月下の変生 作:むきむき
私は、人間というのがどうしようもなく滑稽で、そして少しばかり哀れだと思っている。
それはつまり、私自身が最も愚かで、最も救いがたく、そして、なんといっても他人に不快な印象ばかり与える、誠に不器用な人間だからである。
さて、私は昨夜、竜に呑まれた。いや、比喩ではない。きちんと鱗の音を聞いたし、巨大な舌に包まれて、ぬめぬめとした胃の中に落ちていった。死ぬと思った。
ところがどうだろう、目が覚めると、私は──
女になっていたのである。
困った。とにかく困った。まず第一に、私は女の扱い方を知らない。第二に、女が朝起きて最初に何をするのかすら知らない。第三に自分の声がやけに甘ったるくて、妙に耳に障った。
《『火の巫女』の意識の覚醒を確認。おはようございます》
天井があったはずの場所から聞こえるのは酷く無機質な声だった。私は体を起こそうとして、胸が揺れた。しかも、やや大きめに揺れた。いや、私はこれまで三十年近く男として生きてきたが、そんな感覚は一度たりとも味わったことがない。肉体の不一致というものが、これほど生々しく、これほど鮮烈に人間の尊厳を揺るがすものだとは思わなかった。
「お前、何をしたんだ」
《条件を満たした為、対象を火の巫女に選定しました。おめでとうございます》
人間の出来損ないのような声で人間の真似事のような取ってつけた挨拶や賛辞を繰り返すのが気になったが、それよりも巫女だ。
巫女。私は巫女だというのだ。女として生まれ変わり、神仏がただの人の慰めでしかないこの現代社会で。
そもそも、私は巫女などという神々しい職業には向いていない。私は信仰心がないし、かつて神社の賽銭箱に五円を投げ入れたときですら、内心で「返せ」と思っていたような人間である。
それにしても、体が軽い。指が細く、肌が妙に滑らかで、どうにも落ち着かない。胸に意識が向かないように努めていたが、それでも時折、不意に重力を感じてしまう。私はこれまで重力などというものは、地球上の生物に等しく与えられた物理的な現象だと思っていたが、どうやらそれは違うらしい。女の肉体における重力とは、もっと直接的で、もっと挑発的で、もっと──神秘的なものなのだ。
「お前、元の体には戻れるのか?」
《不可能です》
そいつは笑っていた。無機質な声だが、確かに笑っていたのだ。もしこいつが神という存在であるならば、私は全力で無神論者を貫く所存である。人の苦悩を眺めて楽しんでいる神など、神とは呼びたくない。
喋ることもなくなったので、私はしばらくの間、吹き抜けとなった天井から黙って空を見ていた。私とは違い、変わることなく私を見つめる太陽に少し腹が立った。
「お前、名前は?」
私は、ふと問うた。質問の相手は見えないが、まだ近くにいるような気がした。
《私の名前は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎──》
「長い。日本語で話せ」
《不可能です》
「……じゃあお前はタロウだ。それでいいだろう?」
《はい》
こうして、意趣返しにもなんの反応も返さない、全く面白味のない胡乱で機械のような存在と共に「巫女」としての人生を歩み始めることになったのである。もっとも、まだ外に出ることはできない。
「服をくれ」
《不可能です》
私は何の説明もなく、いきなり『火の巫女』とやらにされた。魔訶不思議な物語に足を踏み入れてしまったのである。
──だが私は、そんな大仰な英雄譚を望んだことは一度もなかった。
私はただ、再びパンツを履きたいと思っていたのだ。