「ふぁ~…よく寝たぁ~…。」
僕はゆっくりと起き上がる。太陽が窓から光を差し込んでくる。
今日も一日がはじまった。
寝ぼけまなこでなぜかアラームが鳴らなかった時計を確認すると、そこには08:00と書いてあった。
「やばっ、バスに遅れる!」
急いで袖に腕を通し、洗面所で勢いよく顔と歯を洗う。
今日は忙しい一日の様だ。
僕は急いでバスに乗るが、いつも乗るバスとは一本違った。
行先はほぼ一緒なのだが、いつもいる同僚がいない。
何より変なのは最後尾の席で座っているおばさんだ。
新聞を読んでいるように見えるが、その目は僕の方を向いている。
知らない人に何分もガンを飛ばすおばさんなんて僕の一生では見たことがない。
出来るだけその方向を見ないようにして、しかし警戒しながらスマホの記事に目を通す。
そんな変な時間が数分続いた後、おばさんが僕の隣にある手すりに手を置きながら話しかけてきた。
「あんた、こんな話を知ってるかい?
これは今から21年もまえのはなしなんだけどねぇ…。
私がよく関わっていた女の子が近所の孤児院にいたのよ。
いつも私の店の駄菓子を買いに来てくれてたんだけどね、私に息子がいたら
同い年じゃないかっていう年齢でさ、だいたい5歳くらいかしら。
私にいつも孤児院で楽しかったこととか話してくれたのよ。
でも、その子が冬の頃にぱたりと来なくなってね、
駄菓子を買わないで話に来ることもあったもんだから
病気になったんじゃないかねっておもって孤児院に電話したのよね。
そしたら誰が出てきたと思う?」
ふーむ、なるほど。
僕は話を無視することにした。
これは僕の持論の一つだが、いきなり身の上話をする人は信用できない。
しかも何十年も昔の話をする奴ほど尚更である。
いわゆる、そういう奴らは大多数が同情とかで自分を特別と思っているからだ。
「それがね、警察だったのよ。
孤児院の子供と職員がみんな惨殺されていたんですって。
私と関わっていたあの女の子も死んじゃったのよ。
その中で一人だけ行方不明の子供がいるらしくてね。
その頃は5歳だったらしいのよ。
この周辺のあなたと同じ年くらいの子供がいたらいつも聞いているんだけど、
あなたは今26歳なの?そしたらその子がどうなったか知らない?
私、あの子の、紀乃のお友達だったって聞いたことがあったんだけど。
せめてその子だけでも探して見つけようっていつも思ってて…。」
「それなら、
私は若いように見えますが30は過ぎてますので。
そのような子供は見たことはありませんね。
その頃に警察の聞き込み調査はあったと思いますけど、空振りでしたよ。」
おばさんは僕が話しにくいつたと思ったのか目を見開いが、僕の言葉をきいていくうちに怒ってしまったのか、指を貧乏ゆすりのように動かしていた。
いつの間にか、僕の口からは嘘が飛び出ていた。
丁度、今年の1月8日に僕は26になっていたのであり、今日はその孤児院の事件と同じ11月の頃である。
しかし、そんなピッタリな日に僕がこの変なおばさんの話に付き合おうものならそろそろ着く会社の前で降りれないだろう。
適当に話を切って、最後尾の席に戻ってもらうほかない。
「あら、そう。あなたも丁度26歳みたいな顔していたから、その男の子かと思ったのよ。ごめんなさいね。」
「いえ、お気になさらず。その男の子の動向、掴めたらいいですね。」
おばさんは最後の僕の返答が気に入ったのか、くすくすと小さく笑い「ええ、そうね。」と言いながら最後尾に帰っていった。
あんなこと聞くおばさんなんていい人はいないだろう。
だってあの事件はその子供自身が、子供全員を虐殺していて、それでいて失踪しているものなのだから。
あんな言い方をして知らない人に怒りでもぶつけるつもりなのだろうか。まったくもって世間は恐ろしいな。
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会社で僕は仕事に追われていた。
昨日のことでまさかとは思っていたが、あの上司を殴った先輩はこの会社に来ないつもりらしい。
同じチームでたまに喋っていたくらいだが、あれほど自己顕示欲の強い人はそうそういないだろう。
周りの目や風潮に合わせて気のいい人としてふるまい、それで上司の行動がきっかけで演技の顔がほどけたんだろう。
あの時の先輩の顔は歓喜で震えていた。思わず僕は周りを近づけさせないことしかできなかったが、あれはやりようがあっただろう。
例えば先輩を引きずってでも殴らせまいとするとか…
いやしかし、失明とか難聴になるような攻撃だったし、本当に突発的な行動なんだろうか…
考えてもしょうがないし、確かに仕方のない部分の方が多かったのだ。
5年も年上で我慢強い先輩とは思っていたが、あの上司にずっといい人として続けることなどできなかった、というくらいで終わらせておこう。
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少しばかりの残業を終え、家に帰る。
帰りにおばさんがいたらどうしようかと思っていたが、バス停に張り込みしていたということもなく帰ることが出来た。
まったく、今日は仕事が増えたこともそうだし、おばさんの変な話を聞いていたこともあって疲れてしまった。
最後に、あの人にメールを送ってタバコでも吸おうかな…
メールを送りいざタバコを持って窓際に行こうかとも思って箱を取り出した時、丁度タバコがないことに気が付いた。
箱がすっからかんのカコカコ音すらならない。
どうやらタバコは無いみたいだ。
仕方ない。明日買いに行くか…
「あの人へ必要な資料はもう送ったし、今日はもう寝るか。」
いつもは窓を開けてタバコでも吸う時間だが、仕事も忙しかったしもう寝ることとする。
なんだか無性に窓に行きたい気もするが、たまにしか吸わないのにタバコ中毒にでもなったのだろうか…
「おやすみ」
その日に、とある男は会社に来なくなっていた。
しかし、その男の後輩は、今日も一日を平穏に暮らす。