私から見た空崎ヒナというのは、しっかりしてるけど怖い先輩という印象であった。怖いというのは威圧感や強さから来るものもそうだが、私の小さなトラウマから来るものもあった。
前世界線での出来事で、シロコがゲヘナ領でやらかして風紀委員に捕まったことがある。そのときに顔面蒼白になりながらヒナに謝罪しに行ったのを覚えている。ホシノ先輩も付き添いでついてきてくれた。
ヒナは私たちを叱りつけるわけでもなく、ただ淡々と状況説明を求めた。その冷徹で少しずつ逃げ場を無くしていくような話し方がとても恐ろしく、ホシノ先輩がいなかったら私はその場で気絶していたかもしれないと思うほど怖かった。
そんな出来事があり、私はヒナに対して苦手意識を持っていた。今、そんな彼女から誘いを受けていた。
今日はホシノがシャーレに居ない日で、狙ったかのようにヒナから誘いのモモトークが来た。ホシノの居ない日に風紀委員長からの呼び出しを受けると嫌な予感しかしないが、約束をすっぽかして何かされる方が後が怖いから従うしか無い。
シャーレ近くのカフェで待ち合わせとなっており、着くとヒナが先に席に座って待っていた。テーブルの上にはすでにコーヒーカップ二つが置いてある。
「先生、わざわざ時間を空けてきてくれてありがとう。手短に済ませるから少しだけ付き合ってもらえるかしら」
「大丈夫だよ、今はお昼休憩だから」
ヒナの目的は恐らく私がどういう人間か直接探りをいれにきたのだろう。風紀委員会と衝突したあの時から彼女は私を警戒しており、時折直接シャーレに来て質問をしに来る。全部ホシノが牽制して追い返していたが、切れ者の風紀委員長がそう易々と引き下がるわけもない。
私はヒナの向かい側に座ると、まだ熱いカップを持ち上げた。向かい側に座る彼女の瞳は私の一挙一動を見張るかのようにじっと見つめている。やがてヒナは口を開いた。
「先生は最近何をしてるのかしら。休日とか」
「最近は……散歩かな。ホシノと一緒にお出かけするのも好きかな」
「他には? 本やゲームとか」
「やらないかな。勧められたりはするけど、どうしてもやる気が起きないんだよね」
「そう。本当に暇なときだけだけど、私は読書するわね」
「どういう本?」
「特にこれというジャンルはないけど、よく読むのはミステリーね。犯人を当てるもの、ドラマが魅力的なもの、どっちもよく読むわ」
わざわざ呼び出して雑談を仕掛ける意図を私は密かに考えていた。しかしヒナの会話は続く。
「そろそろ話題を変えましょう。先生は銃を使った経験はどれくらいあるのかしら」
「まあまあかな。二年、三年くらいの経験はあるよ。本当はあまり得意じゃなかったけど、そうせざるをえなかったから」
「苦い経験?」
「……とても苦い経験だね」
少し間を置いて、こう答えて続けた。
「もう私は戦わないつもり。アコに酷いことしてしまったし」
ヒナは表情を変えず、じっと私を見つめ続ける。
「そう。でも今後もし必要になったらどうするつもりなの?」
その返しに私は少し考えた。
「……戦わない。死ぬとしてもそういうものだと受け入れる」
「先生は死ぬのが怖くないの?」
「怖くない。先生になった時から覚悟はしてた」
「やっぱり異常よ、先生。あなたは命を投げ捨てることに無頓着すぎる」
「そうかもしれない。でも先生が物理的に生徒を傷つけるようなことはあってはいけない事だと思う。だからそのつもり」
ヒナは溜息をつき、何か説得を諦めた様子でカップを口元に運んだ。そのとき私のポケットから振動が伝わり、電話を取り出して耳元に当てた。
『先生、お昼休憩中申し訳ないけど、予算書の提出はいつ頃になりそうかしら? 明日には欲しいのだけど』
「ごめんね、まだ手をつけてないんだ。先に報告書と学園から来た要望書に目を通してからと思って。今日の深夜にやるから、明日の午前十時までには出せると思う」
『分かったわ。……身体には気をつけてね』
「いつも悪いね、アオイ」
アオイとの通話を切り、私もコーヒーを一口啜った。
「私、こういう仕事はテキパキできないんだ。毎回迷惑ばかりかけてしまう」
「他の生徒に任せることはできないの? 当番制度があるのでしょう?」
「当番の生徒にも手伝ってもらっているよ。でも夕方には帰すようにはしている。連邦生徒会はどこも激務で、助けは借りれないし」
その言葉にヒナは沈黙した。私は袖に隠れた腕時計を覗いた。
「そろそろかな、また誘ってもらえると嬉しいよ。じゃあねヒナ」
「ええ、また。先生」
二人分の代金を置いて席から立ち上がる。店の外に出ながらふと思う。次に彼女が何を仕掛けてくるか、そういうのを考えたらちょっと身震いがした。
ーー
日付が変わった後ぐらいの深夜、私はシャーレの建物の中に居た。こんな時間帯でもセキュリティなどで引き止められることなくすんなりと入室できた。
シャーレは先生がいる限りどんな生徒でも受け入れてしまう。それはあまりにも甘すぎることだろうが、先生の役割は生徒に尽くすことだからと今までも多くの生徒がシャーレを訪れていた。
恐らく先生はまだ居る。今日のカフェの様子からして、書類が片付くまでオフィスの明かりは消えないだろう。
エレベーターから降りて暗く静かな廊下を歩く。すると向こう側のドアから明かりが漏れ出ていた。私の足は自然にその部屋に向かっていき、ドアの前で立ち止まる。耳を澄ませてみるが環境音以外に何も聞こえてこない。ゆっくりとドアを開けると、先生らしき人影が席に座って机に顔を伏せていた。側には二つの書類の山があり、『完了』と『未処理』のラベルが貼られたファイルが載せられていた。当然、未完了の山の方が高い。
「先生」
声をかけてみるが、先生は微動だにしない。鼻息は聞こえるから生きてはいる。
私は先生のすぐ側にまで近づくと、先生の肩を軽く揺すってもう一度声をかける。
「起きて」
反応は無く、今度は強く揺さぶってみた。その時に椅子に座っていた姿勢が崩れ、先生の身体が床に倒れてしまいそうに。いけないと思い、とっさに身体を支える。抱えるも完全に反応は無く、気絶してしまっている様子だった。
近くのソファに先生を寝かせて毛布をかけてあげる。次に机の書類の山を見やると、その量に圧倒された。
もし完了ラベルの山が一日でできた書類の量だとするなら、先生の作業ペースは悪くない。むしろ割り振りの量が異常だ。
椅子に座って、机と向き合う。未処理の書類の中から『当番向け』のラベルが貼られたものを抜き出し、内容を確認する。彼女のペンと電卓を借りて一、二時間の間私は書類と向き合い続けた。
「同じね」
書類を片付けていく中、独り言を呟く。
「いっぱい仕事を抱えてて、立場に縛られて、責任に押し潰されそうになって。でも向き合おうとする」
山が少し小さくなっていき、当番ラベル最後の書類を片付けた。先生に毛布をかけ直し、部屋を見渡すと眠気が襲ってくる。そういえば布団があったような気がすると、記憶を頼りに棚を漁って寝具を取り出した。
先生が寝ているソファの近くで敷ふとんを敷いて、毛布をかけて横に。
「おやすみなさい、先生」
先生の寝息が聞こえる中、三時間程度仮眠を取ることにした。
ーー
私は先生よりも先に起きたようだけど、先生はまだ意識を覚醒させることなくすやすやと眠っていた。しかし鼻息のパターンが少しずつ変わっていき、まもなく目を覚ますかという気配を見せた。借りていた寝具を綺麗に畳み、先生が眠っている間に少しだけ部屋を片付けておく。その次、コーヒーを淹れにオフィスの外へ。
用意ができて、二つのマグカップを先生に持っていくとちょうど目が覚めたようだった。先生は辺りを見渡して、状況が把握できていない様子だった。
「おはよう、先生」
先生の姿はいつにも増して情けない姿に見えた。しわがついたシャツ、寝癖の付いた髪、少しだけ赤くなった目元。覇気のない声でこう答えた。
「あれ、どうしてヒナがここに? 今何時? 外が明るいということは……書類やらなきゃ……!」
そう言って先生は立ち上がろうとするが、身体を動かすことすら辛そうだった。
「先生、今日はもう休みなさい。今のあなたは正常に仕事をこなすことはできない。むしろ病院へ搬送するべきよ、立てないのでしょう?」
先生は黙ってしまい、その場にうなだれた。その時、ドアが開く音がした。
「先生、おはよ……なんで風紀委員長ちゃんがいるのかな?」
小鳥遊ホシノが表情を一変させ、鋭い目で私を睨みつけてくる。
「先生は過労でもう動けない。病院へ搬送する必要があるわ。深夜に訪れてみたら彼女が気絶してて、朝再び様子を見てみたけど、まだ回復してなさそうだったから」
ホシノは先生の側に駆け寄り、先生を立ち上がらせようとする。しかし先生は自力で立つことすらままならない様子だった。
「ダメそうだね。おじさんが連絡しておくから、担架をお願いするよ」
ホシノは先生を担ぎ上げ、私は担架を取りに行くためにオフィスから一旦退出した。
その後、先生は病院に搬送された。過労と栄養失調が重なり、命に別状はないものの少しの間点滴で生活することになった。