月下の変生 作:むきむき
朝から全裸で歩き回るわけにもいかない。私は夜まで惰眠を貪ることにした。
「夜になったら起こせ」
《不可能です》
「お前には愛想というものがないのか。夜になったら起こすなんて些事ができないはずもないだろう。お前は私が嫌いなのか?」
私はお前が嫌いだ、そう続けようとしたが、それは遮られた。
《竜の体内では時間は経過しません。故に夜にはなりません》
「冗談が下手だな。あそこに太陽があるだろう。体内では太陽は見えまい」
指差す先には煩わしい程、燦々と輝く太陽。辺りには青空が澄み渡っている。部屋──と言っていいものかは今となっては悩ましいが──には気持ちいい風が吹いている。
《あれは竜の心臓です》
苦しい言い訳だ。少しばかり気分を良くした私は、どっかりとベッドに体を投げ捨てた。
「寝る」
しかし、裸で入るベッドは妙な背徳感がある。このような感覚を知れたのは良いことだ。私は解放感となんとも言い難い布の感触を味わいながら、眠りについた。
朝が来た。まさか夜を通り越したとでもいうのだろうか。
「起こせと言っただろう」
《夜を迎えるには竜の体内から脱出する必要があります》
「またそれか」
《竜は既に死亡しています。脱出は容易です》
「竜は昨夜、いや、昨夜ではないか。つい先日私を元気に呑み込んでいたではないか」
《貴方様が竜に呑まれたのは百年前です。竜が死亡した為、封印が弱まり、『火の巫女』の意識が覚醒しました》
「良いことを教えてやる。ミスを素直に認めない人間は成長しないのだ」
《お返しいたします》
「…………」
生意気な奴だ。腹が立つ。私だって自分が間違っているのではないかと思い初めていた。朝に寝入り、翌日の朝まで寝たことなどないし、よく見れば部屋の外の景色は少し、いや、かなり違っていた。ただ少しばかり認めるのが悔しかっただけだ。それをなんだあの返しは。もう少し言い方というものがあるだろう。第一お前の説明が突飛であるのだから、素直に信じる方がおかしいというものだ。それを加味して私に説明するべきだろう。それに昨日寝入る前に少しも止めなかったではないか。私にも悪いところはあるが、九割がたの問題はタロウにある。
私は、それら一切合切の愚痴を胸の内に秘めた。それがみっともないことであると自覚していたからだ。そして、私は大人であったため、タロウの欲しそうな質問を投げかけてやることにした。
「……どうやったら外に出られる。説明してみろ」
《その身に秘めた古の火を解き放つだけです》
「古の火? ふざけてるのか。私はただの会社員だった。Excelの罫線を引くことに生きがいを見出していた、ささやかな市民だぞ」
《今の貴方様は『火の巫女』です》
「そもそも出る必要はあるのか」
《出られなければ貴方様は竜と共に消滅します》
「……そういうのは早く言え」
《分かりました》
私は古の火とやらを出すために全力を尽くした。最初は単に出ろ出ろ出ろ出ろと念じた。次にあやふやな念仏を唱えてみた。その後はキリストに祈った。日本の火の神様にも願ってみた。
神々に見切りをつけると、よく分からない踊りで火を呼ぼうとした。指で魔法陣を描いてもみた。結果は私が恥を晒しただけだった。
何が脱出は容易ですだ。何も容易ではないではないか。
「今日は寝る」
《まだ一時間もたっていませんが、本当によろしいですか?》
「寝ると言っているだろう」
《先程起床したばかりであるため、睡眠は不要と考えられます》
「黙れ」
《『火の巫女』のやる気の消失を確認。応援が必要ですか?》
「黙れと言っているだろう! 私に必要なのは応援ではなく、休養だ! お前は応援なんて下らない機能を使おうとするくらいなら私に火を出させるヒントでも考えてみろ! 第一お前は私が頑張っている間何をしていた! 何もしていない奴に指図される意味が分からん!」
《古の──》
「まだ私が喋っているだろう! お前は本当に人の神経を逆撫でするのが上手いな! お前はくそだ! くそ! くそ! クソミソのくそ! お前と話しているより、道端に落ちたガムを踏んづけている時の方が幾分気分がいい! 躾のなっていないくそ犬畜生未満だ! お前は!」
《古の火の──》
「だからまだ──」
《少し落ち着いてください。まだ私が話しています》
「〜〜ッッ!!」
ダンダンと足を踏み鳴らし、夏用の薄くて小さい毛布を両手で引っ張る。今一番燃やしたいのは竜ではなくお前だ。タロウに実体があればこの鬱憤を晴らすことができたというのに、それが叶わないのが酷くもどかしい。
《古の火の顕現が確認されました。まもなく竜は燃え尽き、封印は完全に解かれます》
「何を──っ!」
いつの間にか世界が燃えていた。瞬く間もなかった。あまりの光景に私は声を失った。
《封印、解除を確認》
《『火の巫女』、外界との同期を開始》
《おかえりなさい、『火の巫女』》
その声が聞こえてすぐ、ふわりと浮遊感が私を襲い、世界が裂けた。
空の匂い、土の重さ。そして熱。それらが一変し、今までの世界が偽物であったことが否応なく、実感させられた。
だが、感慨に耽っている場合ではない。視線を感じる。私の脚や胸元に視線の矢が突き刺さっているのを、私は鋭く察知した。
目を開ける。
私の眼前には大勢の人々があり、皆、私を見つめていた。スマホで撮影している者もいる。
「ちっ!」
私は咄嗟に手に持った薄く小さな毛布で体を隠し、森の宵闇に紛れた。