シャーレの給湯室にて。コーヒーメーカーのボタンを押して二つのカップに黒い液体を注ぐ。片方は自分の分、もう片方はサオリの分だ。
コーヒーには特にこだわりは無いけれど、この香りと苦味が好きだったりする。
二つの器が満たされたらトレーの上に載せて運ぶ。そしてオフィスに入ると黙々と書類作業をやっているサオリの後ろ姿が目に入った。
「お疲れ様。はいこれ、コーヒーだよ」
「すまない先生。頂く」
今日の当番はサオリだ。当番の時、彼女自身は後ろめたい気持ちだったが、私が強めに頼んでここに居座らせているのだ。サオリ自身、書類仕事はは初めてだったので最初は私とマンツーマンで教えていたのだが、飲み込みが早く今では一人で出来るようになっていた。
彼女がカップを持ち上げ口に含む。
「苦い? 砂糖やミルクあるよ?」
サオリの表情はあまり変わらない。苦さに歪める訳でもなく、ただ無言でコーヒーを飲んで、目を閉じて小さく縦に頷く。
「いや、これでいい」
そう言ってまた作業に戻る。
私も自分の席に座ってパソコンを開く。今日中に終わらせないといけない資料があるのでそれを終わらせるためにキーボードを打ち始める。
「一人暮らし、どう?」
作業をしながら口を開いてみる。彼女は作業を続けたまま答えた。
「難しいものだな。各地でバイトを転々としているが、騙されて鉄砲玉にされるような事もあった……」
「大丈夫なの? 私一緒に見てあげようか?」
「いや、それは流石に悪い。それに先生には先生の仕事があるはずだ」
「私の仕事は生徒のお悩みを解決してあげる事だから」
「そうか。……いつか頼むかもしれない」
「うん。いつでも連絡してきてね」
「ああ」
会話はそれっきりだった。お互い黙々と作業をする時間が続いた。静かな空間の中でキーボードの打鍵音や電卓、ペンを走らせる音が響く。
時計を見るともうすぐ12時になろうとしていた。
「そろそろお昼ご飯食べない? 私が作ってもいいけど」
「いや、先生には……」
「遠慮しない。無償だからお金浮くよ?」
「そうか……。では頼む」
「任せて」
私は立ち上がってキッチンに向かい、冷蔵庫の中から食材をトントンと取り出してオムライス作りに取り掛かる。食材を切ったり炒めたら、最後に卵を焼いて半熟気味にしたらライスの上に乗っけて完成だ。なお、ナイフを入れたら中のふわとろ卵が溢れてくるようなそんな芸当は出来ないから普通に作った。
「召し上がれ。ケチャップにハートは?」
「ハート? とりあえず頼む」
「はーい」
サオリはある意味無知なので、こういう事を言っても不思議そうな顔をされるだけ。そんな様子を見ると悪い大人に騙されたりしてないか、余計に心配になる。
ケチャップを開けて、黄色の上にハートマークを描いたら召し上がれと差し出す。
「アリウスでは温かいものとか食べれてた?」
静かにスプーンを動かし続けるサオリに対して質問を投げかける。
「……いや、硬いものや冷たいものがほとんどだった。罰として食事を与えられないことも何度かあった」
「そう……」
やはりアリウスの環境は酷いものだったようだ。アリウススクアッドはある意味救われたものの、まだ多くの生徒が主なき学園生活を送っている。その生徒達はどうしているのか、気になってはいる。
「味はどう?」
「美味しい。……ヒヨリが居たら、泣いて喜んでそうだな」
「『うわああぁぁぁん! もっとおかわりください!』という感じに?」
「ふっ、そんな感じだ」
渾身のモノマネに笑みを浮かべてくれたサオリを見て安心する。
「それにしても、先生の料理の味は……今まで食べてきた温かい料理とはまた違った温かさがある。軽食を買うことが時々あるが、全く違う。……なんというか、優しい味だ」
「家庭の味、かな。見返りの無い善意をさりげなく混ぜた、特に凝った手間もかかってない、簡素な料理。店で食べるものとは物足りないかもしれないけど、誰かに向けて作った料理だからね」
「なるほど、家庭の味か。これはそういうものなんだな」
サオリのコップに水を足し、私は自分の分を飲み干す。ふと、思い出したことがありサオリに質問する。
「ベアトリーチェの支配が無いアリウスは今どうなっているのだろう」
「分からない。だが、今までの私たちと同じように苦しんでいる生徒は必ずいるはずだ。私たちだけが救われて、他はまだ苦しんでいる。……いつかはこの現状を何とかしたい」
「そうだよね。私もどうにかしたいと思ってるけど、今は色んなことに手を回しているから……」
「私たちだけでは心もとない。……大きな組織からの支援がなければ今のアリウスを立て直すのは厳しいだろう」
「トリニティ総合学園とか」
「ああ、だが……私たちはお尋ね者だ。そんな私たちの意見を聞き入れてくれるとは思わない」
「ううん、ミカがいるよ。……ナギサだって、助けてくれるはず。でもすぐには解決しないと思う」
「そうだな。……すまない、愚痴のようなことを言ってしまったな」
「気にしないで。私もサオリと同じ気持ちだから」
サオリは静かにスプーンを置いた。
「ご馳走様。ありがとう、先生」
「まだだよ、パンケーキに紅茶もあるから」
「パンケーキ? いや、さすがにそこまでは」
「遠慮しないで。これくらいさせて」
「……分かった。いただこう」
空の皿を持って席を立ち、キッチンで水につけておく。次にパンケーキの粉、牛乳、卵を取り出して、ボウルで生地を作る。全部混ぜたら泡立て器を握って生地をかき回していく。
「手慣れてるな」
「そうかな? ときどき作ってあげることがあるからね」
このぐらいかなとかき混ぜたら生地をフライパンに流し込む。
「サオリもひっくり返してみる? 楽しいよ」
「いや、私はいい」
「失敗してもいいからさ。ほら、こうやって」
サオリの背後に回って彼女の手にフライ返しを持たせる。生地の焼き加減を見て、フライ返しでパンケーキをひっくり返すのだが……。
「っ、すまない!」
フライ返しがうまくパンケーキをひっくり返せずに、中途半端に生地がひっくり返らず、べちゃりと落ちる。サオリは恐れるようにフライ返しを手放した。
「もう、体罰とかしないからそんな怖がらないで。このパンケーキはこうやってっと……」
失敗したパンケーキはさっと直して、出来上がったら私の皿に載せる。
「サオリ、もう一回。コツは気持ち大胆にひっくり返す事だよ」
「あ、ああ……」
生地をフライパンの上に流して、また生地を見つめる。
「そろそろかな。サオリ、いいよ」
「次は失敗しない……!」
「大丈夫、サオリならできるよ」
またフライ返しを握らせて、今度は私が彼女の手に自分の手を重ねる。
「こうやって、はい!」
今度は上手くひっくり返すことが出来たようだ。サオリは安心したような表情を浮かべる。
「掴めた?」
「ありがとう、先生」
こうして皿に三段のパンケーキを盛り付けて、最後にシロップをかける。
「次は紅茶だね。インスタントでも大丈夫? トリニティ生のようにこだわりはある?」
「いやこだわりはない」
「分かった、ちょっと待っててね」
ティーバッグを入れてケトルのお湯をカップ注ぐ。テーブルの上に紅茶とパンケーキを並べて二人で席に座る。
「いただきます」
サオリはフォークとナイフでパンケーキを切り分け、口に運ぶ。私はその様子をじっと見つめる。
「甘い?」
「ああ、とても」
「良かった。じゃあ私も……」
パンケーキを一口サイズに切り分けて口に運ぶ。うん、美味しい。サオリも気に入ったようで黙々と食べ進めている。しばらく沈黙が続いたが、サオリの方から口を開いた。
「先生、質問をしてもいいか?」
「いいよ」
「先生は……どうして私にそこまでしてくれるんだ?」
「なぜって、サオリも不器用な生徒だからだよ。あなたも見てないと心配で」
「すまない……」
「ほーら、そういうところ」
「う、すまない……」
サオリは申し訳なさそうに俯く。私はそんなサオリの頭を撫でる。
「もっと図太く生きなさいな、変に真面目なのは損だよ?」
「そうは言っても、私はアリウスの……」
「もう関係ないよ。スクアッドの元リーダーさん」
「先生は、意地悪だ……」
サオリはそっぽを向く。私は笑いながら謝る。
「ごめんね? でも、サオリが可愛いからつい」
「かわっ……!?」
「あ、照れてる。可愛い〜」
「か、からかうな……!」
サオリは顔を真っ赤にして怒る。私はそんなサオリを微笑ましく見つめる。
「ほら、冷めちゃうよ?」
「……分かった」
こうしてデザートのパンケーキを食べ終わると、サオリはあるお願いをしてきた。その願いを聞き入れ、私はソファに座る。
「本当に触って大丈夫か? 先生」
「二言はないよ」
サオリの指先は私のワイシャツのボタンに触れる。二つ丁寧に外していくと、捲し上げて私の脇腹にある跡をなぞった。調印式にてサオリのアサルトライフルが貫いた銃創跡、ゆっくりと慎重に指肉でなぞる。
「痛いか?」
「もう痛くないけど、くすぐったいよ」
「すまない。だが、この傷は……」
「うん、私がサオリに撃たれた跡」
次に右足のズボンを彼女は捲り上げ、大きな銃創跡を撫でた。
「これは……ヒヨリが」
「うん」
「すまない。本当に……」
「サオリ」
静かになるべく感情を込めずに彼女の名前を呼ぶ。
「これは、あなたたちアリウススクアッドに課せられた罪の証。でも、私が背負わせてしまった罪でもある。一人で背負うものでは無いんだよ」
「先生……」
「サオリたちは、アリウスで育ったこと自体が罪なのかもしれない。でも、無知がもたらしたものなら、私が責任を持ってあなたたちを導いてあげる。だから生きてと私はサオリに言った」
「……」
「赦しは私だけでは与えられない。でも……時がいつかあなたたちを赦してくれるはず。……と言ったはいいけど、私は神さまについては詳しくないんだよね。シスターフッドに怒られないかな」
サオリは私の前で片膝ついて、静かに私の傷を撫でた。言葉は発しなかった。でも、その目には涙が浮かんでいた。背負った十字架に潰されそうな、そんなサオリを無理やり手を引っ張って立たせたら、私の胸の中に収めた。
「跡は、いつか手術で消してもらおうと思う。こんなのあったら、へそ出しのストリートファッションもできないし。だから、サオリも気にしないで」
「ああ……」
「私は、祈りつづけるよ。みんなの未来が明るくなるように。だから、サオリも前を向いて歩き続けて」
次はカズサのお話です。