夜の勉強会が終わり、就寝時間。私は自室の机に向き合ってまた教材作りに取り組んでいた。今日の反省点を生かして、明日からの学習をより効率的にできるようにしておかなければならない。次の模擬試験では少しでも点数を上げられれば良いのだが……。
「先生、まだ起きているか?」
扉がノックされ、アズサの声が聞こえてきた。私は扉を開けると彼女は体育着姿で立っていた。
「アズサ?どうしたの?」
「……先生、頼みがある。どうか私と訓練に付き合ってもらえないだろうか」
「訓練?でもアズサは十分強いし、私が教えることなんて……」
「いや、先生は本物だと思う。本当に戦ってきた経験があるし経験量も私とは違うだろう。だからその経験を教えて欲しい」
「アズサ、私は補習担当であって、戦闘担当じゃ……」
「お願い。守る力を、守る術を学ばせて欲しい」
アズサが頭を下げてきた。私はまだ戸惑っているものの、彼女の願いならと了承することにした。
「少しだけなら」
「ありがとう」
裏切り者探しをしている最中なのに、生徒に戦う術を教えていいのだろうか。そんな不安がよぎるも、彼女の意志を尊重することに決めた。それにアズサに対して無意識にシンパシーのような感情も感じている。
学園は違うし、どんな経験をしてきたのかも分からない。でも彼女とは同族のような、そんな気がするのだ。
「場所はどうする?」
「体育館にしよう」
「わかった」
私はアズサと体育館へ。他の生徒に見られないように回り道して向かう。体育館に辿り着くと体育マットを数枚敷き詰めて、その上で訓練を行うことにした。
「こういうのを教えるのは初めてで上手くいくかは分からないけど。射撃や格闘技、色々あると思うけど何からやる?」
「格闘技を頼む」
「うん」
アズサにリレーバトンを渡すと首を傾げていた。
「先生、私は何をすればいい?」
「このバトンをナイフと見立てて私に攻撃してきて。私はアズサの攻撃を避けたり、受け流したりするから」
「分かった。では……行くぞ!」
アズサが走り出しバトンを振りかぶる。私はそれを受け止めると、彼女はすぐに次の攻撃を繰り出す。その繰り返しでしばらく彼女の攻撃を受け流す訓練を続けることになった。訓練して来た子らしく、練度は十分だ。
柔道のように力をうまく受け流してアズサのバランスを崩すと、彼女は体勢を立て直して、再び攻撃を仕掛けてくる。また躱して彼女が隙を晒した瞬間に回し蹴りを繰り出し、バトンが手元を離れて宙を舞った。
「……っ!?」
「ごめん、大丈夫?」
「問題無い。……やはり先生には敵わないな」
「ありがとう。でも動き汚いよね?」
「そんなことは無い。実戦的だと思う」
「そうかな、ありがとう。じゃあ次は射撃かな? 音立てないように消音器着けてね」
「分かった」
今度は射撃用の的をセットする。私は拳銃にサイレンサーを装着して、アズサはアサルトライフルを構える。そして同時に射撃を開始した。近接戦闘や距離を離して狙撃など、様々な距離から的を狙う訓練をする。
「先生、私の銃を使ってやってみて欲しい」
「良いよ」
アズサから銃を受け取って構える。赤いランプが光った瞬間、1.7秒で五つの人型の的の頭部に命中する。
「すごい……」
「……タイム落ちたね。最近訓練してないから」
「いや、それでも十分だ」
「あはは……。先生だから前線に出ちゃいけないけどね。そろそろ終わりに……誰かいるの?」
気配を察知して咄嗟に銃を構えるが、気配は消えていた。アズサも銃を構えていたが、彼女は首を横に振る。
「気のせい……かな」
「そうかもしれない」
起きた三人のうち誰かが覗きに来たのか、それとも……。
「……とりあえず今日はこれで終わりにしようか」
「ああ」
的やマットを片付けていく中、私はアズサに聞く。
「アズサ、今日訓練したよね」
「ああ。とても有意義だった」
「アズサは……私を撃つなんてしないよね?」
「絶対に無い。誓う」
まっすぐな彼女の声を聞いて、私の中の確信は更に深まった。彼女は悪意を持つ人ではない。だから裏切り者かどっちにしても、私は彼女を守らなければならないと、そう強く誓うのだった。
全ての用具を片付けて体育館を後にして、アズサと一緒に寮へ帰る。
「先生、今日はありがとう。邪魔でなければまた一緒に訓練して欲しい」
「時間があったらね。じゃあおやすみ、アズサ」
「おやすみ、先生」
彼女と別れて自室へ戻り、朝が来るまで教材を作ろうと机に向かった。
――
次の日の授業中のことだった。みんなで勉強を教え合っている最中で、コハルがアズサに教えているときのことだった。
「あ、コハル。もう一つ聞きたい」
「ん? この問題は、えっと……」
「コハルも知らない問題か?」
「うーんと、これ、たしか参考書で見たような……。ちょ、ちょっと待って」
コハルがバッグの中を探り始める。そして彼女は何かを見つけたらしく、それをアズサに見せた。R18マークのある『ああいう本』だった。その瞬間、ハナコとヒフミに電撃が走る。
「この参考書に乗ってるのか?」
「うん、この参考……ギャアアア!?」
「エッチな本ですねぇ」
「あうぅ……。コハルちゃん、これは……」
「ちっ、違う! 見間違い! とにかく違うから! 絶対に違う!!」
教室内は一気に騒がしくなり、アズサは困惑していた。
「コハル」
私はコハルに声をかけて本を取り上げる。
「あ、先生! これは違うの!」
「落ち着いて。まずはR18の意味は分かる?」
「え? えっと……18歳未満は見ちゃダメなやつでしょ?」
「うん、そうだね。でもコハルは18歳未満だからそれは見ちゃダメ」
「あ……」
コハルは顔を真っ赤にする。
「せめて持つならベッドに隠すなど目につかない場所に隠そうね」
「……ごめんなさい」
と彼女はしゅんとしてしまった。
「コハルちゃん、あの本は確実にアレなことをする本でした。それも結構ハードな……。トリニティでも、いえ、キヴォトスでもなかなか見ることができないレベルの内容とお見受けしました。きっと肌と肌がこすれ合い、敏感な部分を擦り合わせ、嬌声が飛び交い理性が飛び散るような……!」
「ハナコ、静かにして」
コハルが今にでも泣き出しそうな状態なので、ハナコにストップをかける。
「やり過ぎてしまったのかもしれませんね、本当にごめんなさい。お話が合うかと思ったのですが……」
「そういうのはむっつりやって」
事情によると、コハルが正義実現委員会の活動中に差し押さえた本をつい入れたままにしてしまったらしい。彼女は押収品の管理を担当していたので、見る機会もそれなりにあったのだろう。押収品とはいえ他人の品を持っておくのは良くないということで返しに行こうとなった。ただしコハルは成績が上がるまでは正義実現委員会に入ることを禁止されていたので、返却には私も一緒に行くことになった。
――
「そ、その、言っておくけど、こればっかりは本当に間違いだから!」
コハルと一緒に本校へ向かう道中のこと。彼女は顔を赤くして必死に弁明をするが、大丈夫と受け流すように対応していた。
「うん。だから持つなら隠してね。興味を持つのは分かるけど」
「何言ってるの!? バレなきゃ持ってて良いってこと!? 先生なんでしょ!? エッチなのはダメ! 死刑!!」
「別に普通だよ。学生の頃は捨てられているそういうマンガやDVDを拾ったりしてたし。……いずれ知ることになる事を先に知った程度だよ」
「そ、そう……。先生ってエッチなものにあまり動じないよね。何というかあまり興味無さそうだし」
「興味はもう無いかな、大人になったし」
「ふーん……。大人ってよく分からないや」
コハルは興味深そうに私を見ていた。
「先生って、ときどき怖いけど、普段は優しいし。たまに厳しい時もあるけど……でもやっぱり優しくて……」
「どうしたの?」
コハルは急に黙り込んでしまった。そして何か言いたげな様子で私を見るが、すぐに視線を逸らす。
「……私のことをちょっと考えてくれてるのかなって思っただけ」
「面倒見るのは慣れてるよ。やんちゃな子だって慣れてる。だから、コハルはドンと来ても大丈夫だよ」
そんなやり取りをしている間に私たちは学校に到着したのだった。正義実現委員会に返却しに行くため、押収品管理室にコハルの案内で向かう。中に入るとそこには様々な押収品があった。コハルは慣れているのか手際よく押収品を返却していく。すると一人の生徒が部屋の中に入ってくる。正義実現委員会副委員長、羽川ハスミだった。
「先生、そしてコハル……?」
「ハスミ先輩!?」
「ハスミ、事情があってねここに来たの。返却しに来たんだけど」
「そうですか……。コハル、あなたは正義実現委員会に入ることを禁止されていますが?」
「それは……」
コハルは言い淀むと私は代わりに誤魔化すことにした。
「合宿所近くで事案が発生して、コハルと一緒に対処したんだけど押収品を見つけたんだ。でも近くに正義実現委員会の子が居なくて、直々に届ける必要があったから私が来た。彼女に指示したのは私だから、責任は私にある」
「そうですか、事情は分かりました。コハルが来てくれてある意味ちょうど良かったです。あらためて伝えておきたいことがありましたし……」
「え、わ、私ですか……?」
「先生、申し訳ないのですが少し席を外していただけますでしょうか? 正義実現委員会としてお話ししたいこと、と言いますか……」
「わかった」
私はコハルに目で合図をして、部屋から出ていく。隣の部屋で待つことにしたのだが、二人の会話が気になって仕方がなかった。
正義実現委員会はティーパーティーの指示で動く組織だ。ナギサからの指示があれば試験の妨害だって、武力行使だってあり得る。いや待て、ナギサの味方であるなら何故コハルを補修授業部に呼んだ? 正義実現委員会の中にも反エデン条約派がいて牽制したい意図があるのだろうか。
疑いが頭の中を回り、補習授業部とそれ以外の価値観でしか物事を考えられなくなっていくような気がし、私は深呼吸して自分を落ち着かせる。
二人の話し声も途切れ途切れに漏れて、その会話の内容が気になって仕方がない。それに途中ハスミの怒り声も聞こえてきた。コハルに何かあったのではないかと不安になり、頭を抱えた。
しばらくしてコハルが部屋に入ってきて私を呼んだ。
「終わったよ、先生」
「大丈夫だった?」
「ん? 特に何も……。どうかしたの?」
コハルには何も無かったようで私は一安心し、ハスミと別れて正義実現委員会を後にするのだった。
ーー
合宿所の夜。そろそろ消灯時間になるので四人がいる部屋に呼びかけようと、私は部屋に向かう。ノックして扉を開けると四人が雑談をしていた。
「脈路全無視!? 無敵なの!? そっ、そもそもそんなこと言ってないから! プールでは普通に水着! それが正義なの! あんただって昨日はちゃんと着てたじゃん!」
話の途中から聞き始めたが、恐らくシモの話題でコハルがハナコと揉めていたのだろう。
「あら……。でもよく思い出してみてください、コハルちゃん。私がプールで着ていたものを……」
「え、あ、あの水着が何……?」
「あれは、本当に水着だったと思いますか……?」
「み、水着じゃなかったら何なのよ……!?」
「最近の水着はデザインがかなり充実していますし、一目で水着かどうかの判断は難しいと思いませんか? それにペイントという線も……♡」
そこで話題に介入し、ハナコを止めることにした。
「明確な線引きは決められてないし、水着かどうかもはっきりはできない。でも、原則として大多数の無意識な一般論で水着と認識されているものを水着と呼ぶ。仮にペイントだったとしても、みんなが水着だと認識しているなら水着と誤魔化せられる」
「では先生、実はあれが下着だったとして……その『真実』かもしれない何かは、どうすれば証明できるのでしょう?」
「0か1かもはっきりしてない。相互認識の統一ができてない。証明しようとしたってあやふやになるだけ。無駄よ」
「そうですね。証明できない真実ほど無力なものは無い……そう思いませんか?」
「……この話はおしまいにしようか。考えたら夜眠れなくなるし。はい、消灯時間だよ」
「待って! 何言ってるのかわかんないんだけど!?」
「あの水着可愛かったですよね、というお話です♡」
「……なるほど、五つ目のあれか」
アズサが何かを察したような反応をして、ハナコの目が少しだけ鋭くなる。
「『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』……そんな感じだった気がする。残りは知らないけれど。つまり、誰も証明できない楽園は存在し得るのか……。そういう禅問答みたいなものだったと記憶してるけど」
「アズサちゃん、どうしてそれを……。もしかしてアズサちゃん、セイアちゃんに会ったことがあるんですか……!?」
「……分からない。この話をただ、どこかで聞いた記憶があるだけで……」
その言葉に何かの誤魔化しがあるように聞こえた。しかしここで問おうとはしなかった。
「そういえばアズサちゃんは転校生でしたね……」
部屋内の空気が一気に重くなる。しかし空気を断ち切ったのはハナコの言葉だった。
「では、そろそろ寝ましょうか」
「……うん」
アズサは頷き、私は四人をそれぞれのベッドへと誘導する。そして布団を被せて灯りを消すと部屋は暗闇に包まれた。そんな中、電車の中で水色髪の少女に言われた事をふと思い出す。
『形而上で不可逆的なものを限りなく可逆的に戻せるのか』
あまりに抽象的で意味が分からなかったが、さっきの楽園の話と繋がるような気もした。
「みんな、おやすみなさい」
そう言って扉を静かに閉めて、私は部屋を後にした。次に自室に向かい、いつものように教材作りに取り組んでいるとノック音で集中が途切れる。扉を開けるとそこにはヒフミがいた。
「すみません先生、今大丈夫ですか……? ハナコちゃんのこと、なのですが……」
「うん、いいよ」
私はヒフミを部屋に招き入れた。彼女は少し不安そうな表情をしている。
「ハナコちゃんのことでちょっと伝えておきたいことがあって……」
「うん」
「模範解答を集めている最中に見つけたものが……。ハナコちゃん、実は勉強がかなりできるみたいです……」
ヒフミから解答用紙の束のコピーを渡される。それは全て満点で、一年生から三年生まで全ての試験で満点だった。
「ハナコちゃん、もしかするとわざと点数を落としてたのかもしれません」
「そっか……」
ハナコが実は頭が切れる。そんな予感はときどき感じていたが、それが確信に変わった瞬間だった。
「ヒフミ、ありがとう。それだけ伝えたかったんだね。ハナコのことは私に任せて、ヒフミは勉強頑張ってね。おやすみ」
「はい……。先生、おやすみなさい……」
ヒフミを部屋に帰し、私は教材作りに再び取り掛かることにしたのだった。
――
朝がやってくる。今日の睡眠時間も三時間ほど。いつものように教室へ向かう準備をしようとする中、スマホが音と振動をし始めた。手にとってボタンを押して、電話に応じる。
「はい」
『先生、覚えているかな? 私だよ!』
「ミカ、だよね」
『あはっ覚えててくれたんだ! 今さ、私合宿所のプールに居るんだ。ちょっとお話がしたいんだけど、来れるかな?』
「……大事なこと?」
『うーん……。ちょっと大事なことかな。それじゃあ待ってるよ!』
電話が切れて、私は部屋を出た。
太陽が眩しい外へ出ると、プールの方からミカが手を振っているのが見えた。私はそのまま彼女の元へ歩いていく。
「見てみて! プールに水が入ってるー! 久しぶりに見たよー!」
無邪気そうにプールの中を覗き込む彼女のそばに、私も座る。
「要件は?」
「えへへ、先生上手くやってるかなーって見に来たんだ」
「それだけ?」
大事な用件として呼び出したのに、そんな軽い話のはずがなくて。彼女は私の表情を読み取ったのか、すぐに本題を切り出した。
「うーん、いいや! 先生って建前とか嫌いそうだし、単刀直入に言うね。ナギちゃんが探している裏切り者、教えてあげるよ」
「……いきなり大きな情報だね」
「まあね。もしかして前置きとか必要だったかな?」
「いや、むしろありがたいかも。どうして教えようと?」
「んー……。先生、ナギちゃんにお願いされているんでしょ?『裏切り者を探してほしい』とかさ」
「そうだね。まあ、詳しいことは教えられなかったから自分のやり方でやるとは言ったけど」
「自分のやり方? 裏切り者は探し出すってこと? どうやって? そもそも先生、裏切り者が誰か知ってるの?」
「……裏切り者は居ないよ」
「え? 居ないってどういうこと? どうしてそういう結論に?」
「理由? 無いよ。証明もできない。ただ直感的に『居ない』と思っただけ」
「それは自分の生徒たちを疑いたくないから? それとも、裏切り者なんて居ないって思いたいから?」
「どっちもだよ。でもそうだね、強いて言うなら『自分がそう信じたい』っていうのが一番かな。先生が生徒を捨て駒として扱うなんて、そんな最低な先生になりたくない」
「ふーん……。確かに先生は『シャーレの先生』だもんね。トリニティとは本来無関係の第三者。トリニティが世界の中心だと思っていた私たちとは違う。だからそんな考え方をするのかな……。ふむふむ。じゃあ先生」
ミカが立ち上がって、座る私を見下ろす。
「先生は誰の味方? トリニティの味方でもないなら、誰を味方するの? ゲヘナ? 連邦生徒会?」
「生徒の味方、かな。でも全員の味方ではないよ」
「そっかー。まあ、そうだよね。じゃあさ、先生は私の味方でもしてくれるのかな?」
「そうだね。何を考えているのか、どんな思いを秘めているのか、にもよるけど」
「……ふーん。先生は私が何考えてるかわかる?」
「わからないよ。というかトリニティは特に分かりづらい。おしっこを『お花摘み』と言い換えて言葉を隠すようなお嬢様方だから余計に」
悪い笑みを浮かべ、見上げてミカに言う。
「……わーお、すごいね。先生らしくない言葉選び。じゃあ、裏切り者を今から言うから、先生は誰を信じるのか選択してね」
「わかった」
ミカは真剣な眼差しで私を見つめる。そして静かに口を開いた。裏切り者の名前を告げられるが、私の表情一つ動くことはなかった。