「逃げろ!」
俺が叫ぶよりも早く、トレントとブケパロスは全力疾走を始めていた。しかし、さすがに竜の図体はデカすぎる。白灰色のウロコに覆われた巨体はゆったりした動きに見えて、まるで振り切ることができない。さらに飛竜は大きく息を吸い込むと、灼熱の炎を吹き出し始めた。
「回り込め!貴公は左へ!」
ビアトリスのとっさの判断で俺達は二手に分かれ、辛うじて火の手を逃れる。行きがけの駄賃として前翼や後肢に側面から斬りつけるが、まるで効いている気配がない。これはちょっと厳しいぞ。突然飛竜は羽ばたき、大重量を空中にふわりと浮かせる。その風圧は俺をトレントから吹き飛ばすのに十分だった。
「ごぼぼぼ」
「アンリ!」
トレントは実体を失い、浅い湖に頭から突っ込んだ俺を回収しようとビアトリスが走る。しかし、それより竜が俺に喰らいつく方が早かった。右足で吊り下げられた俺は味わったこともないような激しい痛みに耐える。ゴドリック兵の足甲がなければとうに噛みちぎられていただろう。
「くそったれ……!」
なんとか振りほどこうともがくが、竜の顎の力に到底かなうはずはない。眼下ではビアトリスが必死にハルバードで腱を突き刺しているのが見えた。あの位置はまずいぞ……
「よせ! 離れろ!」
飛竜が片足を振り上げ、地面に叩きつける。その衝撃は湖面に局地的な津波を作り出し、ブケパロスともども波にのまれた女騎士は転倒した。黒馬はすぐに起き上がり一目散に逃げ出したが、全身鎧の放浪騎士はまだ動けない。竜はとどめの一撃を繰り出そうと尾を振り上げた。
「させるかよ!」
首が動いた反動を利用して、俺は体を振り上げ竜の角だらけの顔に組み付く。そして、眼球めがけて大剣の切っ先で刺し貫いた。
「グオオオオアアア!」
さすがに急所への一撃は効いたのか、竜は苦悶の声をあげてもがき苦しんだ。俺は口からずり落とされ、水面に叩きつけられる。痛みに耐えつつ起き上がろうとしたが、右足の膝から先がなかった。
「え……」
「危ない!」
ビアトリスは叫びながら俺をつかむと、とんでもない力で投げ飛ばした。怒り狂った竜の口が、炎の息を噴き出していたのだ。俺の目の前で、女騎士が紅蓮の炎に焼かれていく。頬を炙るような熱を感じながら、何もすることができなかった。
「ビアトリス……!」
炎が晴れたとき、湖の上には、ハルバードを掲げた女傑が立っていた。斧槍の柄にくくりつけられた盾形のタリスマンが輝く。驚くべきことに、あの火炎の奔流の中を火傷を負いつつも耐え抜いたのだ。
「洞窟の獣人どものタリスマンが、ここで役立つとはな」
飛竜は己の火炎を退けた騎士に驚いたようだった。そして、渾身の一撃が防がれたという事実が彼の怒りをさらに逆なでしたらしい。明らかな憤怒の形相で、身の毛もよだつような咆哮を轟かせる。聖杯瓶をあおりながら騎士は竜に立ち向かった。
「貴公、狼の召喚を頼む!」
「待て、俺はいいから逃げろ!」
俺はもう死んだ後のことを考えていた。片足を失って歩けなくなった俺は間違いなく助からないだろうし、そうなると最悪のケースはビアトリスともども全滅することだ。そうして二人とも記憶を失い、のこのこと湖にやってきて再び竜に襲われると始末がつかなくなる。少なくとも一人は生還して、湖の危険を伝えなければならないのだ。
「クソッ……バカ騎士が!」
狼たちを召喚しながら無謀な騎士を呪う。見ればわかる。あの女は勝つ気でいるのだ。片目を潰された飛竜の動きは精彩を欠き、何度も切りつけられた翼は穴だらけになり、叩き斬られた趾が転がっている。その上炎を受けても耐えられるとあれば、可能性はあるかもしれない。しかし、しかしである。
「実力が分かってないんだよ、あんたは……!」
竜の尾が鞭のようにしなり、先端から衝撃波がでるほどの勢いで振り回される。狼たちは不意を突かれてまとめて打ちつけられ、一匹残らず霧散した。ビアトリスの盾は腕ごとちぎり飛ばされ、それでもなお彼女は残った右腕を振って竜の喉笛を狙う。そしてその刃が届かんとする直前、彼女の上半身は竜の口に飲み込まれた。
バチン!
美しい断面で切り取られた下半身はゆっくりと倒れ、水面に波紋を残した。肉片や鎧の破片が、ボタボタと落ちてくる。少し間を置いて、それらは光の粒へと変換され、遥かな空へと昇っていった。口から黄金色の煙を漏らした竜は、こちらに覆いかぶさるように向き直る。もうおしまいだ。
「グオオアアア!」
竜は飛び上がると、真下に向けて火炎を吐き散らした。俺は必死に身を捩り、浅い湖面に身を沈める。水面の上を、ごうごうと炎が燃えさかっていた。またたくまに水温が上がり、熱湯となって皮膚を刺す。竜が再び降り立ったとき、俺は息も絶え絶えに浮かんでいることしかできなかった。
「あのクソ盗賊め」
忌々しい小男の姿を思い出す。何が篝火が目印だ。ドラゴンは俺を後肢でがっちり掴むと、ついばむように口元へ運び……ドサッと何かが落ち、すさまじい量の血が噴き出した。
「……お主、新参の褪せ人だな。それに、とんでもない愚者のようだ」
低く、独特な訛のある声が響く。見上げると、首が落ちた竜の肩に、奇妙な金属笠を被り冗談のような長さの刀を持った男がたたずんでいた。
ーーー
異国風の鎧に身を包んだ男が軽やかに飛び降りると、飛竜の体はまるで幻であったかのように灰となって消えていった。しかし唯一核となっていた心臓は残り、無様に切断された俺の右足も浮かんでいる。
「まさか竜に挑むなどと……どうやら儂は、愚者に縁があるらしいわ」
「うう……た、助かったのか?」
「久しぶりの竜狩りであったわ。愚者の供など、懐かしいことだ」
男が足を拾い上げ、俺の右膝に添える。促されるままに聖杯瓶を飲むと、みるみるうちに断面が接合し、傷も残らなかった。
「まるで接ぎの所業だな……」
「……そしてお主らは、共に竜を打ち倒した。ならば、伝えておくべきだろうな」
男は人間のそれであるかのように手に収まる小ささの心臓を手に取ると、俺に向かって投げる。少しビビりながら受け取ると、その肉塊はいまだに拍動していた。
「お主が手にした、その竜の心臓は、竜餐の供物よ」
「りゅう……さん?」
「いつかお主の中に、力のためにそれを喰らう、抑えきれぬ飢え、渇望が芽生えたなら、西の海岸の先にある小さな島の、廃教会を訪れるがよい」
「食う……これを?」
心臓はグロテスクなだけではなく、なにやら石化した部位も含まれている。これ本当に食えるのか? 死にかけた直後ということもあり、まだ頭がぼんやりしていた。
「……だが、覚えておくことだ。竜餐を為した者は、いつか人ではなくなる」
笠に隠れた男の眼光が鋭くなる。なんだか随分と剣呑な話だな。
「竜への飢え、渇望は、消えることなく溜まり……やがて溢れ出し、主を苛み続ける」
「そんな恐ろしい話を、なぜ教えるんだ? なぜ俺に心臓を渡す?」
ようやくはっきりしてきた意識で男を問いただす。この男は、俺に竜餐とやらをさせたいのか、させたくないのか、いまいち判然としない。
「ふっふっふ、尽きぬ欲望に操られ、教会での祈りも無しに心臓を喰らわば、その末路は悲惨だろうて」
男は何かを思い出すように笑うと、刀の血肉を拭き取りながら続けた。
「その臓物の臭いは儂には強すぎる。儂は渇望に抗い抜く自信がないのよ」
「だからって俺に渡すなよ」
「竜の力は、確かに強く、美しく、そして恐ろしい。故にこそ、竜餐は破滅への道よ」
まったく迷惑な話だ。そんな心臓は焼き捨ててしまえばいいとも思ったが、不思議とそれを拒む気持ちも芽生えつつあった。
「儂はもう行くことにしよう。お主を斬り、心臓を奪わぬうちにな」
男は飄々とした態度で、湖を後にした。
ーーー
「貴公! 置いていくなど薄情ではないか、どこへ行っていたんだ?」
湖の端から呑気な声が響く。見ると、いつの間に主を見つけたブケパロスの上に女騎士がまたがっていた。どうやらメリナの儀式を終えると、その時点の装備も含めて黄金樹に記憶されるらしい。ひょっとすると裸で現れるのではないかと邪な期待をしていたのだが、ビアトリスはしっかり鎧に身を包んでいた。チッ、そういえば鎧も光粒になって消えていたな。
「カーレに聞いたが先に湖に行ったのではないかと言われてな、何かあったらどうするつもりだったのだ」
「どうもこうも、あんたはあれを拾いな」
俺は地面から伸びる小さな光の枝を指さした。あれはビアトリスの本質だ。女騎士は驚いた顔から必死の形相に変わり、馬を駆けさせた。黄金の構造が崩壊して粒子へと転じ、彼女の肉体に吸い込まれていく。
「……そう、か……」
ビアトリスは蒼白な顔で、がっくりと膝をついた。確かに、あれは恐ろしい記憶であろう。しかし、それがあってこそ、俺が知っているビアトリスになるはずであった。戻ってきたばかりのビアトリスは、俺の知る彼女とは違うような気がしたのだ。竜と戦い、勇敢に尽き果てた彼女とは違うのだと。だが、それは俺の独善的な想いでもあった。
「……貴公、すまなかった。あの竜は……倒したのか?」
「俺が倒したわけじゃない、竜狩りの妙な男が現れてな」
俺は、笠兜の男とのいきさつについて説明した。心臓のくだりについては巧妙に伏せた上で。
「なるほど……! その御仁こそ、まさに真の騎士の名にふさわしいな」
「そうか? 単なる中毒者のような気もするが」
「あまり恩人を悪しざまに言うものではないぞ」
ビアトリスの声にはいつも程の元気はなかった。まぁ、ブケパロスの方がよほど賢かったからな。トレントは何度か指笛を吹いても現れなかったが、メリナに言われたやり方を思い出し聖杯瓶の中身を少し振りまいてやると、恐る恐るといった様子で戻ってきた。霊体のくせにおびえすぎだぞ。俺たちは、湖のどこかにあるはずの坑道を探しに出発することにした。
ーーー
結局湖沿いの岸壁を回り、ようやく最奥に坑道の入り口を見つけた(道中とんでもない大きさの巨大蟹に襲われるなどの一波乱もあったが)。ブケパロスをつなぎ、昇降機を降りてすぐのところに祝福があり、俺たちはメリナと再会した。黄金騎士やドラゴンとの死闘で、かなりのルーンが貯まっていたのもある。
「……この小さな金の灯は、黄金樹の祝福」
ひと通りの儀式を終えたあと、メリナは語りだした。それは俺たちというより、祝福そのものへ語りかけているようにも聞こえた。
「それは貴方たち褪せ人が、かつてその瞳から失くしたもの。そして今は、貴方たちを導くもの。そう、聞いている」
「かつてって言っても、何世代も前だけどな」
俺たちは狭間の地からやってきた褪せ人の末裔であって、狭間の外の人々の血も多分に流れているはずだ。貴族の血統らしいビアトリスはともかく、何をもってして俺を褪せ人と定義できるのかは定かでない。
「貴方には、見えているのでしょう? 祝福の導き、使命を指し示す光の筋が」
「そうか、それが俺の証明か。だがもし……」
もし、導きが見えなくなってしまったら……言いかけて俺は口をつぐんだ。それは余りにも恐ろしい想像だったからだ。
ーーー
坑道の中には取り憑かれたように採掘を続ける鉱夫たちがおり、その硬質化した肌に苦労する一方必要な鍛石やら屑輝石やらをたんまり集めることができた。
「うわああああっ!」
俺が昇降機から真っ逆さまに落ちたのにはわけがあった。欲望に任せて最下層まで潜ったところ闘犬の群れに襲われ、昇降機に逃げこんで上階に戻ろうとしたもののそのまま犬も乗ってきて乱闘になったのだ。問題は、昇降機は手摺も何もない危険極まりない構造だったことだ。
「アンリ! 今行く!」
上昇中に俺が途中の足場に落ちたのを見たビアトリスは、真っ先に自分も飛び降りてきた。誤って俺の背中に斧槍の柄を当てて突き落としてしまった謝罪の気持ちもあったのだろう。だがそれだけはやめてほしかった。一人が昇降機に残っていれば、上からロープを下ろすなど脱出法はいくらでもあったろうに。
「参ったな、これは」
「す、すまぬ……」
昇降機の途中にあった足場からは、上に登るのも下に降りるのも不可能だった。ただ、坑道はさらに奥まで続いているようだ。あちこち穴を掘っているうちに、昇降機の縦穴につながってしまったのだろうか。
「仕方ない、先に進もう」
うつろな石堀りたちはいるものの出口は一向に見つからず、奥へ下へと進んでいくしかなかった。そしてついに、木製の大扉が俺たちの前に立ちはだかった。すべての脇道を調べ、あとはこの扉の先が出口へ通じていることを祈るばかりである。
「おお、これは……」
扉の先は大広間になっており、これまで掘り出された貴金属がすべて積み上げられているようだった。しかしそれは無造作で粗雑であり、坑道の真の目的である鍛石採掘の副産物に過ぎなかったと見える。目ぼしいものがないかと俺が近づいた時、ビアトリスが何かに気づいた。
「貴公、気をつけろ!」
鉱石やガラクタの山だと思われたそれは、中からゆっくりと巨大な岩肌の巨人が起き上がり、こちらを睨みつけていた。例のごとく広間の出入り口には結界があり、もはや逃げ道はない。この広間自体が怪物を閉じ込めるべく封鎖されていたのだろうか。
「商人連中から聞いたことがある、こ奴は石堀りトロルだ!」
「石堀りトロル?!」
「石堀りどもと同じで岩の皮膚は刃を通さぬ、気をつけろ!」
立ち上がったトロルの大きさは大広間の天井に頭をこすりつけるほどだった。片手には、ビアトリス三人分くらいの巨大な槌を持っている。奇妙なのは、はらわたがごっそり引き抜かれ代わりに墓石のようなものが埋め込まれていることだった。トロルが関節の割れる音を響かせながら槌を振り上げる。
「やばい!」
とっさに横に飛び込んで殺人的な叩き潰しをかわしたが、盾を持っていたところで丸ごとぺしゃんこになるであろう重撃をとんでもないペースで狂ったように打ち付けてくる。打撃そのものを受けずとも、叩きつけられた貴金属の破片が飛び散り、体中に無数の傷をつけられた。
「貴公、こ奴の頭を見ろ!あの古傷が弱点だと聞いた!」
「弱点ったって、届くわけないだろ!」
ひとしきり暴れたあとさすがに疲れたのか巨人の動きが鈍る。ダメ元で背後から足元に剣撃を当てるが、岩を斬ろうとするようなもので無様に弾かれ腕が痺れただけだった。もしこの最深部で全滅したら……そもそもここへ来たのが偶然であったし、もう一度ここまで来られる保証はない。坑道で得た戦利品もルーンとともに落とし、すべて水泡に帰すことになるだろう。
「うわ、貴様、離せ!」
ビアトリスが死角から腕につかまれ、持ち上げられてしまう。ハルバードを指で押さえられて動かせず、まったく反撃できない状況だ。捕まえた虫けらを子どもが観察するように、トロルが女騎士をしげしげと眺める。狼たちを召喚すべきかとも思ったが、道中の石堀りども相手に集中力を浪費しすぎ、意識を集中できなかった。まぁ、巨人相手にオオカミでは気休めにもならなかったかもしれないが。どうにかしなければと俺が革袋を探っていると、ビアトリスも懐から何かを取り出したようだった。
「これでも食らうがいい!」
「ウオオオォン!」
彼女が放った投げナイフはトロルの頭に開いたヒビ割れに吸い込まれ、強烈な痛みを与えたらしかった。巨人は大槌を取り落とし、片手で傷を押さえた。こうなるとビアトリスは次の打つ手がない。だが俺は、巨人の動きが止まった隙に最終手段に出ることにした。
「ビアトリス、盾を構えろ!」
「わかった!」
「それっ!」
採掘場で拾った屑輝石をひたすらぶん投げる。俺の想定ではそこそこ強力な魔力爆発を起こすはずだったのだが、輝石は岩肌の肩にコツンと当たり、そのまま向こう側に転げ落ちてしまった。
「クソ、ダメか」
「貴公、見ろ!」
狭間の地の外のものと比べ桁違いに純度の高い屑輝石は、割れたことで爆発ではなく輝石魔法そのものを析出させていた。トロルの背後に、無数の青い光点が浮かぶ。それらは投げ手の俺の意思を読み、自在に操れる直感があった。
叩きつけろ……!
強力なエネルギーそのものである輝石魔法がトロルの背後に次々と降り注ぎ、岩肌に大穴をあける。予想外の衝撃に石掘りトロルはバランスを崩し、地面に頭から倒れ込んだ。取り落とされたビアトリスは見事に受け身を取って転がり、そのまま立ち上がる。
「そこまでだ!」
女騎士は雄叫びを上げるとハルバードをまっすぐに構え、トロルへ向けて全速力で走り出した。そして衝突の直前、勢いを乗せたまま全力の突きを放ち、器用にも巨人の頭の古傷に刃を刺し貫く。傷口から広がっていたヒビ割れが見る間に音を立てて押し開かれ、石掘りトロルの頭は粉々に砕け散った。
「ハァ、ハァ、ハァ」
ビアトリスが全力疾走と極度の緊張感の解放で息を切らす。死んだトロルの体はバラバラになり、あたかも意思を持たない土くれであったかのように崩れ去った。唯一形を保った頭蓋骨の一部と、腹に埋まっていた石碑だけがトロルの痕跡を残している。石碑の上には、荒々しい巨人を象ったメダリオンが転がっていた。ビアトリスが感慨深げにメダリオンを手に取る。
「ビアトリス、よ、よくやった」
「貴公こそ……ついに二人で、二人の力で強敵を打ち倒したな」
笑う女騎士の顔は言葉以上に安堵に包まれており、どこか感情を揺さぶった。俺が導きを失うことを恐れていた以上に、彼女も自身の存在価値を失うことを恐れていたのかもしれない。まぁ、ビアトリスが見た目より経験不足で未熟な騎士であったとしても、それで彼女を置いていこうとは別に思わないのだが。
「見ろ、奥にロープがあるぞ」
「おお、外につながっているとよいのだが」
俺たちは結界の晴れた抜け道の先から、地上につながる道へ登っていった。
ーーー
必要な素材を手に入れ、俺たちはエレの教会に戻った。カーレはどこかに出かけているようだったが、ありがたいことに小さな鍛石を一つサービスで鍛冶台に置き土産してくれていたらしい。ビアトリスの指導に従い剣身に乗せた鍛石を叩くと粉末が散り、うっすらと黄金色の光をまといながら武器に固着していく。これを繰り返した後ひたすら剣を打って馴染ませれば、見違えるほどの強度と鋭さになるという寸法だ。
「こんなものだろう、これで二回りは上質な剣になったはずだ」
「ありがとう、そろそろ導きの先に進むのも悪くなさそうだな」
坑道を攻略したことで、俺たちは確かに強くなった実感があった。ストームヴィルを征するにはまだ不足かもしれないが、歩みを進めるべき時だろう。ビアトリスのハルバードもさらに鋭さを増し、さらに駐屯地で手にした嵐脚の戦技の戦灰を練り込んだという。たとえ再びトロルが立ちふさがったとしても、俺たちは十二分に戦えるはずだ。
「……断崖の城、ストームヴィルには、破片の君主の一人がいる。エルデンリングが砕けたとき、その一部を宿したデミゴッドの一人が」
祝福に座って話を聞いていたメリナが語る。ようやく俺たちが前進すると知って期待を膨らませているのだろうか。
「もし、祝福の光の筋が、そちらを指し示しているのなら。やはり貴方は、エルデンリングに導かれている」
「だと良いんだがな」
「私の、契約の相手として、貴方に、そうであって欲しいと思っている」
少女はまっすぐにこちらを見据え、強い想いを告白した。俺はその期待に応えたい思いと、そんな大それたことができるのかという疑念、なぜそうしたいのかが分からないというモヤモヤした気持ちが渦巻き、即答することができなかった。
「……エルデンリングに導かれ、それに挑む人であってほしいと」
「安心しろ、メリナ。彼なら、きっとやってのけるさ」
出会って一日もしない女騎士は、謎の自信に満ち溢れた態度で断言した。まったく何を根拠にそんなことを……だが、不安げだったメリナは、少し表情を和らげていた。俺たちは、関門の先へ進むための作戦を話し合った。
ーーー
夜の帳が降り、虫たちが合奏を始める頃。嵐の関門の前に、馬を連れたゴドリック兵が現れた。馬上には戦利品らしき武具とともに、女の褪せ人が縛られている。門番の兵士は、またかといった様子で目的を尋ねた。
「褪せ人を捕らえました、ゴドリック様の命に従い、ストームヴィルに移送します」
「うむ、夜分までご苦労、念のため検分させてもらおう」
ムームーと猿ぐつわのようにマントを噛まされた女が喚く。衛兵は舐めるようにその肢体を眺め、満足したようだった。
「ふうむ、これは良質な接ぎ贄になるだろう……最近は死に生きるものを褪せ人につなげて体をでっち上げる輩もいてな、困ったものだよ」
「よろしいですか」
「うむ、行って良い。そうだ、ところでお前……」
衛兵が言葉を継ぐと、ゴドリック兵がピタリと止まる。
「なんでしょう」
「良い剣を持っているな、俺もそろそろ手入れし直すか……」
「はぁ、恐縮です、それでは」
ゴドリックの軍兵は黒馬の手綱を引き、そそくさと立ち去ろうとした。無数のクロスボウに狙われている状態が心地よくないのは当然だろう。その時、巨大な関門の上空から、とてつもない質量が飛び降りてきた。
「ウグォオオオ!」
「ど、どうしたトレバー! 誰か落ち着かせろ!」
それは巨大なトロル……硬質化していない、正真正銘の巨人の末裔であった。トレバーと呼ばれた戦奴隷のトロルは、明らかに女褪せ人に敵意をむき出しにしている。しかし、トロルが本能的に狙う獲物はそれだけではなかった。
「チッ、ここまでか!」
俺は縛られた振りをしていたビアトリスにハルバードを渡すと、指笛を吹いた。瞬時に霊馬が姿を現し、俺たちは関門の奥に向けて全力疾走を始める。ヒビ壺にキノコと燻り蝶を詰めた火炎壺を正面の馬防柵に投擲すると、すぐさま爆発とともに炎が燃え広がった。
「うわっ、何事だ!」
「トロルが暴れだした!」
「褪せ人が逃げるぞ!」
爆発は混乱を生み、混乱はトロルを興奮させた。めちゃくちゃに暴れながら敵を追いかけることで、少なくない数の兵士たちが巻き添えを食う。俺たちは破壊された馬防柵を飛び越え、後段で待ち構える兵士たちに騎兵突撃を仕掛ける。ただでさえ俺たちの真後ろを追うトロルの巨影に気圧されていた兵士たちは、騎兵の突進に耐えられなかった。
「待て、グワーッ!」
「ウオオオォ!」
「取り押さえろ! 褪せ人もトロルもだ!」
結局、散々に暴れたトロルにロープ付きのボルトを打ち込んで拘束した頃には、褪せ人たちの姿は夜の闇に消えていた。
ーーー
街道をしばらく進むと、地下墓地で見たのと同じ、淡い黄金色に輝く若木が生えていた。ビアトリスが喜び勇んで調べると、小さな黄金の種子が落ちているのを見つけた。
「貴公、見たまえ! これこそがかの黄金樹の種子、祝福の源なのだ」
「へえ、するとこの若木も黄金樹なのか」
「そうだな……あまり上手く芽吹かなかったようだが」
若木はよく見ると実体が薄く、霊樹とでも言うべき存在だった。あるいは芽吹かなかった種子が見た、黄金色の夢なのだろうか。そうこうしていると、戦狼の遠吠えが聞こえてきた。兵士たちが放った追っ手に違いない。
「先を急ごう」
街道を外れたボロ屋が俺たちの目に留まったのは、そこに祝福の光が流れ込んでいるからだった。夜もすっかり更けこみ、ブケパロスを休息させてやる必要もある。潜伏するにはうってつけの場所だろう。
「まぁ、死体が転がってるのはいただけないが」
小屋の主だったのだろうか、美しい意匠のマントに冠を被った貴人の遺体は泥だらけで見る影もない。少し調べてみると、奇妙な石剣の装飾具を大事そうに抱えていた。
「これは、石剣の鍵だな」
「鍵なのか、これが?」
「ガーゴイル像が封鎖している魔術結界を祓うには、この鍵が必要だと聞いた」
「なるほどあれのことか……おっと」
ボロ屋の中を覗いた俺は、先客がいることに驚いた。出入り口の様子からかなりの期間出入りした様子がなかったからだ。朽ちかけた壁にもたれかかるように、赤いフードの女性が……いや、少女というべきかもしれない。彼女はうつろな目でこちらの方をなんとなく眺めているようだった。
「……皆、接がれてしまいました。私と共に狭間にきて、私のために戦ってくれた人たちが」
埃だらけになった美しい刺繍の服を纏う少女は悲壮感に満ちあふれた様子で告解を始めた。まるで俺たちが、彼女を裁くためにこの小屋の戸を開けたかのように。
「フフフッ。手を斬られ、脚を斬られ、首を斬られ、蜘蛛の一部になったのです」
「蜘蛛……?」
「知っていますか?蜘蛛に接がれる時、人は蛹になるのですよ。なんだか、おかしなことですね」
一見荒唐無稽な話だが、それが真実を語っていることを俺は確信していた。なにしろあの接ぎ木の貴公子の姿が脳裏から離れないのだ。ビアトリスは少女の隣にひざまずくと、彼女の手に手を重ねた。少女の瞳が、すこし意志を取り戻したように見える。
「安心しろ。私たちは敵ではない。貴女と同じ、褪せ人だ」
「貴方たちは、お二人なのですね。ストームヴィルの城に向かっているのですか?」
「まぁ、そうだ」
「白面の方の、甘い言葉のせいですか? それとも、蜘蛛の一部になりたいのですか? だとしたら、私と同じですね」
少女は自嘲気味に笑う。なぜストームヴィルに向かうのか。彼女に問われるまでもなく、答えを出す必要がある問題だった。小屋の外で祝福に座るメリナの視線が痛い。
「でも私には、勇気がありません。恐ろしいのです。手を斬られ、脚を斬られ、首を斬られるのが」
「それは、誰だってそうはなりたくないだろうさ」
「皆と同じになりたいのに、恐ろしくてたまらないのです。私は卑怯者なのです」
泣き出す少女に、かけてやれる言葉が出てこなかった。服装から察するに、彼女もビアトリスに負けず劣らず高貴な生まれだろう。狭間の地にも、信頼できる多くの仲間とともに到着したに違いない。そして彼女はもはや従者の一人もなく、たった独りで取り残されている。
「ああ、そうです。貴方、この子をお連れ頂けますか?」
俺たちが言葉に迷っていると、少女は思い出したように小さな瓶を取り出した。見ると、霊力の宿った遺灰で満たされている。
「これは?」
「霊クラゲの遺灰です。勇気のない私では、可哀そうですし……貴方は、霊に好かれているようですから。この子も、きっと喜ぶでしょう」
「そうか、わかった」
ひょっとすると、この遺灰は彼女に最後に残った友人だったのかもしれない。受け取るべきかためらったが、遺灰が増えれば戦術も広がる。俺たちの生存には必要なのだ。ビアトリス、そんな目で見ないでくれ。
「それでは、ごきげんよう貴方たち」
「あ、ああ」
「ストームヴィルの城に向かうのなら、蛹の皆にお伝えください。愛していますと。私はまだ臆病なままですが、きっと、同じになりますと」
「……わかった、きっと伝えに行く」
「……やっと、痛みにも慣れてきましたから」
ところでこのボロ屋で一晩泊まってもいいか、と聞けるような雰囲気でもなかったので、俺たちは扉を閉めた。仕方ない。風は強いが野宿でも問題ないだろう。祝福の隣に座り込むと、メリナと目が合った。
「その、君は、なぜ黄金樹に向かうんだ?」
「……私の話?」
メリナは少し驚いた表情をしたあと、どう答えたものか、と逡巡した様子で、ゆっくりと語り始めた。
「……探しているの。かつて、黄金樹で母から授かったはずの、私の使命を。焼け爛れ、霊の身体となってまで、生き続けている理由を」
意外だった。てっきり彼女は、確固たる使命のもとに邁進しているものと思い込んでいたのだ。なんだ、俺と同じじゃないか。奇妙な親近感と歪んだ安堵を覚え、俺はひとりごちた。
「……貴方にも、詫びたいと思っていた。指の巫女様の代わりになる、そう言いながら、私は貴方を導けない」
「何を言うか、貴女は立派に巫女としての役目を果たしているではないか」
ビアトリスが口を挟むが、メリナはかぶりを振る。
「私は巫女ではなく、そして……使命を失くしてしまっているから」
使命を失った巫女、導きを失った女騎士、記憶を失った素寒貧。なんともお似合いの三人だ。なお、メリナの説明によれば黄金の種子を聖杯瓶に加えると雫の精製量が増えるという。俺たちは各々の革袋の中で緋色の雫に種子を浸しつつ、順番に見張りを立て、夜を明かした。
ーーー
早朝、ストームヴィルの入り口を守るゴドリックの兵士たちは夜番と昼番の交代を進めていた。門の前には対人・対攻城兵器用のバリスタ砲台まである強力な陣地だ。嵐の関門から新たな褪せ人の侵入の報告もあり、警戒は強い。そんな折、警告ラッパが吹き鳴らされた。
「何事だ!」
「東側の茂みに何者かがいます!」
「探し出せ! 愚かな侵入者め……こちらの戦力は普段の倍だぞ」
小隊長の指示で槍装備の分隊が索敵に前進し、クロスボウの分隊が援護に続く。交代で戻れるはずだった夜番の兵士たちは不満をたらたらとこぼした。
「無駄な抵抗はやめろ、茂みから出てこい!」
「うわっ、なんだ?! ああ、霊クラゲか」
鈴の音とともに茂みから飛び出してきたのは迷子の霊クラゲだった。この近くには墓地も多く、そう珍しくはない。兵士たちが拍子抜けしていたところ、警戒色にもなっていないクラゲが突然毒液を噴射してきた。
「ぎゃあああっ!」
「こいつ! おかしいぞ!」
「駆除しろ、突き殺せ!」
槍兵たちが迫るが、霊クラゲはふわりふわりとつかみどころなく逃げていく。その予測不能な動きは、クロスボウでの狙撃も難しかった。小隊長はいらだち、枯れたダミ声でさらなる兵力を派遣する。後方の予備兵力も含めた全力射撃なら、霊クラゲごときひとたまりもないだろう。
「前進して撃て! あんなの相手に外してボルトを無駄にするな!」
「やあやあ我こそは、騎士ビアトリス・ラスカーなり! 側面からの奇襲、失礼する!」
「ゲッ、なんだこいつは?!」
霊クラゲに注意を引かれていた隙に、隊列の側面から完全武装の騎士が突撃してきた。不運な兵士が轢き飛ばされたりハルバードの餌食になったりしたが、さすがに訓練された軍兵たちは散り散りになることなく陣形を再編する。
「防御円陣! 槍兵が前衛を固め、クロスボウ兵は援護せよ!」
「一騎駆か? 無謀な奴め」
「馬を狙え、機動力を削ぐんだ!」
「よーし良いぞ……ビアトリス、よく集めてくれた」
交代の隙にしれっと後方のバリスタ砲台の射手に成り代わっていた俺は、照準を兵士たちの集団に合わせ、引き金に手をかけた。
「さよならだ」
「貴様!? 何をして……」
爆発音。発射された榴弾は密集した兵士の中央で炸裂し、武具や肉片が空を舞う。生き残りはビアトリスと霊クラゲが片付け、俺たちは門を完全に制圧した。
ーーー
門の先はトンネルになっており、途中にあった祝福で俺たちは休憩を取った。どうやら黄金樹は適宜必要と思われる場所に祝福を準備してくれているらしい。
「さて、いよいよストームヴィル城か」
メリナの儀式を終え、俺たちは万全の態勢で先を進んだ。巨大なストームヴィルの城門へと続く最後の橋。兵士たちによって厳重に警護されているかと思いきや、意外に静かな場所だ。しかし、少し歩みを進めたところで、敵意と蔑みに満ちた声が響き渡った。
「褪せ人よ。愚かな野心の火に焼かれ、お前もまた、エルデンリングを求めるのか?」
塔多きストームヴィルの円塔の一つに、黄金色の光とともにトロルと見まごう巨躯の鬼が実体化した。顔には幾つもの角が禍々しくねじれ、痛々しくもある。毛深い腕に持った木杖でゴツンと地面を突くと、鬼は空高く跳び上がり、着地とともに粉塵を巻き上げた。
「ならば、その火ごと消してくれよう。忌み鬼のマルギットが」
視界が晴れた時、俺たちの目の前には杖を構えた忌み鬼が立ち塞がっていた。
主人公のスペック
キャラクター名:Henri
装備:君主軍の大剣+2 ラージレザーシールド (松明) ゴドリック兵シリーズ
レベル:12
生命16 精神10 持久13 筋力12 技量10 知力10 信仰10 神秘10
放浪騎士のスペック
キャラクター名:Beatrice
装備:ハルバード+2(嵐脚) ヒーターシールド 放浪騎士シリーズ
炎竜印のタリスマン
レベル:15
生命18 精神10 持久12 筋力16 技量13 知力9 信仰9 神秘7