森を抜けた先に、小さな集落が広がっていた。
屋根は藁で葺かれ、木造の簡素な家々が肩を寄せ合っている。
その周囲には畑が広がっていたが、作物は痩せ細り、土はひび割れ、村全体が荒れ果てているのが一目で分かった。
張角はしばし足を止め、静かに息を吐いた。
この光景は彼にとって、かつての後漢末期を思い出させる。飢えに苦しみ、病に倒れる民。
あの時と同じ苦難が、この世界にもあるのだ。
「……やはり、この世もまた救いを求めている」
彼はそう呟き、村へ足を踏み入れた。
◆
広場に入ると、数人の村人が集まっていた。
その中心に横たわるのは、顔色の悪い少女。唇は乾き、息は浅く、苦しげに胸を上下させている。
周囲の村人たちは藁布を当てたり水を飲ませたりしていたが、明らかに効果はなかった。
「神官さまを呼びに行ったが、王都までは数日の道のり……」
「その前に、この子は……」
誰もが打ちひしがれた表情を浮かべている。
張角は人垣を押し分け、少女の傍らに膝をついた。
「道を譲られよ。診せていただこう」
突然現れた異国風の男に村人たちは驚いたが、その声音には不思議と逆らえぬ威があった。
少女の額に手を当てると、強い熱が伝わってきた。呼吸は乱れ、脈は弱い。
張角はすぐに悟った――これはこの世界で「疫病」と呼ばれるものだろう。
「……太平道で培った術、そしてこの世界の“魔法”。いずれも民を救うためにある」
彼はゆっくりと立ち上がり、掌をかざした。
周囲の村人たちが息を呑む中、張角は低く呪文を唱える。
「聖光よ、黄天の名において、病を祓え」
柔らかな光が少女を包み込む。
蒼白だった顔に赤みが差し、荒かった呼吸が静まっていく。
数息の後、少女は薄く瞳を開け、弱々しくも「……お母さん」と呟いた。
村人たちは歓声を上げ、目を潤ませた。
「奇跡だ……! 神官でもないのに……!」
「この方は一体……」
張角は村人たちの視線を受け止め、静かに口を開いた。
「我は張角。かつて別の地にて、太平の世を求めし者だ。
だが、その志は果たせなかった。ゆえにこの世界に生を受け直したのだろう。
民よ、黄天を仰げ。蒼天はすでに死に、新しき世がここに始まる」
力強い言葉に、村人たちは圧倒されたように見つめるばかりだった。
だがその中の一人、年配の男が恐る恐る問いかける。
「張角さま……あなたは、本当に人を救えるのですか? この村を……」
張角は頷き、広場を見渡した。畑の作物は枯れかけ、井戸の水も濁っている。
村人の大半は痩せ、子どもたちは力なく座り込んでいた。
「病も、飢えも、争いも――すべて救おう。
だがそれには、そなたらの信が必要だ。
我を信じ、黄天の下に集うなら、この村を必ずや太平へと導こう」
張角の声は澄み渡り、村人たちの心に響いた。
最初は戸惑いの表情だったが、やがて誰かが地に額をつけた。
「……どうか、この村をお救いください、大賢良師さま!」
次々と人々が跪き、声を合わせる。
張角は静かに頷き、再び手を掲げた。
「黄天立つべし!」
その瞬間、彼の掌から光が溢れ、村全体を包み込んだ。
荒れ果てていた畑の作物は緑を取り戻し、井戸の水は透き通る。
人々の目に涙が溢れ、歓喜の叫びが広場を満たした。
張角はその光景を見つめ、胸の内で呟いた。
「……これこそが、我が求めし世の始まり。今度こそ、果たしてみせよう」
こうして黄天の光は、初めて異世界の民を救った。
そして、この小さな村から――新たな革命が始まろうとしていた。