「やあ、君がリーファさんだね?」
落ち着いた声で夜の商業区を歩くあたしを呼び止めたのは、ウンディーネの若い男の人だった。
どうしたんだろうと思って立ち止まる。少なくとも名前を呼ばれた程度で警戒するのは失礼だ。
「どうかしましたか?」
あたしの返事に、彼はにこっと笑ってこちらへと歩いてきた。名前はクリスハイトというらしい。
「急に呼び止めちゃってすまないね。ちょっと君個人宛に伝言を預かっていて探してたんだ」
その内容に、あたしは首をかしげる。
「伝言、ですか? メッセージじゃないってことは知らない人から?」
「そうなる。しかも結構大事な案件でね……。ちょっとここでは話せないんだよ」
クリスハイトという人は申し訳なさそうに言った。
なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。しかも全く知らない人の分怪しさが割り増しだった。新手の勧誘ですか?
「ここからあんまり遠くへは行きたくないし、時間もそんなにないのでメッセージでお願いしてもいいですか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなに遠くに連れていくわけじゃない。あそこの喫茶店なんてどうだろう?」
そっけなく去ろうとしたあたしを、しかしどうしても引き留めたいのか彼は慌てた様子で近くにある小さなお店を指差した。
「時間については申し訳ないがけっこうかかってしまう。でも、とても重要な話なんだ。どうか聞いてくれないかい?」
再びあたしの方へと向き合った彼は、今までの気軽さを消して真剣な眼差しでこちらを見つめてきた。
あたしには全然身に覚えなんてなかった。でもデメリットまで言ってくるということは、何か大事な話があるのは本当みたいだ。
「――分かりました。だったら急ぎましょう」
「ありがとう。では行こうか」
あたしの返事にほっとしたような表情を浮かべた彼は、でもすぐに顔を引き締めてすたすたと歩いていく。
なんだか勝手な人だなあと思いながら、あたしは彼のあとへとついて行った。
「そういえば、自己紹介が遅れてしまったね。さっき見たと思うけど僕の名前はクリスハイトという。改めて、話を聞いてくれることに感謝する。ありがとう」
NPCの店員に案内され、二人テーブルの席に座ってすぐに、彼はそう言ってあたしに頭を下げてきた。
びっくりして取り繕う。はたから見れば大人が子どもに頭を下げているようにしか見えない。
「あの、気にしないでください。それよりも、こんなに急いでいた理由を教えてもらってもいいですか?」
少し慌ててしまったけど声は届いたみたいで、彼は私の言い分ももっともだというように深く頷いて少し小声で話し出した。
「そうだね、君個人における話だったから早く伝えておかないといけなかったことと、こんなこと言ってなんだが僕もあまり時間がなくてね……直接的なコンタクトになってしまった」
「分かりました。でも、そんなに大事な話ならあたしも早く知りたいです」
「そうだね。僕もそのつもりだった。ただ、これから僕の言うことは君にとってはそうそう信じられることじゃないだろう。できれば、落ち着いて聞いてほしい。他のプレイヤーにばれてはいけないことだ」
話しながらとても慎重に言葉を選び取っているのがなんとなく分かる。どうして彼はこんなに緊張しているのか、あたしには全然分からなかった。
そのとき、給仕さんが飲み物をテーブルに置いた。カップに注がれたコーヒーの湯気がゆらりと立ち上る。
給仕さんが去っていくのを目で追った後に、あたしも小声で彼に話しかけた。
「――わかりました。できるだけ静かに、ですね」
「うん。心構えをさせてしまって申し訳ない。でも、それなら回りくどいことをせずに単刀直入に言うのが礼儀かもしれないね」
そう言って彼は小さく息を吸って、吐き出す。その息が揺れているのがあたしを否応なく緊張させた。
そして、思いつめた表情であたしに言った。
「君は先日突然現れたあの正体不明のエリアの事を知っているかい?」
「はい、確か……ホロウ・エリアって名前でしたよね」
「そうだ。このゲームの運営チームのコメントによれば、あれは先々実装されるエリアの一部らしいね」
らしい、という彼の言い方に、私はとっかかりを覚えた。
その言い方はまるで、運営が嘘を言っているように聞こえる。
そして、あれが本当は何かということまで知っているかのような言い方だ。
あたしのそんな疑念は、しっかりと顔に出ていたようだった。彼は目だけで小さく笑って、独り言のようにあたしに向かって呟いた。
「うん、君の懸念は正しい」
「――どういう、ことですか」
「……あれはアルヴヘイムとは全く関係ないものさ。――あの鉄の城、ソードアート・オンラインの世界からやってきたものなんだよ」
あたしは一瞬、彼が言っていることの意味が分からなかった。
ソードアート・オンライン。今なお数千人もの人を閉じ込め続ける隔絶された監獄。
それが、あの大陸? そうだ。今彼は「ソードアート・オンラインの世界からやってきた」と言った。
「――嘘、ですよね」
反射的に、そんな言葉が口をついて出てきた。
「それはない。今君に話していることはすべて真実だ。そして、君はその事実を知るべき人物だった」
嘘じゃ、ない。
つまり、じゃあ、あそこにいるのは――。
考えるより先に、体が動こうとした。しかしあたしの腕をテーブル越しに細身の手が掴む。
「っ、離してください!」
「落ち着いてくれっ! いま騒ぎを起こしたらいけない! あの場所には行けないんだっ」
「でも……でも! お兄ちゃんが! お兄ちゃんがそこにいるんですよ!? どうして!!」
「君の気持ちは分かるっ! でも今はダメなんだ。入れないんだ! もう少しだけ僕の話を聞いてくれ!」
そう言ってあたしの手を引く彼の顔は、必死だった。
なにがなんでもあの場所に行かせるわけにはいかないと、そんな気迫のようなものが伝わってくる。
入れない。行けない。という言葉がやっと頭の中で反芻される。
あたしは彼の手を振りほどこうとしてこめていた力を、ふっと弱めた。ほっとしたようなため息が彼の口から漏れる。
「……ごめんなさい」
「いや、気にすることはないさ。落ち着いてくれただけでもありがたい。――とりあえず、場所を変えよう。ついてきてくれるね?」
辺りを見回してみれば、店内の視線はあたしたちに釘付けだった。
恥ずかしさで頬が真っ赤に染まる。一緒に、今のやり取りを誰かに聞かれていなかったか不安になってきょろきょろ周囲を見渡す。
「大丈夫だ。誰にも聞かれていない。事が大きくなる前にほら、行こう」
あたしの内心を見透かすかのように彼は言って、すたすたとカウンターの方へと歩いていく。
あたしはただ、俯きながら彼の背中を追いかけることしかできなかった。
しばらくしてあたしたちが降り立ったのは、人気のあまりない森林フィールドの端だった。どうやら休憩所になっているようで敵mobの姿は見当たらない。
「……さっきは、ごめんなさい。騒がないって約束だったのに」
「もう過ぎたことさ。いきなりあんなこと言われたら誰だって狼狽する。あそこに家族がいるとするなら、尚更だ」
そう言った彼は沈痛な表情を浮かべていた。
この人も、あの事件の関係者なんだろう。でなければこんな表情を浮かべるはずがないし、それが演技だとは思いたくなかった。
「あたしを呼び止めたのは、あたしの家族があの場所に閉じ込められているのを知っていたから、なんですよね」
「そうなる。――今なら、僕のリアルでの話も聞いてくれるかな」
おもむろに彼は腰につけていたポーチをまさぐる。そして中から小さな紙を取り出すと、私へと手渡した。
それは、シンプルなデザインの名刺だった。
「僕の名前は菊岡誠二郎という。総務省通信ネットワーク内仮想空間管理課の職員で、『SAO事件対策チーム』のリーダーを務めさせてもらっている」
「……ここで名刺なんて使ってる人初めて見ました。そんなに偉い人だったんですか……」
「かしこまる必要はないさ。実際、事件の根本的解決に未だに手が付けられないダメな対策チームだ。――職業柄、ゲーム内で重要な打ち合わせなんてことも多くてね。そんなときに困らないように名刺はいつも持ち歩いているよ」
彼の表情は未だに暗いままだ。無力感、というのだろうか。そんなものに苛まれてるように見える。
そして、現実の世界では雲の上のような場所にいるはずなのに、その相手の気持ちを探れるほどあたしが落ち着いていられるのが不思議だった。
「通称「仮想課」でしたっけ。じゃあ、あたしは菊岡さんにお礼を言わないといけないです」
「――君たちにお礼を言われるようなことをした覚えは恥ずかしながら見当たらないな。教えてもらえるかい?」
不思議そうな顔をする彼にあたしはくすっと笑みを零してしまった。
「この前、解析不可能って言われてたナーヴギアを頑張って調べ上げて、あの世界にいる人たちのステータスの一部を教えてくれましたよね。――お兄ちゃんはあそこですっごく頑張っていました。そのことを知れてあたしはとても嬉しかったんです。あたしくらいゲームを知ってないと分からないことかもしれないけど、でもあたしは仮想課の皆さんに感謝しています。ありがとうございました」
一息にお礼を言ってのけて、ぺこりと頭を下げる。今度仮想課の職員さんに会ったら絶対に言おうと思っていたことだ。まさかその主任の人に言うことになるとは思ってもいなかったけれど。
顔を上げて彼を見てみれば、面食らったような顔をしていた。しかしその口元が次第にほころんでいくのを見て、あたしも嬉しくなった。
「――そうか、そう言ってくれるのか。形式的でないお礼を言われたのはあの事件以来初めてだ。君のお礼は僕ら『仮想課』の支えになるだろう」
「そ、そんなに大層なこと言ってないんですけど……」
「ふふ、何気ない言葉で救われるなんてことは、本当に起こりうるものだということを僕も今学んだところだよ」
そう言ってほほ笑む彼にさっきまでの暗さは見当たらない。私の言葉が届いたなら、それはとても願ったり叶ったりなことだ。
「そんな菊岡さんと話してるってことは、リアルのあたしのことも知ってるんですよね。どれくらい調べたのか、教えてくれませんか?」
ふと気になっていたことを口にする。でも特定の人をゲームの中で見つけられるくらいだ。なんとなく察しはついていた。
「ああ、それも話しておかないと君に失礼だな。――君の名前は桐ケ谷直葉。四人家族で兄弟に兄がいる。『SAO事件』に巻き込まれたのは君の兄で、現時点で16歳。君の年齢は15歳で現在中学生。また、兄の桐ケ谷和人の両親は――」
一瞬だけ、沈黙がおりる。
「――大丈夫です。あたしももう知ってますから。……お兄ちゃんとあたしは本当の兄弟じゃありません」
気遣うように口を閉ざした彼から目をそらしながら、あたしは小さく呟いた。
お兄ちゃんはあたしが生まれる前に両親を失っている。ひとりになってしまったお兄ちゃんを引き取ったのが親戚であるあたしの家だった。
このことを知ったのは、つい最近のことなのだけれど。
「そう、か。……でも、さっき「ホロウ・エリア」のことを話した時の君の必死さを見る限り、僕には君たちがそんなに気負うような関係ではないと思うんだが」
「――ありがとう、ございます」
感情の籠った彼の言葉に、今度はあたしが声を詰まらせてしまった。
流石は国の役人さんだ。あたしに限らずとも、人の心理を読み解くスキルがあるんだと思う。まああんなに動揺していれば……なんだかいらない誤解を招いていそうな気がする。
「……よしっ。ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。あたしを呼び止めたのは、何もそのことを伝えるためだけじゃないんでしょう?」
「――そうだね。まだ僕は最も伝えたいことを君に話していない」
いつの間にか、彼と出会ってから1時間近く時間が経ってしまっていた。なんだかんだあったけれど、やっと本題に入れるらしい。
彼は今度は戸惑うことなく、はっきりとした口調であたしに告げた。
「今の君になら、安心してこの任務を依頼できる。断っても構わない。ただ、決して他言はしないでほしいんだ」
「依頼、ですか?」
「そうだ。SAO事件対策チームリーダーの僕から、全国中学校体育大会剣道種目上位入賞者であり、アルヴヘイムオンラインにおける「シルフ族」のトッププレイヤーである桐ケ谷直葉君に正式なお願いをしたい」
そう宣言する彼の姿は、どこか軍人のような引き締まった雰囲気を感じさせた。
「僕たちは近々『ホロウ・エリア潜入調査プロジェクト』を極秘裏に実行する。君がよければ、その調査部隊に入ってもらえないだろうか」
リーファさんはリアルだととっても強いです。
菊岡さんも原作キャラです。原作ラノベ五巻参照。
【用語・設定説明】
・商業区
アルヴヘイム内に数多く存在する中立拠点の一つ。プレイヤーショップが数多く軒を連ね、種族を問わず多くの人々がアイテムや武器などを求めてやってくる。また、喫茶店や公園なども設置されており、ダンジョン探索中の羽休めにも丁度良い。