叩き起こされたままの格好で外に出るわけにはいかないので、さっと着替えて外に出た。玄関を出て隣の家、つまり夏の家に向かって歩く。外はギラギラと日差しが照り付け、道の少し遠くのほうを見ると地面のあたりがゆらゆらと陽炎で歪んで見える。……しかし本当に暑い。隣の家まで歩いているだけなのに体中から汗がにじんでくる。一歩間違えれば命の危険もあるんじゃないのかこれ。そんな事を考えているうちにすぐ夏の家の前につく。さっそく扉の横のインターホンを押すと、ピンポーンと軽快な音が鳴り、家の中からトタトタと足音が聞こえてくる。すると玄関の扉の奥からエプロン姿のきれいな女性が出てきた。
「あら~冬樹君じゃない~。こんな朝早くにどうしたの~?」
「おはようございます。おば……」
俺はすぐに続けようとした言葉を止めた。もちろん理由がある。なぜなら目の前にいるこの人が笑顔のままドス黒いオーラを放ちはじめたからだ。はっきりいってめちゃくちゃ怖い。先ほどまでかいていた汗が冷や汗に変わるぐらいには。
「おば……なあに?冬樹君?」
「えっ……と……おはようございます、
正解かどうかを確かめるように言葉の最後が疑問形になってしまった。
「は~いよく言い直せました〜」
どうやら正解だったようで、先ほどまでの暗黒オーラをスッと納めてくれた。この人は南坂茉莉さん。幼い時から夏の家に遊びに行ったり、時には食事を一緒にしたりと北原家と家族ぐるみで付き合いのある人だ。ゆるりと巻かれたロングウェーブの髪に、夏と違ったふわふわした雰囲気。そして夏と同じでかなり美人。夏と並んでいると姉妹に見えるほどだ。
「でも茉莉さんなんてよそよそしいわ~、お義母さんって呼んでちょうだい♪」
「ハハハ、いやーすみませんこんな朝早い時間に、実は夏がまたベランダから飛びまして……カクカクしかじか四角いムーブで夏の着替えと靴を取りに来ました」
「んも~、スルーは酷いわ~。じゃあ取ってくるからちょっと待っててね~。あ、せっかくだから冬樹君の好きな色を聞こうかしら~何色が好き?」
色?何のことだろう?まぁ冬樹という名前の通り俺は冬と雪が好きだったので、
「白ですかね」
「じゃあ夏の着替えは白い下着に決定ね~」
「ちょ!?茉莉さん!?」
「あら~今度は反応してくれたわね〜。顔真っ赤よ?うふふ♪」
と言って茉莉さんは一旦家の中に戻っていく。困ったところ、というのは茉莉さんが恐ろしくからかい好きということだ。あの手この手の冗談を会うたびに言われている。完全に俺の夏への好意を知ってて言っているんだと思うが……今でこそ多少なりスルーという技を身に着けたがリアクションに困るので本当はやめてほしいところだ。一度やめてほしいと言ったことがあったがわざとらしいニコニコ顔で頭の上に?マークを浮かべられたのでもう諦めた。結婚前の姓は高木さんだったんだろうか?今度聞いてみてもいいかもしれない。少し待つとすぐに茉莉さんが戻ってきた。
「はいどうぞ~。夏のこといつも色々ありがとうね~冬樹君。そうだ、朝ご飯まだでしょう?夏と千秋ちゃん連れて家にいらっしゃい。みんなの分も作っておくわ~」
「本当ですか!じゃあお言葉に甘えていただきます。あ、でも千秋は今日テニス部の練習でもう居ないので俺と夏で伺いますね」
「あら~千秋ちゃんも頑張ってるのね~。じゃあ二人分用意して待ってるわね~」
夏の着替えが入った袋を受け取り、お願いしますと軽くお辞儀をして俺は自分の家に戻った。よかった、これで朝食を作らなくて済みそうだ。まぁ俺が朝食を作るといっても食パンを焼くぐらいしか出来ないんだけど。作る手間とかそういう事とは別に茉莉さんのご飯を貰えるとなると話は別だ。それぐらい茉莉さんの料理は美味しい。結婚前は料理人としてちょっとした有名人だったらしいし。
「おーい!着替えまだー!?オレもう風呂出たんだけどー!」
そんな声とともに風呂場のドアをバシバシと叩く音が。
「うるさいなもう!わかってるってー!持ってきたからちょっと待ってろよ!」
まったくやかましいな、自分が勝手に来たくせにこき使うんだからたまったもんじゃない。茉莉さんから受け取った着替えを渡そうと風呂場の扉の目の前に歩いて来たその瞬間、俺は自分の足につまづいてよろけてしまった。
「やべっ……!」
反射的に手を伸ばして何かに掴まったが、それも虚しく、掴んだものがバキリという音と共に折れ、ドン!と体が床に叩きつけられる。
「痛ってぇ……ってこれは……」
右手には折れて壊れたドアノブが握られていた。よりにもよって手を伸ばしたのは風呂場のドアノブだったらしい。手に持っていた着替えの袋はこける時に離してしまったようで中身が目の前に散乱している。そしてドアノブが壊れたということは扉ももちろん開いていて―――
「おい……」
頭上から声が聞こえた。あぁ……もう嫌な予感しかしない。顔を上げると目の前には濡れたタオル一枚というあられもない姿の幼馴染、肩までほど伸びた髪がしっとりとうなじに張り付いていて……ってそこじゃない。夏は握りしめた拳をわなわなと震わせ、赤くなった顔で俺を睨みつけていた。
「いや……あの違くて……」
「ノック」
「へ?」
「ノックは?妹ちゃんに言われてただろ?」
もう今更必要?なんて言える訳もないが、一体何を言えばいいのかもわからない。俺は必死に考えた。何をすれば正解なのか、いやむしろここから正解なんてあるのか。そして考えた末、俺はノックのジェスチャーをしてみる。
「……コンコン、入ってますかー……なんて……言ったりして……?」
「……」
あっ、カウント減ったコレ。パズド……スマホゲームみたいに「あと1」って顔の横に浮かんで見えるもん。これ次のターン攻撃して来るやつだ。考えろ、あと1ターンしか無いぞ……と思っていると次は夏が口を開く。
「んでそのメモ……何?」
夏は自分の足元を指差す。その指先の向く方をたどると散乱した着替えの中に1枚の紙切れが。なんだコレ?袋の中に入ってたのか?なんか書かれてるな……何々―――"夏へ。冬樹くんが白がいいって言ってたからちゃんと白い下着入れておいたわよ〜。あ、初孫はなるべく早く見せてね?母より"―――
「いっ!?いや茉莉さん……!確かに白って言ったけどっ……!」
メモを見て焦った俺の独り言は口を使って、さらに俺を地雷原の中心へ誘う。
「へー……言ったんだな?」
「あっ、今のは違……」
というか茉莉さん!?なんでこんなに誤解を招くメッセージを入れてるんだ!まるで俺が白い下着がいいって言ったみたいじゃないか!メモから顔を外し夏を見上げる。それは好きな色を聞かれただけだ!と言おうとしたが……ダメだった。夏の横にまるで死兆星の如く輝く「あと0」の文字。
「覚悟はいいか?」
手をぽきぽきと鳴らしながら俺を見下ろす夏の姿。俺は思った。あぁ、あの時コケてもコケなくても、このメモでアウトだったのか……と。やっぱり今日はろくでもない一日なのかもしれない。でも最後に一つ、心の中で言わせてください。幼馴染の美しい山と谷、絶景でした。