幽閉からどれくらいの時間が経過したのだろうか。慣れないベッドの上で身体を起こし、無機質な白い壁をただ眺めていた。
ここは恐らくアビドスの領内、カイザーPMCの基地の地下施設だろう。窓は一つもなく、外の様子は伺えない。
太陽の光もしばらく浴びておらず、時計も無いので時間は正確に分からない。
着けているものも病衣のみ。というのも黒服の実験に付き合わされているのだ。
危害を加えられる事は無かったものの、病院の検査のように様々な事を調べられた。血液を取られ、レーザーで全身を走査され、脳波の測定もされた。ただ、黒服が私に何かする訳でも無く、ただ淡々と実験をこなすのみだった。
「先生おはようございます。まずは白湯をどうぞ」
黒服がトレーの上にコップを乗せて、部屋に入ってくる。
「ようやく先生のデータが揃いました。今回の検査を終えた後じっくりとお話ししましょう」
黒服は私にコップを手渡す。
「悠長に研究しているけど、カイザー理事への言い訳は大丈夫なの?」
コップを受け取り、白湯を一気に飲み干す。
「クックック……。理事は私に依存せざるを得ない立場です。私が言っておけば彼はそれに従います」
黒服は笑いながら語る。彼らが私に手を出せないのは、ある意味黒服のおかげでもあった。
「では行きましょうか先生」
黒服はそう言うと部屋を出ていくので、私もその後を追う。
長い廊下を歩いていき、突き当たりの扉を開けるといつもの実験場だった。黒服は別通路へ入っていき、私は病衣一枚脱げば生まれたままの姿になった。検査を行う時はいつもこうしなければならないのだ。でも慣れてしまったのか、病院で検査を受ける時と同じような感覚になっていた。
指定された場所に立って両手を真横に伸ばす。少し経つと機械が動きだし、無数のレーザーが私の身体を解析しスキャンしていく。立ったまま動かず、ただその感覚に身を任せた。
「先生、検査は以上です。朝食を用意しましたのでしばらく部屋でお待ち下さい」
検査が終わると再び病衣を着直す。一人で再び長い廊下を歩いていく中、カイザーPMCの連中とすれ違ったが、彼らは私をまるで居ないかのような無視をして通り過ぎた。
廊下をしばらく歩いて部屋に戻ればテーブルの上には朝食が用意されていた。冷たい携帯食料のようなものを口に突っ込み何とか飲み込む。次に透明で透き通った水を口に含みゆっくり飲み干していく。
ふと、アビドスの皆は大丈夫だろうかと心配していた。
私が連れ去られる前に、ホシノの置き手紙を捨てて代わりに私の手紙を置いておくようにした。彼女らは私が望むように上手く立ち回れているのだろうか。助けに来ると確信はしているが、少しの不安はあった。でも前の世界と比較したらホシノも一緒に戦っているだろうし、アビドス生徒会がまだ残存している以上カイザーPMCが侵攻することもできないはず。そう信じて私はただ待つだけだった。
「先生、少々お時間を頂けますでしょうか?」
黒服が部屋に入ってくる。私の真向かいの席に座り、またもテーブルの上に両肘をつき手を組んだ。
「連日検査行ったところ、興味深い結果が出ました。今回はそれをお伝えしに参りました」
「何の結果が?」
私は少し身構えるが、黒服は淡々と続けた。
「まずは先生がキヴォトスにとって招かれざる客である、その事についてです」
黒服は一呼吸置き話を続けた。
「先生は恐らく『反転』についてよくご存知でしょう」
「知ってる。その身に散々な目に遭ったから。もう御免被る程に」
そう吐き捨てた。黒服は表情を変えずそのまま話を続ける。
「本来、神秘反転は色彩との接触、感情の極度な起伏によって引き起こされるとされています。しかし先生の反転は、違う要因から起きているのです。そしてその要因がこのキヴォトスにおいて脅威とされています」
黒服は続ける。
「あなたは前の世界線にて極度の絶望を常に持ち合わせていた。しかし頑なに色彩との接触を拒み続け、恐怖と成る精神力すら持ち合わせなかったのです。だからあなたはその絶望にすら気付けずただ彷徨うだけの存在でしかなかった。それが私達にとって未知の現象、『虚無』へ至ったのです」
「つまり……?」
「あなたは正常な立ち振る舞いを常にしていながら、既に反転している状態なのです。あなたの名前の後ろに『テラー』が付くべき存在。それが今の先生です」
「そっか、そうだったんだ……」
「自身の状態についてあまり驚かないのですか?」
「納得は行かないけど、理解はした。……いつの間に彼女達と同じような存在になっていたんだ」
「話には続きがあります。この虚無という現象には大きな脅威があり、先生はキヴォトスを壊滅させる力を意図せず有しているのです」
私の中の時が止まった。
「……は?」
「あなたの中には今まで蓄積されてきた膨大な負の値が眠っているのです。これはどの神秘よりも大きく、外に放出してしまえば破滅的レベルの損害をキヴォトスに与えるでしょう。先生、あなたは救世主としての役割を与えられながら、世界を終わらせる『爆弾』を抱えた存在なのです」
黒服はそう淡々と告げる。私はその言葉の意味をゆっくりと噛み砕くように頭の中で反芻した。そしてようやく理解し終えた後、小さく笑った。
「あーあ、何度絶望しても足りないのね」
次に黒服が私の注射器をテーブルの上に置いた。
「こちらの注射器ですが、先生。今後の使用をどうかご遠慮下さい」
「何か分かったの?」
「ええ、一部ですが。この道具を我々は『アセンション』と仮称しました。これは元生徒であるあなたを強引なプロセスで無理矢理生徒という型に嵌めるものです。それによりあなたはヘイローの一時的修復という恩恵を受けられます」
「でも代償があるのでしょう?」
「ええ。本来、人は時間の経過とともにその人を形成する情報と記憶を拡大させていくものです。しかし生徒の型に嵌めるという事は、情報と記憶を不可逆的に縮小させるのです」
「私は授業を受けに来たわけじゃないの」
あくびをしながら吐き捨てた。
「クックック、簡単にお伝えしましょう。アセンションは使用すればするほど『再反転』を招き破滅的な結果をもたらす危険性があります。そうでなくともあなたはいずれこの世界へ二度と戻れなくなるでしょう。それはあなたが一番欲しいものを差し出し、代わりにあなたと世界の繋がりを希薄化させてしまうのです」
「私が抱える爆弾を、このアセンションが火種となって爆発する。でもこれは私に力を与えてくれる……」
「ええ、注射器があなたの虚無を暴走させるトリガーになり得ます。だから使用を控えて頂きたいのです」
「わかった。控える」
「賢明な判断、感謝します」
黒服は一呼吸置き、近くのピッチャーを手に取って私のグラスに水を注いでくれた。
「私が話し続けてもあなたはつまらないでしょう。何か先生の方から質問があればどうぞ」
黒服の人外なる目が恐らく私の顔を覗いていた。
「……じゃあ、一つ」
私は財布から黒いカードを取り出す。
「これは大人のカード……のはず。何か力が秘められているはずなのに使おうとしても使えない。どうしてなの?本当は普通のカードなの?」
黒服はそのカードを摘まむ。表裏の面をまじまじと見つめながら黒服は答えた。
「これは紛うことなき大人のカードです。が、そのカードに秘められた力を扱う資格が無いようです。何故かは私でも不明です。これもまた私の推論ですが、あなたはまだ大人として認められてないからではないでしょうか」
黒服はカードを返してきた。
「一つ忠告しておきましょう。このカードは限度額がかなり低く設定されています。あまり使用されていませんが、ご利用はくれぐれも計画的に行うように」
「それは……大丈夫だから」
「ええ。……では、話を変えましょうか。今後のあなたの処遇についてです」
黒服は話を続ける。
「先生は現在、カイザーPMCに身柄を拘束されていますが、実質私の管理下にあります。今からあなたの身柄をカイザーPMCに引き渡しますが、危害を加えられるようなことは決してありませんのでご安心を」
「大人しく拘束されろってこと?」
「ええ、あなたの神秘を抽出し現在カイザーコーポレーションが所有する土地に眠る古代の遺産を探し当てるためのエネルギーになってもらう。……という私が考案したカバーストーリーに協力をお願いしたいのです」
「私は実験体にされて、要らなくなったら用済み扱いするのね」
「その心配はありません。間もなくアビドス対策委員会の方々とその協力者達があなたを助けにこの基地へ乗り込んでくるでしょう。ホシノさんが全力で乗り込んでくる以上、もはやカイザーPMCに勝ち目はありません」
私は間もなく救出されると聞き少しホッとした。黒服は続ける。
「そして私は今から一つのことをあなたに確約しましょう。これはあなたの今後に大きく関わることです」
「何なの?」
黒服はテーブルの上に両肘をついて、こちらを見据えた。
「私達ゲマトリアはあなたへ無償の援助を約束しましょう。解析したデータを元に、あなたが持つ虚無への対抗策を私達も研究していきます。何より先生がどのようにしてこのキヴォトスに影響を与えるか、ゲマトリア全員が興味を持っていますので」
黒服からの援助の約束に首を傾げたくなった。奴は敵なのか味方なのか曖昧になり、その真意が掴めない。
「では、先生の身柄を今からカイザー理事に引き渡します。両手を」
黒服は私にそう告げた。私は両手を前に差し出すと両手首を手錠で拘束した。
「では行きましょうか」
黒服は私の手を引いて部屋の外へ向かい、基地の地下通路を歩いていく。やがて司令部にあたる大きな空間にたどり着いた。私の目の前には大きなロボットことカイザー理事が私を見下し佇んでいた。
「解析が終わりました。次の段階へ進みましょう。先生の力を使い、地下に眠る遺産の居場所を特定します」
黒服はカイザー理事にそう告げる。
「わかった。次はどうする?」
「彼女を実験区域に連れて行き神秘を抽出します。完全に抽出出来れば彼女はもはや用済みとなります」
「そうか、では頼んだぞ」
カイザーPMCの警備が背後に二人加わり、黒服の後ろを歩かされながら地下深くへ続く通路を降りていく。
やがて冷たい壁に鉄製の大きな扉が見えてくる。黒服が扉の横に設置された端末にパスワードを打ち込むと、扉はゆっくりと開く。中に入るとかなりの広い空間が広がっていた。そして中央には十字架を模したような大きな装置がある。
「彼女を装置に拘束してください」
黒服がそう告げると、警備達が私の手錠を解除して四肢を無理やり十字架に拘束する。かなり硬く頑丈で今の私では到底破壊も脱出もできない。
「今のあなたに与えられた役割を考えれば、磔にされるのはとても皮肉めいた事ですね。では私はこれにて失礼します。また会いましょう、先生。ゲマトリアはいつも見守っております」
黒服はそう告げ、警備二人を連れて大きな空間から出ていった。扉が閉まる大きな音を最後に、静寂と暗闇が空間を包み込んだ。私は観念して目を瞑ると触覚が鋭くなり、絡みつくような鉄製の冷たさが私の身体を蝕んでいった。
「先生……」
小さく口を開き、今は居ない恩師の名前を呟いた。
――
「先生、やっぱり私はこういう立場合ってないよ。自信が持てない」
夕焼けの教室にて、私は目の前の大人にそう告げた。
"どうして自信が持てないか、教えてくれない?"
そう問われる。私は少し躊躇いながらも淡々と続けた。
「私は生徒を救えない。生徒に道を示してあげられなかった。傷付けてしまうことも沢山あった。私は先生失格だよ」
目の前の大人は黙っていたが、少し経つと口を開き私に語り始めた。
"それでいいんだよ"
「え?」
"私は思うんだ。常に先生が正しくあろうとする必要は無いと。私だって失敗だってよくするし、道を間違える事もある。でも結局、彼女達を想う心があれば自然と正しい方に進めると思う"
「でも私にはその心がない。……先生の役割を装って、使命を果たすだけのゾンビだよ」
自虐的にそう告げた。
"それは違うよ"
先生がきっぱりと否定した。
"君は生徒達を助けてきたはず。セリカを思って誘拐事件を未然に防いだはずだし、ホシノを思って黒服の取引に身代わりとして乗る事が出来た。ちょっと自分を顧みないところが怖いけど、君は他人を想う心がある。それだけは伝えておくね"
「先生……」
"今キヴォトスでは君が必要とされてる。これから君が助けなきゃいけない生徒が沢山いる。……だから君らしいやり方で生徒達を導いてあげて"
「私らしいやり方で……」
頬が自然と緩まる。先生はいつもそんな温かい言葉で私を励ましてくれた。
"うん。君は生徒に寄り添って、一緒に悩んで、解決方法を一緒に探してくれる。今ならそんな事がきっと出来るはず。だから……生徒達をよろしく頼むね、_____。"
私の名前はノイズで聞き取れなかった。
「うん、任されたよ」
"もうすぐで助けが来るね。……最後に君に渡しておきたいものがあるんだ。"
先生はそう言うと、バッグの中からノートを差し出した。
"このノートは君の役に立つ事が書いてある。かなり……複雑だけれどね"
私はそれを受け取り、学校バッグの中にしまった。
「ありがとう、先生」
"いってらっしゃい、__"
バッグを持って立ち上がり、夕焼けの教室を後にした。
――
目覚めてもなお冷たい感触が身体から伝わる。
あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。ゆっくりと目を開くと暗い空間が視界に映った。手首も足首も固定され動くこともままならない状態である事を確認する。しかし違う点があった。音だ。上の方から銃撃音が絶え間なく鳴り響き、その音は徐々に私の方へ近づいてきていた。やがて向こうの扉から強烈な衝撃音が一つ響き渡り、同時に小さな光が一筋見えた。
光がだんだん大きくなり、そこから飛び出してきたのは見知った人物だった。長い髪を一つに結び、制服の上にボディアーマーを着けている。片手に盾を持ち、もう片方にハンドガンを持つ少女が光の中のシルエットとして見えた。
次で一区切りをつけます。