「これは、ゲームであっても遊びではない」
その言葉は、ある天才的なプログラマーによって言い放たれたものだ。あの世界はこの宣誓と共にあると言える。
だから、彼らの現実はそこにある。自分の信念を語り、悔しさに涙を流し、心からの雄叫びを上げて、ひたむきに前を向いて生きている。
――そしてそれは、その世界に飛び込んだ者とて例外ではなかった。
第15話 出発前夜
『モガ村』はグレスリーフの入り江エリアの主要フィールドの一つ『グレスリーフの砂浜』にある小さな村だ。
何週間か前からそこに泊まらせてもらっている僕とユウキは今、村長と一緒に村に一つだけある高台に登っている。
「……おお、この辺りで増していた水かさが元に戻ったようだな。これなら、灯台への道も開けているはずであろう」
村長の感心したような呟きに、僕たちは笑顔で顔を見合わせた。
「やったねリオルナ! あの道、通れるようになってるかも!」
「うん、後は準備を整えて挑戦しに行くだけだ」
十日ほど前、村人からこのエリアの後略の糸口を教えてもらった僕たちはアイテムと武器の耐久値を整えてさっそく入り江の奥にそびえ立つ大灯台に向かった。
しかしそこへと続く道は海の中に沈んでしまっていて、しかも侵入不可ゾーンになってしまっていたんだ。そうなってしまっていてはゴンドラを使うことすらもできない。
この水を引かせるためのトリガーとなるものを探してきた僕たちが目を付けたのは、あるストーリー型のホロウミッションだった。
「これも、お前さんたちが水棲竜を倒してくれたおかげだ。村の者も皆、感謝しておるよ」
「いえいえ、僕たちにもあの竜は倒すべき存在でしたから」
そのホロウミッションの名前は《水の王者》。内容は
ミッション内容によれば、そいつはダンジョン『深きに揺らぐ海流水門』に続くダンジョン『水棲竜のねぐら』のそのまた深奥に居座り、エリア全体の水かさを押し上げているのだという。
あの道を通れるようにするにはこのミッションをクリアするしかない。村人に聞き込みをして確信を得た僕たちは、当面の目標をこれに定めて行動した。
そして、無事にミッションを終えてこの村に戻ってきたのがつい一昨日のこと。一週間にも及んだダンジョン攻略は確かに実を結んだみたいだ。
「ほう、お前さんたちはあの灯台に住まう獣人の王を倒しに行くのか?」
まあ回想は後に置いておくとして、今は村長との会話に集中しないと。
ここに来てすぐに気付いたことなんだけど、モガ村のNPCたちは皆独自のAIを積んでいる。プログラムに沿って動いてるのは確かなんだけどどこか人間らしさがある。だから『ドロップ』とか『クエスト』みたいなプレイヤー目線で物を言うのは禁物だ。
「はい。このエリア一体に結界を張っているらしいので。すぐにでも挑むつもりです」
「ふむ……あの王は長きに渡って武力でこの地を治めてきた。玉座の間には幾人もの配下が護衛としてついているらしい。それを倒すのは困難を極めるぞ」
「それでも行くよ。道行く敵を倒して、いろんな世界を旅するのがボクたち剣士の役目だからね!」
村長の心配そうな呟きにユウキは胸を張って答えた。僕もそれに頷くことで同意を示す。
ちょっと分かりにくい言い回しだったと思うけど、「攻略」と言うよりかはずっといい。はたして正しく受け取ってくれるだろうか。
「――かっははは! これは愚問だったな。そうだ、お前さんたちは常に未知の場所へと進み続ける使命を背負った者たち、この老人が口出しするまでもなかったか」
少しの沈黙のあと村長NPCは快活な笑い声を上げた。ユウキもつられて笑みを零す。
「さて、では旅立つ若き剣士たちに一つ言葉を贈ろうか」僕とユウキをしっかりと見据えた村長は、こう言って締めくくった。
「どんなときも、笑顔を忘れることなかれ!」
「ふう……いよいよ明日出発かあ。わくわくしてきたよ!」
「僕としてはまたかーなんて思うところもあるけどね」
「えー? どうして?」
その日の夜、村で提供された空き家で僕とユウキは荷造り(という名のアイテムストレージ整理)を進めていた。
向かい合ったソファに座ってメニューを操作しているだけなので家の中はとても静かだ。
「だってあのクエストからここに戻ってきてからまだ三日も経ってないじゃないか。しかもそのうちの半分は寝てたわけだし」
僕がそう言うと「なるほど」というユウキの言葉が返ってくる。
水棲竜の討伐を終えて二日かけて村に戻ってきた僕たちは、この家に帰りつくや否や泥のように眠りについた。
『トカゲの住処』を越え『深きに揺らぐ海流水門』まで攻略するのに四日間、僕たちの身の丈の五倍近くある巨大な三頭の竜『アルファルド』のねぐらまで辿りついて倒すのに丸一日かかったから、きっちり七日かかった計算になる。
しかもその間の行程は備え付けられたゴンドラを用いての水上移動がほとんどで、それもまた疲れを溜める理由になったんだろう。ボス討伐そのものは地上戦だったからそこだけが救いだったかな。
とにかく、僕としてはもう何日間かはここでゆっくりしたい気持ちがあった。
「ボクはリオルナがここにまだ残りたいならそれでもいいよ?」
僕の内心を窺ってかユウキが気遣わしげに尋ねてくる。――ああもう、こんなこと言うんじゃなかったな。
彼女にそんな顔をさせないとこの前決心したばかりだというのに。
「いや。そんなに気長に構えるわけにもいかないよ。僕たちはなるべく急いでとここを攻略しないといけないし」
「ん? なんで?」
「そりゃあ僕たちがここに来た目的だしね。一応だけど任務なんだから」
「……そういえば」
忘れてたんですかユウキさん。僕は顔を上げて呆れ半分の目で彼女を見やった。
当の本人は気まずそうにそっぽを向いている。図星だなこれ。まあユウキに当てはめてみれば任務のことを忘れてても結果的に仕事をこなせてるんだけど。
「だからユウキの早く挑戦したいって気持ちは結果オーライってことで」
「わ、忘れてたわけじゃないもんっ!」
彼女の弁明を「はいはい」と軽く受け流すと「うー!」と悔しげな呻き声が聞こえてきた。実際悔しそうに地団太を踏んでいる。そうそう、やっぱり君はそんな顔が似合ってる。
本当の気持ちを押し隠すことなど、この見返りに比べれば。
きっと今の僕はひどく歪んだ笑顔を浮かべているんだろうなあと思いながら、僕は僕から眼をそらし続けている彼女を見ていた。
「リオルナっていつもボクが寝たあとソファで眠ってるよね。せっかく大きいベットがあるんだから一緒に寝ようよ!」
ユウキがことなげもなく爆弾を投下してきたのはアイテム整理が終わってすぐのことだった。いや、なんとなくこの流れはあるかもしれないなあと思ってたんだけど、まさか本当に言ってくるとは……。
「……その、ユウキは僕があそこで寝てる理由が分からなかったりする?」
「そんなにあのソファがお気に入りなの? ……って冗談だってば。それくらいは分かるけどさ、もう今更じゃないかなって」
がくりと肩を落とした僕を見てユウキは慌てて取り繕う。でも根本的なところがずれてるよね。
ダンジョン攻略中の七日間、互いに安全圏で交代しながら寝ていたのが彼女のハードルを下げたみたいだ。それも数段飛ばしで。
「あ、でも離れてだからね! く、くっついたりはしないからね!?」
でもその線引きはしっかりするから分からない。なんなんだろう? この一気に近づいてぎりぎりで突き放すような彼女の距離感を未だに僕は掴めていない。
「それなら別にいいけど……」
冷静そうに見えて実は僕もかなり混乱していた。呂律が上手く回らない。「何か話したいことがあるんでしょ?」という言葉はぼそぼそとした呟きとなって消えていった。
これでも初めて彼女と出会ったときよりもだいぶしっかりできていると思うんだ。ただ、これは許容範囲外です。あわあわ。
結局言い出した本人まで真っ赤になるというおかしな状況になりながらも、なんだかんだで僕たちは一緒のベットに潜り込むことになった。
「そういえばリオルナは実装エレメント調査どこまで終わらせたの?」
「確かあと100回ってところだったと思う。ユウキは?」
揃ってベットに横たわった僕たち(かけ布団は別々だ)は、明かりを消してからも他愛もない会話を続けていた。
実装エレメント調査についてもやっと終わりが見えてきた。あの三連ダンジョンで数多くのホロウミッションをこなせたのが大きい。
「ボクはあと250回くらいかな。うーん、あとちょっとなんだけどなあ……」
「なんとかボス戦までには間に合わせたいところだね」
「ん。頑張る」
ユウキがあおむけに寝ているので、僕は彼女に背を向ける形で横になっていた。流石にここであおむけになるのは恥ずかしい。でも、ユウキは別に気にしていないみたいだ。
彼女がいつもと変わらない口調で話しかけてくるので、その辺りの感覚がほぐされてきたのかもしれない。彼女の気配を隣で感じつつも僕は自然な受け答えができている。
「ベットの寝心地はどう? ソファとか寝袋よりずっといいでしょ」
「……確かに。こんなにふかふかな感覚はリアルでも経験したことがないかも」
「ボクもだよ。これいつも持ち歩けたらいいのになぁ」
彼女の呟きが割と本気で残念そうだったので思わずくすっと笑ってしまった。ユウキも小さく笑い返す。
実際、とても寝心地のいいベットだ。良い素材を用いた高級品なのか、楽に身体を預けることができる。それこそ寝袋などと比べると段違いで、今の穏やかな雰囲気に一役買ってくれている。
「……ねえ。リオルナ」
それから少し間をおいて、ユウキが独り言のように僕のことを呼んだ。少し彼女の声のトーンが変わったことを意識しつつ、「どうしたの?」と努めて自然に返す。
「リオルナがさ、ここに来た理由。教えてほしいんだ」
……やっぱりそう来たか。
彼女が半ば強引に僕をベットに寝かせたのはこれが目的だったんだろう。ほぼ四六時中探索している僕たちにとって入れ込んだ話ができる機会などそうそうないのだから。
そしてその躊躇いがちな話し方が、投げかけた言葉が重い意味合いを持つということユウキ自身も自覚していることを暗に示している。
「ご、ごめん。話したくないなら「いいよ」
訊いてはいけないことだったと、僕の沈黙をそう解釈したんだろう。慌てたように謝るユウキの言葉を僕はあえて遮った。
ここでユウキを拒んでしまっては、優しい彼女はもう二度と踏み込んでこないであろうことが簡単に想像できたからだ。
「……ほんとにいいの?」
「心の内の話じゃなくて、外向けの『理由』で良かったら」
「全然いいよ。頼んでるのボクだもん」
「それなら僕に断る理由なんてないよ」
君をそれだけ信頼してるから、と繋げようと思ったけど止めた。きっと恥ずかしさで会話が成立しなくなる。
ユウキは口下手な僕を引っ張り上げて、率先して僕を導いてくれた。それはきっと無自覚でやってくれたことなんだろうけど、それができる人はほとんどいない。
未だにこういう見方でしか人を判断できないのが僕自身残念なんだけど、ユウキはそれを崩してくれるだろうか。
「ありがと。ボクのわがままに付き合ってくれて。ボクって知りたがりだからさ、リオルナのこと知りたいなって思ったんだ」
「……むしろ君のほうが切羽詰まってるだろ……」
それなのに他人の僕を優先して支えようとする。それがもどかしくて仕方なかった。
「ん? 何か言った?」
「独り言。気にしないで」
ユウキはたぶん僕以上に辛い何かをかかえている。あの風呂場での一件以来、僕はそう考えていた。
このプロジェクトは一カ月近く前から告知されていたものであって、しばらくの間家族や友人と会えなくなるであろうことは前々から分かっていた。だからそのあたりは折り合いをつけているはずなんだ。
だけどあのとき確かに聞こえた嗚咽はとても寂しげで孤独な印象を僕に与えた。踏み入れてはいけないものを垣間見た気がして、僕はその場から逃げ出すことしかできなかった。
だから僕はあのときのことをユウキに話すことができていない。僕があれを聞いていたという事実をユウキは知らない。
お互いに、まだまだ分からないことばかりだ。
「……いちばんありがちな事情だと思うけどね。僕がここに来たのって」
僕はそうやって前置きした。もちろん理由はそれだけではないのだけど、それを話すのはまだ抵抗があった。
「もともとこのプロジェクトの参加者はSAO事件の関係者か被害者の親族に限定されてるのは知ってるでしょ?」
「……うん」
全てを洗いざらい話す必要もないだろう。今は表面的な事実を言うだけに留めておいた方がいい。
ユウキはそのあたり聡いからきっと察してくれると思う。お互いに隠しているものを少しづつ明かしていくようにしないと、たぶん受け止めきれないだろうから。
「ぼくはそれのちょっと特殊なパターンなんだよ。被害者は僕のクラスメイトで、仲良くしてた僕に白羽の矢が立った」
このときの僕は長い時間をかけてユウキと関係を深めていこうと思っていた。それができるくらいホロウエリアは広かったから。
「僕はあいつが戦ってた場所にどうしても行ってみたくて、この調査員に志願したんだ」
だけどそれはこの世界を甘く見ているのと同義だった。今まで大した支障もなく攻略を進めてきた僕たちに、やっと『ソードアートオンライン』が牙を剥いた。
以降、僕とユウキを巡る話は加速する。それはまるでなにかのタイムリミットに迫られているかのように、
僕はこのデスゲームへのトラウマに向き合うことになる。
原作の閃光さんに比べてリオルナのメンタルが脆すぎて、ユウキの優しさのベクトルが原作版とけっこうずれてます。
【用語・設定説明】
・アルファルド
ストーリー型ホロウミッション《水の王者》のミッションボスエネミー。なめらかな青色の鱗を持ち、長い三本の胴体が尻尾の辺りで繋がっているという異形の蛇のような竜。
二段のHPゲージを持ち、攻撃手段はブレス、頭突き、回転攻撃と多岐にわたるが、ユウキたちはあっさりと討伐してしまったようだ。
・実装エレメント調査
前々章参照。ユウキが選択しているのは「OSS仕様の実装」で達成条件はソードスキルの1000回使用。リオルナが選択しているのは「ソードスキル多重連携の実装」で達成条件はソードスキルの300回使用。