最初耳に入ってきた音は、時計が針を刻む音だった。そして私の身体には柔らかい感触があった。ベッドだ。
身体を起こすと救護騎士団のセリナとハナエが私の顔を覗き込んでいる。
「先生……! 目が覚めてよかった……!」
首をゆっくり動かして辺りを見回すと、右足にはギブスと包帯が巻かれ、腕は点滴の針が刺さっている。恐らくトリニティ自治区内の病院に搬送されたのだろう。
時間は夜、窓からは月の光が差し込み照明のない部屋を照らしている。
二人の説明によると、セナがゲヘナ生徒なのにわざわざトリニティ自治区まで車で運んでくれた。本当に死に近い状態だったらしく、心肺停止状態も一時的だがあったらしい。右脚の負傷は酷くハナエが切除を提案するほどだったが、大論争の末に何とか右脚を回復することができた。
本当なら安静にしておくべきかもしれない。でも、今すぐにやらなければいけないことがある。身体をバタバタとさせて、ベッドからなんとか這い出ようとする。
「まだ動いちゃダメです! どこへ行くつもりなんですか……!?」
「どいて!! やらなきゃ、成すべきと思ったことを……。全てが手遅れになる前に……!」
「先生、落ち着いてください!」
「どいてよ……!!」
セリナとハナエが私を抑えようとするが、私はそれを振りほどく。
「まだ終わってないの! だから……!!」
身体がベッドから落ちて立ちあがろうとする。しかし右脚が地面に触れた瞬間、強烈な痛みが私を襲う。
「ううっ……!!」
私は右脚を抑えながら、再び床に倒れる。
「先生!!」
「松葉杖を寄越して!! 今すぐやらなきゃ……!!」
「ダメです! まだ安静にしてください!」
結局二人に抑えられ、ベッドに連れ戻されてしまう。
「先生、お願いです。今は身体を休めてください」
「でも……!!」
「今の先生はとても危険な状態なんです! これ以上無理をしたら……」
「自分の命なんて、どうでも良い。今私がやるべきことは……!!」
「うぅ……! 救護っ!!」
セリナが突如手刀を繰り出し、私の首元にヒットする。
「あ……」
またも私の意識は深い海の底へと沈んでいった。……が、再覚醒に時間はかからなかった。
再び目が覚めるとセリナとハナエの姿はなく、部屋には誰も居なかった。つまり、動けるチャンスということ。そばにあった松葉杖を掴み、右脚が地面につかないようにしながらゆっくり立ち上がった。
そこから暗い通路を歩き、病院へ抜け出してトリニティ総合学園の方へ向かっていった。
――
セイアの言った通り、現在のトリニティは混乱を極めておりクーデターを目論む派閥が台頭していた。視界がモノクローム、セピア、滲んだり霞んだり。そんな状態の中で何とか足を進める。
ミカを脱獄させて再びパテル派の頭に置くという噂を耳にし、ミカが居たであろう牢獄部屋へ必死に向かう。
「ミカ……!」
そこにはボロボロになったミカとそれを庇うコハル。対するはティーパーティーの過激派。ミカはクーデターを主導するのを拒んだ結果、過激派に囲まれて暴力を受け、それをコハルが庇った。今にも過激派らがコハルに手を出しそうな状況だった。
「何をやっているんだ!!」
「先生……!」
コハルの前に出て、過激派に対峙する。
「暴力を行使して、何をしようとしているの!?」
「……シャーレの先生!? 意識不明の重体だったはずでは……!」
「……やめとこう。今の先生、絶対にヤバいよ」
「ここは退こう」
過激派は武器をしまい、その場を去っていった。振り向くとコハルは涙目で私の胸に飛び込んできた。
「先生……! よかった……! 死んじゃうかもしれないって……!」
「ごめんね、心配かけて」
「ううん……。でもよかった……!」
ミカの方に目を配ると、彼女は傷だらけでバツが悪そうにしていた。
「えっと、私は大丈夫だよ。ありがとう……ね」
「保健室連れて行こうか?」
「ううん、大丈夫」
そこからミカは黙り込んでしまった。今までの誤魔化すような雰囲気から、俯いていた。
「どうして、こんな事になっちゃったんだろう……」
「ミカ……?」
「あんな事しなきゃセイアちゃんは……。でも、もう戻れないよ……」
ミカは涙を流しながら、私に訴えかける。
「許してくれるなら、また三人で一緒に居たいよ……。でも、もうダメ……」
「……今は休んでて。なんとかするから」
「先生……」
コハルにミカの介抱を頼み、私は再び歩き出した。止まらない、止まれない。私はいつの間にか、生徒たちをのことを未来を変えるための歯車程度にしか認識していなかったのだ。
ハナコやシスターフッドと再会して、再び戦力を集めることに。正義実現委員会、補習授業部。ゲヘナ自治区へ行って風紀委員会と再会し、助力を求める。でもヒナが重傷のままどこかへ消えてしまった。一人でヒナを探し出そうとしたところでアコに制止される。
「先生、こんな状態でゲヘナの中を歩こうというのですか? 車椅子引いてあげますから、大人しくしていてください」
「アコ、私は……」
「怪我が悪化したらどうするんですか? ほら、早く座ってください」
「……うん」
アコに車椅子を引かれ、私は病院の外へ出た。出た直後、アコがなぜか首輪を取り出し、私に付けてきたのだ。リードも彼女の手に握られており、それは私の首輪に繋がれている。わけがわからず、首を傾げてしまう。
「あの、これは一体……」
「先生がまた無茶をしないための道具です。この前先生にやられたことの仕返しですから」
「いや、でもこれは……」
「ダメです。先生は見張っておかないと危なっかしいですから」
アコに車椅子を押されながら、ゲヘナ自治区内を歩いていた。通りかかる人たちは私たちを見てはギョッとした表情でこちらを見るが、すぐに目を逸らしてそそくさと去っていく。足負傷、車椅子、首輪にリード。明らかにアコが異常者として極まってしまっているのだが、彼女は気にも留める様子も見せない。
過呼吸が止まらないのを隠しながら、ゆっくり肩を上下させながら呼吸をする。
「先生、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが」
「え……? あ、うん……大丈夫……」
アコは心配そうな目で私を見るが、私は曖昧な返事しかできなかった。アコとは何も会話ができず、こんな状況の中、ジョーク一つすら言う余裕すらなかった。彼女から仕事の愚痴のようなものをポロポロとこぼしていくが、耳を通り過ぎていく。
「先生、あの……」
「うん……?」
「……いえ、なんでもないです」
アコは何か言いたげだったが、それを口にすることはなかった。
アコと一緒にヒナが居そうなところを一つずつ回ってみる。風紀委員会、ゲヘナ学園の校舎、そして最後に残ったのはヒナの家。
「委員長はここに居ますね」
「わかるの?」
「当然です。さあ、ここからは先生一人で行ってください」
そう言いながらアコは首輪を解いていく。持っていた松葉杖を渡され、片足を地面につける。
「恐らく、今委員長が一番求めているのはあなたでしょうし、あなたが一番必要としているのは委員長のはずです。だから、思っていること全部委員長にぶつけてあげてください。重要な作戦の前ですから、ちゃんとしてくださいよ? 先生」
「う、うん……。わかった」
アコに言われた通り、私はヒナの家へ向かっていく。扉の前に立ってインターホンを鳴らしてみるが、反応は無い。
「ヒナ、私だよ……」
そう声をかけるとゆっくりとドアが開き、パジャマ姿のヒナが顔を出す。
「先生……」
彼女は私を見て少し驚いた表情をしたが、右脚に目線をやってすぐに悲しげな表情に変わる。
「生きていたのね……。良かった……」
「うん、なんとかね」
「……入って」
ヒナに促されて家の中へ入ると、やはり中は事務的な物や書類が散らかっていた。カーテンが閉ざされた、薄暗いリビングに通される。右脚に気をつけながらソファに腰掛けると、ヒナは隣に座った。
「何しに来たの……? 協力してと言われても、もう私は……」
「様子を見に来ただけだよ。無事かなって」
無理に作った笑顔で、ヒナを励まそうとする。
「あの、ヒナ。調印式の時はありがとうね。助けてくれて。あの時見つかっていなかったら、私は死んでたかもしれない」
「別に、私は……。先生を助けられなかった。傷ついていく先生を一人で見ていることしかできなかった。何もできなかった」
「……右脚はまだ何とか動くよ。切除するかどうかも判断分かれたけど、何とか治療できそうなんだ。だから……私は大丈夫」
嘘を言った、私はもう大丈夫じゃない。
「先生、本当にごめんなさい。あの時、私がもっとしっかりしていれば……」
「ヒナ」
何とかヒナを励まそうとしてもいい言葉なんて出てこない。
「ずっと頑張ってきたんだもんね。だからちょっと立ち止まろう。あとは私がなんとかするから、ヒナはゆっくり休んで」
「……待って、また一人で行くつもり?」
「うん。だって、みんなを救いたいから」
その言葉にヒナは沈黙してしまう。次第に肩が震え始め、ヒナは俯いてしまう。
「私は、小鳥遊ホシノのように、先生を守れない……」
「ヒナ……?」
「常にそばに居て、何があったら真っ先に飛び出すような、強い彼女に私はなれない……! 私だって、先生を大切に思っているのに……! なのに、何もできない……!」
ヒナは涙を流しながら、私に訴えかける。
「こんな傷だらけの先生にした自分が許せない! もっと先生と一緒に居れば、もっと力があればって……! 構ってほしかったし、褒められたかったし、頼りにされたかった! でも、もう私は……!」
「ヒナ」
泣きじゃくる彼女の肩にそっと手を置く。彼女は顔を上げて私を見つめる。
「もっと一緒に、何かしよう。補習授業とか、水着パーティとか。ショッピングモール巡りでも、ゲーセンに行くのも。ヒナがしたいこと、全部やろう」
「先生……」
「だから、今は休んでて。また元気になったらさ……一緒に遊ぼう?」
「……うん」
ヒナは涙を拭い、小さく頷いた。そして私は立ち上がり、彼女の頭をそっと撫でる。
「じゃあね、ヒナ。行ってくるよ」
松葉杖に支えられながら立ち上がる。重い足取りで一歩ずつヒナの部屋の中進んでいく。だが、その時だった。
私の仮面が壊れた。
何も起きてないはずなのに、突然泣きたい衝動にかられる。何とか堪えてヒナの家から出ようとする。だけど杖で支えられなくなり、床に倒れてしまう。何もかも止まらない、止まれない。
「先生!?」
ヒナが慌てて私の元へ駆け寄って、私は泣きながら彼女に訴えた。
「ごめん……! もう、ダメ……っ!」
「……え?」
「もう、全部投げ出したい……! もう、何もしたくない。全部終わりにしたい……! もう痛いのも、苦しいのも……! 何もできない自分も……! 生きてるだけで、苦しいの……! 未来なんかどう変えたら分からないし、私は先生じゃない! みんなと一緒にいる青春がずっと欲しかったのに、もう手に入らない……! でも、逃げたくない……。逃げられないの……!」
「先生……」
「もう楽にして欲しい! でも、出来るのが私しか居ないから……! だから、もう……」
「先生っ!」
ヒナが私を強く抱きしめる。そして彼女は私の耳元で囁いたのだ。
「先生も、ずっと頑張ってきたのね。もう、休んでもいいのよ」
私はヒナに抱きつき、彼女の胸の中で泣きじゃくる。今まで溜め込んでいたものを全て吐き出すように、声が枯れるまで泣いた。その間、ヒナはずっと私を抱きしめてくれていた。
しばらくの間、ヒナの部屋の中で私は力もなくソファの上で横になっていた。急がなければいけない状況だということを忘れて、ただヒナに甘えていた。コーヒーをもらったり、彼女が作った料理をあーんして貰ったり、膝枕をしてもらったり。ヒナとの時間は穏やかで、とても心地よかった。
「先生」
「どうしたの?」
「先生は……何かあったの? 未来を変えるとか、先生じゃないとか」
「……うん。私は先生じゃないんだ」
「え……?」
ヒナは驚いた表情を見せる。そして、私は全てを話した。私はもともと滅びたキヴォトスからやって来た元生徒だったこと。その未来を変えるために、先生としてこの世界線のキヴォトスやってきたこと。全て話した。
「そうなのね。今までのあなたに納得がいくわ」
「ヒナは、こんな話を信じるの?」
「あなたの目を見ればわかる。だから信じる」
ヒナは私の頭を優しく撫でる。
「……先生は、これからどうするの?」
「どうにかする方法を、今から探しに行くつもり。トリニティ、ゲヘナの戦力を集めて、飛び出して行った補習授業部の生徒を助けにいく」
「……そう、私も協力するわ」
「ありがとう、ヒナ」
「ちょっと待ってて、先生。今から準備する」
ヒナはいつもの風紀委員長として、テキパキと準備をする。私はそんな彼女の後ろ姿を、ぼーっと眺めていた。そしてコートを羽織り、大型のマシンガンを取り出す。そして最後に腕章を着けた。
「未来を変えましょう。先生」
――
また大勢でアリウスらと戦ったとしても、ユスティナ聖徒会をどうにかしない限りはまた同じ事の繰り返しになるだろう。どうにかする為の手がかりを探さなければいけない。
「先生……。どうしてそこまでして足掻こうとするのか。私にはわからない」
だから、セイアが居る夜のテラスへ、再びやってきた。夜空にはガラスのひび割れたような跡がまだ残っている。彼女はテラスの手すりに手を置き夜空を虚しく見上げる。
「百合園セイア、どうにかする方法は確実にある」
「証明できるのかい? その方法とやらを」
「ある。……前世界線にて、一度どうにかできているはず。私は前世界線にてアリウス生らと戦って、どうにかできた記憶がかすかに残っている。だからセイア、もう一度私の過去を見せて。止められる方法を探す」
「ああ、どの記憶を見たいんだい?」
「前世界線、私たちが覆面水着団としてトリニティ自治区内に乗り込んだ記憶を」
「わかった。一緒に見てみよう。先生の過去を」
セイアは私の手を取り、世界が急変していく。たどり着いた先は、前世界線の古聖堂跡だった。
ファウスト……ヒフミの呼びかけによって覆面水着団としてトリニティ自治区内に乗り込んだ私たち。『6』の数字が描かれた覆面マスクを着けたのが、前の世界線における私だった。そこで私たちはアリウススクアッド、他アリウス生らと戦闘を繰り広げることになる。
場面を進めて行く中で、補習授業部のそばにいた先生にずっと目を凝らして見続ける。そして、私はある言葉を聞いた。ヒフミが高らかに宣言した次の先生の言葉。
"ここに宣言する。"
"私たちが、新しいエデン条約機構。"
これだ。これが状況を打破する方法だ。
「新しいエデン条約を結ぶんだ。古聖堂跡という場所、ゲヘナとトリニティの重役を集めること、そして……元々条約を進めていた連邦生徒会長の代理として私が条約を結ぶこと。新しい戒律を作ってユスティナを無力化する」
「……なるほど、そう来たか。アリウスがやったことをそのまま返す、ということか。ふふっ……見えてないのは私の方だったようだね」
テラスに戻ってきたセイアは、クスクスと笑いながら再び夜空を見上げた。私は詰んだ状況のチェス盤に目をやり、駒を動して最初の状態に戻す。
「一ラウンドは負けた。なら、次のラウンドを始めればいい。まだ完全に負けたわけじゃない」
「先生、私は全てが虚しいと感じていた。でも、先生なら……。この虚しい世界を変えてくれそうだ」
セイアはようやく表情を変え、私を強い意志で見つめた。
「君に託すよ。私たちの未来を」
「うん、任せて」