村長の家で朝ご飯をいただいた日の夕方、僕たちは宿代わりにと提供された空き家に着いて、ロックを外して中に入った。木造二階建ての小さな家だ。
人が住んでいなかったとはいえ、ここは仮想世界だ。家の中は新品そのままのきれいさを保っていて、埃もない。寝泊まりするには十分な場所だった。
「あー、つっかれたー! やっと眠れるよ!」
「情報収集の前に仮眠を取っておくべきだったかもね。昨日の朝から一日半近く寝てない」
ユウキが家の中に入るなり近くのソファへとごろんと寝っ転がる。そのまま寝てしまいそうな勢いだ。
僕たちがこんな時間になるまで家に辿りつけなかったのは、村長の家からここまでが遠かったからではなく、途中でいろんな村人に聞き込みを行っていたからだった。
「別に体はぴんぴんしてるんだけどさー、頭が重いというか……とにかく疲れたぁ……」
「ユウキが村人たちとあんなに話を弾ませるからだよ。気付いたらなんか彼らに囲まれてるし」
「むう! 助けてくれてもいいじゃないかー! ボクだってあんなにたくさんの人が集まってくるとは思わなかったんだもん!」
「人見知りの僕の盾になってくれてありがとう」
「いいように使われてた!?」
僕の悪意のない笑顔を前に、ユウキは力なくソファに突っ伏した。うがーやられたーというこもった呻き声が聞こえてくる。
いや、僕も大変そうだったから助けてあげようとは思ったんだけどね。自分が話しかけた相手と応対するのが精いっぱいでとても手が出せなかった。ご愁傷様です。
さて、とりあえずこの家にどんな設備があるか見て回ってみよう。最低限寝る場所があればよかったから、もう目的は達成されてるわけだけど、新しい家ってほら、探索したくなるじゃないですか。
部屋見て回ってみるよ、とユウキに言うと、ソファから身体を起こすことなく手をひらひらとさせてよろしくーと言った。まさか本当にそこで寝るのか?
「……じゃあ、上の階から見てみますか」
はしご階段をとんとんと登る。丁寧な造りだ。
二階に着いて辺りを見渡してみると、ベットが二つにクローゼットと机があった。この階はそのまま寝室になってるみたいだ。
クローゼットに何も入っていないことを確認したあと、ごろんとベットに寝っ転がってみる。ふむ、柔らかい。安眠するのには申し分なさそう。
――もちろんここはユウキに譲って僕はソファで寝るべきなんだろうけど、彼女のことだからふつうに「一緒に寝よう」とか言い出しそうだ。まあそのときは……深く考えないようにしとこう。
次は一階だ。でも、その前にユウキに寝室のことを伝えておかないと。
しかし階段を下りてソファを見ると、そこにユウキはいなかった。代わりに、部屋の隅にある扉の前でじっと佇んでいる。
「……どうしたの?」
「ひゃぁっ!?」
僕が声をかけると、ユウキは心底びっくりしたみたいできゅっと肩を縮こまらせた。そして恐る恐る振り返って僕を見る。なぜだかその顔は赤く染まっていた。
「あ、あの。リオルナ……お願いがあるんだけど」
「え、あ、うん。なんでしょうか」
恥ずかしがっているユウキなんて見たこともない。というか、そんなに恥ずかしがられると僕も調子が狂うというかなんというか……あわわわ。
ユウキは僕がしどろもどろになっていることに気付かないまま、ぽつぽつと話し始めた。
「せ、せっかくリオルナが二階を、見に行ってくれたんだから……ボ、ボクも、一階を見てまわったんだ」
「う、うん」
「……で、さ……あ、あの扉の先……お風呂、だったんだよ」
「そ、そうなんだ」
「だからさ……あ、の……あとは察してっ!」
そう言ってばっと頭を下げた彼女の顔は、水蒸気エフェクトが出るほどに真っ赤に染まっていた。まあ、僕も同じくらい顔は赤いと思うけどね!
でも、ここで察せなかったらそれこそ無神経極まる行為だ。ともすればどもりそうになる口を僕はぐっとくわえこんだ。
「……30分くらいでいい?」
その僕の言葉に彼女はぶんぶんと首を縦に振る。よかった……正解だったみたいだ。
「ん。じゃあ、なにか食べられるものを買ってくるよ。鍵は閉めとくから、さ」
そう言って僕は身を翻した。そうでもしないとこの赤面が彼女にばれかねなかったからだ。
ドアに手をかけたところで「……ありがとう」という消え入りそうな声が聞こえたけど、僕はそれに返答するだけの気概を持ち合わせていなかった。
「あ、あの。そこの黒パンを四ついただいてもいいですか?」
「いらっしゃい剣士さん! 40コルだ!」
家から出て少し経ったあと、僕は村の商店通りへと足を囲んでいた。今いるのは、威勢のいい男のNPCが店番をしている店だ。
表示された購入アイコンをタップすると、所持金から定額が失われる。40コルなら安いものだ。袋詰めされて手渡されたパンを、僕はお礼を言いつつ受け取った。これで明日の朝ごはんはなんとかなるかな?
あと、折角だから情報収集もしておきたい。僕はそのまま店番に話しかけた。
「そう言えば、僕みたいな人がこの村に来るのは初めてなんですよね。村長さんから聞きました」
「ああ、そうだな。交易場なんかで遠い場所に住んでるやつは見たことあるが、お前さんたちみたいな剣士は俺も初めて見た」
「そうなんですね。僕たちも他の剣士の皆さんと会ったことがないんです。どこにいるんでしょうね?」
「さあな。ただ、この化け物ばっかりの世界もお前さんたちなら歩いていけるんだろ? そしたらいつか会えるんじゃねえか」
腕組みしている店番の語り口が、いままでの住民の返答と重なる。
これだ。このループに僕たちははまってしまっている。僕はため息をつきそうになるのをぐっとこらえ、声のトーンを下げて言った。
「そうですね……。僕たちもこの場所しか知りませんから」
普通なら、ここで盛大にため息をつこうが残念がろうがNPCは反応しない。ただ、この村に住む人々には不思議な性質があった。
こちらの表情の機微を、よく読んでくるのだ。そこから感情を読み取って返答しているらしく、定型文的な会話が通用しない。
「おい、どうした? ぼうっとして。具合でも悪いのか?」
例えば、こんなふうに。怪訝そうに僕の顔色を窺ってくる彼に向けて、僕は慌てて首を振った。
「い、いえ。なんでもないです。ただ、これからどこに行けばいいのか分からなくて……とりあえず、高いところを目指そうって思ってるんですけど」
僕の弁明に店番はふむ、と言ったまま黙り込んだ。たぶん返答ルーチンにないことを言ってしまったんだろう。どこにいけばいいか分からないなんて質問は、クエストNPC出もない限り答えられない。
ここに長居する必要もない。僕が別れの挨拶を告げようとしたそのとき――。
「そうだな……だったらお前さんは灯台に行くべきだろうよ」
「――え?」
「いや、本当はこのまま北に行ってあの高い山の先に向かうのがいいんだろうが……獣人どもが結界張ってやがって陸路は封鎖されてるみたいだぞ。又聞きだがな」
彼の唐突な説明に僕はしばらく呆然としてしまっていた。しかし、途中で我に返って慌てて言われたことを反芻する。
「灯台へ向かって……それから山の上を目指す、ですか」
「ああ、灯台には忌々しい獣人どもの首領がいるらしいぞ。詳しい話は村長にでも聞くんだな」
そう言ったあと店番はもう言うことはないという風に一息ついた。でも、今のやり取りで僕はもう胸がいっぱいだ。
「分かりました。行く当てがなくて本当に困っていたんですけど、今ので目標ができました。本当にありがとうございます」
「いいってことよ。これからもご贔屓にな」
にやりと笑って答えてくれた店番に深くお辞儀をして(はたしてお辞儀が感謝の気持ちとして伝わるのかは分からないけど)僕は店を出てた。
黒パンをストレージに入れて、僕は軽くなった足取りで通りを歩く。
思いがけない収穫だった。まさかあんな愚痴じみた言い訳がこんな流れに繋がるなんて思いもしなかった。僕の勘だけど、これはもしかしたらゲームで言うグランドクエストに関わっている何かなんじゃないだろうか。
だってこの『グレスリーフの入り江エリア』を統治しているであろう存在が明らかになったんだ。ユウキが言っていた『高いところを目指す』方針がまさかの大当たりだった。
このことを早くユウキにも伝えてあげたい。メニュー画面を開いて時間を確認すると、家を出てからちょうど30分が経っていた。ここから家まで歩いて五分かかるから、流石にもう家に帰っても大丈夫だろう。
もしかしたら、もうベットで寝てしまっているかもしれない。そうだったら明日の朝が待ち遠しくなりそうだ。
暗くなってきたからか、店仕舞いを始めてるところがちらほらとみられる。これもまた、長らくアルヴヘイムオンラインをやってきた僕にしては不思議な行動だった。夜に閉まるNPCの店なんてものはなかなかない。
お昼頃ユウキが村人に取り囲まれたときもだ。ふつう、プレイヤーが一人のNPCと話しているとき他のNPCは割り込んできたりしない。しかしあれは、ユウキとその話し相手の盛り上がりに引き寄せられるようにして人が集まっていった。
不意に、僕の頭に『AI』という単語が浮かぶ。人の言動や感情表現を学習し、模倣することができるプログラム……NPCとは一線を画す存在だ。
僕の言葉を解釈し『思考』して返答し、ユウキの雰囲気に『興味』を持てる。どれもAIの特徴として当てはまるものだ。
「まさか、ここの村人全員がAI構成キャラクターだって言うのか? いや、じゃあそんな村を作る意味は……?」
ぐるぐるとそんなことを考えながら歩いていると、もう家の前まで辿りついていた。よく人とぶつからなかったな。
ゆっくり歩いていたからか家を出てから37分が立っている。でも、もしかしたらまだお風呂中かもしれない。僕はそっとドアを開けて家の中に入った。
「ただいまー。……って、ん? ひょっとして本当にまだ上がってないのか……?」
幾分か薄暗さを増した家の中に、ユウキの姿はなかった。向かいにある扉のむこうだけ明かりがついている。マジですか。
気付いてないのか、時間を忘れてしまっているのか。とにかく僕はまだ外に出ていた方がいいみたいだ。急いで踵を返して外へと向かう。
「――――?」
しかし、僕はここである違和感に気付いた。――あまりにも、静かすぎる。
水を流す音も、雫の音も聞こえない。聞こえたら聞こえたで大変なんだけど、何の物音もしないというのもかえって不気味だ。
もしかして、湯船で眠ってしまっているのか。でも、あんなに疲れていたんだからありえそうな話だ。
だとしたら寝起きはきっと最悪だろう。のぼせてしまうかもしれない。一声かけた方が……いいんだろうか。
たっぷり数十秒の葛藤の末に、僕は風呂場の扉へ向けて一歩を踏み出した。お願いだから、今扉が開かれるなんてことにはならないで欲しい。弁明の余地がなくなる。
この選択はユウキのためだ。間違っても僕のためじゃない。扉越しに話しかけるだけなんだから、彼女も許してくれる……はずだ。
二歩、三歩と扉に近づくにつれ、心拍数が上がっているのが分かる。さっきと同じくらい顔も赤くなっているだろう。
五歩、六歩。もう目の前だ。声が上ずってしまわないように、気を付けないと。相変わらず、物音は聞こえない。
――七歩。深く息を吸って、吐く。そして意を決して、扉をノックする――。
――そのときだった。
「……ひっぅ……ぁぐ…………」
扉を叩こうとしていた僕の手が、その寸前でぴたりと固まる。
小さな、か細い声。……これは――嗚咽、なのか?
「……ぁふ……ぅあ、ぁ……」
一瞬後に、僕は取るべき行動を悟った。
ここから去ろう。早く。出来る限り迅速に。ここにいちゃいけない。
そう思っているのに、僕の身体はまるで金縛りにあったかのように動かなくなっていた。ユウキのためにも、早く出て行かないといけないのに。
なんでだ。なんで動けないんだ!?
焦燥が心を焦がす。そうしている間にも、ユウキの歯を食いしばっているかのような嗚咽は次々と僕の頭に刻み付けられた。
いつも笑っていた彼女のイメージが崩れて、静かに、堪えるように泣くユウキの姿が上塗りされていく。
そんなのまっぴらごめんだ。ユウキがそのことを望んでいないのは分かりきっている。もうこんな声は聞きたくない。
しかしなんでか、僕はその泣き方に懐かしさを覚えてもいた。以前の僕もこうなったことがあるような……。
思考がそちら側へと追いやられていく。いつも忌々しいくらい働かない頭が、何故かこのときだけは冷静に、迅速に動いていた。
なんで懐かしむんだ。ユウキの嗚咽に、僕は何を重ねている? いつの頃の思い出だ……?
僕がその記憶を引っ張り出したのと、ユウキが決定的なことを呟いたのはほとんど同時だった。
「……いゃ、だ…………ねえ、ちゃん……」
そう、あれは親しい人を失くしたあとに、
「さみしい、よぉ…………おいて、いかないで……」
唐突に訪れる、終わりのない苦しみだ。
ああ、そういうことか。何故か僕が冷めた気分でなりゆきを眺めていられるのも、ここから動くことができなかったのも。それで説明がつく。
静かで孤独な慟哭は続く。あれに抗うことなどできるはずがない。
そして、僕はユウキがこんな得体のしれない調査をかってでた理由を知ってしまった。……こんなことなら、知らない方がよかった。
彼女はこの二日間それを一生懸命隠していたというのに。僕の罪深さは、果たしてどれほどのものだろうか。
僕はこれから、どうしたらいい。どんな顔をして彼女に向き合えばいい。
――ユウキの笑顔を支えよう。これまでと同じように。無知を演じるのは僕の得意分野なのだから。
止まないユウキの嗚咽を耳に入れながら、僕は扉の前で立ち尽くす。
口をきつく結んで、深く、深く俯きながら。
【用語・設定説明】
・お風呂
原作には存在している。水の再現に難があるSAOだが、それでも女性プレイヤーには人気が高いようだ。
・AI
原作ラノベではユイやキズメルといった人工知能のことを指す。機械学習と呼ばれる手法を用いて大量のデータを処理、吸収、学習しながらより人間に近い存在を目指す。