アビドスの6人目   作:____―--

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Epilogue
pure soul


 このキヴォトスにもはや真の大人と呼べる存在は居なくなった。私もあの人が持っていた大人のカードももはや砕け散って存在しない。

 

 でも青空がただ広がっていて、太陽が昇れば落ちて夜が訪れてまた昇ってその繰り返しが続いていく。そんな空の下で幾千の生徒たちが青春を謳歌していた。

 

 私の中の全てにケリをつけてから長い時間が経ち、満足に二つの足で歩けるようになり、お腹の包帯も大きな傷もなくなった頃。私はずっと心の中で悩み考え続けていたことがある。

 

 私は贅沢者である。手に余るほどのたくさんの繋がりとたくさんの思い出を貰い、ものにも困らず、毎日を楽しく生きていることが出来ている。不自由なんて何もない、なのに満たされない何かがずっと心の中にある。

 

 カバンの中に詰め込んである『離職届』と書かれた封筒、出すか出さないかをずっと悩み続けていた。

 

 青春の心はもうこの数年で擦り切れている。でもある大人の言葉のせいで小さな火が燻り始めた。でも現実問題としてシャーレの先生としての責任もあるし、先生を手放したとき私は何者になれるのだろうかという大きな不安がずっと私にのしかかっている。

 

 だからなのか、最近はたそがれることが多くなってきていた。

 

「先生? またぼーっとしてますね」

 

 今いるのは教室の中。二人のアロナ、アロナとプラナと一緒に買ってきたパンを食べていた。だけど椅子に座ったままずっと遠くをぼーっと見つめていたみたい。

 

 プラナというのは白く長い髪をした先生側の方のA.R.O.N.Aだった。アロナがプラネタリウムから連想してプラナと名付けたらしく、それ以降プラナはアロナを先輩として慕っている。

 

 アロナとプラナは私の知らぬ間に色々助けてくれたみたいで、アトラ・ハシースで倒れた時二人協力して瀕死の私をキヴォトスまで彗星のように届けてくれた。また私が神になってしまったとき、二人で先生を守ってくれたと聞いている。あっちの先生の方が本物なのに、いつの間にかプラナは私を先生と呼び始めた。

 

「先生、体調に問題はありませんが、最近集中力が散漫しています。何かありましたか?」

 

「ちょっと、大人の悩みをね。……人はいつだって分かれ道で選択を迫られるし」

 

 プラナが私の前に回り込んで、じっと私の顔を見つめてきた。

 

「じーっ……」

 

「な、なに?」

 

プラナが私の頬を両手でむぎゅっと掴んできた。そして顔を固定されたままじっと目を見つめられる。

 

「ぷ、プラナ?」

 

「……色々ありましたから、きっと先生でも迷うことがあると思います。……私はどんな選択を先生がしても良いと思っています」

 

「そうですよ! だから先生がしたいようにしてください!」

 

 二人に言われ、困り眉で髪を指先でいじる。

 

「……今は、じっくり考えさせて。色んな人と関わって、色んなことを考えて。それで……いつか答えを出すから」

 

 そう言うとプラナは手を離してくれた。

 

「わかりました。ですがこういう問題は長く抱えるものではありません」

 

「そうだね」

 

 ちぎったパンを口に入れて牛乳パックを口につけた。

 

――

 

 私が先生を辞めるか考えてるということを知っているのは現状リンしかいない。先生という立場はこの世界において大きな影響力を持つ。学園間の対立を調停し、暴走する生徒や組織を止める唯一の人間。そんな存在が突然居なくなれば、キヴォトスは混乱に陥るだろう。だから本当に誰にも話してない。それとボーっとすることが多くなったせいか周囲に恋煩いや脳の障害の疑惑など変なものをかけられるようになった。

 

 辞めるか考えていることを伝えたときリンは長い沈黙を経たのちに『決まりましたら、すぐに教えてください』とだけ言った。

 

 そして今日。私は何となくシャーレの屋上でボーっとしていた。リンが派遣してくれた連邦生徒会数名のおかげでシャーレでの書類仕事は大幅に減り、むしろ各学園への出張が主な仕事になってきた。

 

 だからなのか書類仕事が恋しいというか、オフィスでゆっくりできるのが貴重な時間のように思えた。休憩時間、隙あらば屋上へ来て、風と夕焼け空を眺める。

 

「先生」

 

 ふと声をかけられて振り向くと、そこには黒服が立っていた。ただしアヌビスのシロコにやられたせいか、頭部の形が歪なものになっていた。

 

「黒服、ひどい身なりだね」

 

「お気になさらず」

 

 手に持っていた分厚いレポートを彼に渡して再び景色を眺める。

 

「彫刻家に関するレポート。リハビリ中に書いたもので私の考察も入ってる」

 

「ありがとうございます。これはとても興味深いものとなるでしょう」

 

 黒服はレポートを懐にしまい、私の横で景色を眺める。

 

「フランシスの言葉を借りるとするなら先生は彫刻家が描がこうとした神話のパッチワークを覆し、死の運命さえも色彩の嚮導者の力をもってして覆した。先生はようやく物語の外側へと至ったのです。……もうあなたは何の物語も背負う必要はなくなりました」

 

「虚無も、アセンションも、悩まされる必要はもうないと」

 

「間違いありません。色彩の嚮導者にして元々『主人公』だったあなたの先生。その人が全てを引き受け、あなたを物語の外側へと導いた」

 

「……やっぱり難しくてよくわからないこと言うね」

 

「それが私たちの本質であります。ゲマトリアはもうあなた達に干渉することもありません。一部の未来は断絶され、もはや我々が干渉する余地はなくなった。そしてあなたがどちらの選択肢を選ぼうと、この世界が滅びるということはありません。世界はあなたを外側に置いたのですから」

 

 黒服は淡々と語る。

 

「ゲームクリア後の変化の無くなった世界、そういう感じかな」

 

「ええ。……手にした自由を何に使うかはあなた次第です。ではさようなら。先生」

 

 黒服はそう言って私へ一礼して私の視界から消えた。すぐに振り返ってみても姿はないしさりげないがこれが最後の会話になるのだろう。

 

 あと少しで太陽が沈もうとする中オフィスへ戻っていった。

 

 戻ったら残った仕事を片付け、パソコンの電源を落とす。バッグを肩にかけてオフィスを出た。郊外の一軒家、自宅に着いたのは日が完全に沈んでから。

 

玄関の扉を開けて靴を雑に脱いだらリビングへ。

 

「ただいま〜」

 

「おかえりなさい、先生」

 

 ユウカが当然のように出迎えてくれた。合鍵を渡してるし別に驚くことでもない。

 

「ご飯できてますが、お風呂先にしますか?」

 

「夕食優先、冷ましたくないし」

 

 荷物を下ろしてシャツを雑に脱いでカゴへ放り込んだら席に座る。次々に料理が運ばれてきて、ユウカと夕食を食べ始めた。以前ユウカは料理やったことないと言ってたが、最近は私が教えてあげて少しずつ上手くなっている。

 

 フォークやスプーンを動かしながらまたも考え事。

 

 私はユウカを一度突き離してしまった。私はもうすぐ死ぬ人間だから消えることを受け入れろと一方的に突き放して、ユウカの思いも全て踏みにじった。彼女は生きてて欲しいと思ったし一緒に居たいと思っていた。でも方舟での一件で彼女にとって一番見たくない光景を私は見せてしまった。私が倒れている間のユウカは本当に辛そうだったと聞いてもいる。

 

 だから、ここまでの世話焼きになったのだろうか。リオがまだ隠れているせいでセミナーの仕事は山積みなのに、時間があれば彼女はミレニアムからわざわざD.U.シラトリ区に来て私の家に来て料理を作ってくれているし、掃除だってしてくれている。彼女が居る生活が日常として肌に馴染み始めている。

 

 そのときふと思う。私はいつから孤独に弱くなっていたのだろうと。

 

 一人の時間を沢山過ごしてきた。それが当たり前だったはずなのにいつの間にか生徒が周りに居て、孤独を感じることが少なくなった。一瞬周囲に誰も居なくなる時が何度かあった。その時心に穴が空いたような小さな痛みを何度も感じるようになっていた。

 

 どうしてだろう。私はずっと一人だったのに。この世界においてアウトサイダーの存在だったのに。

 

「先生、どうかしましたか?」

 

「ううん、なんでもない」

 

 野菜たっぷりのスープをいっぱいすくいながら口へと運んだ。

 

 食事を終えたらユウカが食器を洗ってくれる。その間に私はお風呂に入り身体も髪も洗ったら湯船につかる。またも考え事。

 

 私はユウカのことが嫌いではない。むしろ好きだし恩人だ。でも正直言うならユウカが居る生活に閉塞感を覚えていた。金銭面の管理では無くパーソナルスペースに生徒がいるという圧迫感。

 

 先生を辞めてしまえば閉塞感は消えるだろう。では生徒たちはどうする? ユウカは絶対に私を目に見える場所に置いておきたいという感じがしている。依存、という言葉ではなく保護に近しい感覚。

 

 というか先生を辞めてしまったら他の生徒はどうするのだ。今までの繋がりを断ち切ってしまうなんてことは大人の責任以前の問題だ。それにユウカも他の生徒だって私が居なくなったらどう思うだろう。

 

……やめよう、考えれば考えるほど答えが遠のくだけだ。みんなが好きな狂愛系のストーリーみたいなことを膨らませたってどうしようもない。

 

 どっちを選ぼうにも良いこと悪いことは必ずついてくる。

 

 お風呂上がって髪をタオルで拭いたらドライヤー。乾かしたらリビングのソファに深く、隣にはユウカ。

 

「ユウカ、終わったよ」

 

 声をかけると彼女は私の髪を触ってきた。

 

「まだ少し湿ってますね……」

 

 彼女はドライヤーを持ってきてスイッチを入れ温風を私に当ててくる。そしてそのままくしで髪を整えてくれた。私はされるがままになりながらリモコンを操作してテレビをつけた。映画を見ようと色々ボタン押してるとふと目に入ったのは恋愛映画。ひまわり畑が象徴的な戦争と悲恋の物語。

 

 直感でこの映画は私向けだと感じてそのまま再生ボタンを押した。

 

「先生、最近ぼーっとしてることがよくありますね」

 

 ドライヤーのうるさい音が鳴り止んでユウカが髪をくしで整えてくれる。

 

「うん」

 

「ずっとこんな調子だから何かあったのかと思いまして」

 

「悩み事があって。これからに関する」

 

 ユウカは髪をくしで整える手を止めて、私の前に回り込んできた。

 

「私じゃ力になれませんか?」

 

「なれないね。私が解決しないといけないから」

 

 彼女はムッとする。私はなだめるように頭をぽんぽんと撫でた。

 

「ごめんね」

 

「また……消えるのですか?」

 

「それはないよ」

 

「なら、良いのですが」

 

 私は消えない。ただ遠くに行くだけ。

 

 ドライヤーを片付けたら二人で映画に夢中になる。合間にシャーレの仕事、セミナーの仕事お互いの愚痴をこぼしたり楽しい会話も少し挟んで。

 

 そして最後のシーン、列車の場面。ユウカはティッシュを何枚も使って涙を拭いていた。

 

「こんなの、悲しすぎるじゃないですか」

 

「そうだね。でも戦争がどうこうじゃないと思う。長い時間が経てば元に戻らなくなることもきっとある。にしてもやっぱり不倫はダメでしょー」

 

「それは、そうですけど。でも……うぅ」

 

「……寝よっか」

 

 ユウカと一緒に寝室へ。ベッドの上へ横になり布団を被ろうとする前に言葉を彼女にかけた。

 

「ユウカ、ありがとうね」

 

「なにがですか?」

 

「着任した時からずっとお世話してくれて。本当に感謝してる」

 

「それは、私の勝手ですから……」

 

「だからユウカ、その……大好き、だよ」

 

「……っ!? せ、先生!?」

 

「……何となく言っただけだから。勘違いしないでよね、じゃあおやすみ」

 

「勘違いってなんですか!? ちょっと、先生!」

 

 布団を被って目を瞑った。ユウカの声が聞こえてくるけど、しばらくしたらそれも聞こえなくなって意識が夢の中へと落ちていった。

 

――

 

 平和な時間の中の真昼。万魔殿でのお仕事を終えた後にゲヘナ風紀委員会の建物へとお邪魔していた。チナツ、イオリ、アコに出会えるかと思ったが多忙につき不在。案内されて風紀委員長がいる部屋まで通された。

 

「書類……終わらない」

 

 静かに扉を開けて中を覗き込むとヒナは山積みになった書類を前にため息をついていた。歩いて近づいてみても気づく気配もなく彼女の目の前に来てようやく私に気づいた。

 

「先生? どうしてここに? アポイントも無かったはずなのに」

 

「ふと、寄ってみたくなってきたけど迷惑だった?」

 

「別に迷惑じゃない。……コーヒー淹れてくるね」

 

「いいよ、忙しいところ悪いし」

 

「いいから。ずっと座ってたから少し体を動かしたい」

 

 彼女は席から立ち上がってコーヒーメーカーのところへ向かう。カップを二つ取り出したところで聞いてきた。

 

「ミルクと砂糖は?」

 

「両方ともたっぷりで」

 

 彼女はコーヒーメーカーのボタンを操作してコーヒーを淹れる。次にミルクを注ぐ音に砂糖をスプーンですくって入れる音がした。

 

「はい、どうぞ」

 

 差し出されたコーヒーを受け取って一口飲むと程よい甘さが口の中に広がった。ヒナは私が座ってるソファの向かい側へと座る。

 

「先生はどうしてここに?」

 

「何となくヒナに会いたくなって。万魔殿のマコトにお願いされてね。イブキのためにレッドウィンターの極上プリンをゲヘナに供給して欲しいって。ネット会議にレッドウィンター事務局への出張、そして万魔殿でのお仕事。ちょっと疲れちゃったし休憩も含めて」

 

 ヒナは私が持っているカップへと目を落とす。

 

「先生は傷、もう大丈夫なの?」

 

「大丈夫だよ。全部もう大丈夫」

 

 ヒナはじっと私を見つめる。

 

「……最近先生がぼーっとしているって皆が言ってる」

 

「そうだね」

 

「何か悩み事?」

 

 私はコーヒーカップを置いてヒナを見た。

 

「あるけど、秘密。ヒナには言えない」

 

「どうして?」

 

「……一人で考えないといけないことだから」

 

 なるべく低めの声でそう答えるとヒナはムッとした。

 

「秘密にされると気になる」

 

「ごめんね」

 

ヒナは私をじっと見つめる。少しして口を開いた。

 

「……先生は私の事嫌い?」

 

 首を横に振る。

 

「嫌いじゃないよ。むしろ大好き。でもこれはダメ」

 

「……頑固なのね」

 

「ごめんね」

 

 ヒナはため息をつく。少ししてから今度は私の方から質問をした。

 

「ヒナはさ、仮に自分が風紀委員じゃなかったら何してたか想像できる?」

 

 彼女は一瞬だけ固まった。

 

「急に、変な質問。……風紀委員じゃなかったら?」

 

「うん」

 

 彼女は考え込むように天井を見上げた。腕を組んで黙り込み、しばらくして小さく息を吐いた。

 

「正直考えたことなかった。でも……ずっとだらけていたと思う。……能力があるからって周りに推されて、断る理由もなくここまでやってきた部分はあったと思う」

 

 目線が窓の方へ向き、遠くを見つめる。

 

「でも嫌いじゃないから。この仕事」

 

「もし風紀委員会を辞めたら何したいとかある?」

 

「そうね。最初の数日間は家でずっとだらだらする。その後はシャーレに居座るわ。先生を監視という名目で」

 

「え、それはちょっと……」

 

私が嫌がるとヒナは笑う。

 

「冗談よ。……先生はどうして急にそんなこと聞くの」

 

 低い声、でもあの時のような問い詰めるような感じではない声色。

 

「ちょっとね」

 

私はコーヒーを一口飲んでから再びヒナへと目を向けた。

 

「もしも、について最近考えてて。違う未来があったら私はどうなってたのかなって」

 

 ヒナは私をじっと見つめる。私も彼女の目を見つめ返す。

 

「私はあなたが先生じゃなかったら責任に押しつぶされていたと思う。あの調印式の後、先生と一緒に泣いたから私は今ここに居る」

 

「……そっか」

 

 目を閉じて今までの旅を思う。私が先生になったから出会えた人たち。助けられた人、守れた人。確かに居た。

 

 でも今からそれを手放そうか考えている。きっと最悪の選択肢だ。

 

 無責任で混乱を招くはず。でももういいじゃないかって。先生に無理やりさせられたし、痛いのも沢山あった。生徒に捧げてばかりの役割はもう嫌だと声を上げる私もいた。一週間、一ヶ月間、何の責任を負わずに家に篭ってポテチの袋を開けて積んでいたゲームを全部クリアしてしまいたい。花屋をやってみるのも良いかもしれない。コーヒー屋さんを開くのも悪くない。遠くの地で汗水流して働くのも悪くない。

 

 そう、今なら描けるかもしれない。これからの未来が。

 

「また考え事してる……」

 

 気がついた時、ヒナが私の顔を覗き込んでいた。

 

「あ、ごめんね」

 

「また一人で考え事?」

 

私は頷く。

 

「……そう」

 

 彼女は立ち上がったと思いきや私のそばに立ち、

 

「手、どかして」

 

「え?」

 

 ヒナは手をどかして私の膝の上に身体を乗せてきた。彼女の白く長い髪が私の頬を撫で、彼女の香りが漂う。

 

「ヒナ?」

 

「さっき、お風呂入ったばかりなの。シャンプーもいいもの使ってるから」

 

ヒナは私に身体を預け体重が私の身体にのしかかる。

 

「重い?」

 

「全然軽い。お姫様抱っこだって余裕なくらい」

 

「……はあ、そういうところ」

 

 私に身体を預けたまま小さくため息をついた。

 

「私、先生が居ないとダメかもしれない」

 

「……え?」

 

「先生はいつも私を助けてくれたし、守ってくれた。でもあなたはどこか遠くへ行こうとしている気がする」

 

 彼女の手が私の服を掴む。その指先は少し震えていた。

 

「ヒナ、永遠はありえないよ」

 

「わかってる。それでもあなたが側に居ないと私は私でなくなりそう」

 

「……困ったね」

 

 私は両手を伸ばして彼女を包み込むように抱きしめた。

 

「ねえ、ヒナ。最初ヒナに会った時ね。怖かったんだ」

 

「怖かった?」

 

「そう。私が生徒だった頃、向こう側のヒナ先輩に何度もお世話になっててね。敵わないし口答えすれば詰めてくるし、恐ろしかったんだ」

 

「あなたもそういうことをする時期があったのね」

 

「……友達が原因だけれどもね。この世界でヒナと会って、本当はそういう子だったんだなって」

 

 彼女の頭を撫でると彼女は私の胸に顔を埋めた。

 

「今でも怖い?」

 

「注意してくるときはそうだね」

 

「でもそういう時だいたいあなたに非がある」

 

「それは……そうだね」

 

 ヒナは顔を上げて私を見る。

 

「もう少しだけこうしていい? 先生の心臓の音を聞いていたい」

 

「良いよ。好きなだけ居ても」

 

 彼女は再び私の胸に顔を埋める。表情を見ることはできないけど、きっと穏やかな顔をしていると思う。そのうち彼女から寝息が聞こえてきた。疲れのこともあって寝てしまったのだろう。

 

私は彼女を起こさないよう、そのままの状態でしばらく過ごした。

 

――

 

 今度は休日のとき。ミカから誘いがきてリゾート地に一泊二日で行くことになった。今度はスカート混じりのカジュアルファッションで出掛けて、待ち合わせ場所に着いたらミカと一緒に列車で出発。プランはミカが考えてきたもので、私はただそれについていくだけ。

 

 チェックインしたらすぐに水着へ着替えて海へ。綺麗な砂浜に透明な海、青い空と白い雲。波打ち際で水をかけ合ったり、砂の山を作ったり。ビーチバレーもやったり、パラソルの下で一緒にお昼寝もした。

 

 夕食はホテルのレストランでビュッフェスタイルのいかにもトリニティらしい高級料理に恐々しながら舌鼓。夜、二人でお風呂入ったりしたら二人で同じベッドに入っておしゃべりして寝た。

 

 でも……彼女が私を誘いたかった本当の理由はこれからだった。

 

 深夜、私はふと目を覚ました。夜明けまであと少しの真っ暗闇。隣には誰も居ない。私は起き上がって部屋中を歩き回るとベランダの扉が開いていることに気がついた。

 

 ベランダに出るとミカが手すりに寄りかかって海の方を見ていた。

 

「どうしたの?」

 

 彼女は私へ振り返る。

 

「ちょっと眠れなくてね。何も見えないけどこうやって波の音を聞いてたの」

 

「落ち着くよね」

 

「そうだね」

 

 私も手すりに両手を置いて海の方を見る。

 

「先生はこの旅行楽しかった?」

 

「うん。ミカのおかげで良い休日になったよ」

 

 彼女は笑う。

 

「良かった。先生、ここ最近ずっと悩んでいたみたいだからさ」

 

「もう、気のせいだって言ってるのに」

 

「そう? でも私は心配だよ。何か悩みがあるなら相談してほしいな」

 

 彼女は私へ身体を向ける。でも首を横に振って答えた。

 

「気にしないで、本当に大丈夫だから」

 

「そう?」

 

 彼女は私の横へ歩み寄ってきた。

 

「私は先生の力になりたいんだ」

 

「ありがとう。でもそろそろしつこいよ?」

 

「うーん……」

 

 彼女は私をじっと見つめる。

 

「ねえ、先生」

 

「なに?」

 

「今から外に出ない? 暗いけど、少し歩こうよ」

 

「今から?」

 

 彼女は頷く。時計を見ると午前4時前、まだ日は昇らない。

 

「いいよ」

 

 でも理由なく良いかもと思う自分がいた。

 

 一気にテンションを上げた彼女が手を引いて部屋の中へ。すぐに出かけるのではなく、渡したいものがあると言って彼女は旅行バッグから包装紙に包まれた箱を私に押し付けてきた。

 

「これは?」

 

「開けてみて」

 

 私は包装紙を破らないように丁寧にテープを剥がして中を開けると、そこには真っ白なワンピース。

 

「パジャマからこれに着替えてみて☆」

 

「えっ、でも……」

 

「忘れてないよ? 先生もお姫様になりたいって言ったこと」

 

「あ、あれは酔ってたから言ったことで……!」

 

「ふーん……。先生も覚えていたんだね」

 

「うっ……」

 

 彼女は期待するように目をキラキラさせている。

 

「着てみて! 見てみたいから!」

 

 ため息をつく。

 

「……ブランド物だったりしないよね?」

 

「教えない☆ 知っちゃったら大事に扱いすぎちゃうでしょ?」

 

 私は諦めてパジャマからワンピースに着替えることにした。その場でナイトウェアを脱いでワンピースに袖を通す。サイズは怖いほどにピッタリで、生地を確かめるように指の腹で撫でてみる。複数の生地の層で出来ていて、触り心地が良いし明らかに手を凝らしたであろう高級品だとわかった。価格を聞いたら卒倒しかねない。

 

「どう、似合う?」

 

「うん、似合ってる! じゃ、行こう!」

 

 サンダルに履き替えて二人で砂浜へ。ミカは私の手をとって駆け出し、転ばないように足を早める。

 

「ちょっと、転ぶから!」

 

「あははっ☆」

 

 辺りは真っ暗闇で明かりもないから周囲がほぼ見えない。でも光を付けずに波打ち際まで来られた。

 

「先生、上を見て」

 

 ミカの指差す方向へ目を向ける。そこには満天の星空が広がっていて、雲ひとつない空。月と星の明かりだけが私たちを照らしていた。

 

「綺麗……」

 

 思わず感嘆の声が漏れる。ミカは私の手を引いて砂浜へ座れば私も隣へ。

 

「……先生」

 

「なに?」

 

「先生とまたこうしてお出かけできて本当に良かった」

 

「……そっか」

 

 私はひどい人間だ、約束を忘れていたから。前もこうして彼女を連れて砂浜に行った時、勝手に遠くに行かないと約束をした。でも私は危うくその約束を破ろうとしていた。

 

 あの時の私はまもなく死ぬんだとずっと思っていた。そうやってヤケクソで投げやりな行動ばかり。でも今は違う。

 

「ナギサから聞いたよ。私が倒れた時よく見舞いに来てたって」

 

「うん。先生が居なくなったら嫌だから」

 

「心配かけちゃってごめんね」

 

「ううん。でも、本当に心配したよ」

 

彼女は私へ身体を寄せてきた。私も手を回して肩に乗せる。

 

「……先生って変わったよね」

 

「そう、かな」

 

「うん。なんか前より静かになった気がするしどこか遠くを見ていて、でも無理してないというか。……前まではずっと気を張り詰めてて余裕がなさそうで。でも今は違う」

 

遠くの波を見つめる。静かで孤独な感じがするのにミカと一緒にいると不思議と孤独じゃない。むしろ温かいような、光を灯しているような。

 

「私、おばさんになっちゃったかも」

 

「まだ早いよ!」

 

冗談を言ってみたらちょっとセンチメンタルな雰囲気が吹き飛んでしまう。ミカもぷっと吹き出して笑った。

 

「ミカも独り立ち少しくらいは出来るようになった?」

 

彼女は首を横に振る。

 

「まだまだだよ。だから先生に側に居てほしいな☆」

 

「えーっ、あとどれくらい?」

 

「うーん……。とりあえずまだまだ!」

 

「そんなずっとそばに居られると思わないでね」

 

ミカが不満そうに声を上げる。私は声色を変えて続けた。

 

「……ミカ」

 

「なに?」

 

「私からも約束させて。……必ず、幸せになってね」

 

小指をミカへ差し出すと彼女は私の小指に自分の小指を絡めた。

 

「うん、約束する。先生もだよ?ちゃんと幸せになって」

 

「わかった。約束ね」

 

指切りげんまん、嘘ついたらハリセンボン飲ます。二人で声を合わせて歌ったら指を離す。

 

「そろそろ戻ろっか」

 

「うん。もうすぐ朝がくるけど」

 

 ミカが私の手をぎゅっと握り来た道を戻る。彼女の後ろ姿を眺めながらある言葉を伝えようと思ったが踏みとどまった。後で彼女を傷つける言葉になるかもと思ったから。

 

 だから声を出さずに唇だけを動かした。

 

 やがて海の向こうから光が差し込み始め、新しい日々の始まりを私たちに告げるようとしている。

 

 でも夜明けはまだ遠かった。




残り二話です。
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