一人の夜の帰り道。
修理バイトの帰りで、ピックアップトラックを運転していた。バイトが思った以上に長引き、深夜に帰宅する羽目になってしまった。本当はセリカがバイトしている柴大将のところで夕食を食べる約束だったが、閉店時間はとうに過ぎていた。車内の電話機能を使ってセリカに謝罪の電話を入れようとする。
「セリカ、ごめん。バイトが思った以上に長引いて。今日は無理そう……」
『先輩はいつ帰るの?』
「うーん、多分日付変わった後くらいになると思う」
『わかった。ちょっと大将に掛け合ってみるわ』
「え? でも閉店しているんじゃ……」
『いいから! ちょっと待ってて!』
「あ、うん……」
通話は切れて車内に静寂が戻る。そして数分後、再びセリカからの電話が鳴った。
『先輩! 大将から許可が出たわ! 店は開けるから、まっすぐこっちにきて!』
「え? でも、閉店時間は過ぎているんじゃ……」
『いいから! 早く来て!』
「あはは、ごめんね」
『先輩、早く来てね。待っているから』
「うん」
セリカはそれだけ言うと電話を切る。私は少しアクセルを強く踏んだ。
「いらっしゃいませー!」
屋台のラーメン屋に着くと、セリカが元気な声で迎えてくれた。
「ごめんね、遅くなって」
「大将が気遣ってくれたのよ」
「そっか。ありがとう」
「さっ、座って!」
セリカはカウンター席をポンと叩き、座るよう促す。私はそこに座り、いつものラーメンの注文をする。屋台の周囲にはもう人の気配は無く、真夜中にただ屋台のラーメン屋の灯りだけが煌々と輝いている。
「はい、ラーメンとライスお待ち!」
「ありがとう」
湯気が立つ熱々のラーメンを啜って、懐かしい味に舌鼓を打つ。
「美味しい?」
「うん、すごく。今日のシロコは大丈夫だった?」
「ノノミ先輩が面倒みてくれたから大丈夫だったわ」
「そっか。ノノミにもあとでお礼しないとね」
スープを飲んで、ライスを口に運ぶ。
「あと、アヤネちゃんが室外機の修理部品を見つけたって。明日には届くから、また室外機を修理できるって」
「ようやく。ここ数日は別の場所で寝泊まりしてたから。で、おじさん先輩はだらだら?」
「そうよ。まったく、もう」
今日のバイトをほぼ完了させたセリカが隣の席に座って、雑談に花を咲かせる。
「なんというか、先輩って……。『おっちゃん』って感じがするよね。ホシノ先輩は『おじさん』を自称するけど、先輩はなんか『おっちゃん』って感じがする」
「はあ!? 私おっちゃんじゃないし! ちゃんと乙女なところもたくさんあるし!」
「あはは! 趣味が車とバイクで、肉体労働のバイトで、いつもラーメン食べててふと思ったの」
「もー、セリカ!」
セリカは笑いながら謝る。私もつられて笑ってしまった。
「でもなんだかんだ一番頼りにしやすいのは先輩だから。これからもよろしくね」
「うん、こちらこそよろしく」
やがて完食し、手を合わせて柴大将に頭を下げ、屋台を離れる。セリカもバイトあがりで、一緒に帰ることになった。車へ戻ろうとした時、ある人影が私の目に入る。
「先輩、あれ何?」
暗闇の中目を凝らしてよく見ると、マスコットっぽい何かの群れがこちらに向かってくる。
「あれってヒフミさんの……! って武器持ってない!?」
「ペロロだ! なんかヤバい!」
セリカと一緒に武器を構えて、その群れに対峙する。しかし圧倒的物量に押され、セリカは倒れる。そしてあるペロロが発射したロケット弾に巻き込まれ、私の視界は炎へ包まれた。
ああ、これは夢か。私は、燃え盛る炎の中で一人佇んでいた。
――
意識が覚醒した時、そこはシャーレの仮眠室だった。時計を見ると針は朝を示している。そうだ、昨日は先生と一緒に徹夜で仕事をして、それで……。
長いあくびをして、目を擦る。仮眠室のドアを開けてシャーレのオフィスに向かうと、先生の姿が見えた。眠たげな目をこすりながら書類とにらめっこしている。
"おはよう、__。よく眠れた?"
「ごめん、昨日寝落ちしちゃって」
"大丈夫だよ。わざわざ付き合わせちゃってごめんね"
「いいよって。朝シャキッとするためにコーヒー淹れてこようか?」
"__のコーヒー飲めるの!? お願いしてもいい?"
「なんでテンション上がるの。良いけどさ」
オフィス内にあるコーヒーメーカーでコーヒーを作る。ボタンを数回押すだけで作れるなんてお手軽だ。そして先生の前にコーヒーを置く。
"ありがとう、__"
「どういたしまして。さて、付き合いますよ先生」
"ありがとう。じゃあ、この書類からお願いできる?"
「はーい」
先生の隣に座り書類を一枚手に取る。そしてコーヒーを一口飲んで、私は仕事を始めるのだった……。
しばらく進んだところで、先生からお使いを頼まれてしまった。
"ごめん、ちょっとお使い頼まれてくれないかな? コピー機の紙を補充してきて欲しいんだ"
「おっけー。紙はいつもの場所?」
"そうだね"
よろしくねと先生に見送られてオフィスを出る。用紙は離れた場所にあるため、階段を降りて下の階へ降りていく。備品が保管してある部屋に入り、コピー機の紙を探す。
「えっと……。あ、あった」
予備のコピー用紙をまとめて抱えて、オフィスへ戻ろうとする。下るよりも体にくる上り階段に堪えながら、なんとかオフィスに繋がる通路へ。
「はあ、疲れた……」
ちょっと重い足取りで通路を進んでいく。その時だった。突然オフィスの方から爆発音が轟く。その爆発はフロア全てを巻き込むほどの威力だった。
「……っ!?」
爆風で吹き飛ばされ、床に叩きつけられる。そして同時に私の意識はプツリと途切れた。
再び意識が覚醒した時、私の身体はストレッチャーの上に横たわって運ばれていた。そのとき、もう一つのストレッチャーの車輪の音が、私の耳に入ってくる。
「先生! しっかりしてください!」
「先生!!」
朧げな意識の中、ようやく認識した。私と先生は謎の爆発で巻き込まれ意識不明の重傷を負ったのだ。
「__さんの意識レベルが低下しています! 早く!」
「__さん! しっかりして、__さん!」
私は再び意識を失った。そして、長い夢を見た。とても長い夢。とても長い時間、私は全身包帯に巻かれた状態で眠り続けていた。
そして長い夢から覚めると……。全てが変わっていた。病院が廃墟へと変わり、居たであろう看護師や医師は居なくなっていた。突然として誰も居ない荒れ果てたキヴォトスへと変貌していた。赤い空が常に広がり、歪な塔が各地に聳え立つ世界に。
『先生……!』
そうだ、私はこの世界で二年間も一人で戦い続けていたんだ。
『先生……!』
あの時から私は……。
「セイア……?」
悪夢から急激に目覚める。夜のトリニティのテラスにて、セイアが悲しげな表情で私を見つめていた。
「セイア、どうしたの?」
「先生、君はどうやら深淵へ堕ちてしまっていたようだね」
「深淵……?」
「ああ。夢の中の夢へと、そんな入れ子構造の世界へ」
「夢の中へ潜り込む映画のような、そんな感じ?」
「君の言う映画とは少し違うが、そのような感じだ。そしてこの夢は『夢の中で一番浅い夢』だ。ここから目覚めれば君は現実世界に戻れる」
「……なるほど」
セイアはティーカップを持ち上げ、紅茶を口に含む。彼女のテーブルの上には、既に詰みとなったチェス盤が置いてある。
「君が生命の危機を彷徨っている間に、このキヴォトスで起きたことを話そう」
セイアが言うようには、エデン条約はアリウス分校の手によってユスティナ聖徒会を呼び寄せる手段として乗っ取られてしまった。そして私を襲撃したのはアリウススクアッドというアズサが元々居たアリウス自治区の生徒たち。私を追い詰めたのが、錠前サオリという生徒。彼女らはヘイロー破壊爆弾というのを使い、アセンションの効果を無効化させてきたのだ。
ミサイル着弾後、ゲヘナとトリニティ、蘇ったユスティナとアリウスによる三つ巴での争いが始まり、憎悪のぶつけ合いが激化していった。
トリニティはほとんど機能不全。ナギサ、正義実現委員会、シスターフッド、幹部クラス以上が入院レベルの負傷を負っていた。治安悪化により反ゲヘナであるパテル派の発言力が増し、ゲヘナへの宣戦布告に向けて動き出している。
そしてアズサ。彼女はアリウススクアッドの殺害を決意し、単独でサオリの元へと乗り込んだ。このままだとアズサかサオリらのどちらが人殺しになるかの競争だった。
「これが全ての、無意味な足掻きの終着点なのさ、先生」
セイアは諦念と悟りの目で私を見つめる。
「そして今君は壊れかけている。錯乱した精神世界が君を蝕んでいるんだ。このままだと虚無が目覚め、違った形での終局を向かえるだろう」
「……」
何もできなかった。何も言う気が起きなかった。途方に暮れたような、疲れ果てたような、そんな感情が私を支配する。演じることも夢を見ることも、もうどうでもよかった。朽ち果ててく身体をカラスがついばんで千切っても、砂に変わり果てた身体を波がさらって行っても、もうどうでもよかった。
もう、痛みを誤魔化すのも、もう疲れた。
「先生、気を確かにしてくれ、君の心が、君の魂が壊れかけているんだ」
セイアは肩を揺さぶってくるが、私の焦点は合わそうともしない。
「先生……しっかりするんだ」
『何を立ち止まっているの?』
私と同じ顔をした色彩の声が頭に響き渡る。背後に彼女が。
「君は……。彼女の魂を奪う悪魔か?」
色彩は嘲笑う。
「彼女が望む、救済の悪魔よ。立ち止まろうとしたこの子のケツをひっぱたいて、前を向かせるのが私の役目」
「先生! 彼女の言葉に耳を貸すな!」
「何を立ち止まっているの、あなた。大切な生徒が一線を越えようとしているのに、そこで泣きべそかいて立ち止まっているつもり? あなたが今ここで、彼女のためにすべきことはなんなの?」
「でも、私は……」
「じゃあ何の為にここにいるの? 未来を変えるためなら死んでも構わないと、あの時言ったよね? なら今ここで死ぬのが運命なのよ。あなたは所詮世界のための柱なのだから、自身の心を捧げても生徒のために身を削るのがあなたの運命なのよ」
色彩は私に近づき、耳元で囁く。テラスの世界が少しずつひび割れてガラスのように一枚ずつ砕け散って。
「起きなさい。使命に殉じなさい。生徒が幸せに過ごせる世界のために、止まってはいけない」
「先生!」
セイアの声はいつの間にか遠くへと消え去り、色彩の声が私の頭に響き渡る。
「起きなさい」
そして私は目を覚ました。