黄昏のハウリング 1
シッテムの箱の中。一部が崩れた教室に外側には青空と広がる海、山積みの机と椅子があった。
私の秘書、アロナは座って何か作業をしていたらしく、システムの管理か、データの整理か。でも私が来たことで気配に気づいて振り向いてきた。
「先生、おかえりなさい! その袋は……?」
アロナの目線は片手に持っていた袋へ。袋を差し出しながら、
「これ、今日の帰りに買ったんだ。たまたま駅地下のデパートでセールやっててね」
と机の上に置く。彼女が袋を覗き込むと、
「ありがとうございます、先生! わーい! イチゴミルクだー!」
嬉しそうにイチゴミルクとパンを受け取る。空間にバターの香りが広がり、私もクロワッサンを一つ取り出す。
「あむ……。うん、おいしいです!」
「美味しいよね。昼間は行列ができているから、なかなか買えないんだよ」
「なるほど~、買えてよかったですね!」
一口食べる。サクッとした音にバターの香り、そしてほのかな甘みが口に広がる。アロナの隣に座って、特に何をするでもなく窓の外を見ている。二人の間に流れる、静かな時間。ふと、口を開く。
「振り返ると、随分と長い旅をしてきたね……」
「そうですね。このキヴォトスで、いろいろな生徒さんとお会いしました」
アロナが懐かしむように目を細める。
「アビドス高等学校を助けに行って、ミレニアムサイエンススクールのゲーム開発部のお手伝いをして、トリニティ総合学園の補習授業部の顧問になって、SRTとヴァルキューレを巡る事件を解決して、アリウス分校で戦って……。本当に、いろいろな生徒さんとお会いしましたね」
「うん。辛いことも、しんどいことも色々ありすぎたけど、なんとかなったね」
窓の外では青い海が光を受けてきらきらと揺れていた。山積みの机と椅子が作る影が教室の床に伸びている。崩れた壁の向こうにどこまでも続く空。この場所は不思議だといつも思う。壊れているのにどこか温かい。
「……アロナ」
「どうしましたか?」
「ここに来た最初の頃と比べて、私はどれくらい変わったのだろう?」
「うーん……。そうですね、最初の頃の先生は……」
アロナは少し考えてから、口を開いた。
「すごく難しい顔をしていました。怖いというか……何かをずっと堪えているような」
「……うん」
「でも、今は違います。なんか、色々とふっきれたというか……。先生らしくないけど、それでも先生らしいというか……」
「うん?」
アロナが言葉を詰まらせる。何か、言葉を探しているような。でも、すぐに笑顔になって、
「今の先生は……すごくいいと思います! 前よりも、ずっと!」
「……そっか」
私は少し考えてから口を開いた。
「……あともう少しだけ、よろしくね」
その"あともう少し"に込められた意味をきっとアロナは分かっている。でも、
「はい! よろしくお願いします!」
そう元気に答えた。
――
その日はホシノからのメッセージが届いていた。今日はアビドスでやらなきゃいけない事があるらしく、シャーレを離れていた。
『久しぶりにアビドス来ない? 特に用事はないけどさ』
『特に用事はないのに呼ぶの?』
『なんか、来て欲しくなった。ダメ?』
『行くよ』
『ありがとね。待ってる』
そんなやり取りをして、ボロボロの車に乗ってアビドスへと向かう。数時間砂漠の中を走って、やがてアビドス高等学校が見えてくる。久しぶりに訪れる校舎。変わっていないようで、少しだけ変わっている。なんというか、少しだけ手入れがされて、綺麗になっている気がする。
駐車場に車を停めて校舎の中に入る。靴箱の並んだ玄関で持参した屋内靴に履き替えて廊下を歩く。少し砂交じりの床をしっかり踏みしめて歩き、そして対策委員会の教室をノックして開けると、いつもの五人が揃っていた。
「待ってたよ~先生」
「お待たせ。みんなもお久しぶり」
「久しぶりですね、先生☆」
「お久しぶりです!」
「久しぶり」
「く、来るなら来るって事前に言ってよホシノ先輩!」
「あはは、ごめんごめん~」
私が来ることは事前に知らせてなかったらしく、セリカがホシノに怒っている。
「今日はどんな用?」
「アヤネちゃんがね、学校を大掃除しようということだけど、うちは常に人手不足だから先生を呼んだんだ~」
「わかった。手伝うよ」
「ありがとうございます、先生」
アヤネが頭を下げる。そしてみんなは体育着に着替え、私はワイシャツ姿になって大掃除開始。アヤネの指示に従って、みんなで掃除を始めた。
ほうきでゴミや砂を掃き出して、モップで床を磨いて、窓を拭いて。粗大ごみをノノミと協力して校舎裏の倉庫に運んだり、セリカと一緒に机や椅子を運んだり。アヤネと捨てるか捨てないかの相談をしたり。ちなみにホシノは寝てサボろうとしてセリカにしばかれていた。
こうやってアビドスのみんなと一緒に掃除していると、まるで私も生徒に戻れたようで、なんだか不思議な感じ。ある意味、かなわない夢が叶ったのかもしれない。掃除は朝から始まって真昼まで続いた。
「ふい~終わったね~」
ホシノがぐぐっと伸びをする。私はアヤネに聞いてみた。
「これで全部?」
「はい、これで終わりです。先生、ありがとうございました」
アヤネが頭を下げる。
「どういたしまして。お昼ご飯、食べたくなったね」
「では、柴関ラーメンにみんなで行きましょうか☆」
「いいね。よし、また私が奢るよ!」
「いいの!?」
「早く行こう」
六人で学校を出て柴関ラーメンの屋台へと向かう。そういえばこの世界では屋台になってから訪れたことは無かったなと思い返しながら、ラーメンのいい匂いが漂う屋台へ。
「いらっしゃい! って、先生じゃないか。見ないうちに結構大人っぽくなったね!」
「久しぶりです。……あなたに教えてもらった大人の責任、だんだん分かって来ました」
「そうかい、それはよかった! ……すまんがお嬢さんたち、席が三つしかなくてな。誰か近くのベンチで座って食べることになるが」
「じゃあ、おじさんが~」
「私もベンチで」
ホシノ、アヤネ、ノノミがベンチで。シロコ、セリカの間に挟まれて、私が屋台の席に。
「じゃあ、先生! 注文をどうぞ!」
「ジャンボとライス大盛り。油多め味濃いめ麺硬め、ニンニク抜きで!」
「先生!?」
「いっぱい食べるよね~」
「前も頼んでいたね」
それぞれが注文をしていく。そしてしばらくして私のラーメンが到着する。
「はい、ジャンボとライス大盛り!」
湯気の立つどんぶり。油が浮いた濃いスープ、麺は山盛りだしスープも器から溢れそうになっている。
「いただきます」
箸を割って、一口すする。
「……変わらないし、美味しい」
「だろう! うちの味は変わらないよ」
柴大将が誇らしげに言う。確かに変わらない。いつ、どんな時だって。隣でセリカが食べていて、反対側のシロコは黙々と麺をすすっている。ベンチの三人も楽しそうに食べている声が聞こえてくる。なんだか、胸がいっぱいになった。
「……先生、顔が変だよ」
隣のシロコに言われて、はっとする。
「どんな顔?」
「泣きそうな顔」
「味に感動したからだと思う」
「……そっか」
シロコが少し間を置いてから、小さく言った。それ以上は何も聞かなかった。みんなが食べ終わった後、お代を払って柴大将にお礼を言って屋台を出る。アビドスの校舎に戻ったら、早めの解散をホシノが提案。みんなが賛成して、ホシノを除いて散り散りに帰って行った。
みんなの背中を見送る中、ホシノが隣に来て、
「先生。ちょっとだけいいかな」
と聞いてきた。
「……いいよ」
ホシノが歩き出すので私もついていく。校舎に再び入り、階段を上って廊下を歩いていく。
「先生がよくいた教室はどれだったかな?」
「……ここ」
ホシノがすぐそばの教室のドアを開けて、中へ。私も続いて入るとホシノはドアを閉めた。
「よく座ってた席は?」
「窓際」
「じゃあ、ここだね。座って」
ホシノに促されて、席に座る。その向かいにホシノも座った。
「先生、久しぶりのアビドス高等学校はどうだった? 懐かしかった?」
「うん、懐かしいよ。でも……それ以上に、嬉しかった」
「そっか。それはよかった」
ホシノが少し意外そうな顔をする。嬉しかった、という言葉を予想していなかったように。
「嬉しかった、か」
「うん。みんなと一緒に掃除して、ラーメン食べて……こういうの、結構久しぶりだったから」
ホシノが窓の外を見る。太陽の光が教室に斜めに差し込んでいる。
「……前の世界線では、こういう日は長く続かなかったんだね」
「うん。ある時からずっと一人で」
ホシノが少し間を置く。
「先生って、一人で戦ってた時、怖くなかったの?」
「怖かったよ。でも……怖いとか考える余裕もなかった。ただ、次の日をどう生き延びるかだけを考えてた」
「……そっか」
彼女が机の上で指を組んで、指先が迷う。
「……何か、聞きたいことがあるんじゃないの?」
「……バレてた?」
「なんとなく。わざわざ二人にしたから」
彼女はため息を一度ついてから、少し間をおいて口を開いた。
「先生は……もしかしてシロコちゃんの事避けてる?」
「!」
思わず、ホシノの顔を見る。彼女はじっと私を見つめていた。
「……どうしてそう思うの?」
「なんとなく。ずっとそんな感じがしてたから」
ホシノが机の上で組んだ指に少し力を入れる。
「先生はシロコちゃんが嫌いなの? シロコちゃんのことを見る時だけ……目が違う。他のみんなを見る時と。きっと怖いわけじゃないと思う。でも……なんか、遠い。ガラス越しに見てるみたいな感じ」
「……気づいてたんだね。でも嫌いじゃないよ。ただ複雑で……」
「複雑?」
私は少し言葉を選ぶ。ホシノにどこまで言っていいのだろうか、いや全部話してもいいのか。
「聞いてもらえる?私の前の世界での話」
彼女はうなずき、ゆっくり思い出すように語り始めた。
「私の世界では……シロコの世話をしたのは私だった。彼女を私の家に住まわせて、ご飯を作ってあげて……。すっごくやんちゃだったけど、時間が経つうちに、少しずつ大人しくなって……。なんというか、妹みたいになった。でも……前言った通り世界が終わった。当時二年生だった私はそれから二年間、一人で生き続けた。でもそんな私を終わらせたのは……シロコだった。シロコが、私を殺した」
そんな事実にホシノは啞然としていた。
「シロコちゃんが先生を? どうして? あれだけ一緒にいて、あんなに仲良かったのに……」
「シロコが悪いわけじゃない。色彩に飲み込まれたシロコは、もうシロコじゃなかったから。でも……今のシロコの顔を見ると、あの瞬間が蘇って」
私は目を伏せる。
「怖いわけじゃない。ただどう向き合えばいいか分からない。近づきすぎてしまったら、何かが溢れそうで」
私はホシノを見る。彼女は少し考えてから口を開いた。
「……先生、一つだけお願いしていい? シロコちゃんと、向き合って欲しい」
何も答えが出せなくなった。うんと言おうにも怖くなって喉が詰まるし、いいえと言おうにもホシノの真剣な眼差しが私を逃がさない。
「……無理にとは言わないよ。でもさ」
ホシノが窓の外を見る。
「先生も私とユメ先輩の事は知ってるでしょ? 向き合うのが怖いのは分かる。でも……逃げ続けるのはもっとしんどいよ。先生が一番よく知ってると思うけど」
彼女が少し笑う。困ったような、でも優しい笑み。
「答えなくていいよ。ただ……考えてみて」
そして席から立ち上がった。
「帰ろう。暗くなる前に」
ホシノに促されて、私も立ち上がる。教室を出て廊下を歩く。ようやく出せた答えが、
「真剣に、本当に、考えてみるよ」
だった。ホシノは笑って、
「うん。あまり考えすぎないようにね。じゃあ、またね」
と手を振って帰っていった。