潮の匂いが、石壁のひび割れから染み出すように漂っていた。遠くで波が砕けるたび、湿った空気が胸の奥を叩く。その一拍ごとに、忘れたはずの幼い日の情景が、濁った水底からゆらりと浮かび上がってくる―――海鳥の影、砂に沈む裸足、笑い声と泣き声の境目。
「おれはいつか絶対に狭間の地に辿り着いてやるよ。たとえ導きがなくたってな」
夕日を背に狭間の地を目指す船団を遠く望みながら、砂浜に二人の子供が座っている。どちらもみすぼらしく、手足は小枝のように痩せ細っていた。そのうちの一人、幼さゆえに世界の仕組みなど何一つ理解していない俺は、熱で浮かされたように続ける。
「その時はおまえも連れて行ってやるよ。一緒に祝福を取り戻すんだ。そうしたらおまえの母さんも……」
聞いていたもう一人は、出し抜けに子供らしい甲高い声で笑った。笑うところかよ? 友人の予想外の反応に、俺は怪訝な顔をする。
「悪い悪い、エルデの王になってまですることか、って思ってさ。アンリはやっぱりお人好しだよ」
「なんだよ、じゃあおまえならどうするんだよ」
苦楽を共にしてきた親友は、しばし言葉に詰まった。そして、言葉を紡ぐように、ゆっくりと語りだす。
「そうだな……エルデの王になったら、みんながびょうどうな世界をつくるよ」
「ビョードー? なんだそれ?」
「自分ではどうにもできないことで怒られたり、いじめられたりしないってことさ」
「なんだよ、世の中たいていどうしようもないことばかりだろ」
俺は、自分の色褪せた質の悪い茶髪と、あいつの美しい金髪とを無意識に見比べた……夕陽の光の中に、潮風を受けて黄金色の毛束がきらめいていた。突然洞窟の鍾乳石からしたたる水滴が顔面を打ち、かけがえのない友の面影が闇にかき消えていく―――俺は現実に引き戻された。
ーーー
「うぐっ、ああ……いててて」
今度の痛みは本物だった。どこからどこまでが夢だったのか区別がつかない。寂れた礼拝堂で目覚め、異形の敵と戦い、敗れ、霊的な大鷲の幻を見、洞窟に流れ着き、何者かの手当てを受け……はっきりしているのは、どうやら俺は生きているらしいということだった。
「そうか、俺はアンリか。思ったより平凡な名前だったな」
体を起こすと、柔らかな光を放つ黄金の若木が目に入る。本来闇に包まれていたはずの地下空間には、その光によって薄っすらと石造りの階段や墓地を守る石像の姿が浮かび上がっていた。ふと足元を見れば、おそらくは訪問者が残した荷物が転がっているではないか。
「これは……?」
実用的な革袋の中には、これまで見たこともないような美しく繊細な金細工の意匠の施された小瓶が二本入っていた。瓶を傾けると透き通った緋青の液体が揺れ、ほんのりと、上質な樹液のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。唇に僅かに残る味わいからほんの少しの幸福感を覚え、きっとこれで癒やされたのだと分かった。
「誰だか知らねえが、とんだお人好しがいたもんだな」
癒やし手の正体もどこへ消えたかも不明だが、帰りを待つ義理もあるまい。俺が素寒貧なのは一目瞭然だったはずだし、代金が目当てということもなさそうだ。革袋を背嚢のように背負い、そそくさと退散することにする。俺とは違い不幸な末路を迎えた死体が浮かんでいるのも立ち去る理由を補強した。
「げ、なんだあれは」
洞窟のはずれに場違いな飾り椅子が鎮座しており、近づくとそこに半透明の霊魂とでも呼ぶべき何かが腰掛けているのが分かった。痩せぎすの背の高い男が、がっくりとうなだれているように見える。まさかこいつが俺の手当てをしたのか? 俺の行為の一部始終は見られていたのか? 急速に血の気が引くのを感じながら、俺は弁明の内容を必死に考えた。
(……褪せ人よ。飛び降りるがよい)
突如脳内に直接言葉が響き、俺は驚愕を隠せなかった。かすれて今にも消えかけそうでありながら、強い意志と威厳を宿した声。これは何かの魔術なのか? 俺の思考も読まれているのか? というか今自害しろと言われたか?
(そして学び、思い出すがよい。戦う術を。自らが戦士であることを)
輪郭のない指が、そっと先を指し示す。なるほど、下へと降りられる縦穴と、その奥へ続く道がのぞいていた。しかし、飛び降りるには少し躊躇する高さだ。
「あ、あんたは一体……?」
顔を上げると、飾り椅子は空席になっていた。霊の姿は跡形もない。流石は神々の地、何でもありというわけか。奴が何者なのかは分からないが、今の俺には唯一の導きであることは確かだった。悪霊のたぐいでないことを祈りつつ、その言葉に従ってみることにする。
「戦士であることを思い出せ、か」
実際のところ、本当に自分が戦士であったのかは定かでない。ただ、棍棒を振るう動き、剣撃を払う身のこなしなどは、身体に覚えがあるようだった。言葉通りに飛び降りる勇気もなく、慎重に足場を探して降りようとしたが、海水を含んで脆くなっていた岩が崩れた。
「……っ!」
声にならない悲鳴を漏らしながら、俺はずるずると滑落し、地面に叩きつけられた。洞窟に反響する水しぶきの音。波に洗われて平滑になった岩面は鋭さこそなかったが、鈍い痛みをもたらす。止まったときには、左足を軽く負傷していた。
「畜生、クソ幽霊め……!」
得体のしれない声に従った自身の安直さを呪いつつ、洞窟の先を見やる。どこか懐かしい、暖かみのある黄金色の光が漏れ出ていた。怒りの感情も忘れ、片足を引きずりながら、炎に惹かれる蛾のように光のもとへと向かう。褪せ人が本能的に求めてやまないものがそこにあった。
「これが、祝福……」
乾ききった樹皮のような欠片の上に、ぼうっと光のゆらめきが浮遊している。祝福の光は穏やかな波紋を広げながらときおり小さな光粒を漂わせ、周囲にその恩恵を満たしていた。無意識のうちに、焚き火を囲むように座り込む。片足の痛みは、嘘のようにかき消えていた。
「本当なんだ……狭間の地も、その物語も、黄金樹の恵みも」
遥か昔に祝福を失った褪せ人の中には、黄金樹の存在そのものを疑う者たちすらいた。狭間の地の外ではその恵みは、二本指の教会で聖職者が語る教義の中のものだ。生きとし生けるものが黄金律のもとに導かれていると言われても、実感できるものではなかった。しかし、目の前の輝きは確かに本物で、褪せ人が失ったものの実在とその本質を証明していた。
「エルデの王、ねぇ……」
祝福の光粒が革袋の中へと吸い込まれていく。見ると、小瓶の中がずっしりと満たされていた。その重さは、黄金樹からの期待の表れであろうか。冗談じゃない。俺に一体何ができるっていうんだ。しかし、妙に頭に残る霊の言葉を思い返し、少しでも記憶を取り戻すことを期待して俺は歩みを進めることにした。
ーーー
洞窟の中には奇妙な連中がうろついていた。貴人のような服装だが全身ボロボロでみすぼらしく、うつろな様子でずっと何かを探している。中には思い出したかのように直剣を持って襲いかかってくる者もおり、棍棒で応戦せざるをえなかった。しかし、動きは緩慢で武器は手入れもされず一振りで折れるようなありさまで、特に苦労なく圧倒することができた。
「いったい何なんだ、こいつらは」
狭間の地に住まう黄金の一族にまつわる者たちは、どれも強者揃いで恐るべき相手だと伝承にあったことを思い出す。それと比べると、この薄ぼんやりした連中は拍子抜けもいいところだ。中には鎧を着込んだ兵士らしき者たちもいたが、自我を失っている様子の戦いぶりは貴人たちと大差がなかった。ひょっとして、導きが壊れたことで狭間の地の連中はみなこうなってしまったのだろうか?だとすれば、案外エルデの王などというものは手の届く存在なのかも知れない。
「まぁ、練習相手には悪くないか」
誰からも顧みられず、打ち捨てられるままになっている砕けたマリカ像を見やる。狭間の地の外では、どれほど荒れ果てた土地でもマリカ像だけは丁重に手入れされているものだった。いよいよこの狭間の地が、まともな状態にないことを確信する。そして、洞窟の奥にはいつか見たような結界が張られていた。
「なるほど、この先は試験場、というわけか?」
どうやらこちらから入ることはできるが、一方通行に違いない。俺は少し積み上がった自信と慢心から、迷いなく前進を選んだ。濁った黄金色の結界を抜けた先は空間が開けており、地上につながる天井穴から陽光が差し込んでいた。そこに立ちふさがっていた完全装備の兵士は、これまでのボンクラとは様子が違った。手入れの行き届いた大振りの大剣を構え、明確な殺意を向けてきている。
「いい装備じゃねぇか……ちょっと置いていけよ!」
棍棒と化した家具の脚部分を振り上げて襲いかかる。俺がいまだにまともな装備を着られていないのはわけがあった。いにしえの亡者どもの服は脱がそうとしてもビリビリの布片になり、うつろな兵士の錆だらけの鎧は触っただけで留め具がバラバラになってしまったのだ。こいつの装備はまだ状態が良さそうだ。せめて服をくれ。
「……!」
木片が金属に当たるくぐもった音が反響する。軍兵は無言で攻撃を剣身に受け止め、大剣で巧みに牽制して距離を取り直す。リーチの差で、俺が有効打を与えるためには懐に入る必要があった。兵士は、この状況で最も効果的な刺突を繰り出そうとする。敵ながらようやく意思疎通ができそうな相手の登場に胸が高鳴った。
「もらった!」
こちらも踏み込みながら刺突を家具の脚先でいなし、相手のバランスを狂わせる。そのまま相手の勢いを利用し、振り回した棍棒を利き腕に直撃させた。衝撃で兵士は体幹を崩し、大剣を取り落とすまいとして致命的な隙を晒す。第二撃を無防備な下腹に叩き込むと、男はよろよろと倒れ、動かなくなった。そして……幻術が解けたように、ふわりと白い光となって霧散した。
「おい! ふざけるな!」
完全に当てがはずれた半裸の男が慟哭する。最後の試験はあのクソ霊体の差し金だったのか?結局、まともな人間など存在しなかったということだろうか。洞窟を抜けた先は何の報償や戦利品があるでもなく元の地下墓地につながっており、さらに落胆を濃くした。まさしく褪せ人を訓練するためだけの仕掛けだったということだろうが……とりあえず飾り椅子は蹴り倒しておいた。
「二度と戻るか、こんな腐れ墓場に」
石階段を登り、扉を開く。とにかく、地上を目指して俺は進み始めた。
ーーー
「ま、眩しい……!」
カビ臭い地下墓地を越え、よく分からない石像と結界を後回しにし、魔術的な昇降機を上がり、ついに地上へ通ずる扉を開いた。暗がりに慣れていた瞳には、この光景は明るすぎる。のどかに草花が広がり、羊たちが草をはみ、木々が枝葉を揺らす様は、さながら楽園のようだった。ただし、半壊した廃虚や、あちこちに突き立てられた磔台からぶら下がる贄の姿は、不穏な空気を隠しきれていない。そして、墓地の出口の目の前には、怪しげな風体の男が待ち構えていた。
「……おお、貴方は……褪せ人ですね」
奇妙な白面の上に修道士のようなフードを被り、どことなく血なまぐさい軍医を連想させる服装の男は、むしろ彼を上回る異常性を醸し出す裸体の男の登場に動揺した様子だったが、すぐに落ち着いた声に戻った。揉み手をしながらこちらを値踏みするように観察する。
「そして、エルデンリングを求め、この狭間の地にやってきた。分かりますよ、そうでしょうとも」
「あんた、何者だ」
男は、まだ話は終わっていませんよ、とばかりに人差し指を立てた。
「ですが、悲しいかな。貴方は『巫女無し』です。導きも知らず、ルーンの力を得ることもできず、円卓に招かれることもない……ただ、名も無く死んでゆくでしょう」
男の挑発するような言葉にはしかし、侮蔑というよりは憐れみの感情がこもっているように感じられた。だが、「巫女無し」という言葉が刺剣のように深々と突き刺さり、説明できない怒りをかき回す。
「ただ、たとえ貴方が『巫女無し』でも、ひとつだけ希望があります。この私、ヴァレーに出会えたことです」
「そうかよ。あんたが指巫女でもやってくれるのか?」
「祝福を、ご存知ですか? 貴方たち褪せ人に休息を与える、黄金の灯を」
そりゃあまぁ。ヴァレーの目の前にも洞窟にあったのと同じ祝福が浮かんでいた。俺が肯定すると、ヴァレーは我が意を得たりといった様子で慇懃無礼に続けた。
「その灯から光の筋が生じ、ある方向を示すことがあります。それこそが、祝福の導き。褪せ人が、進むべき道なのです」
なるほど確かに、足元の祝福からうっすらと光の弧が伸びていた。その指し示す先は、遠方に存在感を放つ城塞であろうか。しかしそんな安直な……導きとはそんな即物的なものなのだろうか?
「確証はあるのか? この光が、本当に指巫女の導きの代わりになるのか?」
「……ええ、そうですとも。導きが教えてくれるのです。褪せ人が、どこに向かうべきなのか」
ヴァレーは自信に満ちた口調で言い放つ。その表情は白面の下に隠され定かではないが、少し歪んだような気がした。
「……あるいはどこで、死ぬべきなのか」
ヴァレーは淡々と続けた。まさか、狭間の地では死さえ、導きに従わねば許されないのだろうか。洞窟に蠢く、生きているとも死んでいるともつかない亡者たちの姿が思い浮かぶ。
「……きっと、導きは指し示すと思いますよ。あの断崖の城、ストームヴィルを」
「ストームヴィル……」
遠目から見ても、損傷しつついまだ健在な城壁を誇るストームヴィル城は、おそらく何度も苛烈な攻撃を跳ね返してきた堅城なのだろうと感じられた。同時に、たかだか褪せ人一人でどうなるものでもなかろう、という直感も。
「あれは、老醜のデミゴッド、接ぎ木のゴドリックの居城ですから」
ヴァレーの声色に嫌悪と軽蔑が混じる。どうやら、浅からぬ因縁のある相手らしい。俺は俺で、その通り名から断崖での忌々しい記憶を思い出していた。なんだ、接ぎは狭間の地の流行なのか?
「それで、俺にどうしろと?」
「……向かってください、貴方。導きの指し示す先、あの断崖の城、ストームヴィルに」
「そんなもの、死ねと言っているようにしか聞こえんが」
「たとえ巫女無しでも、エルデンリングを求めるのならば」
白面の男は、仰々しく手を伸ばし、何かをつかむような仕草をする。まったく信用ならない印象だが、なまじ祝福から生じる光束は実在しているのでただの戯言とも切り捨てられない。ともかく、曲がりなりにも狭間の地で初めて出会った言葉の通じる相手であり、少しでも情報が欲しかった。
「それであんたは何なんだ。なぜ俺にそんなありがたいお話をしてくれるんだ?」
「私は迷える褪せ人に道を示す者です。同胞が導きを失い、無為に苦しみ彷徨い続けるさまを見たくはないのですよ」
「同胞ねえ……あんた自身はストームヴィルへ行ったのか? 俺と一緒に手伝ってくれたりはしないのか?」
「……私は私の使命を果たしているので、貴方に同行はできません。迷える褪せ人は、貴方だけではありませんからね」
さも残念そうにかぶりを振る男。結局真意のほどはつかめなかったが、これ以上は得られるものがなさそうだ。ダメ元で譲ってもらえる服がないか聞いてみたが、肩をすくめられただけだった。
ーーー
ヴァレーと急き立てられるように別れた後、ひとまず助言の通り導きの指し示す方角に進むことにした。注意深く観察すると、雑草に覆われた中に街道らしき痕跡をたどることができた。そろそろ何か食い物を探さねば、などと考えながら道を進んでいくと、出会い頭に巨大な体躯の騎乗兵と遭遇した。
「わっ、あ、どうも……」
周辺を巡回していたらしい騎兵は大袈裟な装飾に全身黄金色の重装鎧という儀仗兵かのような出で立ちで、こちらを見るなり
「待て! 話せば……ひええ!」
黄金の大斧槍の斬撃を倒れ込みながら辛うじて避けるが、騎兵はこちらを逃がすつもりはないようだ。こうなると、徒歩で振り切るのは不可能に近い。俺は絶望を覚悟し、向き直って棍棒を構える。直後、いななきとともに突然振り向いた馬の脚に胸を蹴られて転倒し、その上に大質量に勢いを乗せた金色のハルバードが振り下ろされ、痛みを感じる暇もなく、全てが終わった。
ーーー
最初に感じたのは喪失感だった。何か大切なものを失ったはずだが……それが何であったのかすら、もはや分からなかった。それどころか、自分自身が何者であるのかすら……ただひとつ、はっきりとした記憶は今も頭の中に響いている。
エルデンリングに見えよ。エルデの王になるがよい
痛みを感じながら起き上がる……いや、痛みは錯覚のようだった。まず気付いたのは自身がほぼ裸と言っていい姿で転がっていたことだった。
「追い剥ぎかよ……」
草花が咲き広がる丘に身を起こす。周辺には廃墟と遺跡、遺棄された家畜の群れなどが点在していた。丸腰であることに本能的な不安を覚え、側に落ちていた朽ち木を手に取る。簡単な棍棒として振り回すには十分だ。その時、突然背後から話しかけられ喉から心臓が飛び出そうになった。
「おやおや、随分とお早いご帰還ですね、褪せ人の貴方」
振り返ると、奇妙な白面に軍医のような服装のちぐはぐな男がまるで知り合いかのような馴れ馴れしさでこちらを見ていた。こいつは何か事情を知っているのか?
「あんた、何者だ」
「なるほど……死んでしまうとは嘆かわしいことです、貴方」
「死んだ……?」
何を言っているのか理解ができなかった。そもそも俺が死んでいるなら、今こうして生きている俺自身は何なんだ? ただ、記憶を失っている理由としては、何となく納得がいくような感覚もあった。
「褪せ人は、狭間の地で死ぬとルーンをその場に落とすのです」
「ルーンを落とす……?」
「ルーンとは貴方の祝福、記憶、魂そのもの。なればこそ、ルーンを取り戻しなさい、褪せ人の貴方。今ならばまだ、手の届く場所にあるでしょう」
まるで理解が追いつかずオウム返しのようになってしまったが、反芻してみるとどうやら話の辻褄は合うようだ。男の足元には神々しくも穏やかな光が揺らぎ、そこから筋が伸びていた。褪せ人、狭間の地、祝福、ルーン……にわかには信じがたい話だが、彼の指し示した先にある巨大な黄金樹が、反論を許さなかった。俺は半信半疑ながらも、彼の言葉に従いルーンを探すことにした。
ーーー
「あれは……!」
消えかかった街道をしばらくたどると、猛烈な郷愁のようなものを感じた。見ると夥しい数の蹄の跡の中、抉られた地面に光の筋が立っていた。幾何学的な若芽のようにも見えるそれは、間違いなく自分自身のルーンであると確信できた。刹那、黄金の表象は輝く粒子に崩壊し、俺の体の中に、あるべき場所へと戻って来る。死んだ巫女の顔。無数の接ぎ腕。友と交わした約束。洞窟での試練。ヴァレーの冷笑。そして―――黄金の騎士。
「やばい!」
全てを理解した俺は、とっさに茂みの中に身を隠す。ちょうど、獲物を探す騎兵が巡回から戻ってきたところだった。黄金の鎧を身にまとう良く育った馬がブスブスと鼻を鳴らす。心臓が早鐘を打つ。俺を殺した張本人は地面に転がったままの革袋を死体を探すかのように斧槍で少しつつくと、興味を失って街道へと戻っていった。
「ふう……」
まるで生きた心地がしなかった。そして、取り戻した記憶は期待したほどはっきりしたものではなく、自身の名前と幼少期の出来事以外はごく最近のものばかりだった。しかし、もしこれが永遠に失われていたらと思うと、心胆を寒からしめた。騎士が去ってしばらくしてようやく安堵の息を吐き、踏みつけられた革袋を拾う。幸い中身は無事のようだった。
「街道は危険だな……少し離れて進もう」
街道から外れた遠方に、半壊した廃教会が見えた。ルーンを取り戻したことによる記憶と感情の濁流に精神的な疲労を覚えた俺は、休憩場所を求めてその廃墟へ向かうことにした。
ーーー
廃教会に入ってすぐ、祝福の灯が目に入った。どうやら、ここは安全な場所のようだ。そのさらに奥には、ロバの世話をしている商人らしき人影があった。警戒しながら様子を見ていると、俺に気づいたのか手を振り、こっちへ来いと手招きされた。とりあえずこちらも敵意が無いことを示して棍棒を下ろし、近づいてみる。商人の男は、歓迎するような口ぶりで話しかけてきた。
「あんた、褪せ人か? それに……」
こちらの風体を見て若干不審がる表情を見せつつ、観察をひと通り済ませた男は破顔する。
「どうやら、俺を襲う気はなさそうだ」
「ああ、休める場所を探しに来ただけだ、安心してくれ」
「あんた、だったら何か買っていかないか? 俺はカーレ。こう見えて商いをしているんだ」
カーレと名乗った男は焚き火の準備をしながら、ロバに乗せた商品を指さした。俺が喉から手が出るほど欲しい防具や武具なども揃っているようだ。しかしながら、俺の手元には先立つものがない。
「悪いが取引できるような手持ちがなくてね。この国の銅貨がどんな形かすら知らないんだ」
「銅貨だって? そんなものは必要ないよ、あんたは取引できるルーンを持っているだろう」
カーレの言葉は予想外のものだった。まさか、狭間の地の連中はルーンを、祝福の源を取引に使うのか? それは、言葉の印象よりはるかにおぞましい行いのように感じられた。俺が動揺しているのを見て、カーレは慌てて付け加えた。
「落ち着け、なにも記憶を全部よこせって話じゃないさ。事実は残す。だが、血の臭いや悲鳴……そんな記憶は、忘れた方が楽だろう? そういう必要のないルーンで支払ってくれればいいのさ」
帽子を被った商人は、懐から大粒の琥珀を取り出す。中には祝福の光が渦巻いており、きっとこの呪具でルーンのやり取りをするのだろう。掲げた琥珀を通して俺を見たカーレは続ける。
「あんたのルーンなら……そうだな、いくつか交換できそうな商品があるぜ」
「ふうん、何かおすすめはあるのかい?」
「ああ、あんた、もしルーンに余裕があるのならツール鞄を買っていくといい」
「ツール鞄?」
「この鞄があれば、簡単なものなら自分で製作できる。こんな地で戦い続けるなら、そういうことも必要なはずだ」
「なるほど……確かに消耗品を買うよりは有意義かもな」
「もちろん良い値段だし、俺の懐も潤うわけだが……」
カーレはイタズラっぽくにやりと笑う。
「それよりも、貴重なお客には、生き続けていて欲しいのさ」
俺は数少ない記憶の中から代金を支払うことに少し躊躇したが、結局死んで全て失うよりはマシだと考え、買える中からツール鞄と松明を選ぶことにした(残念ながら防具は高価で俺のルーン程度では手が届かなかった)。洞窟での亡者どもとの戦いは薄い印象だけが残ることになったが、これで困るということはあるまい。
「あんた、俺を信じてくれて、ありがとうな。よい商いだったよ」
「ああ、また何かあれば頼む」
お互いの身の上話なども軽くした後、俺たちは別れることにした。カーレは褪せ人ではなく放浪の民と呼ばれる生まれで、祝福とは無縁であったが故にエルデンリングの崩壊の影響をあまり受けなかったらしい。褪せ人とは違い蘇生の望みもない彼は、俺の旅路に同行するには危険すぎた。代わりにカーレは普段商いをして回っている場所と、食料になる木の実の見分け方、彼が拾い集めた鍛冶道具をしつらえた簡単な鍛冶場の使い方などを教えてくれた。俺はもう少しルーンを手に入れたら防具を買うことを約束して、夕日の差し込む教会をあとにした。
ーーー
カーレの話ではエレの教会という名前らしい廃教会の祝福からも、導きの光は伸びていた。ただ、褪せ人でない放浪の民たちなどには祝福もその導きも見えないそうだ。その指し示す先に広がる林の中には、洞窟で見たのと同じ装備に身を包んだ兵士たちが松明を掲げて巡回していた。無駄に危険に身を晒すこともないと考え、気付かれないように少しずつ先へ進む。
「聞いたか? 褪せ人狩りの報奨金がまた下がったって話だぜ」
「狩っても狩っても湧いてくるからな……まったく辟易するよ」
「最近はモーン城の方もきな臭いらしいな」
焚き火を囲みながら談笑している兵士たちの姿もあった。どうやら褪せ人の討伐を任務として配備されている連中らしい。いよいよ見つかればただではすまないだろう……洞窟の亡者とは異なり、少なくとも訓練された兵士としての自我を保っているのだ。とはいえ、無警戒に放置されていたククリナイフの束などはいただいていくが。
「おいおい……俺一人相手に豪華すぎないか?」
日もとっぷりと暮れ、林を抜けた先には廃墟となった集落があり、そのまま兵士たちの駐屯地として利用されていた。これほどの兵力を展開しているとなると、この地にはびこる褪せ人は一人や二人ではないようだ。背の高い草や茂みに身を隠しながら、見張りの視線をかわす。
「あそこか」
駐屯地を少しすぎた先、巨大な関門の手前には、祝福の光が周囲の光粒を集めていた。なるほど兵士たちにはそれが見えないのかもしれないが、経験則的に褪せ人の集まる場所に拠点を構えたのだろう。もし昼間であれば見つかってしまっただろうが、幸いにも夜の闇が俺を守ってくれた。
「疲れたな……」
関門の先へ続く次なる導きを確認しながら、祝福の隣に座る。さすがに野営するには敵が近すぎるが、少し休んでおきたかった。ふと横を見ると、フードを深くかぶった少女が音もなく立っており、悲鳴を上げそうになった。
「はじめまして。霧の彼方から来た人よ。私はメリナ」
メリナと名乗った少女は跪き、ゆっくりとフードを脱いだ。ウェーブのかかった栗色の髪に、整った高貴な顔立ち。しかし左目は潰れ、何か魔術的な刻印を施されていた。その声と立ち振る舞いから、洞窟で手当てをしてくれた人物だと俺は確信した。メリナはこちらをまっすぐに見据え、続けた。
「……貴方と、取引がしたいの」
主人公のスペック
キャラクター名:Henri
装備:クラブ 松明
レベル:1
生命10 精神10 持久10 筋力10 技量10 知力10 信仰10 神秘10