村に「黄天」の旗が立ってから、数日が過ぎた。
旗といっても、張角が自らの黄巾を裂いて作った粗末な布である。
だが村人たちはそれを広場の中央に掲げ、朝夕ごとに頭を垂れて祈りを捧げるようになった。
少女を癒やした奇跡、枯れかけた畑を蘇らせた光――その光景を目の当たりにした村人たちの心は、完全に張角に傾いていた。
彼らは張角を「大賢良師」と呼び、食事を運び、教えを乞う。
「先生、畑に虫がついて困っておるのです」
「うむ。自然の理を知ればよい。水を多く与えすぎてはならぬ。土を耕し、風通しを良くせよ」
張角の知識は、彼がかつて導いた民の経験から培われたものだ。
そこに魔法という新たな力を加えれば、村の問題は次々と解決していく。
病に倒れていた者たちも癒やされ、村全体に活気が戻りつつあった。
やがて周囲の村々にも「黄天の教え」の噂が広がり、病人や飢えた人々が救いを求めて集まるようになった。
張角は彼らを拒まず迎え入れ、光を与えた。
「蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし。
皆、我を信じよ。信じる心こそ、新しき世を生む力なり」
信徒は日に日に増え、広場は祈りの声で満ちる。
だが同時に、その変化は「ある勢力」の耳にも届いていた。
◆
――王都・光明教大聖堂。
高い天井を持つ聖堂の中、白衣を纏った神官たちが厳かに祈りを捧げていた。
その中心に立つのは、光明教の高位神官、ラウレンスである。
彼の前に、一人の司祭が跪いて報告をしていた。
「……辺境の村に、正体不明の術者が現れたと。病を癒やし、枯れた畑を蘇らせ、民を従えております」
「ふむ……」ラウレンスは眉を寄せる。
光明教はこの大陸に広く根を張る国教であり、人々を導く立場にある。
だがその権威を脅かすような存在は、たとえ一介の術者であろうと許されない。
「奇跡を見せる者は珍しくない。だが……“黄天”と名乗ったか?」
「はっ。『蒼天は死に、黄天立つ』と」
ラウレンスの瞳が鋭く光った。
「傲慢だ。蒼天とは神々の象徴であり、我ら光明の教えの根幹。
それを死んだと宣言するなど、神敵以外の何者でもない」
聖堂に緊張が走る。
ラウレンスは静かに命じた。
「討伐隊を編成せよ。司祭三名、聖騎士十名を派遣する。
必ずやその異端を捕らえ、光の前に引き据えるのだ」
◆
一方、村では祭りのような賑わいがあった。
黄天教の信徒たちは自らの食料を分け合い、畑を耕し、互いを助け合う。
張角はその中心で、穏やかな笑みを浮かべていた。
「皆、よく励んでおる。この道を進めば、必ずや太平の世に至る」
信徒たちは歓声を上げる。
その中で、最初に救われた少女――名をリナという――が、張角の傍らに寄ってきた。
「大賢良師さま、私もお手伝いがしたいのです。病に苦しむ人を、私も救えるようになりたい」
張角は彼女の瞳を見つめ、頷いた。
「よい心だ、リナ。黄天の道は、皆が支え合うもの。そなたにも光を扱う素質があるやもしれぬ。共に学ぶとよい」
少女の顔が輝き、周囲の村人たちも希望に沸いた。
その光景を見ながら、張角は胸の奥に熱を覚えた。
――かつて果たせなかった夢が、この世界では現実となり始めている。
だがその背後に、黒い影が迫りつつあることを、彼はまだ知らなかった。
数日の後、村の入口に光明教の聖騎士たちが姿を現す。
鋼の鎧を纏い、聖印を掲げる彼らの顔には、異端を裁く冷徹な意志が宿っていた。
「この村に異端の教祖ありと聞く。――張角と名乗る者を、我らは光明教の名において拘束する!」
緊張が走る。
信徒たちは恐れながらも張角の背後に集まり、彼を守ろうとする。
張角はゆっくりと立ち上がり、聖騎士たちを見据えた。
「なるほど……これがこの世界の“蒼天”か。
だが、すでに死した天に従うわけにはいかぬ」
彼の掌に雷が宿り、空気が震えた。
こうして、黄天と光明教の最初の衝突が幕を開けたのである。