第1話 道を違えた日
「……一つだけ、頼みたいことがある」
「もし、この戦いで俺が負けるようなことがあったら……しばらくの間でいい。『 』が自殺しないように計らってくれないか」
――あの日、あのとき、あの瞬間。
たった一人のプレイヤーが突き出した一本の剣が、ある鉄の城の未来を変えた。
数十もの仲間が見守る中で行われたその一騎打ちは、とても目で追うことなどできない剣閃の嵐と、それらをすべてはじき返す金属音の果てしない応酬だったという。
盾による絶対的な守りを誇る騎士と、二本の剣による神速の連撃を掲げる戦士の、互いの命を懸けた決闘。
苛烈を極めた攻防は、しかし拮抗することはなく少しづつ挑戦者を追い詰めていく。
意図された試合運び、予定調和を崩さぬ絶対的な防御。戦士の剣は弾かれ、弾かれ、弾かれ、ほんのわずかづつその精彩を欠いていった。
僅かな誤差は積み重なることで息苦しさを増していき、もう何度目かも分からなくなるほどの剣戟を経て、ついに剣士は切り札を放つ。
それすらも全て騎士の策の中。最早勝敗は決まったかに思えた。その策略には一部の隙も存在せず、あとはただ、その切り札の全てを弾き返した騎士の盾に潜んだ刃が一直線に剣士を貫くのみとなり――
――
辿っていたであろう未来は、その瞬間に塗り変えられた。
コンマ一秒停滞した騎士の剣は剣士を貫かない。
仕切り直して再度剣を盾をかち合わせ、しかし騎士の防御は明らかに精彩を欠いていた。
そしてその隙を見逃すほどに、戦士は愚鈍ではなかった。
一閃の煌めき。
その剣で騎士の盾を弾き飛ばした彼は、がら空きになったその胸元へもう片方の剣を突き立てる。
直後、騎士の身体は実体を失ってこの世界から光となって消え去った。
――本当は、それで彼らの戦いは終わりになるはずだったそうだ。
この決闘の勝者が挑戦者の方であった場合、その瞬間をもってこの閉じた世界の全てを解放する。
あの事件の真相を握っていたのは彼であって、今まで隠し通してきたその事実を見事に見抜いた戦士に対する褒賞としてその誓約は行われた。
だから彼はこの世界から人々を解き放つために、全身全霊をかけて絶対的な強者である管理者に戦いを挑み、そして限りなく可能性の低かった勝ちをつかみ取った。
だが、騎士自身が自らの絶対不死を取り払ってまでして誓ったその約束は、果たされることはなかった。
騎士がこの世界から消失してしばらくの間は、彼とその仲間たちは笑顔で溢れていた。
先行きの全く見えなかった「生還」という願いが、思わぬ形で手に入ったと信じて疑わなかったからだ。
しかし、いつまでたっても世界には何の変動も訪れず、管理者側の連絡なども見られない。騎士の約束の通りなら、この場で何らかの措置があるはずなのに。
裏切られた期待は、その大きさに比例して壮絶な喪失感を覚えさせる。
いつまでもその場でじっとしているわけにもいかず、彼らは暗澹たる気持ちを味わいながら次の舞台へと向けて足を進めた。
――彼らは気付いていない。それは、かの戦士も例外でなく。
一つは、怒涛の剣撃を受け止めていた騎士の身体に、僅かなラグが生じていたこと。そのラグによる動作の阻害が決定的な隙を生んだこと。
そしてもう一つは、この世界の『影』がこの瞬間、現実世界と繋がったということである。
冬の冷たい風が吹きさらすある日のこと。あたしはある病院の一室へと足を向けていた。
目的の個室のドアを開けると、お兄ちゃんが眠っているベットの向こうで点滴を交換している看護師さんの姿が目に入った。
「あら? 直葉ちゃんじゃない。いらっしゃい」
「こんにちは。
ぺこりと頭を下げる。この人は以前からお兄ちゃんの専属看護師として身の回りの世話をしてくれている安岐ナツキさんだ。
とても明るくフレンドリーな人で、お兄ちゃんのお見舞いに行くあたしとはとても親しい仲だった。
「お兄ちゃんの具合はどうですか?」
「いつも通りね。心拍、体温、呼吸その他異常なし。落ち着いて眠ってるわ」
「そう……ですか。ありがとうございます」
安岐さんからその言葉を聞いて、とりあえずほっとする。そして私はベットの手すりに手をかけた。
「――。……二日ぶりだね、お兄ちゃん」
そこには、相変わらずの姿で静かに眠り続けるあたしのお兄ちゃんの姿があった。その頭には、金属でできたヘルメットのようなもの――ナーヴギアを被っている。
今もその物体は「ON」というランプを一定のリズムで点滅させている。あれが、お兄ちゃんが今もまだ生きているという証らしい。
「……元気してた?」
当たり前のように返事はなかった。小さなため息が漏れる。
部屋の扉を開けるとき、あたしはいつもほんの少しだけ期待をしてしまう。
もしかしたら、扉を開けた先にはナーヴギアを外したお兄ちゃんが待ち受けてくれているかもしれないと。
そんなささやかで、でも切実な願いは今日も叶わなかった。気を取り直してお兄ちゃんのベットに腰かける。
「そうそう。昨日さ、部活の練習の途中でね――」
私は、軽い雰囲気でお兄ちゃんに話しかける。
当然のことだけど、あたしの言葉はお兄ちゃんには届かない。でも、あたしが好きでやっていることだから気にしないことにしていた。
どちらかといえば、これはお兄ちゃんのためにやっているわけじゃない。こうしていると、あたしの方が穏やかな気持ちになれるんだ。
「ふふっ」
小さく噴き出したのは机でカルテにペンを走らせていた安岐さんだった。不思議に思ったあたしは安岐さんに声をかける。
「あの、あたし何かおかしなこと言っちゃってました?」
「ううん、違うの。こんなにお兄さんのことを想ってくれる妹がいて、和人君は幸せだなって。ね?」
そう言われてからあたしは頬がかあっと熱くなるのを感じた。会話に夢中になってて安岐さんが傍で話を聞いてることすっかり忘れてたよ……!
「あらあら~? 顔まで赤くしちゃって。直葉ちゃんは一途なのね!」
「も、もう! からかわないでください!」
「大丈夫! お姉さんは誰にも話したりしないわ! その思いの丈をお姉さんにぶつけて!」
「なんで安岐さんとそんな恥ずかしい話しなきゃいけないんですかっ!」
そんなやり取りを交えながら、お兄ちゃんとの時間は穏やかに過ぎていく。
「あ。そういえば、役人さんから聞いたよ。お兄ちゃん、そっちの世界でも頑張ってるんだってね」
ふと先日の政府の方々との会議の事を思い出して、あたしは思わずくすっと笑ってしまった。安岐さんも関係者として聞いたことはあるようで、いろいろとあたしに尋ねてくる。
「和人君たちのいる世界の現状が、ちょっとだけ分かったらしいわね?」
「はい。対策チームの方々が頑張ってナーヴギアを解析してくれたらしくて。被害者のステータスだけ垣間見ることができたみたいです」
「今までは確か……『βテスト』だったかしら? そのときの情報だけだったものね。おおまかに言うとどんなことが分かったの?」
「えーっと……あの世界――『ソードアート・オンライン』はβテストのときと同じでレベル制MMOらしいです。あと、他にはない独自のサーバー? を使ってるらしくて、凄く完成度が高い仮想世界だって言ってました」
「レベル制……? ごめんなさいね。私ったらゲームの話はよく分からなくて。もうちょっと時間に余裕があれば『アミュスフィア』っていうのも買ってみたいのだけど……。とりあえず頑張ってレベルを上げて敵を倒す、って感じでいいのかしら?」
「はい。おおざっぱに言っちゃえばそんな感じです。それで、安岐さんの言うように敵を倒してレベルを上げることでもっと強い敵に挑んでいくって感じのゲームなんですけど、その中でも積極的に戦っている『攻略組』と呼ばれる高いレベルの人々がいて、お兄ちゃんはそのまた上位にいるらしいということらしいんです」
「むむっ、とすればもしや和人君はかなり凄い人だったりするのかな? 可愛い顔して、実は頑張り屋さんなのね!」
朗らかに安岐さんは笑う。この人の明るくて前向きなところがあたしは好きだった。あまり良い印象は持たれていないはずの仮想世界について親身に向き合ってくれる。安岐さんがお兄ちゃんの専属さんで本当に良かった。
そういえば『ソードアート・オンライン』の完成度について。役人さんはあのゲームのことを「まるで別世界のようだ」とも言っていた。
その直後に自分の不謹慎な物言いに気付いた役人さんは、本当に申し訳なさそうに私たちに謝罪した。確かに捉え方によっては『ソードアート・オンライン』を認めているようにも聞こえる。
実際つい先日までのあたしなら、あの言葉を理解することは出来なかっただろうなと思う。憤りを覚えていたかもしれない。
でも今はそれを受け入れることができた。だからあたしも「世界」という言葉を使っている。流石に他人の前では言えないけど。
「流石は直葉ちゃんのお兄さんだね。凄いことしてるよ」
安岐さんの呟きにあたしはこくんと頷いた。あたしは今のお兄ちゃんをとても誇らしく思う。
だってそれはゲーム好きだからという一言で表しきれるものではないはずだからだ。きっとそんな立場であり続けるのはとても大変なことで、たくさんの努力が必要なんだと思う。
あの世界に閉じ込められた1万人もの人々の内、既に4千人がこの世を去っている。ほとんどの死因は脳の損傷らしい。
原因は不明。現在はそのペースを大きく落としたとはいえ、数日に一度は死者が出ていると聞く。
対策チームはナーヴギアに不具合が発生しているのではないかと調べを進めているみたいだけど、それらしい損傷は見られなかったと発表していた。
国内最先端の技術を持つ人たちが不具合はないと言っているんだ。疑うことは出来てもそれは事実なんだと思う。だとすればそれはやはり、二年前のあのニュースでこのゲームを作った人があたしたちに言ったように、
そしてネットなどで噂されている不自然な死の理由。
それはあちらの世界での死亡――すなわち、体力ゲージを失ってしまうことがそのまま現実への死に繋がってしまうというものだった。
文字通りのデスゲーム。あたしはそれを聞いたとき、多分それが正解なんだろうなという半ば確信めいたものを感じた。
だとするとお兄ちゃんはあの世界の中でも特に危ないことをしていることになる。
高レベルプレイヤーということはそれだけそのゲームをやり込んだということで、必然的にそのゲームの先頭を駆けていく人たちであることが分かるからだ。
お兄ちゃんが今どんな場所で戦っているのかなんて、考えるまでもなかった。
「……かっこよく言えば、最前線、なんてね。……失礼な言い方かな」
でも、それだけお兄ちゃんが元の世界に戻るために必死になってるんだって思うと、心があったかくなる。
仲間と一緒に、もしかしたら一人であの世界を拓いていくお兄ちゃんを想うだけで、とても誇らしくなる。
「今日も頑張って、お兄ちゃん」
二年以上使われないままで、とても細くなってしまったお兄ちゃんの手を両手できゅっと握りしめる。
きっとお兄ちゃんは今日も忙しいはずだから、あたしはとりあえずエールを送っておいた。
その後しばらくして安岐さんはナースステーションへと戻っていった。やっぱり看護師さんという仕事は忙しいものみたいだ。
「そうそう。この前あたしがやってるゲームでおかしなことがあったんだ」
あたしはといえば、半年ほど前からアルヴへイムオンラインというVRゲームを始めていた。お兄ちゃんのために何かできることはないか考えて、見つけ出したものだ。
お兄ちゃんが聞いたらきっとびっくりすると思う。お兄ちゃんがあの世界に行く前はゲームなんてほとんど触ったこともなかったから。
お兄ちゃんが帰ってきたとき、もしあの世界での話を聞くことができたらしっかりと相槌を打てるように。
そんな半ば使命感にも似た気持ちで手に取ったアミュスフィアは、今ではすっかりあたしの日常の一つとなっていた。
最初は怖かった。お兄ちゃんが閉じ込められた世界という得体のしれない恐怖で頭にそれを被るのさえ嫌だったものだ。
ただ、ひとたびその世界に入ったあたしは、目の前いっぱいに広がる広大な森と青空、そして天を衝いてそびえ立つ巨大な螺旋状の樹に圧倒されてしまった。
それからは、なんとか時間をやりくりしてはログインを繰り返して遊んでいる。お兄ちゃんがゲームにのめり込んだ理由も今なら分かる気がする。数か月前のあたしはどこにいった。
あの世界で人は飛ぶことができるんだ。背中についた羽で、大空へと羽ばたくことができる。
そこから見下ろす世界はとても綺麗で、プログラムでできているはずの空はどこまでも高かった。
その日からあたしは、仮想の空中世界の虜になった。
剣道で身体を鍛えていたのも良かったのかもしれない。ダンジョン攻略に対人戦、あたしを楽しませてくれることはたくさんあって、でもあの世界には終わりが見えない。
そのおかげであたしはすっかりアルヴへイムオンラインに夢中だ。
しかし、そんなある日のこと、そのアルヴへイムで不思議なことが起こった。
「いつもみたいに空を飛ぶ練習してたら、いきなり空の向こうの景色が歪んだんだ。なんだろう、って思って見てたらさ、なんかものすごく大きな浮島がゲームの空に浮かび上がるみたいに出てきたんだよね。
もう浮島というより、大陸がそのまま浮いてたと言っても嘘じゃないかも。だってワールドマップで見たらアルヴヘイムと変わらないくらいの大きさなんだもん」
あのときにはびっくりしすぎて危うく墜落しそうになった。代わりに前方不注意で木の幹にぶつかった。
なんたってそのスケールの大きさが桁違いだった。今まであたしたちが住んでいた世界とほとんど同じの大きさの大陸がいきなり表れたのだから。
それぐらいの出来事なら運営側からのアナウンスがあってもおかしくない。というより事前にメッセージが送られてくるはずだ。でもあれは本当に何の前触れもなく突然現れた。
「もうみんな大騒ぎになってさ、ログインしてないプレイヤーを呼び出す人とか運営に問い合わせる人とか、早速そこに飛んで行った人もいたなあ」
結局運営側がその出来事から一時間も後になって発信した通達によると、後に予定されていた大型アップデートで実装されるはずだった大陸を、運営側の手違いによってこの世界に出現させてしまったらしい。
サーバに負荷がかかる等の理由によってむやみに消すこともできないらしくて、一連の出来事の対処に追われていてアナウンスが遅れてしまったようだ。
そして、今日になるまでそれは消えることなく空の向こうに居座っている。
これといった対処もないことに対して疑問の声をあげるプレイヤーも少なくなかったようだけど、運営の返答はいまいち要領を得ないものばかりらしかった。
そんな中はやくあの世界に飛んで行ってみたいと夢ばかり膨らましてるあたしは、お気楽者なのかな?
いや、ただの好奇心旺盛なゲーマーだ。そう言って違和感が特にないのがもう、あれなんだけど。
そんな不思議な大陸には、しかしれっきとした名前がある。
メニューの世界地図を開けば、バグを彷彿とさせる真っ黒な大陸像の中心にぽつんと載っているのが分かる。
「ええと、名前はなんだったかな……あ、思い出した」
多分開発途中のコードネーム的なものだからなのかもしれない。その名前は極めてあっさりとしたものだった。
「確か――」
それから一時間くらいお兄ちゃんの病室で過ごして、迎えに来たお母さんと一緒にあたしは家に帰った。
「こんなに健気な妹がいて、和人は幸せ者ねえ」とお母さんによく言われる。最初はただのお見舞いだとむきになってたりしたけど、今はもう開き直っているので「だって会いたいから!」と堂々と返せていた。
あたしはお母さんが大好きだ。お兄ちゃんのことを理解してくれていて、あの事件にも保護者としてしっかり立ち向かっているから凄いと思う。
あたしがゲームをねだったときも、少し心配していたけど「和人の好きだった場所がどんなところなのか聞かせて」とあたしの背中を押してくれた。こんな大変なことに巻き込まれたのにあたしがゲームも現実もちゃんと生きていけるのは、お母さんとお父さんのおかげだ。
お兄ちゃんが帰ってきたとき、お母さんと一緒にあの世界を飛ぶのがあたしの小さな夢だったりする。
家に着いたあたしは、とりあえず手早く学校の宿題を終わらせた。もちろん理由は言わずもがな。
嬉しいことに珍しく帰ってきているお父さんと一緒に夕食を食べて、そのままお風呂に入る。「部活やってたとき並みに慌ただしいわ」とお母さんは苦笑していた。
そんなお母さんにゴメンなさいと謝りつつ部屋に戻り、パジャマに着替えてからやっとベットに寝転がった。枕元に置いてあるアミュスフィアを手に取り、電源を入れる。
途端に、わくわくとした気持ちが湧き起こる。
今日はどんなことができるようになるんだろう。新しいスキルが見つけられるかもしれない。街でアクセサリを見繕ってみるのも楽しそうだった。
新しいダンジョンに行くとしたらどこにしようか。フレンドにお願いして一緒に行ってみようかな、なんて思ってるとリンク準備完了のアラームが鳴った。
この調子だとしばらくは現実でもアミュスフィアのことばかり考える日々が続くことになってしまいそうだ。さっきも言ったけど、ゲーマーなのはもう自覚済みです。
「――リンク・スタート!」
その言葉を呟いた途端に、目の前の世界がぱっと切り替わる。
仮想世界と現実世界の狭間、なんていうのは少しだけ気恥ずかしいけど、あたしはこの瞬間も好きだった。
ああ、早くお兄ちゃんと一緒に空を飛びたい。一緒に冒険してみたい。
日々募っていくあたしの願いは、七色の光の流れの中に瞬く間に溶けていき、あたしはもう一つの世界に飛び込んだ。
――――これから何が起こるかなんて、全く考えもしないままに。
さすおにリーファさん
安岐さんは原作キャラです。ラノベ版5巻を参照。
【設定・用語説明】
・本作時間軸
原作でキリトたちがSAOをクリアしたはずの日から二か月後という設定。
忠実であるつもりなので矛盾等ありましたらご連絡ください。
・アルヴヘイムオンライン(ALO)
直葉が遊んでいるゲームのこと。原作3巻及び4巻参照。
PK(プレイヤーキル)推奨のファンタジー系オンラインゲームだが、プレイヤーが空を飛べるという他に類を見ない特長があり人気は高い。