった。

だが、あの圭介の顔には苦悩が浮かんでいる。

 

 

「――ここに、宇生優斗の葬式、もとい結婚式を執り行います」

 

「葬式って言っただろ今!!」

 

 

心の中で絶叫するが、声は届かない。

圭介は仕方なさそうに聖書を開き、恐怖の儀式を読み上げ始めた。

 

 

「汝、宇生優斗は……ここに白桜美怜、紅峰華音の両名を、死してなお離れること能わぬ伴侶として迎えるか……?」

 

「迎えねぇえええええええええええ!!!!!」

 

 

魂を振り絞って叫ぶ俺。

だが、周囲のクラスメイト――喪服を着た奴らが、シクシクと泣きながら拍手している。

 

 

「……優斗……お前……」

 

「なんて悲しい花婿姿なんだ……」

 

「泣ける……泣けるぞ……」

 

 

ざわめくクラスメイト。だがそのざわめきは「花嫁が二人」という異常さに向けられてはいない。

全員、黒い喪服を揺らしながら「合掌」しているのだ。

 

そして二人の花嫁が、俺に近づく。

美怜は優雅に、華音は楽しげに。

二人の手には――結婚指輪ではなく、鈍く光る鉄の手錠と足かせ、そして首輪。

 

 

「……やめろぉ……!」

 

 

俺の懇願など無視して、花嫁たちは順番に俺へと「愛の証」を取り付けていく。

 

ガチャリ。

手に手錠。

 

ジャラリ。

足に足かせ。

 

カチリ。

首に首輪。

 

 

「これで、あなたは一生、私たちのものね」

 

「ふふっ……運命共同体、ってやつだよ優斗〜」

 

 

二人の笑顔は、まるで天使。

だが俺には、悪魔の微笑みにしか見えなかった。

 

 

「や、やめろぉぉぉぉ……俺は自由に……! 俺は……!」

 

 

叫んでも、鎖が重く音を立てるだけ。

教室の惨劇より重い、圧倒的な束縛が俺を縛る。

 

その瞬間。

クラスメイト全員が一斉に立ち上がり、両手を合わせた。

 

 

「ナムアミダブツ……」

「優斗の冥福を……」

「安らかに眠れ……」

 

(誰が死んだぁあああああああ!!!!!)

 

 

俺は叫んだ。叫んだつもりだった。

だが声は誰にも届かない。

笑顔で手を繋ぐ花嫁二人。

黒い波のように揺れる喪服の列。

 

 

「では、誓いのキスを」

 

 

圭介の声が響く。

俺の心臓は爆発しそうだった。

 

 

「待ちなさい」

 

 

その時だった。

扉が開き――新たな三つの影が乱入してきた。

 

純白の花嫁衣裳に身を包んだ、残り三人の令嬢。

その姿は美しくも恐ろしく、まさに戦女神。

 

 

「……私のものよ!」

「いいえ、違うわ!」

「誰にも渡さない……!」

 

 

その声と共に、結婚式場は修羅場と化した。

 

ステンドグラスが砕け散り、喪服のクラスメイトたちが悲鳴を上げて逃げ惑う。

圭介神父は聖書を抱え、「SAN値がぁあああ!」と絶叫しながら祭壇に突っ伏した。

 

美怜と華音、そして乱入してきた三人の令嬢。

互いに睨み合い、次の瞬間、ドレスの裾を翻しながら戦争を始めた。

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 

俺の絶叫をかき消すように、五人の令嬢たちの狂気が爆ぜる。

シャンデリアが落下し、赤い絨毯が引き裂かれ、純白の祭壇が血の色に染まっていく――。

 

そして俺は悟った。

 

 

(……ああ、これは夢だ。間違いなく悪夢だ……!)

 

 

けれど、夢だからといって安心できるわけではない。

むしろ現実以上に濃密な悪意と愛憎が、俺を絡め取り、縛り付けていく。

 

俺は鎖に繋がれたまま、頭を抱え、天を仰いで叫んだ。

 

 

「神様仏様! 誰でもいいから助けてくれええええええええ!!!」

 

 

その叫びが虚空に消える頃、結婚式場は完全なる戦場と化していた。

 

 

 

 

 

________________________________________

 

 

 

 

 

「がああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

喉が裂けるほどの絶叫を叩きつけ、俺はベッドの上で跳ね上がった。

全身の毛穴から冷や汗が噴き出し、息は荒く、胸は破裂するかのように上下している。

視界の端には、まだ鎖の残像。まだ純白のドレスが翻っている気がして、俺は必死に頭を振った。

 

 

「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……っ!」

「落ち着け俺!夢だ、夢なんだ……!!」

 

 

そう言い聞かせても、心臓の鼓動は全く落ち着かない。

いや、むしろ悪夢から解放された直後だからこそ、全ての恐怖が現実にまで染み出してきている。

 

その時――

 

ドンドンドンッ!

 

荒々しいノック音が部屋に響いた。

 

 

「おい、優斗! 大丈夫か!?」

 

 

聞き慣れた声。親友・田所圭介だ。

 

俺は慌ててベッドを飛び降り、ドアノブを掴む。

ガチャリと開いた瞬間――そこに立っていたのは、短髪で筋肉質な腕をさらした圭介。

半袖Tシャツにハーフパンツというラフな格好。

どこをどう見ても、祭壇に立つ神父ではなかった。

 

 

「け、圭介……!」

 

 

俺は反射的にその姿に安堵し、膝から崩れ落ちそうになった。

現実だ。目の前にいるのは、式場で鎖を掲げる悪魔神父ではない。

ただの圭介。汗臭くて、声がでかくて、でも間違いなく現実の親友だ。

 

 

「大声出して……マジで心臓止まるかと思ったぞ!」

 

 

圭介は心配そうに眉をひそめる。

 

 

「夢でも見たのか? 顔、死人みたいになってんぞ」

 

「……あ、ああ……」

 

 

俺は答えようとするが、喉が渇ききって声が掠れる。

 

 

(言えるかよ……! 美怜と華音が花嫁で、俺が死装束で、クラス全員が喪服で……)

 

 

圭介は腕を組み、ため息をついた。

 

 

「とりあえず落ち着け。水でも持ってくるか?」

 

「あ、ああ……頼む……」

 

 

そう言うのが精一杯だった。

ドアが閉まり、圭介の足音が遠ざかる。

 

他にもクラスメイトが離れていく、圭介だけでなく他にも来てくれたらしい。

 

俺は再びベッドに腰を落とした。

柔らかな感触が背中を支える――が、今は安らぎではなく、悪夢の余韻を呼び起こすだけだった。

 

 

呟いた俺の耳に――廊下から、微かな声が響いた。

 

 

「……またね、優斗くん」

 

「……優斗、明日」

 

 

ゾクリ、と全身に冷たいものが走る。

声の主を知っている。

白桜美怜と、紅峰華音。

 

いや、これは幻聴だ。悪夢の残滓だ。

そう言い聞かせながら、俺はベッドの上で圭介を待った。

 

ベッドは何も言わない。

 

 




ちなみに、紅峰さん関係で優斗くんの本性を知ってる人は担任含めて結構居ます。
それでも、施設出身でありながら白桜学園の特待生になり、授業と自習で成績上位をキープしている優斗くんをクラスメイト(美怜除く)はかなり尊敬しています。
本人はその自覚が全くありませんが。
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