雲一つない快晴の空、真夏の日差しが容赦なく降り注ぐ中、ホシノは歩き慣れた砂漠の中をパトロールしていた。
ホシノにとっては慣れた習慣の一つだったが、昨日とは違い、本能的な危機感を感じていた。
その日はあまりにも暑すぎた。
盾を掲げて日陰を作ることで、ようやく冷静な思考ができる程に。
落ちた汗水が地面まで届いたか分からないほど、暑く乾ききっている。
「うへ〜」
ホシノは足を止めて、この先を進むか葛藤した。
戯けながらも、その目は真剣なままだった。
今日のような危険な日だからこそ、パトロールをすべきだと
考える。
だけど、無事に戻る事が出来るかという確証は持てなかった。
目の前の広大な砂漠では小さく砂が舞っている。
目を瞑ると対策委員会の面子が思い浮かぶ。
今日は誰も砂漠に行く予定はなかったと思い出す。
なら、無理してこの砂漠を進む必要もないと現状を紐解いていく。
そして、もし進んだ場合を考えてホシノは真顔になる。
「みんな、怒るよね」
砂漠から戻った後の後輩と先生を想像して苦笑いを浮かべる。
そんな事を考えているうちに、ホシノのやる気はすっかり失せてしまった。
ホシノは踵を返し来た道を戻っていく。
こんなに暑い日はお昼寝する気分にもならない。
折角ならと、ホシノは涼を求めてアビドスの商業区を目指すことにした。
熱い砂を踏みしめ、砂交じりの熱風に晒されていた道程を終え、ようやく硬いアスファルトの地に足を踏み入れる。
アビドスの居住地区に入ると多少は過ごしやすい環境になった。
舗装された道を少し進めば、次第に風も温くなっていく。
住人が打ち水をした場所は、特に温度が下がっている。
気温の変化を感じながら歩いていると、どっと汗が噴き出てくる。
顔を濡らす汗を拭い、髪に籠った熱を逃がす。
「今日はとびきり暑いな~」と考えながら、灼熱の暑さから解放されたつもりで気を緩めていた。
「ぁあ”っづい…」
「ん、暑い」
アビドス自治区の比較的栄えた商業区画。
ここに来るまでにライディング中のシロコと偶然出会った。
どうもスポーツドリンクが切れたらしく、商業区まで買いに来たらしい。
元々行く当てもなく涼みに来たのだから、このままシロコに付き合うことにした。
そして、大型の商業施設が見えてきた頃、暑さも限界を迎えていた。
「ほんと、溶けちゃいそうなぐらい暑いよ~」
「ホシノ先輩、自転車で運ぶ?」
「あ、ありがとね~。でも、もうちょっとだから」
「ん、無理しないで」
シロコの心配を他所に、ホシノは猫背で腕を揺らしながら腑抜けた姿勢で歩いていた。
砂漠の乾いた暑さの次は都市部の湿度と反射光の暑さだった。
黒いアスファルトの熱が膝下まで立ち上るのを感じる。
街灯や鉄柵も熱くなっていると思うと、どこもかしこも熱源だらけなのだろう。
ふと遠くを見てみると、景色が少し揺らいでいるように見える。
眩しいくらい光を反射する高いビルは輪郭が曖昧で、じらじらと波打っている。
「ねえシロコちゃん、あそこにちゃんと建物はあるよねぇ?おじさん、蜃気楼に見えてきちゃった」
「ん、ちゃんと本物。やっぱり自転車で運ぶべき」
そう言って、シロコは自転車を置く。
その時だった。
二人の間に緩やかな風が通り抜ける。
ーーーチリン、チリン
涼し気な風鈴の音。
ビル群の立つ商業区では聞き慣れない音だった。
一瞬、時が止まる二人。
「…シロコちゃん」
「ん」
ホシノがそう声を掛けたとき、二人は既に怪しいものを見つけていた。
一台の小さなトラック。
その荷台はキッチンカーのように屋台になっており、何かを売り出しているようだ。
ここからでは、その白い車が何を売り出しているかまでは分からなかった。
ただ、二人の目的地は決まった。
「ホシノ先輩」
「うへ、ほんとに運ぶの?」
有無を言わさずシロコに両腕をつかまれ、そのまま背中に乗せられる。
自転車に飛び乗るとそのまま軽々と走りだす。
温風を感じながら走ること数秒、案外早く目的の車の前に到着する。
キッチンカーのように見えていた車体は、どうやら軽トラックのような形状に近いらしい。
調理場は無く、荷台はホシノが覗き込めそうなほど低い。
荷台には屋根が付いていて、値札や小さな機械が備えてある。
そして、隣接するように作業用の机が置いてある。
誰かが利用したのだろうか、机には小さな水たまりができていた。
シロコの背中から滑り降りると、すぐに違いに気が付く。
「おお、涼しい~」
冷蔵庫を開けたような冷気が足に纏わりつく。
靴の下のアスファルトは相変わらず暑いのに、不思議な感覚だ。
キッチンカーの方に振り向くと、そこに立つ一人の生徒が目に入る。
見慣れない生徒の制服にはミレニアムの校章があった。
「こんにちは、お一つ如何ですか?」
ホシノの視線に気づいた生徒が、目の前の商品を勧める。
その手は荷台の中のものを指している。
「ん~、何を売ってるのかな~?」
荷台に近づくと、ひんやりとした空気が漂ってくる。
中を覗いてみると、氷水が張っている。
そしてよく見ると、ガラス瓶が何本か沈んでいる。
「おお、こんなに暑いのに、氷がいっぱい」
「ラムネ、よく冷えていますよ」
自転車を置いたシロコが隣に立つと同時に、ミレニアムの生徒はその商品を明かす。
ラムネ、その名前を聞くと夏の飲み物というイメージが湧いてくる。
さっきまで、頭の片隅にもなかったものだが、
ラムネを飲む機会はそんなにないが、今日みたいな暑い日には飲みたくなるもの。
改めて、氷水を漂うラムネを見る。
小蔭の下の水槽は暗く、水の中にある氷やガラス瓶の輪郭は消失してる。
まぶしいくらいの日差しの中、目が慣れない暗がりが、深海のような冷たさを感じさせる。
その水に触れてもいないのに、そばに居るだけでこれほど涼しいのだ。
そこで冷やされたラムネでのどを潤せば、どれほど素晴らしいだろうか。
「ん、一つ貰う」
ラムネへの渇望を高めている横でシロコが先に注文する。
同時に、カランカランとガラスと氷が乱暴にぶつかる音が響く。
くぐもった音が、どれほどの氷の中で冷やされてきたのかを想像させる。
ゴム手袋に引き上げられた瓶から、水が滴り落ちる。
氷水をタオルで拭う彼女の手は、冷たさで赤くなっている。
「はい、どうぞ」
「ん、ありがと」
「冷たい」と小さくつぶやくシロコに、ホシノは妬みに近い羨望を抱いてしまう。
「おじさんにも頂戴~」
無意識的に声が出ていた。
子供っぽく、はやる気持ちに中てられていたらしい。
「はい、ご用意しますね」
「あ、会計はこっちで承るよ」
荷台の裏にもう一人いたらしく、ひょっこりと顔を出した。
屋台のケーブルが裏に続いているみたいで、何かをしていたらしい。
「じゃ、これでお願い」
氷をかき混ぜる音の横で会計を済ませる。
「はい、どうぞ」
「ありがと~、おお、冷たい」
瓶に素手で触れると、氷のような冷たさに驚く。
余りの冷たさに手のひらが直ぐに悴んでいく。
右手に瓶を渡し、左手を空ける。
次第に感覚が戻る左手はまるで冷気を放ってるような不思議な感触だった。
ホシノは無意識にその冷えた手を首元に近づけていた。
「うへ~、冷た~い」
くすぐったいけど、温まった体にこの冷たさが気持ちいい。
一つ息を吐いて堪能していると、シロコが声を掛けてくる。
「ホシノ先輩、早く開けよう」
「…そだね、開けよっか」
せっかくの冷たい飲み物だ。
体の熱で温くしてしまうのはもったいない。
シロコの隣に並び、急いで準備する。
テーブルの上に置いて包装を剝がす。
部品を取り出して、ビー玉を落とすために飲み口に手を置いた。
シロコに目配せをすると、シロコは準備できていると言うように頷く。
「じゃあ、開けるよ~。せーのっ」
「ん」
手のひらに力を入れると、ドンッとビー玉が外れて瓶にぶつかる。
瓶底からシュワシュワとくぐもった音が響き、同時に掌を濡らす。
漏れ出るラムネが結露した水滴を巻き込み、一本の道筋を底まで延ばす。
微かに香る甘い匂いに、ホシノの頬が少し緩む。
炭酸が大人しくなるのを見て、飲み口を開放する。
音程の変わった炭酸の音をそのまま口元に近づける。
カランと瓶を傾け、冷えたラムネを流し込む。
冷たさと炭酸、どっちを先に感じたかわからない。
思いのほか強い炭酸に驚いていると、凍えるほど冷たいラムネが舌を覆う。
喉を鳴らして、液体を食道へと送る。
刺激的な冷えたラムネが熱の籠った体内を驚かせる。
体内の震えと少しの苦しさを感じるも、ホシノは飲む手を止めない。
むしろ、お腹の底まで流れ落ちるラムネの感触が面白いとさえ思っていた。
「ぷはぁ、ふぅ~」
一息付くと、口から冷気が漏れ出て行った。
空気を吸うと、今度は外気の熱が口の中に滞留する。
「やっぱり、今日は暑いね~」
「ん、冷たいものがあって良かった」
シロコがもう一口を飲んでいる横で、ホシノは口の中を落ち着かせるために自分の手のひらに向けて冷たい息を吹きかける。
冷気が弱まったと感じる頃には、体温も少し下がってきた気がした。
まだ液体の重さを感じる瓶をもう一度傾ける。
相変わらずしっかりと冷たいラムネは、最初よりも少し甘い。
きめ細かいシュワシュワを楽しみ、ゴクッと飲み込む。
冷たい感触が胃の中に溶けていくのを感じ、小さく息を吐いた。
「はぁ~、おじさんもすっかり元気になったよ~」
暑さにうなされていた時よりも調子が回復したホシノはシロコに話しかけるように喋る。
シロコの方に振り向くと、シロコは頭を抱えて机に伏していた。
「うぇ、シロコちゃん?大丈夫?」
「…頭、痛い」
眉間に皺を寄せてこちらを見るシロコは症状の割にどこか元気そうだ。
その様子をみて、ふとかき氷のことを思い出した。
食べ過ぎた時に起こる頭痛、その痛みを思い出してシロコに同情する。
「大丈夫です?温い水ならありますけど」
声の方を見ると、ひょっこりと顔を見せる店員がペットボトルの水を掲げていた。
確か、体を温めれば頭痛を抑えられるとか聞いたことがある。
シロコを助けるなら貰うべきだが、ホシノは少し躊躇った。
折角冷たいラムネで気をよくしていたところに、温かいものを飲ませるのは酷だ。
頭痛を治すためとは言え、それは可哀想に思ってしまう。
「ん、だいじょうぶ」
ホシノの杞憂を他所に店員に返事をすると、起き上がって大きく息をするシロコ。
飲み物で温める代わりに熱い空気を取り込む。
「ん、収まった」
「うへ~シロコちゃん、ゆっくりでいいからね」
ホシノの言葉も聞き流して、そのまままたラムネを飲み始めるシロコ。
その様子を横目に、元気そうならいいかとホシノも残りのラムネを飲む。
結露で水浸しになっても、中身はまだ冷たい。
口の中も大分冷たさに馴染んだけど、ラムネの有難さは変わらない。
シロコみたいに頭痛になるかもしれないが、残りのラムネを一気に飲み干してしまおう。
カランとビー玉が溝にはまる。
汗のように手首から腕に伝う雫がくすぐったい。
ごくごくと飲む度に新鮮な炭酸が喉に触れる。
ラムネの冷たさが体温をどんどん下げているのを感じる。
お腹に炭酸の違和感を覚えると同時に、コツンと瓶の口をビー玉が塞いだ。
「ぷはぁ」
空になった瓶を下すとビー玉が元気良く鳴る。
甘いラムネの香りが抜けると、少し体が軽くなったような気分になる。
暑さに溶けていた時に比べたらすこぶる良い調子にホシノは満足感を得る。
シロコの方からガラスの音が鳴る。
視線を向けるとシロコと目が合う。
ラムネを飲み干したのか、満足そうに「ん」と頷いた。
そして一拍の後。
「ん”ッッ」
「シロコちゃん!?」
チリンチリンと風鈴の音が鳴った。
「おいしかったよ~ありがとね~」
「ん、ごちそうさま」
少し休んだあと、ホシノとシロコは屋台を後にする。
ラムネの瓶はミレニアムの子たちが回収してくれた。
「ええ、またどうぞ」
店員に手を振り返し、商業区に向かって歩き始める。
また温かい風が吹き、遠くで風鈴が鳴る。
でも、屋台に寄る前よりも少し心地よい感じがした。
「たまにはラムネもいいものだね~」
「ん、お祭りでしか見ないけど、おいしかった」
先ほどの冷たいラムネに思いを馳せる。
ラムネのせいか、気温が下がったわけではないのに、何となく涼しく感じる。
そんなことを考えて歩いていると、急にホシノのお腹が鳴る。
「ホシノ先輩」
「うへ~」
ホシノは少し顔を赤くする。
アビドス砂漠からここまで歩きっぱなしだったのだ。
意識したら急に空腹感が大きくなる。
「ん、ホシノ先輩、何を食べに行く?」
「どうしよっかな~」
そう返事をすると、ホシノの腹も返事をする。
思ったよりもお腹が空いているようだ。
ラムネが甘かったのもあって、なんだかしょっぱいものが欲しくなる。
「う、柴関ラーメンにしよっか」
「ん!ちょうどしょっぱいものが欲しかった」
シロコも一際元気に同意する。
そして、何食わぬ様子でホシノの手を取る。
「ん、早く行こう」
「うえ、また運ぶの」
「ん」
目的地はそう遠くない。
自転車の勢いで浴びる風が布団のように心地いい。
少し微睡んだ頭で、ラーメンは暑かったかもと、と振り返る。
食欲を刺激する湯気が立つ熱いスープに一番おいしい塩気が絡んだ麺。
それを想像するだけでホシノのお腹がまた鳴ってしまう。
「うへ~、おじさんお腹すいちゃったよ~」
シロコに聞かれた恥ずかしさを紛らわすホシノは、ごまかすように笑いながら赤面していた。